イチゴばっか喰ってたら痩せた。
あとタイトルがついたり武器がハンマーになったり。やっぱひのきのぼうとはだいぶ違うぜ。
それと中の人が戦闘に慣れてきたこともあり、赤クモと巨大クモは倒せるようになった。
このゲーム、ある程度強い敵でもノーミスなら倒せるし、弱い敵でもキー間違えると死にかねない。ということは中の人が強ければもっと強い敵と戦っていいんだろうなあ。
でもよく押し間違えるので熊はまだ。
昼間のバイトはしごのほうが経験値効率高いので、メイキングマスタリをとってみた。裁縫とかも上げちゃおうかな。
せっかくのハンマーなので熟練度を上げるべく、戦闘は魔法を減らし 殴る→カウンター→魔法 みたいな感じに。目指す魔法使いからはどんどん離れていく今日このごろ。
↑ど、どうしよう……の図(この状態でひとしきり悩んだ)
でかくて怖いので近寄らないように戦う。火の玉投げて逃げるのくりかえしで。
魔法使いっていうかゲリラ兵士かなにかですね。手榴弾もって物陰から戦車に近づいていくの図だね。
この後、巨大蜘蛛は首尾よく撃破したが、実は一匹も倒してなかった赤蜘蛛に大苦戦するはめに。親分と違って足速いし。
赤蜘蛛はおおむね「ミスったら負ける」くらいの相手なので、一匹ずつ釣ってミスらなければいいはずだったわけだけど。中の人が疲れてたね。
あと灰色狼に3回喰われたとか。集中力のない日はダメです。
昨日、ふと思いたってはじめてみる。
なぜマビノギかといえば、なんか雰囲気がよさげだったから。どうせMMOなんてね、ゲーム性はあまり気にしちゃいけないわけです。雰囲気とキャラクターへの思い入れが一番大事なわけで。
いや、マビノギのゲーム性が悪いとかそういうわけではなく、なにしろ選ぶ段階ではそんなことわからないわけなので、ただこのゲームが一番目を引いたわけである。
ケルト系の世界は、MSXの「ティルナノーグ」やったころから好きだし。
というわけで日記をつけてみよう。
ほんとにただの日記なのでゲーム知らない人に配慮もしないだろうし文章も調整しませんので注意。
ゲームをはじめてみると、本当に雰囲気作りを最重要視したデザインになっていた。けっこうえらい。
性能は普通のとまるで変わらないブランド物の服とか売ってるし、染色できるし。なにより、キャラクターの造形がいい。よくある韓国製やアメリカ製の3Dの、きれいだけど萌えない世界はやはり、日本人には合わない。けっきょく受けたのはROだし。
つーかほんとは外国人もそうじゃないのかな。ほんとは二次元で充分だよな。みんな、グラフィックカードが3D対応になったからとか、そういうしょーもない理由でやってるとしか思えないわけなんだが。
「体重が増えました」とか「足が細くなりました」とか、なんの意味があるか知らないけど、キャラクターへの愛着を作るためにはいい方法かもしれないのだ。プリンセスメーカーみたいなもんだな。
「生活」を売りにしただけのことはある。もっとも、ほんとにMMOの中で生活するようになったら他のことできなくて困るわけだが。
というわけで昨日はじめて現在Lv16。まだひととおりのスキルがそろわない。
ひたすら一次産業(羊毛を刈る)に汗を流しつつ夜は狼を虐殺。魔法使いを目指すはずだったが、途中で「魔法だけじゃ戦えないじゃん」と気づき近接技能をひととおりそろえた。
クラスがなく全部スキル制というのは正しいアプローチだと思う。たしかにそのほうがいろいろできそうだ。キャラクターの容姿はクラスで変わるのではなく服装と作成時に選択する髪型やら色やらで変わる。
服だけでもこだわればいくらでもやれるようになっている。服のためにゲームやってる人もいるだろう。
「作曲」(ほんとにメロディやコードを打ちこんで曲を作る)なんてものもある。おそらくゲーム的にはほとんど意味がないんだが、まあケルトっぽい要素ではあるのである。
あと、牧歌的な雰囲気を大切にするための方策の一つだろうが、街のNPCどもにもやたらと力が入っている。これは正解だ。せっかくMMOだから全部プレイヤーにやらせようと、できるだけNPCを薄く作ったゲームは多いが(ベータをいくつかやった程度だが)、それとは逆のアプローチ。そのせいで、世界観はかなりしっかりしたものになっている。
