遊星ゲームズ
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「見えないゲーム」(3)
 ゲーム・論考

.ワーカープレイスメントの魔法

「ワーカープレイスメント」は、ここ数年のボードゲームで、もっとも大きなムーブメントだったゲームシステムのひとつだ。
 簡単に説明しよう。
 プレイヤーには「ワーカー」と通称されるコマがいくつか渡される。これは、プレイヤーが1ラウンド中に実行できるアクションの回数を表している。
 手番は順に回る。手番がきたプレイヤーは、手元のワーカーコマを1個(あるいは、複数個使用できる場合もある)、ボード上の「ワーカーボックス」と通称されるマスに置く。
 ワーカーボックスには、それぞれ固有の、まったく違う効果がある。「コイン」などゲーム内の資源を生産する、ゲームの目的である勝利点を獲得する、などだ。あるいは、次のラウンド以降に使えるワーカーコマを増やすなどといった効果がある場合もある。
 ラウンド中に、手番は何周も回ってくる。そのたびにプレイヤーはワーカーを配置し、ワーカーボックスの効果を解決する。
 すでにほかのワーカーが置かれているワーカーボックスは選択できない。また、ワーカーがなくなっていたら、パスをするしかない。
 すべてのプレイヤーが手元のワーカーを使いきったら、ラウンド終了。次のラウンドには、また前のラウンドと同数のワーカーが戻ってきて、同じ手順をおこなう。
『ケイラス』というゲームが、このワーカープレイスメントを世にしらしめた。ケイラスは世界中のボードゲームマニアを夢中にし、ワーカープレイスメントは注目のシステムとなった。
 その後、ケイラスに追随して多数のワーカープレイスメントゲームが発表された。『アグリコラ』『ストーンエイジ』など、傑作といわれるゲームも多くある。
 いまでも、ワーカープレイスメントやそのカスタマイズを採用したゲームは出つづけている。
 じつはわたし自身も、同人というかたちでボードゲームをデザインしている。昨年発表した『テラフォーマー』は、まさにこのワーカープレイスメントを採用したゲームだったわけだけど。

 ワーカープレイスメントの特徴は「ゲームが複雑でもルールの習得が容易」という点だ。
 ワーカーボックスの種類により、さまざまなロジックが実行されることになる。じっさい、種類が多ければ多いほど、ゲーム自体は複雑になる。ゲームの複雑さだけを数値化すれば、かつての重厚長大なゲームよりもさらに複雑なくらいだ。
 しかし、プレイヤーの選択はあくまで、ワーカーの配置という統一されたインタフェースのみをつうじておこなわれる。ワーカーボックスを選択し、そこにワーカーコマを置く。ゲーム中にプレイヤーがすることは、つねにそれだけなのである。
 そのため、プレイヤーがゲームにアクセスするための敷居が低い。じつは複雑なゲームをプレイしているのだが、そう感じさせない。
 前回までに書いた「充分な複雑さ」を実現するためのスマートな装置として、非常に優秀だ、

 ワーカープレイスメントは、上に書いた「キングメイカー問題」への回答のひとつだ。
 すでにワーカーコマが置かれているワーカーボックスは選択できないというルールがあるため、優先的に選択したい行動はほかのプレイヤーより先に選択しなければならない。この部分に、強いインタラクションがある。
 たとえばあなたが「開拓」のワーカーボックスにワーカーを置き、アクションを実行した。そうすると、次のプレイヤーは「開拓」を選べないことになる。
 このインタラクションは、いわゆるウォーゲーム的な、プレイヤーを指定した直接攻撃のインタラクションではない。間接的な、自分が実行したい行動と他人の行動との間の相互作用である。
 いわば直接の攻撃ではなく、その上にもうひとつレイヤーをかぶせたということになる。
 インタラクションは強くある。だが、プレイヤーの選択肢として直接「戦闘」を選んだわけではないのだ。
 これなら、前述のキングメイカー問題は発生しづらい。いやもちろん起きているのだが、効果が間接的なためいつ起こったのかが認識しづらい。
 また発生したとしても、プレイヤーの意識として「攻撃」をしていないことが多く、不快感として認識されづらいという面もある。

 シンプルなインタフェースの向こうに、複雑なロジックが隠蔽されている。重要なのはこの点だ。
 鍵は「インタフェースの統一」ではないか。
 ゲームへのアクセス方法をたった一種類に統一することで、習熟を容易にした。じっさいには複雑な処理がある。現にプレイヤーはそれを実行している。しかしあくまで、プレイヤーの選択自体は、ワーカーの配置、それだけなのだ。
 ワーカーをワーカーボックスに置くこと、それだけを憶えれば、ゲームをプレイできてしまう。じっさいのところ、プレイさえできれば、あとの処理は他のプレイヤーにまかせてしまってもかまわない。
 プレイヤーはいわば、その簡単さに「騙されて」ゲームの複雑なロジックにアクセスすることができてしまう。ワーカープレイスメントがなしえたのは、そうしたことだと思っている。
 コンピュータゲームでいえば、ファミリーコンピュータのコントローラにあたる。矢印のかたちのボタンと、AとBのボタン。あれを渡されたプレイヤーは、とりあえずボタンを押してみるだろう。すると、ゲームからなんらかのフィードバックが、音や映像で返ってくる。それまでのキーボードとは違い、非常にシンプルなインタフェースだ。
 プレイヤーの選択肢はボタンに制限されている。だからこそ、とりあえずいじってみることができる。ゲーム専用の装置として非常に優秀だったし、多くの人に受けいれられた。またそれは、非常にさまざまなゲームに応用できるインタフェースだった。

 ワーカープレイスメントを例として取り上げたが、この話はこれにとどまらない。ワーカープレイスメントの次の巨大ムーブメントだった「デッキ」や、その他、近年登場しているゲームシステムの多くに共通している要素だ。
 まとめるならまず、ゲームシステムはインタフェースであるということ。次に、インタフェースをシンプルに、できるだけ統一することで、非常に複雑なゲームを実現できるということ。バックグラウンドで動く複雑なロジックや、プレイヤー間のインタラクションを、覆い隠すことができるということ。
 いまでは、ワーカープレイスメント級のスマートな装置はボードゲームの要件となっている感さえある。

 いちおう続く予定だけど、書くことまだあったかな。


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