人生ゲームはつまらないのだ。それは最初に断言しておきたい。
我々ボードゲームマニアにとってみれば、あんなものがいつまでもスタンダード扱いで売れ続けていることは害なのだ。さっさと消えてほしい。
では、なぜつまらないのか? これは示しておかないといけない。
ひとつの回答はこれだ。
多くの先人がいっている。ゲームとは選択とフィードバックのシステムのこと。
人生ゲームには選択がない。だからゲームではない。
(いや、完全になかったわけでもない気もするけど。まあほとんどないし、サイコロ運で簡単にかき消される)
これはひどく正しい。他のさまざまなゲーム論に照らしても、人生ゲームはほとんどの場合ゲームとは呼べない。
ただ、ちょっと問題にしてみたいことがある。そもそも、人生ゲームはゲームである必要があるのか? あるいは、ゲームであることと「おもしろい」の間に関係はあるのか? ある必要があるのか?
このへんからが本編。
A.ゲームでない ならば B.おもしろくない。のか? これはじつは自明ではないのだけど、経験上、成立する場合も多いといえば多い。
とりあえず、人生ゲームについての理屈を書いてみよう。
人生ゲームはおそらく人生を体験する遊びだ。マス目に置かれたコマはあなたの
しかし、人生ゲームはゲームシステム上、プレイヤーの選択がない。
選択がないというのはどういうことかというと、アバターであるコマがあなたのものではないかもしれないということだ。
たとえば、急にトイレにいきたくなって席を立ったとする。しかしこれは、遊びの魔法円を構成しているプレイヤーの行動としてほめられるものではない。せめてゲームの進行を妨げまいと、あなたはこういう。
「俺の番になったら代わりにやっといて」
なにしろ人生ゲームには、プレイヤーの選択がない。だから、プレイヤー以外の人間が代わりに手番をやっておくことができる。できてしまう。
そして、トイレから帰ってきたあなたは、いつの間にか結婚していた自分のコマを見てふと、思うのだ。もしかして、俺じゃなくてもいいんじゃないかと。
ゲームでないとはそういうことだ。
これは遊びの根幹に関わる問題である。上の例では、この瞬間に遊びの魔法がとけたといっていい。
人生ゲームはゲームではない。そのことが原因で、遊びとしても成立しなくなってしまう。
少なくともボードゲーマーは、人生ゲームを遊ぶことができない。リンゴを食べてしまったからだ。
だが、人生ゲームを遊べる人間はいるわけで。
ちょっと河岸を変えて、別のゲームの話をしてみよう。
『ウォーゲーム』という映画でも有名な、3目並べを考えてみよう。
3目並べはゲームではない。なぜなら、やはり、選択がないからだ。しかし、人生ゲームとは少し事情が違う。
映画にも描写されていることだが、3目並べは勝負のつかないゲームだ。プレイヤーが間違えなければ、必ず引き分けになる。
そのこと自体は問題ではない。たぶんチェスだって引き分けゲームだろう(まだ完全な解析はされていないが、名人クラスの対戦は半分以上が引き分けになっている)。
問題は、3目並べが簡単すぎることだ。一般的な人間同士でも、1回目から容易に引き分けゲームになってしまう。少し考えれば最適手がわかり、選択肢はそれしかない。
ゲームシステム上、プレイヤーに選択はある。しかし、それが事実上、選択肢として機能しない。事実上、選択がないのだ。
人間がゲームを遊ぶためには、人間の手では解析しきれない装置がどうしても必要なのだ、ということが、このへんを考えていくとわかるのだけど。だから、チェスはまだ人間にとってのゲームだが、3目並べはゲームではない。
似たようなゲームで、3路盤の囲碁というのがある。3×3の盤面を使った囲碁だ。これはやはり、容易に先手必勝のゲームとなる。
では4路盤はどうだろう。5路盤は?
