とりあえず、箱の裏を見るといい。「うえっ」と思える。
やたらと細かくて大きい数字がたくさん並んだボードが見える。なにこれ。
そういえば、作者のフリーデマン・フリーゼは電力会社の人だ。あれも、やたらと細かくて大きい数字を扱うゲームだった。
コンピュータ世代の我々は貧弱だから。電卓は必須になる。もっともいまどき、携帯電話でもなんでも計算くらいはできるけど。
うえっと思ったところから一歩だけ踏み出してプレイしてみれば、ゲームのほうはとてもおもしろい。そこはさすがフリーゼだ。
株を売買するゲームだ。ボードに並んだ数字は、株価なんである。
決算が起こると、巾着袋から「ブリーフケース」を何個か引く。出てきたブリーフケースの色の株価が、上がる。
ただし、もし黒のブリーフケースを引いてしまったら。逆に株価が急激に下がるんである。
このあたりが、暗黒の金曜日というタイトルにつながっている。
おもしろいのは、この巾着袋の扱いだ。
ゲームが進むにつれ、黒いブリーフケースが追加されていく。また、決算のたびに、それまでに買われたのと同じ色のブリーフケースが袋に投入される。
そうやって、株価の変動の確率が微妙に変わっていく。
そのあたりも考慮したり、しなかったりしつつ、株取引をしていくことになる。
この巾着、なにかに似てると思う。
そう、いわゆるデッキゲームの、デッキと同じなのだ。
読めるかもしれないし操作できるかもしれない乱数装置。かたちは違えど、実現したいロジックは同じだ。
そういう株取引をくりかえし、資金を集める。そうして集めた資金は、銀の延べ棒を買うために使う。この銀が、勝利点である。
銀は、早く買うほど安い。暴落もあるとはいえ株価はどんどん上がるから、株に投資したほうがお金は儲かる。しかしそればかりやっていると、気づいたら銀相場が高騰しすぎていたりする。
うまいところは、各ターンの売買数の上限がきっちり決まっているところだ。終了間際に銀をまとめて全部買う! ということがあまりできない。この強制のせいで、効率を重視する作戦に上限があり、どこかでテンポを考えなければならない。
(若干、ゲームシステム的に強引な方法という気もするけど)
お金は必要だ。そのためには株が必要。しかしどこかで銀を買わなければならない。
勝利点はお金じゃなく銀、というところが、個人的にとても気に入っている。
ただ相場で取引するだけじゃない、それとは別の軸があり、つねに緊張感が切れない。
少し前によくあった、このサイトで勝手にいってた言葉で「街系ゲーム」、つまり、タイトルになんか街の名前がついてて、建物を建てていく系のゲームに、近いところがある。基本的に拡大再生産だから投資が必要なのだけど、どこかで勝利得点に切り替えないといけない、そのタイミングがいつなのかを、刻々と変化する局面の中で読みとる、街系の特徴はそういうところだ。
暗黒の金曜日は銀があるおかげで、株ゲームなのに街系っぽい。
そんなゲーム。
すごくよくまとまっていて、おもしろい。
基本的に人が買っている株は高騰しやすいから、みんなが群がる。だから株価が急騰する。しかし暴落の危険はつねにある。
そんな、いかにもバブルのマーケットっぽい緊張感が、とてもよく再現されている。この、ゲームシステムが作り出す「相場っぽさ」や雰囲気が、非常にいい。
なんだろうこの独特の感じ。フリーゼが鬼才などといわれてるのも、こういうのやるとわかる気がする。
とにかくこの数字の大きさ。細かさ。本当に電卓必須だ。
こんなゲームデザイン、ふつうはやらない。ふつうは、最小限の数字でなんとかしようとするだろう。教科書があったらそう書いてあると思う。
しかしこの人は「104」なんて数字をボードに書いてしまう。
でもじつは、数字が大きいほうが調整はしやすいのだ。
小さい数字だけを扱っていると、たとえば「株価が1から2になった」というのは、その株の価値がすべて2倍になったことになってしまう。変化が大きくなりすぎる。中間がほしい。
このゲームでは「株価が39から34に下がった」などということが起こる。こんな微妙なスケールの変化は、ふつうのボードゲームではなかなか扱えないのである。
そういう微妙な数字の変化で、このゲームは調整されている。
このへんが、鬼才を特徴づけるところのひとつかもなーと、少し考えている。