コンセプトというか、やりたいことというか、デザイナーの気持ちはわかる気がする。
海に島がたくさんあって、その中のひとつが黄金島なのである。プレイヤーは海賊の船長になって、黄金島を捜す。
しかし、
「黄金島を見つけたら勝ち」
ではない。そのあたりが特徴だ。このゲームが目指したところも、そのあたりに表現されているのだろうと思う。
このゲームの勝利条件は、
「黄金島に上陸したプレイヤーの中でもっともたくさんの財宝を獲得する」
こと。「黄金島を捜す」というより、黄金島に置かなければ負けなのである。
ちなみにこれ、「偶然上陸した島が黄金島だった」でもいい。情報収集をせず、他プレイヤーの行動から推定するというルートを、あえて確保してあるデザインだ。
とりあえず、12枚ある島カードから1枚がボード脇に伏せられる。このカードに書かれているのが、黄金島である。
この黄金島を捜すため、海賊たちは港町で情報収集し、出航して島に上陸し、財宝をあさる。
情報というのは、島カードで表現されている。黄金島以外の情報カードははじめ、山札として置かれている。ゲームが進行するとこれが引かれていき、さらにプレイヤーからプレイヤーにぐるぐると移動する。
この流通している島カードは、黄金島ではない。だから、全部見れば黄金島を特定できるというわけだ。
Whiteさん宅でゲームするときは、『スルース』が定番のひとつ扱いされていたりする。黄金島の「伏せられた一枚を推理する」というあたりは、あのゲームを思い起こさせる。
スルースはいいゲームだ。しかし、じっさいのところ、あのシステムには欠点がある。
スルースでも黄金島と同じように、解答ではないカードをプレイヤーが持っている。欠点というのは、その情報をもっているのがゲームを通じてそのプレイヤーだけであるというところだ。
「青いダイヤカードを何枚もっていますか」というような質問に、プレイヤーは正直に答えなければならない。そこで一度でもウソをつくと、ゲームが成立しない。
まあ、ルールとしてプレイヤーが正直であることを前提とすること自体は、しかたないだろう。しかし、プレイヤーは人間なのである。人間である以上、ミスは必ず起こる。スルースのゲームシステムでは、一度のミスも許容できない。
ミスをするとゲームバランスが崩れるとか、そういう話ではない。ルールの前提が崩れてしまうから、ゲームにならないのだ。
プレイヤー全員に、集中力が求められるゲームなのである。
じっさいのところ、ボードゲームプレイヤー全員がそうした集中力を備えているわけではない。
というより、ゲームに求めているものは人によって違う。ほしいのは単純な楽しさであって集中ではない、というプレイヤーも多いのだ。スルースは考えることが多すぎて、ゲーム中は誰もが無口になってしまい、盛り上がらないという面もある。
だから、はじめて会った人とスルースをプレイすることはちょっと厳しいかもしれないと思う。
困ったことに、スルースはおもしろい。だから、ああいうシステムを使った別のゲームを作れないかと思う。
黄金島は、そういう試みのひとつと思える。
海を航海して宝を捜すためにリソースをマネジメントしなければならないわけだが、そうした行動の一環として、情報収集のためのアクションがある。情報そのものをリソースと同列に扱っているわけである。
試みとしておもしろいと思う。
ただゲーム自体は、充分に練られていない。余分な要素が多すぎるし、まとまっていない。