むかし友人たちとのバカ話で「巨大ロボットを操作するには両手両足では足りない。だから、たとえば表情筋を使うのはどうだろう」なんて話をしたことがあった。
笑ったらゲッタービームが出るとか、口を開けながら右眉毛を上げるとロケットパンチとか、そういうインターフェースを使えば、同時に入力できるチャンネル数が増やせる(しかも、脳波とか使うよりも簡単に)じゃないか! なんてヨタ話だ。
個人的に、サイバーパンクの世界はまずこういう方向から実現されていくんじゃないかと思っている。「ユーザ側に訓練が必要だけど、技術的には簡単で安価なもの」という方向性だ。
技術が広がるための絶対条件は、安価であること。
舌でコントロールというのも、あるていどの慣れが必要だろうけど、とりあえず実現して商品にしてしまうことは比較的簡単だ。そして慣れてしまえば、フリーハンドで自在に車椅子を動かせる便利さは革命的なものになりうる。
実はSFがつくウソでもっとも多いのがここで、電通とかサイボーグとか、たしかに技術的には実現が見えはじめているけど、それがどうやって社会に広がるのかという部分を、SFはすっ飛ばしてしまう。
もちろん最終的には脳でコントロールできるようになるかもしれないが、そこまでたどりつくにはまだまだいくつもの壁がある。
壁をクリアするために必要なものは、端的に金だと思う。
つまり、需要と供給の問題だ。需要がふくらめば研究予算も増やすことができ、開発の速度も上がる。
まずサイバネティクスとかロボットとかの市場が生まれ、社会に受け入れられなければならないのだ。
そのために、まずはユーザに多少の習熟を要求してもできる技術で製品にしてしまうという方向から「夢の技術」に近づいていくことになるのではないかと感じている。
そして、そういう「訓練が必要なツール」が広がる下地を、もっとも持っているのがニッポン。若者たちが使うケータイメールのあの指使いは、どんなSF作家も予想できない速さで高度化していったスキルなのだ。
ギブスンはあんまり日本のことを知らなかったみたいだけど、そういう部分でも『ニューロマンサー』は実に見事に未来を予想してしまっていた。かもしれない。
RGN
テーマは……ははあ、ノミックですか……。
いちおう説明するに、ノミックというのは、ゲームを語るネタとしてはこれ以上ないほどのネタゲーム。なにしろ「ルールの変更を提案」して「多数決をとれ」とルールに書いてある。
http://www.earlham.edu/~peters/nomic.htm
http://www.jaist.ac.jp/~m-hatake/bre.htm#ruledynamic
あんまりいい日本語のサイトみつからないねー。検索しづらいワードだな。
たしか英語のサイトで、10年近くこれをやりつづけてるところがあったはずなんだけど、これもみつからず。
ほんとにゲームキチでないと、ノミックについて論じようとはしないだろう。そういう、ネタなのである。
なんとなく某人の日記とか見てて、RGNで扱ってるテーマにはあまり興味がもてないかなとか思っていたのだけど、今回ばかりはおもしろそうだな。
わたしは基本的に、コンピュータゲームをゲームとして論じることに違和感がある。というかどうも興味を感じられない。ゲームを論じるなら、目の前の相手に勝つためのものを論じなければなにも語れない気がしている。
MMOも一人用コンピュータゲームも、あれは小説体験の拡張であってゲームじゃない、と感じてしまうんである。
でも、こんなひどく狭義のゲームからでも、MMOまでつながるなにかがあるのは事実だ。そういうのを論じる場があるというのはとても重要だと思う。
ごく個人的に、同じような企画をSF大会でやってくれないかなとか思うけど(つーかそういうのは思いついた人がやるべきなんだろうけど)。
というわけでレポート期待してみます>white氏
2006.05.30 20:01 てらしま
2冊目春待ちの姫君たちは、つまらなくはないけど微妙だった。でも3冊目のこれはおもしろかった。
1冊目『白い花の舞い散る時間』の続編というか外伝である。前作で名前だけ出てきた、都《みやこ》さんが主人公の、過去の話だ。
特別優秀な人とお嬢さましか入れない、特別な塾がある。
丘の上に建つ、教会か大聖堂かというような、豪華な石造りの建物が、塾だというのである。
そこに、主人公が入ってくる。都は本当に深窓のお嬢様で、いままで学校にもいったことがない。そんな彼女が、この塾ではじめて同年代の少女たちとの生活を経験する。
というわけなのだが。
そこはまあ、そういう話だったりそれどころじゃなかったりいろいろ。
登場人物を幸せにしてやりたいとか、家族愛とか友情とかそういう、物語の世界では当然あるものとされているものが、このシリーズでは、あるかどうかわからない。あるのかもしれないし、ないかもしれない。そのあたりがおもしろさだ。
この本でも、そんな特徴が充分に発揮されている。
おもしろかった。のだけれど。
個人的には、もっとつっぱしってほしい気がした。
もっと薄情な、というか人間性を完全に捨て去ってしまった小説が読みたい。
ここまでやったのなら、もっとひどい話ができるのになあと、思ってしまう。もっとひどい、本を投げたくなるような読後感を味わいたくなる。
……いやもちろん、そうじゃない人もいるだろうし、どちらがいいのかは知らないけど。というか人情はあったほうが、一般的にはいいんだろうけど。
こういう珍しい小説を読むと、過度に期待したくなってしまうのだ。
本気で悪魔に魂を売ってしまった、とんでもない小説が読みたい。
あたりまえの感動はもういらない。特に同情を押しつけてくる話は飽きた。記憶障害とか白血病とかのヒロインに同情する話はもう飽きたじゃないか。
はっきりいえば、主人公にいくら泣かれたって共感などできないのだ。それがもう、わかってしまっている。ある程度の量を読んでスレちゃってる人たちには。
ああいうのが売れてるのは騙されてるだけで、そのうちブックオフに余るのは目に見えている。
それよりは、とても共感できないようなバケモノじみたキャラクターのほうが、本当はおもしろいんじゃないのか。とも思う。
主人公がなんの救いもなく死ぬとか、主人公が殺人鬼だとか、そんなのでかまわない。地獄の鬼が書いたような、ひどい読後感の小説を、たまには読みたいと、思うじゃないか。
でこの人。
そういう、あたりまえじゃない話を書くことのできる、珍しい作家の一人なのだ。
ただし、いまのところは、そのどちらが飛び出すかわからない。
これはまだ成熟していないからだろう。いまのところは、このわからないところがおもしろいわけでもあるけど。
一人の作家が抱えられるテーマの量などそう多くないと思う。けっきょくは、どちらかに転げ落ちることになるという気がする。
そのときはぜひとも、悪魔と契約しちゃってほしいなと、身勝手なファンは思うのだ。