2006.02.25 00:29 てらしま
基本的にわたしは、こんなもの書いてるくらいだから、本を好きな人が好きである。本好きに悪い奴は……多いが、これは個人の嗜好の問題なのでいいも悪いもない。
というわけでこのシリーズ。「本」はかなり重要なテーマの一つなのだ。だから、基本的にはわたしも好きなのである。
人間の思考や言葉は、力を持っている。他人の意識に影響し、場合によっては操ったり、殺したりすることもできるかもしれない。
つまり、魔術だ。
とそういう話。になってきた。
本というのはつまり言葉の羅列なわけで、だったら、本を読むときはその言葉からなにかを得ようとしているわけである。
逆に言葉を発するほうは、誰かになにかを与えたくて書いている。
このシリーズに登場する「魔術」は、文章を書く人や読む人が必ず見る夢そのものだ。
もしも自分の言葉で人を殺せるなら、それはすばらしいことなのではないかと、思ってしまわない人はいないと思う。
「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」
という一言で人を殺してしまった話を書いたのは漱石だが、あれこそ魔術そのものだったことになる。けっきょく、本を読む人は少なからず言葉に影響されたくて読んでいるわけで、言葉の力を信じたいのだ。だから漱石のこの小説『こころ』は名作ということになったのだろう。小説というメディアだから評価されたのだともいえる。
この巻では、そうした言葉の力を中心にした話が展開される。この話はアニメにもマンガにもしないほうがいい。
今回の小道具は「呪いの本」である。そりゃもう、読んだら首を吊って死ぬくらい呪いだ。
そういえば文芸部の主人公たち。幾度か登場するこの呪いの本を、わかっていても読む。死ぬと警告されているのに、必ず読む。
ホラー映画でよくある場面である。物陰から物音がするかなにかして、化け物が出るとわかっているのに、一人で近づいていってしまう。そして案の定、襲われて殺される。
B級映画なら笑いどころだが、よくできた映画なら、まああとで冷静に考えてみるとおかしいんじゃないかと思うことも多いが、だいたいは緊張感のある、その映画を象徴する場面の一つになる。
つまり、観客はそれを求めているわけだ。怪物が出そうな場所を登場人物が素通りしてしまうのでは困るのである。
もしもそこに「呪いの本」があれば、優秀な登場人物はそれを読まなければならないということだ。
特にこれは小説。読者は言葉の力を信じたい。呪いの本の存在を信じたいと思っている。
メタフィクションというほどあざといものではないけど、小説というメディアの特性をうまく使ったしかけだ。本当に魔術が存在するこの小説の世界は、本読みにとってはある種の理想郷なのだ。
読んだら死ぬ呪いの本を、読んでみたいと、どこかで思っている。少なくとも、読んでしまう登場人物たちに共感することはできる。読者である以上、それは当然といえる。
だから、こういう話はおもしろい。もちろん、ちゃんとまともに小説としてのできも悪くないからいえることだろうけど。
ということで、テーマがはっきりしてきた。この巻で一つのブレイクスルーを迎えたんじゃないか感。まあ、単純におもしろくなってきてもいるけど。
はじめのうちはあまりその気じゃなかったんだけど、これは最後まで読もうかな。