最近のボードゲームは本当にすごいと思う。
とくに、よく採用されている「ワーカープレイスメント」とか。デッキとかドラフトとか、ああいうゲームシステムはすごい。
なにがすごいかというと。とにかくまずはシンプルさ。それなのに、ずいぶんと複雑なゲームを表現してしまっているところ。昔ならたぶんありえないくらい複雑なロジックを実行しているのに、それが本当に簡単に、しかも短時間で終わること。
とても濃密な時間を体験できるゲームが多い。ボードゲーム人口は前よりだいぶ増えたと思うのだけど、それも納得できる気になれる。とにかくゲーム自体が、すごいことになってる(じっさいには他のいろいろな要因があるにせよ)。
こんなすごいものを実現したゲームデザインとはなんなのか。ワーカープレイスメントやデッキなどの「新しい」システムが実現したものは、いったいなんなのか。
それに興味がある。
まあ先に結論を書くけど。
「ゲームのインタラクションや乱数などを集約した1個の装置」
だと考えている。
ちょっとこれだけ書いても意味がわからないので、これから説明しようと思うのだけど(めんどくさい話です)。
乱数やインタラクションやその他いろいろや。要は、ボードゲームに表現されている「ゲームであるもの」がある。これはきっと、必ずどこかにある。
それを、たった一箇所に集約してしまった装置が、ワーカープレイスメントやデッキなどのシステムだ。
近年のボードゲームにおいては、もはやあたりまえのように実現されているのだけど。もはや、ボードゲームのある分野においては要件のようになっている感さえあるのだけど。
でももちろん、あたりまえではないのだ。20年前にこれを作れたデザイナーはほとんどいない。
ゲームデザイン技術としてのブレイクスルーが、あったのではないかと考えている。あるいは、一個の発明ではないと考えるなら、産業革命のような爆発だろうか。
その「集約した装置」に、総称がほしいなと。あるいはすでにあるのなら知りたいと。ずっと考えている。
そういう話。
ボードゲームは、制約の大きいゲームだ。
人間がコマを動かし、カードの効果を読み、ルールどおりに操作する。なにしろそうしなければゲームが進まない。
人間の脳に処理できる計算量と、人間が不快でない程度の処理しか扱うことができない。そういう、強い制限を受けている。
また、ボードゲーム(の多く)は、ゲームの局面を用具が表現しなければならない。これも強い制約だ。
テーブルトークロールプレイングゲームなら、ゲームマスターはどんな冒険でも用意できる。言葉を使い、あらゆる状況をゲーム上に表現できる。もっと強力なのはコンピュータゲームだ。極端な話、物理エンジンで世界をエミュレートしてしまうことさえできてしまう。
しかし、ボードゲームにはそれが許されない。刻一刻と変わるゲームの状況はすべて、ボードや手札、コマといった用具が明確に表現しなければならない。
こんな狭い範囲に表現できるゲームは、じつのところけっこう限られている。ほとんど奇跡といってもいいデザイナーのひらめきと直感がなければいきつけない、狭い円の中だという気がする。
ボードゲームデザイナーたちは、制約の中で表現できるゲームをいつも捜し求めている。
そんな厳しい制約を課されているゆえに、ボードゲームは、他のメディアではありえない特異な進化を遂げてきたともいえる。
たとえば現実のなにかを表現するとする。コンピュータを使えば実物そのものをシミュレートすれば済む。いやそんな簡単ではないけど、表現はだいぶ自由だ。
しかしボードゲームでは、対象を高度に抽象化しなければならない。そうしなければ、狭い円の中をはみ出してしまう。つまり、プレイできないほど複雑になってしまう。
そうして高度に抽象化された世界は、ときに現実とは似ても似つかないものとなる。しかもその上に、ゲームを成立させるため、調整のためにさまざまなアレンジが加えられる。
アクワイアのあのボードを見て、ホテルを経営するゲームだと思える人がどこにいるだろう? もちろん説明を受ければ納得できるし、エッセンスを抽出してあるから、むしろ現実よりもずっとリアルに思えることもあるのだが。
こうした抽象化はたぶん、自由な表現が可能なコンピュータゲームやロールプレイングゲームには不要なものだ。「ガラパゴス」的な進化といってもいい。
だが、そんな制約の中で作られるからこそ、ボードゲームは純粋に「ゲーム」と向き合ってきた。そうする必要があったのだ。表現したい「ゲーム」とはなにかを鮮明に思い描けなければ、ゲームを成立させることさえ難しいのだから。
その成果の一部が、ボードゲームのシステムと呼ばれるもの。オークションだとかアクションポイントだとか、いろいろなものがあるわけだけど。
中には、ボードゲームの世界以外からは絶対生まれえなかっただろうものがたくさんある。
といった前提を説明してみた上で。
ここでは、ボードゲームにおけるゲームシステムの中でも特に、プレイヤーとゲームとの関連に注目してみたい。
プレイヤーが「ゲーム」にアクセスするための手段、つまり、ゲームへのインタフェースだ。現在のボードゲームがなしえたゲームデザイン技術の成果について、特にインタフェースの面から眺めてみたいと思っている。
コンピュータ科学の分野では、インタフェースの進化形として「アプライアンス」やら「ユビキタス」などという言葉が登場している。
技術者しか使えない技術の時代は終わろうとしている。コンピュータはいまや、そこにコンピュータがあることさえ意識せず使える道具となる。
ドナルド・A・ノーマンはこのことを「見えないコンピュータ」と呼んだ(ドナルド・A・ノーマン『インビジブル・コンピュータ』)。
ボードゲームはどうやら、おそらく必然として、コンピュータ科学と似た方向に向かっているのではないかと思う。
この方向でいうと、ゲームのインタフェースの目標は「ゲームをプレイヤーの意識から消すこと」。
つまり、ワーカープレイスメントやデッキや、その他いろいろの「新しい」ゲームシステムがそれなのだろうと、わたしは考えているわけだ。
あくまで「似た」であり、実体には少し違いがあるけれど。たとえば、ひとつの箱の中で完結するボードゲームに「クラウド」はない。しかし、実現しようとしている内容は同じではないかと思っている。
ノーマンに倣うなら「見えないゲーム」を実現することだ。
キーワードらしきものが1個出てきたところで、次回に続く!