わたしくらいの腕なら、7路盤くらいからゲームになってくるだろうか。しかし、7路盤が簡単な先手必勝ゲームに見えるプレイヤーも多いだろう。
この場合、どこからがゲームといえるんだろうか。
難しい。
そういえば、将棋を小さくした『どうぶつしょうぎ』というゲームがあった。あれはコンピュータの解析では後手必勝らしい。あれはゲームなのだろうか。わたしにとってはそうだと思うけど、やはり微妙なライン上にいるのではないか。
もうひとつ、境界線上にいるゲームを挙げよう。UNOだ。
あれも、ボードゲーマーから見たらつまらないゲームだ。ただ、この意見にはそろそろ反論が出てくるだろう。
だから、完全に「ゲームではない」といいきれない。「ほとんど」ゲームではない、というくらいになる。
なぜゲームではないか。
選択はある。手札から1枚を選びプレイするからだ。しかし、その選択にほとんど意味がない。ゲームのほとんどの部分は手札の運で決まり、けっきょくのところなにを選んだところで大差ない。
これも実質上、選択していないのとほとんど同じだ。
とはいえ、難しいライン上にいるゲームである。
ボードゲーマーのほとんどがUNOを楽しめないという点は間違いないものの。
ここまでは前提の話だ。
ここまでのことを踏まえて、しかしもう一度、人生ゲームのことを考えてみたい。
人生ゲームには選択がない。問題は、あれを楽しむ人間もいるということ。
それはなぜなのだろう。あんなもののなにが楽しいのか。
上にも書いた、別の人生を体験する楽しみというのはひとつだろう。遊びの種類として、こういうものはある。小説を読む楽しみや、TRPGの楽しみの一部などと同じものといえる。
人生ゲームはそういう遊びとして成立しうる。ある1点……「俺じゃなくてもいいんじゃないか?」に気づくまでは。
ゲームじゃない。だからとても壊れやすい楽しみかもしれない。でも、壊れるまでは楽しめる。きっと、ふつうは壊れないんだろう。ボードゲーマーのほうがおかしいのだ。
なにしろ、類似の遊びは何百年も前からある。無視することはできない。
あるいは、別の楽しみもありうる。
ルーレットを回す楽しみというのもあるだろう。運に身をゆだねることは、それだけで楽しい。そういう種類の遊びは他にもたくさんある。博打の楽しみだ。
人生ゲームには、ルーレットの先にさまざまな結果が用意されている。止まったマスで起こるイベントにより、様々な物語が生まれる。上に書いた体験の楽しみと合わせ、その点においてはゲームシステムが適切に機能してるのかもしれない。
その体験を補助する仕掛けとして、あのルーレットの、コンポーネントの楽しさがある。おもちゃをもてあそぶ楽しみとでもいえばいいだろうか。
ルーレットに指をあて、押す。するとルーレットは回る。それはあのゲームボード上にしかない体験であり、非日常の演出として機能する。
非日常は、遊びの大条件のひとつである。日常では体験できない操作とフィードバックは、プレイヤーに恍惚を生む。おそらくは、赤子がおもちゃで遊ぶ理由のひとつがそこにはある。
そうした部分に関していうなら、UNOよりもよくできているんじゃないか。ただUNOの優位は、多少はゲームであるところだろう。
3目並べはもはや完全に論証できてしまうつまらないゲームだろう。たぶん。だから商品にはならない。
人生ゲームは、3目並べと同じくらいつまらない。でも、体験を作り出すことに関して成立している。だから商品になる。
優れているとはいわないけど……。
……なにがいいたいの?
つまり、人生ゲームはゲームではないが、おもしろさはありうるんである。
というか、おもしろいのだ。たぶん。
そして、それはボードゲームにとっても無視できないよねと。じつはボードゲームを特徴づける本質的な要素である可能性だってある。
いろんなゲームシステムに名前をつけるようなマニアたちだって、じつは無意識にそこを見てるという可能性は充分にある。回りくどい理屈よりもプリミティブなものがたぶんある。
大した話じゃなかったような……。
ただちょっと、人生ゲームについて一度書いておきたいと思ったり思わなかったりしたのでした。
@_kobashi -2012/03/07 09:18
動物将棋、78手で後手必勝です。
http://media.itc.u-tokyo.ac.jp/ktanaka/dobutsushogi/animal-private.pdf
人生ゲームで遊べてしまう層のニーズなんでしょうね。子供とプレイするかも、いつか。
rrr -2012/03/07 10:05
>人生ゲームには選択がない
ウチにある1980年頃の人生ゲームは選択ありましたよ
ボード上に4箇所くらい分岐点がありましたし、マスの効果も「通る時に必ず止まって効果を発揮」「止まったら効果を発揮」だけでなく、「通った時に望めば効果を発揮してよい」「止まった時に効果を発揮してよい」と選択が可能なマスもありました。
今の人生ゲームって本当にルーレット運だけで選択なし(一本道で強制マスオンリー)なんですか?
