遊星ゲームズ
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アウグスブルグ
 ボードゲーム

2007.02.06 21:49 てらしま
アウグスブルグ
Augsburg 1520
2006年
alea
K.Hartwig
2-5人(4-5人)
90分
thx to play:game

 じつはいけてる街系ゲーム。
 資金と勝利点を天秤にかけながらゲームを進めていく。最近では見慣れたスタイルだ。わりとめずらしいタイプのオークションがあったりと、多少複雑になってはいるものの、基本的はサンクトペテルブルグだと思えばいい。
 最終的には勝利点を目的とするわけだが、その過程で、発展のために金がいる。だから序盤は金を稼ぐ手段を確保することに力を注ぐのだが、それが過剰になってはいけなくて、いいタイミングで勝利点のほうにシフトしていかなければならない。

 余談になるが。
 こうした街系スタイルを完成させたのが、サンクトペテルブルグというゲーム。と思っている。むろん珍しいシステムではないのだが、意識的に「リソースと得点」にテーマを絞ってシンプルにデザインされたという意味で、ゲームデザインにおける一つの思想を作り出したのではないか。実際、のちの作品に大きな影響を与えているように思う。
 サンクトペテルブルグは非常にシンプルなゲームだった。また、非常に整然とまとめられたシステムがすばらしかった。
 わたしはあれをこそ「オブジェクト指向」と呼びたいのだが、これまた例によって逆にわかりにくい言葉だ……。これまでの「手続き型」システムとは一線を画す。オブジェクトを定義し、そのオブジェクトの集合としてシステムが構成されている。のである。
 たとえばサンクトペテルブルグから「建物」をとりのぞこうと思えば、これは比較的簡単に実現できるだろう。逆に、たとえば「株券」というオブジェクトを導入してみてもいい。これも簡単にできるのである。
 じつに大きな拡張性を秘めたゲームだったのである。それなのに拡張セットなどが作られていないあたりは潔いというべきだろう。
 そう考えてみると、サンクトペテルブルグはただのゲームではなかった。「ある種のゲームシステムのフレームワーク」そのものとでもいうべきものだった。
 そんなサンクトペテルブルグ・フレームワークを素直に使って、オークションを導入したシステムを作ってみたらどうだろう。
 それが、アウグスブルグである。
 そういう見方ができる。

 基本はサンクトペテルブルグだ。毎ターン、金と勝利得点が、自分の場にあるリソースにしたがって産出される。この場のリソースは、サンクトペテルブルグでは「職人」「建物」「貴族」という3種のカードだったが、アウグスブルグでは「階級タイル」というもので示される。
 この階級タイルが「財力」「身分」「役職」と3種ある。「財力」が高いほど毎ターンの収入が高く「身分」が高いほど毎ターンの得点が大きい。
 このあたりはまさにサンクトペテルブルグだ。実際、そう思っていたほうがわかりやすいだろう。
 しかし、ちょっとルールにわかりづらいところがある。それは、リソース変換の過程が一段階増えているため。
 サンクトペテルブルグでは、金で直接、建物や職人を買った。
 だがアウグスブルグでは、金で買えるのは「貸付証」と呼ばれるカード。これは5人いる貴族に金を貸したことを意味するカードで、それぞれの貴族に対する影響力の証でもある。
「貸付証」を手に入れることのできる枚数、つまり「金貸してくれ」といいよってくる貴族の人数は、3番目の階級「役職」で決まる。
 この「貸付証」を使って、オークションをする。つまり
「貴族への借金をチャラにしてあげるかわりに市長にしてもらう」
 とか、そんなことをやるゲームなのだが。
 つまりそこで、一段階余計にリソース変換をおこなわなければならないのだ。しかも間にオークションを挟んで。
 この流れが、はじめはわかりづらい。

 プレイヤーは貴族ではなく金貸しなので、まず貴族に金を貸さなければ社会的地位も名誉も手に入れることはできない。舞台設定的にはそういう意味になる。
 ゲームとしてはそれが、直接金を支払うのではなく一度カードに変換してから使う、というプロセスで表現される。
 リソース変換の過程が増えたといっても、ただ増えたわけではない。このゲームに特有の変則オークション(というかビッディングといったほうが近いだろう)に「貸付証」カードを使うからだ。
 このビッドシステム、意外とテンポよく、しかし悩ましい。これこそ、アウグスブルグのおもしろさの中核をなしている。
 ……ていうか、そうじゃないとサンクトペテルブルグそのものだし。
 とりあえず、貸付証の枚数でビッドをおこなう。
 このビッド、普通のオークションとは違い「ドロップしていない全員がフォロー(コール)するまで」続けられる。ポーカーと同じだ。一人になるまで回すのではなく、ビッドの段階では複数人が残る。
 そして、残ったプレイヤー全員で、ビッドした枚数の貸付証を公開する。ここで、もっとも金額の高い(実際にはカードに書かれた数値の高い)カードを公開したプレイヤーが勝者となる。(「数値の合計」ではなく「もっとも強いカード」のみを見る)
 そのプレイヤーは貸付証カードを破棄して、つまりそれだけの借金をチャラにする代わりに、貴族に口をきいてもらい社会的地位を高める。
 ビッドを導入することでインタラクションを高め、サンクトペテルブルグ以上に「もりあがる」多様な展開を実現した。
 というか、このビッドが、実に楽しいのだ。

 むろん、ビッド以外の部分も練りこまれている。「教会を建てないと25点までしかいけない」などというルールは、強引にも見えるが秀逸だ。
 プレイしていても、あらゆる面で「作りこまれている」という感覚がある。傑作である。
 問題点は、やはりはじめは流れが掴みづらいことと、加えてルールブックがわかりづらいこと。それに、文字しか書かれていないさまざまなタイルのわかりづらさ。
 ドキュメントの整備されていないオブジェクト指向プログラムほど迷惑なものはないのだが……、というのはわたしの仕事の話だが……。
 逆にいえば、これがサンクトペテルブルグ・フレームワークの欠点といえる。
 システム自体はオブジェクト単位で切り分けられ、一見整然として見える。だが、オブジェクトはそれぞれが(ほとんど)独立して存在できるわけで、ということは、このゲームでいえば、階級タイルの種類分、3つのゲームを同時に進行しているようなものということができる。所有者は3ゲーム分のルールの解析をしなければならず、、またそれを流れに沿って整理しつつインストする必要がある。
 ……なんか、大聖堂でも同じことを書いた気がする。こういうつくりかたをされたゲームが増えているんだろうか。
 でも、やってみればぜんぜんすぐにわかる、というあたりもいつものことなのだ。

 見た目は地味だけど、確実におもしろいのです。たぶんはじめの印象より簡単だし、ゲーマーも充分満足できるだけのものを持ってるし。独特のビッドの独特の楽しさもあるし。傑作。

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アウグスブルグを