引き分けゲームだったそうです。
↓これ。
誤解がありそうだからここで書いておくと、今回のこれは、ディープブルーがカスパロフに勝ったとかオセロの世界チャンピオンがコンピュータに負けたとか、そういうのとはまったく違う話である。
チェッカーのすべての盤面を調べ尽くしたといってるわけだから、ただ世界一強いというだけじゃないのだ。つまり、これから何十年チェッカーを研究しても、シヌークに勝つことはできないんです。
つまり、本当の意味で、チェッカーはもうゲームではないんですねー。
このシヌークというプログラム、じつは、1994年の段階ですでに人間最強の人と互角になっている。
このときの結果が0勝0敗6引き分け(ほんとは40戦近くやるらしい)。人間側が体調不良で棄権したからコンピュータの勝ちとなっていて、ほんとはどうだったのかよくわからない。
というか、この対戦はすでに「究極の対戦」に近かった可能性が高いわけだけど、病気にならないコンピュータのほうが強かった……ということなのかどうか。
(ちなみに、この2年前にも同じカードが実現していて、このときは人間が勝っている)
この人間世界チャンピオンのマリオン・ティンスレイという人。45年のキャリアで9ゲームしか負けなかった(うち2回がシヌーク戦)とかいうとんでもない人なのだ。
当初協会はコンピュータとの対戦を認めてくれなかったけど、いわく
「もう人間に相手がいないから」
チャンピオン位を返上してもコンピュータとの対戦を望んだという逸話があるらしい。
そういう経緯を見てみると、チェッカーというゲームはすでに、50年前に終わりが見えていた。
ただし、いくら強いといっても、ティンスレイはすべての局面を評価したわけではない。人間の脳はあいまいだから、何回やっても同じ評価をしているとも限らない。だから、せいぜい「事実上終わっている」くらいのところまでしかいきつけなかったわけだ。
そういうところまできていたゲームの、今回は本当にすべての局面を評価し終えた、というお話なのだ。
でなにがいいたいかというと、ゲームの分野での人間とコンピュータの、現在の力関係はこれくらいだというのがわかるなあと。
人間が「事実上終わらせることができた」くらいのゲームなら、コンピュータは完全に終わらせることができるらしいと。けっこう人間も強いなと思う。
まあとりあえず、なにはともあれ百聞はうんたらである。これを見てくれ。
ちょっとスゴくないすか。
舞台はたぶんどこかの海。海底火山がぼんぼん噴火して、溶岩がふきだして島が誕生しようとしているのである。
そんないかにも危険な島に、なにが悲しくてか、住みつこうとする人たちのお話なのである。
とりあえず、六角形が3個くっついたかたちのタイルがたくさんある。
このあたり、このデザイナーらしいというか『アッティカ』の人っぽい感じだが。
このタイル、3マスのうちひとつは必ず火山で、残りの2マスがなんとか人の住めそうな地形。
つまり
「火山が噴火して溶岩が流れ出して地形が隆起したー」
というのを表している。
写真みればわかると思うけど、なんか積みかさなって高くなっていくんである。そんなあたりを表現するために作られた、このブ厚くて変なかたちのタイルなのである。
ルールはわりとシンプル。手番の最初にタイルをめくり、てきとうに置く。島を広げてもいいし、重ねて高くしてもいい。
で、家を置く。この家の置きかたのルールが実によくできている。
の4種類の置きかたができる。
神殿や塔には神の加護があるけど、普通の家はあたりまえのように溶岩につぶされてしまう。どうしてそこまでしてこんな危ない島に住みたいのか?というあたりは大変疑問。
勝利条件もまたよくできている。
いきなりゲーム終了するパターンを設定したあたりは、アッティカからひきつがれている部分。デザイナーの意図を感じる。
勝利条件を複数にすることで、どちらのルートを選ぶかという選択肢が生まれるわけである。
シンプルなルールの中に、多少ムリヤリにでもゲーム性をつめこもうとするデザイン思想に、この方法が合致しているのだろう。
ただし、システムはアッティカよりも洗練されていると思う。アッティカはけっきょく、賢明にやればサドンデス勝利は起こらない感じになってしまっていたけど、タルバはそこが微妙なラインになっている気がする(プレイ回数が少ないためまだわからないけど)。
というか、ふつうにこのタイルの変なかたちで「アッティカの人か?」と思ったけど。
ていうかそんなことより、見た目がまず美しいし楽しいじゃないか。だから、この変なタイルを重ねたりつなげたりする過程が、普通に楽しいのである。
ゲームのエレガントさという点でもアッティカを超えてると思うし、これはかなりいけてるゲームだ。
乱数が少ないところが欠点といえば欠点かも。まあ長所ともいえるかもしれないけど。
プレイ感として『ティカル』に似てるようなそうでもないようなところがあり、本気で考えたときのキツさも、あれほどじゃないにしろそんな感じになりそうなところがある。
特にサドンデス終了しないときに(だと思う)けど、終盤が大変そうだ。タイルのカウンティングとかしはじめるとほんとに大変なゲームになりそう。
もうね。いまの最大の悩みはこれです。アドバンス$_lbes$_rbを買うか否か。
画面が大きいのと薄いのはやっぱり魅力なんだが、そこにボーナスのうちの4万円を使うかどうか。うーん。
そんなのあったんだって感じだけど。
近ごろ、というかいまさらアイシールド21にハマって、全巻買ってきたりしていたのだが、なんといまアメフトワールドカップを日本でやっているのです。