てらしま -2012/03/07 12:25
>@_kobashiさん
どもです。間違いでした。修正しました。
てらしま -2012/03/07 12:29
>rrrさん
そうですね。補足してますが、ないといったらいいすぎです。いろいろバージョンあるのでよくわかりませんが。
はっくる -2012/03/08 13:04
”人生ゲームはつまらない”というところから始まって、”というか、おもしろいのだ。たぶん。”で終わってしまっているのは、どうにも分かりにくかったです。
「俺じゃなくてもいいんじゃないか?」…という気づきについてですが、人生ゲームを楽しむ人達にとってルーレットを回すという行為そのものが重要な(人生ゲームの場合はそれ以外にすべきことがない)のであって、それを他人に任せても良いという発想はない(トイレから帰ってくるのを待つ)のではないでしょうか?
大した選択肢も無い(=ゲームとは言いがたい)のに人生「ゲーム」と名前が付いている(また概観からもボードゲームに大別される)から誤解を生むのであって、あくまでもプレイヤーがランダムに展開するイベント疑似体験(想像)することで一喜一憂するツールとすれば、議論の対象にすらないと思うのですがね…。
また、UNOについてですが、正式なルールでみればそれなりにゲームとして成立していると個人的には思っているのですが、論外な(楽しめない)のですかね?
例えば「ぴっぐ10」などもランダムな手札に翻弄される向きがあるゲームだと思いますが、いかがでしょうか?
”手札(引き)の運”もしくは”サイコロの運”で決まってしまうから楽しめないと言い出してしまうと、多くのカードゲームやボードゲームにも同じことが当てはまってしまう気がいたします。
てらしま -2012/03/08 13:47
どもです。
他人に任せる発想がないかどうかは人によりますが、例なので。わたしはおそらくやりません。ただありえないわけではなく、もしやったら書いたようなことが起こり得ます。ほかのゲームではそうはならないかと。
ゲームではなくツールだと思えというのはまあそうなんでしょうね。
書いたとおり、UNOはじっさい微妙です。たまに聞くのは、くりかえして得点を累計すればちゃんとおもしろいというものですが、たしかにそうなのかもしれません。
ぴっぐ10は……感想に対してナイーブなタイトルなのでちょっといわないでおきますが(笑)。運で決まるから悪い、というのは陥りがちな誤解だと思ってます。上の話でいえば、選択に充分な意味があり、でも完全に読み切れない複雑さがあればよくて、その手段として乱数を使うというのは充分にありえるデザインではないかと。
Anonymous Coward -2012/03/09 17:57
はじめまして。
「トロルマスター」など楽しませてもらっています。
次回作も期待してます。
さて。
ボドゲ上級者と言われる人たちの特徴としてほぼ必ず
「人生ゲームはつまらない」と言いますね。
でもどうなんでしょう?
もしつまらなければ何十年も
リリースが続いているでしょうか?
また他の媒体への移植もされるでしょうか?
そもそも
冒頭で宣言するほど痛烈に「害」でしょうか?
全文読みましたがどうにもその辺がわかりにくかったです。
「楽しめる人間「も」いる」と言われていますが
逆で「楽しめない人間「も」いる」の方が
正しいのではないでしょうか?
圧倒的に「楽しめた」人のほうが多いでしょうし。
自分なりのゲームとはという論理の上で
否定批判したいのはわかりますが
そういう話はあちこちにあふれ
もうお腹いっぱいです。
なぜ受け入れられているのか?
その要素は何か?