それとPKもない。のどかだ。
問題は、NPCと会話してるだけでもゲームになってしまうところだろう。
普通の一人用RPGをやってるのと変わらないプレイもできてしまうのだ。実際、序盤はNPCからやたらとお使いが飛んでくる(やらなくてもいいということはだいぶ後になって気づいた)。まあそれも楽しくなくはないのだが。
というわけで現在の目標は「巨大蜘蛛を退治する」と「熊を狩る」
日記はいつまで続くか知らん。
2006.02.01 01:20 てらしま
ちと前のマンガだけど、やっぱり書いとこう。わたしが書かずにどうする。とにかくメチャクチャおもしろいマンガだったのである。
ウェルター級で世界を獲るといわれた天才ボクサーが、ある日突然「ヘビー級へ転向する」と宣言する。
ウェルターからヘビーというのは、つまり、30kgくらい増量しなければならない。これはもうメチャクチャな話なんです。
その理由がいい。
「仮に今この65キロの俺と鍛え抜いた筋肉の鎧を身に纏った90キロの俺が対戦したとしろよ」
たしかに、そりゃあ重いほうが勝つだろう。
つまり、ウェルターで世界を獲っても自分の可能性を極めたわけではない。
たしかに、そのとおりかもしれないのである。説得力がある。
そのために、主人公はボクシングジムで、2年間、毎日鍋を喰う。腹減ってなくても喰う。
そういう話だ。
といってもただ喰うだけじゃない。ボクシングよりボディビルにくわしい作者なので、ちゃんと説得力のある計算のもとに肉体改造にとりくむ。
この設定が、なんといってもいいのだ。
日本人がスポーツをやるとき、どうしても意識しなければならないのが、この作品の表現でいえば「DNAの壁」である。
そりゃあもう、スポーツ選手じゃなくたってでかい人種はでかい。
でもスポーツというのは、世界中同じルールで、ハンデなしでおこなわれる。
日本人はどうやったって、白人のように大きくはなれないし、黒人のような際限のない筋肉はつかない。生まれつき決まっている話。どうしようもない壁なのだ。
これを超えるにはどうすればいいか。
結論は決まっている。超えることなどできない。
しかし、それでも陸上短距離走に出場する日本人はいるわけである。ムダなのに。
なぜか。
これはスポーツのおもしろいところそのものだとわたしは思っている。
末継慎吾が、世界陸上で200メートルのメダルを獲った。はっきりいって、ありえないことといっていい。どうやっても筋肉のつかない日本人が、筋肉の勝負以外のなにものでもないスプリントで、勝てるはずがない。
無理なのだ。
冷たいというなかれ。そうなんだからしかたないのだ。精神論で勝てるのはその競技が成熟していないうちだけ。現代のトップレベルのアスリートたちは、精神論がはいりこむ余地がないほど緻密に鍛えられている。精神だって科学的に鍛えることができると、もうわかってしまっている。
だが、末継はメダルを獲った。
理由は一つしかない。
他の選手以上に緻密に肉体を作り、寸分の狂いもなく完璧に計算された動作で走った。もともと身体のあるほかの人種では必要のないところまで、徹底的に鍛えた。そういうことなのだ。
有名な「なんば走り」などはその一つの要素でしかない。
職人を表現するときに使われる言葉「細部に神は宿る」である。(少なくとも日本では)スポーツは精神論ではなく職人の世界に、すでになっている。
そんな中で、貧乏を売りにした格闘家だの浪花節のプロレスラーだのが出てくると白けるからそろそろやめてほしいわけだが。
このマンガの主人公も、そういう冷徹な計算のもとで肉体改造をおこなっている。バカみたいな設定だが、主人公も作者も本気の本気で、どうやったら日本人がヘビー級で戦えるだろうかと、考えている。
精神論は出てこない。ボクサーにありがちなハングリー精神も振りかざさない。
試合の場面では、幸運も奇跡も絶対に起こらない。すべては選手が積み上げてきた戦略や能力の上で勝負する。