しかもあれだね。知らなかったけど、日本ってアメフト強いんですな。というかアメリカ以外では敵なしって感じのようす。アメリカ以外ではな。
まあワールドカップといったって、公式サイトはサーバ不安定すぎだし、大会の運営っぷりも学生スポーツ以下だし、まあようするにいかにもアマチュアスポーツ感が漂う感じなんだけど。
出場チーム見てみたら、韓国とか、国内の競技人口1200人とか書いてあるし(笑) それたぶん全員顔見知りである。
ちなみに日本は18,000人くらいで、これは多い。
そしてアメリカは150万人らしい。
例によってアメリカはいままで出てなかったけど、今回初参加だそうで。しかしもちろん、こんな大会にNFLの連中は出てこない。野球ではWBCでようやくひっぱりだしたわけだけど、アメフトはこれかなり道のりが遠そうだ。
とかそんな大会やってるようなのです。
マンガのおかげでだいぶルールがわかって、おもしろそうだとは思うので、週末の決勝戦(日本対アメリカの予定)は見てみるかと思った。
[2007.07.09 21:32]masamasa :
アメフト、マジおもしろいですよ。
ゲームシステムがなかなか秀逸ですし。
チーム戦なリアルスポーツは、野球(展開ゲー)とアメフト(作戦ゲー)とサッカー(押し引き,個人技ゲー)をおさえると、他はあんまいらないんじゃない?っておもってます。私は。
ちなみにホッケーは格闘技でバスケは800m走と同列です。
[2007.07.09 21:34]masamasa :
誤)
>アメフト、マジおもしろいですよ。
正)アメフト、マジおもしろいですよね。
ってことで同意です。
アメフトしってからアイシルを先読みしながら読むと、あるあるw ってかんじが楽しめます。
[2007.07.09 22:28]anonymous :
地味に経験者がコメントしてるし(笑。
アイシールド21は確かに面白いと思う。ありえねーと思いつつ、リアルに同じ(orかなり近い)事をやってる人がいるのがありえねー。
[2007.07.09 22:39]てらしま :
漫然と見ててもなにがおこってるかさっぱりだけど、ちょっとわかってみればおもしろいというスポーツにはスヌーカーというのがあったわけだけど、個人的にあれに近い感じがしてきてはいます。
きっといまごろ、セナという名前の子供がたくさん生まれてきてて、15年後の高校選手権は大いにもりあがってるにちがいな……くはないな。
ピラニアだらけの川の中州に、ペドロ氏がとりのこされています。なんじゃそりゃ。
川に落ちるとピラニアに喰われるので、石で足場を作ってその上を歩くのです。
各プレイヤーには12枚のカードが渡されている。「北に1歩」「西に3歩」といった感じで、4方向に1〜3歩のカードである。
あと石。これがもう本当に石だ。
で、みんなでカードを1枚伏せて出す。
いっせいに表がえす。
スタートプレイヤーから時計回りに、出したカードの方向・歩数にしたがいペドロを歩かせる。
いいかげんなゲームである。
ペドロが水の上にきたら、石で足場を作ってやらなければならない。もしもこのとき、手もとの石が足りなかったら、そのラウンドはその人の負け。ピラニアを受けとらなければならない。
誰かがピラニアを喰らってラウンドが終わると、各自残りの手札にしたがって石を補充する。歩数が少ないカードが残っているほど補充できる石が多くなる。
で、ピラニアを2個受けとってしまった人が負け。じつは勝者ではなく敗者を決めるゲーム。
なんといってもこのゲームの特徴は、石だろう。なにしろ本当に石である。ホームセンターにいけば売ってるやつである。
大きさもまったくバラバラだし、ちょっと汚れてたりなんかもするようだ。
ペドロは石の上を進むので、ペドロコマはちゃんと石をまたげるかたちになっていたりもする。
普通に考えるなら、石ではなくてタイルのはずだ。いつもの、木のコマでもいいだろう。しかし、やはりこのゲームの場合は、石で大正解と思う。川の上に並んだ、大きさもまちまちで危なっかしい石というこの風景は、なくてはならないものだった。これがゲームの気軽さをあらわしてもいるし、石の話題だけでしばらくは盛りあがれるわけである。
システム自体は、よくある読みあいやジレンマらしきものを「感じさせる」もの。実は計算が1歩狂っただけで大ダメージなんだし、そんなものを読みきれるはずもないのだが、いちおう自分の選択の結果ではあるので適度に悔しがることはできる。
別にそれほど悪い意味で使うわけではないのだけど、いってみれば「子供だまし」のシステムだ。いや実際に騙すのはゲームを買うドイツの親なんだろうけど。
けっこう、こんな感じのゲームは多いのだ。
システムをシンプルにするのだが、シンプルにしすぎるとたいてい、プレイヤーの選択の影響が大きくなりすぎてしまう。ひとつひとつの選択がゲーム全体に大きな影響を及ぼすため、他人のちょっとした気まぐれひとつで計画が狂ってしまうことになる。
結果、展開を読むことが不可能になってしまう。
「読み」が不可能である以上、プレイヤーには選択の基準がない。そうすると、ゲームとしては、ジャンケンと変わらないものになる。瞬間瞬間の一喜一憂にしか価値がなくなってしまう。
だが、こうしたことはあるていどしかたないのだ。
緻密にチューンされたゲームのほうがいいに決まっているが、システムが複雑になるほどプレイされる機会は減る。シンプルかつ深いゲームなら一番いいだろうけど、そんなものはそうそうない。
そこで、ゲームである以前にまずもりあがる「遊び」であることが求められる。つまり雰囲気だ。とくにこういうファミリー向けのゲームではそう。
水の上に並んだ石、というこの小道具は、その雰囲気を作りあげるためのものだ。評価すべき点はそこだと思う。