遊んで楽しいという人たちの言葉を収集して
分析したほうが良いのではないかと思います。
ボドゲユーザーからの批判はもう飽きました。
なんつーかその辺をせずに
(自分ではしたつもりなのかもしれないけど)
ただ漫然と「人生ゲームはつまらない」と書いても
それはほぼ「売れてるゲーム」へのやっかみでしかなく、
また同時にその感覚がわからない
理解しようとしない人の作るゲームに
はたして人を惹きつける魅力があるでしょうか?
所詮同人、マニアに受ければ良いのならいいですが。
(実際このブログ自体マニア向けだから
マニア受けすればいいだけでしょうし)
ちなみにワタシは体感ですが人生ゲームは
やはり「ゲーム」だと思いますよ。
てらしま -2012/03/09 21:49
そう読まれたならそれでいいですが……。
Disったり宗教戦争したりするのが目的なら、わたしならあえて「つまらない」というタイトルの記事は書きませんね。
わかりにくかったようでもうしわけありません。
Anonymous Coward -2012/03/10 01:34
それなら「人生ゲームは「ゲーム」ではない」の方が
内容的にもしっくりした気がします。
もしくは「システム的につまらない」とか。
Disったり宗教戦争したりするのが目的でないのは
後半の下りなどを読むとなんとなく感じるんですが
序盤の強気な姿勢から後半、着地点があやふやなだけに
どうにもわかりにくかったです。
そもそも単なる「つまらない」だけだと
なんかあえて衆目を得るために「つまらない」と
しているような印象しか得られませんでした。
なんか人生ゲームを楽しんでいる
多くの層を見下したバカにした感じにもとれてあまり
気分のいいようには感じませんでした。
人生ゲームを遊べなくなったボドゲマニアって
そんなに高尚なんでしょうか?
人生ゲームもボドゲも小箱カードも
TRPGもトランプもゲームとしてホビーとして
楽しんでいる身として
なんか悲しくなったのは事実です。
長文すいません。
もりも -2012/03/10 02:54
人生ゲームが面白くないことに加えて、それが害になっている理由を詳しく述べたほうがよかったんではないでしょうか?
僕自身、ボードゲームというと人生ゲームみたいなやつ?と半笑いで聞き返される経験があるので、人生ゲームは害になっているのではないかと考えたことがあります。
害となっている理由としては、推論ですが、人生ゲームがメジャーになりすぎていることが問題なのだと思います。最初に買い与えられるボードゲームが均一に人生ゲームとなってしまっていて、確かにこどもにとっては人生ゲームは楽しいものである。しかし、大人になってから人生ゲームを思い返すと、とてつもなくくだらないものに思える。
つまり、人生ゲームは確かに楽しまれて遊ばれているが、人生ゲームを楽しんで遊んでいたプレイヤーは、時間が経つと大概はそれをくだらないものと見なしてしまい、それが結果としてボードゲーム全般へのイメージにつながってしまっているのではないかと。
もしも昔人生ゲームを遊んだプレイヤーがそのまま今での人生ゲームを楽しめる人ばかりであれば人生ゲームはボードゲーム全般にとって害悪ではないと思います。
てらしま -2012/03/10 10:28
たしかにそのへん書いてなかったですね。
子供のころ遊んだ人生ゲームは楽しかったけど、いまあれと同じように楽しむのは難しいと思います。あのとき遊んだのが別のゲームだったら、というのはたしかにありそうです。
実際のところ、商業的に害かどうかはわからないですが、まあ心情面の話として。
なかた -2012/03/12 13:59
たとえばTRPG「トラベラー」のキャラクター作成は(ゲームに登場するまでの)キャラクターの半生をサイコロ使ってランダムに作っていくという過程によって行われるのですが、選択のないこれはどう考えてもゲームではないけれど何故か面白くってキャラクター作るところだけを繰り返してしまう、とかそんなことが起こったりもするわけで。たぶんこっちの方が「人生ゲームの楽しさ」の核心にはより近いような気がします。