「細部に神は宿る」とはたぶんそういうこと。小さな日本人が戦うにはそれしかない。(まあ実は、今の日本人はそれほど小さくないのだが)
なにより、勝つためになにをしなければならないか、常に考えている主人公がいいのだ。決して、精神論やオカルトで思考停止しない。
『あしたのジョー』のころは精神論でよかった。でも今はもう違う。
『満腹ボクサー徳川。』は、スポーツの物語の理想の一つを体現するはずだった。たぶん。
でも打ち切りっぽく終わり。WEB検索しても「サイコー」という評価しか出てこないんだけどな。そもそもヒット数が少ないのが問題かね。amazonのカスタマーレビューもないし、表紙絵もないし。
やっぱり理屈こねるとダメなのか、女の子が出てこないのがダメなのか……。
でもおもしろかった。みんなもっとおもしろいマンガ読もうぜまったく。
いつか復活してほしいものである。
[2008.02.11 23:50]anonymous :
作者の日高です。作者の私などより本作のテーマ、本質、哲学、果ては存在価値までをもご理解頂いている見識の高い方がいらっしゃる・・のは誠に心強い限りです。徳川では従来ある子供の読み物的なアプローチを極力廃しました。プラグマティズムに満ちたキャラクターである徳川貴作を正確に表現するにはそれが必須と考えたのです。
現在はリイド社において、京極夏彦原作の巷説百物語を連載中で3月には単行本も発売・・になりますが あくまでそれは仮の姿、徳川世界編再開への助走はもう始まって(?)おります。
[2008.02.13 02:04]てらしま :
ありがとうございます。まさかご本人がいらっしゃるとは(笑)
上にはスポーツのことばかり書いてありますが、それ以上に徳川のキャラクターが好きです。マンガのキャラクターではあっても、こいつは本物のアスリートだと本当に思いました。世界戦も楽しみにしております。
その前に仮の姿のほうも読みます。
2008.05.05 05:20 泣けるね :
ググってたらこんなイカスブログに泣けるコメントが。
私は基本的に連載漫画をほとんど読まないのですが
当時のバンチでなぜか「徳川。」は追っていました(あと「屈辱er」も)
正直、あまり面白いとは思えなかったのですが(失礼)
作り手側の愚直なほどに真摯な姿勢が気になっていたのです
ま、受ける要素少ないですよね 主人公デヴサイクで愛想なし
絵柄はモロ青年誌 派手な勝負もド根性も萌え要素もなし
しかし主人公の「俺は俺なりに真面目に考え行動し到達できる確率は
低いながらそれでも最大勝利に対して戦略的に向き合う」
というものが、作者氏の作品に対する姿勢とダブって見えてしまい
「丁寧でクソ真面目」な作品を無視軽視嘲笑しがちな現在の読者や漫画市場に
立ち向かうドン・キホーテを見るが如き気分になっていました
無論、過去に無数の漫画家が理想と現実・人気と実力の
壁に敗れていったわけですが「徳川。」のときには
って気にさせてもらいました
いつの日か続編が出せたらそれは喜ばしいです。勝手に期待いたします。
>日高氏
もし見てらっしゃったらお答えを頂きたいのですが―
タイトルを「満腹ボクサー徳川。」に決定された経緯を差し支えない範囲で教えていただきたいのです
あくまで私の印象ですが、「満腹」でおちゃらけ・ギャグ風味を
「徳川」で安定した勝負しない社会的勝者を
「。」で80年代C調文化・素人コピー風味を感じてしまます
作者の示す物と読者が想定する物がずれてしまい
連載条件としてかなり損しているのでは、と勝手に考えていました
もし意図的なタイトルでこんなメッセージがあるんだよ、とか
諸般の事情で決まったのよ、とかありましたら…
一読者の暴言、失礼しました
浦島太郎 -2011/01/01 20:48
パックマンの先日の試合(総計+20kgの増量を経てなお8kg弱の体重差をものともせず、しっかりとボコって勝ってしまったアレ)を見て以来、この漫画を思い出してしまいまして、このサイトまで流れてきてしまいました。
作者氏のコメントといい本分といい、当時の読者としては色々と感慨深いものがありますね。