imron -2012/03/24 18:20
「ゲームではない」のと「つまらない」は別の問題で、選択の余地がなければゲームではないというのもまた違うかと。人生ゲームをつまらないと思うのは、選択がないことに加えて、イベントが荒唐無稽で大人が見ると興ざめする、紙幣などの取り扱いが煩雑、最後にルーレットの目だけで一発逆転があるなどゲームバランスが悪い、などがあると思います。
田中 -2012/03/31 19:34
「ゲームを面白くする要素」について、人生ゲームを例にとって考証した記事として読ませていただきました。
デザイナーさんが書いているからか、悩ましさや逡巡が伝わってきます。
今後もこうした記事を楽しみにしています。
たろう -2012/06/10 04:11
人生ゲームは簡単なやつならだれでも作れると思うけど、ボードゲームはいつもそのシステムに関心します。ボードゲームはだれもが作れるわけではないと思うのです。
カサNOVA -2012/07/10 01:45
人生ゲーム好きが噛みついてて笑わせてもらったが、あれは「ごきげんよう」の話題がかいてある「サイコロ」みたいなもので、マス目で談笑するツールなんじゃないか?真顔でルーレット回すとか、ガキでもありえないように思う
もっとも、桃太郎電鉄(カード効果や漸増するボンビーの威力を把握すれば、ほとんど運)を大真面目にやってる連中もいるからわからんが
家族にナードがいれば、はじめてのボードゲームはアバロンヒルだよね(なんつって)
marshal -2014/12/08 23:52
サンクトペテルブルグとプエルトリコとアクワイアは地球で五指に入るプレイヤーのつもり。そんな私から。
人生ゲームはつまらん?ゲームではない?
当たり前だ。家族団らんのツール。ままごと同じ。
「仕返し」という、凶悪なマスがどのシリーズにもあるとおもうのだが、あれをコドモから10万ドル(1位ボーナスに匹敵)単位で奪う大人はいない。つまり強烈なバイアスが掛かる=子供がものすごく勝ちやすくできているのである。
ゲームとしてやりたいならヘッズアップ(タイマン勝負)で、キューブ(バックギャモンについてるアレ)を用いてマネーゲームでやるべきだ。25ポイントマッチくらいでやれば十分だろう。
即座に究極のゲームになる。
ゲームマーケット大阪が近づいてきました。
当サイト遊星からのフリーキックも、サークルとして参加します。
でもさすがに新作がなくてですね。
なので代わりに、というわけでもないんですが、こんなモノを作ってます
遠い未来の宇宙から時空を超え、あいつらが参戦!
……。
こういうミスマッチ感がわりと好きなんですけどね。
ご覧のとおり『テラフォーマー』から、四次元人です。
もちろん、トロルマスターの使い魔カードとして使用できるカードです。
(ちなみにこの効果は、パスするかどうかを決める前に使います。使うと、要するに計画コマを左側に移動します)
もう1枚。
どっかで見たことある感じですね。
今回これ、テンデイズゲームズさん協賛ということで、あの双子のテントウムシなのです。かわいいですねー。
トロルマスターのイラストをお願いした森木ノ子さんが描いたキャラクターというわけで、そんなつながりからお話をいただいて、作っちゃいました。
『遊星からのフリーキック』ブースで配布します。2種類を2枚ずつ4枚セットです。
あと、テンデイズゲームズ店長タナカマさんからももらえます。今回テンデイズゲームズさんは出展ないみたいですが、会場をふらついてるそうです。
ぜひお越しください。
お聞きしたいこと -2012/03/22 12:07
サークル等で楽しく遊ばせていただいています。
1.上記プロモは大阪限定ですか?他のゲームマーケット等でも入手できますか?
2.他のサークルに参加したとき工房カードの並び方が降順でした、自分達はてっきり昇順だとおもっていましたがどちらも面白かったため迷ってしまいました。:準備●工房カードのところの裏の数字順にとは正式には降順ですか?昇順ですか?
てらしま -2012/03/23 19:53
ありがとうございます! お答えします。
1. まだ残ってるので、ゲームマーケット春で配布する予定です。そのうちこのサイトで告知かきます。
2. 昇順です。左のカードが弱く、右にいくほど強くなります。
降順というのはまったく想定しておらず、たしかに書いてないのですが、それでゲームが成立してしまっていたのであればデザイナーとして興味深いです(笑)
お楽しみいただければ幸いです。
お聞きしたいこと -2012/03/24 01:40
お答えいただきありがとうございました。良くわかりました。では春を楽しみにしていますね
ゲルツのおなじみロンデル作品。
とりあえず比べたくなるのは『古代』なのだけど。とはいえ、共通点はロンデルくらいのもので、他はだいぶ違う。
大航海時代の話だ。リスボンからスタートして、喜望峰を回りインド洋を抜けて長崎までいく。船を造り、途中の各地に植民地を作り、そこから収入を得る。
ロンデルというのは、このゲームで使われているアクション選択システムのことだ。
丸い円形にアクションが並んでいる。「航海」とか「造船」とか「植民地」とか、そういうアクションだ。その上に、自分のコマを置くことでアクションをおこなう。
次のターンには別のアクションを選ぶわけなのだけど、このときルールがあって、プレイヤーのコマは時計回りに3歩まで動かせる。
これだけのことだ。ようは同じアクションを何度も連発できないようになっているということなんだけど。でも、そのことをじつに簡潔に表現されている。このシステムがとてもいい。ゲルツという人は、デビュー作『古代』以来こればっかり作っている。
なので、そのフレームワーク部分は、古代をやったことがあれば説明不要。そういうゲームだ。
あとは、その各アクションに組みこまれたゲームの実装部分がどうなっているかという話。
古代と大きく違うのは、戦争がないところだ。大航海時代の話であり、戦争の時代の話ではないから。
やることは大きく分けて2つ。自国に工場やら教会やらを建てることと、航海を進めて植民地を作ること。
船を進めて未開の土地を見つければ「探検家コマ」が手に入る。他に、お金を使って植民地を建造したり、工場を建てたり、教会や造船所を建てたりする。
で、それらが最終的に得点になる。そのとき使うのが、→のプレイヤーボード。
これはなにかというと、たとえば植民地が1個何点なのかを表している。なんと身も蓋もない。
植民地(緑)は最初、1個1点だ。それが「恩恵」アクションをやることで倍率が上がっていく。
左から、植民地、工場、探検家コマ、造船所、教会となっている。それぞれに、対応するコマが1個何点なのかを示している。
じつのところ、植民地や未開の海の探検というのは、得点手段のひとつでしかない。航海しなくても工場と教会だけで勝てたりもする。
おおむね、なにをやってもお金と勝利点が入るようになっている。意外となにをやっていてもどうにかなる。こういう調整、最近流行りだろうか?
かなり安定度が高いゲームだ。やった人はだいたいおもしろいというだろう。
でも、ちょっと思うのは、けっきょくなにをやってもどうにかなるってのはどうなんだろうというあたり。
だからこそ、初プレイで2時間近くかかってもたいていの人がおもしろいといってくれるだろうと思うのだけど。
このゲーム、航海を一度もせずに工場を建て続けても、航海をやり続けても僅差で終わる。大差がついて脱落するということが少ないのだ。
それってどこか、ゲームに遊ばされてる感があったりしないだろうか。
いやふつうなら「バランスがいい」と褒めるところなのだろうけど。バランスというのは、ゲームのユーザが使う中でもかなり身勝手な言葉のひとつで。その内実にはいろいろあるだろう。
みたいなことをちょっと感じたりもするのだけど。最近の流行って気もする。
おもしろさは間違いない。そこはやっぱり、同じシステムを作り続けた熟練度なんだろうか。やっぱりロンデルがいい。
この安定感は、近ごろやったゲームの中で群を抜いている。
さっき判明したのですが、先日コミケで販売した『テーブルゲームデザインの本 0号』に、表紙絵を描いた人の名前が載っていなかったです。
描いたのは英-Ran氏です。テラフォーマーやビーンストークの絵を描いてくれた人です。
大変ごめんなさい→英-Ran氏。