この作品を始め、良作が決して少ない訳ではなかったのにその悉くが不遇な扱いを受けている(様に感じられた)辺りがやはりバンチの敗因でしょうか。(無論それだけではないでしょうが)
何だか切なくなってしまいますが、続編をいつかどこかでやられる機会があれば、是非拝読させていただきます。
世思朗 -2012/08/18 03:55
久々に読み返しを終え、近年の動向を知りたくて検索してみたら、
なんともすごいところに行き当たったものだ…
ギリギリではあるが、決して博打ではない―
「常勝無敵ではない人間味」に魅力を感じたジョーとは真逆の
ところに惹かれていたんだな…。
漠然と抱いていた徳川の魅力を日高さん同様、事細かに
書き記されており、胸のつかえがとれる思いでした。
バンチという雑誌は徳川もそうですが、ワイルドリーガー然り、
男たちの好日然り、殴り合いだけじゃない、仕事、競技に魂を込めた
火のつくような『ぶつかり合い』が一番の旨みだったと思います。
あれから歳月は流れてしまいましたが、望む心は薄れません。
私も劇中のニット帽のファンの如く、復活を楽しみにしております。
追記:主役以外では試合後の加藤とブルース倉田が好き
2006.01.31 23:18 てらしま
予想どおりなのだが、おもしろくなっている。ちょっとした不安だったのは、こういう怪談とか都市伝説モノがシリーズになって、インフレーションしちゃうとつまらないホラーになりさがっちゃいそうという経験なんだけど、いまのところ、まあ大丈夫だ。
主人公側の主要キャラクターどもがいまひとつ立たないのは、前作の続きなのだからしかたない。というかこのシリーズ、キャラクターが立つ前に超常現象の被害者になっちゃって、極限状態でパニックになっちゃってるので、キャラクターが立つヒマがなかった。そのあたりは構成の失敗といっていいと思う。
パニックになったキャラクターは泣いたり怒ったりして本音を吐くわけなのだが、それはともするとキャラクターの言葉ではなく作者の言葉になってしまう。よくあることだ。
だからこのシリーズでも、ここまでできちんと立っているキャラクターは、どんな状況でも自分を見失わない(と設定されてる)奴と、はじめから狂っている奴と、だれよりも強い力を持ってるからパニックになる必要がない奴。文芸部の人間たちはちと厳しく、わたしはいまだに、読んでいて誰が誰だかわからなくなる。
ただし、立っているキャラクターはたしかにおもしろい。たぶんシリーズを牽引する力をこの巻で手に入れたと思う。
都市伝説モノである。
都市伝説というのは小説と相性がいい。あるんだかないんだかわからなかったり、観念上のものであったり、集団意識とか、そういう話はたぶん、小説でやるべき話だ。
アニメ『攻核機動隊S.A.C』なんかもやっぱり都市伝説ネタだったが、アニメでやるには難しいなあという印象だった。アニメの限界を超えた量のセリフが入ってしまったり、金かけた映像があるのにストーリーはセリフでしか進められなかったり、けっきょく「なんでアニメでやってるんだろう」という感じのものになってしまっていた。ただし、サイバーパンクが小説に向いているかどうかはまた別の話だが。
Missingは、絵を必要としない都市伝説小説なのである。それも、都市伝説の面白さを勘違いしちゃった『着信あり』とか『呪怨』とか、ああいうホラーではない。
一発の映像では表現できない、都市伝説や怪談の面白さをちゃんと踏まえている、都市伝説小説なのだ。
といってこれに必要な条件がなんなのかは専門家に聞いたほうがいいだろうけど……、たぶん「ユング」とか「噂話」とか? そういう系をしっかりもりこんでジュブナイル文庫でやっているというのは、けっこうえらいのかも。
でもやっぱり、1巻で主要キャラクターの造形に失敗してるのが緒を引いてるかなあ。この人の次のシリーズは傑作かもしれないという評価は変わらず。
スタートに失敗しても、さすがに何冊も登場していればなんとかなってくるだろう。3巻はもっとおもしろいだろうし、4巻はもっと面白いだろうとは思っている。でも読んで書評書きたくなるかは疑問。