3月のゲームマーケット大阪で増刷します。新作とかないので代わりに。そのときに直します。
ゲームマーケット大阪では、もう一個、ちょっとした企画が動いてたりもします。そちらももうちょっとしたらここに書きます。
いま世界中で数多く登場してるデッキゲーム。ペルガメムノンは、その中でもかなりの異端だ。
各プレイヤーはデッキを持っていて、そこから手札を引く。このゲームでは、手札は兵士とモンスターだ。手札を使って、場に並んでいるカードを購入する。
ちなみに、コインではなくて「カリスマ」。より高いカリスマがあれば、より強い兵士やモンスターを従えることができる。
用語こそ違えど、そのへんはまさに一般的なデッキゲーム。なのだけど。ヘンなのはここからだ。
手番がきたら、上記の購入かまたは「攻撃」をする。
これがもう、ふつうに他のプレイヤーを指定して攻撃するという、時代に逆行した攻撃だ。
両軍は1枚ずつのカードを出して戦う。各カードには、攻撃方法と攻撃力と、各攻撃に対する防御力が書かれている。剣を防ぐには兜、槍を防ぐには胸当て、弓を防ぐには盾という感じになっている。これが全部カードに書いてあるので、カード1枚の情報量はけっこう多い。
防御に成功したら反撃ということで、今度は防御側がカードを出したりする。
そんな戦闘の結果、勝ったほうは、負けたほうが戦闘に使ったカードを奪い自分のものとする。
じつに素直な殴り合い。勝者は得る。敗者は失う。
人間の本能に即した殴り合いではあるのだけど、でも、近代ボードゲームの多くが否定してきたメカニクスでもある。
こんなものがデッキゲームで成立するのか。そう思うのは当然だろう。
しかも。戦闘に勝つと、そのプレイヤーの手番がくる。
1ラウンド中に同じ相手を2回攻撃することはできないのだけど、それにしても、戦闘に勝ち続けると何度も手番をやれる。ひどい。
なんでドミニオンが直接攻撃を採用しなかったのかとか、考えたことないのかと。ドミニオンではじまったところのデッキゲームムーブメントの中でも、直接攻撃を採用して成功した例はひとつもないだろう。
……といいたいところなのだが、このゲーム。たぶんそのあたりのことをわかった上で作られている。あえて殴り合いのゲームにしたんじゃないかと、少し思わせるところがある。
戦闘に負けるとカードが奪われるのだけど、そのとき失うのは、戦闘で負けたカードだ。戦闘に負けるのだから弱いカードなんである。
デッキゲームで、弱いカードをとりのぞく効果(「圧縮」などと呼ばれる)がいかに強いかは、ドミニオンを見てもわかるとおり。
つまり、負ければたしかにカードを失うのだけど、じつはそれは損失ばかりでもない。
というようなところで、正当化できそうな感じがするんである。
じっさいにそうかというと怪しいんだけど……。
なんといってもテーマがいい。
このゲーム、初期デッキがプレイヤーによって違う。
例えば、ハンニバルが率いるカルタゴデッキとか、クセルクセスが率いるペルシャデッキとか。アガメムノンが率いるギリシャデッキには、やたらと攻撃力の高いヘラクレスなんてカードが入っていたりする。
そしてなぜか、中央のサプライにはモンスターが並ぶ。ミノタウロスとか、メデューサとか、スフィンクスとか。
いや時代の違う人たちがてきとうに混じってるし、モンスターとか関係ないし。なんともいいかげんだ。でもそこがいい。
でじっさいのところどうなのかというと、とても怪しい。成立してるのかしてないのか、きわどいところにいるゲームだ。
デッキゲーにあえて直接攻撃を入れて、しかもそこに特化してみた、意欲的な実験作……と思っている。のだけど、どうなんだろうこれ。
ダウンタイムは長いし。攻撃を受け続ければ、手番が1度も回ってこないままゲームが終わる場合さえありうるし。かなりめちゃくちゃなバランスとはいえる。
でもなんか、けっこう嫌いじゃない。
大きな欠点があるだろうけど、いちおうエクスキューズがあるし、あとそれで埋めきれない部分はテーマでなんとか補っている。って感じなのか。
この危うさがいい。
かなりのミュータントだ。デッキゲームムーブメントの中からしか生まれてこなかっただろう、ヘンなゲームのひとつである。
ただ、いわゆる「ドミニオンクローン」ではない。それだけはたしかだ。
意欲作というか、気概を感じるというか。こういうの嫌いじゃない。