ひとことでいうなら、情報もあつかうオークションゲーム。
物件もオークションするが情報もオークションする。
ゲームのデザインとしては、けっこうなチャレンジだと思う。ボードゲームは、リソースを可能な限り切り詰めた、モデル化された世界だ。過去の例を見ても、実体のない「情報」を実体のあるリソースと変換するゲームというのはけっこう難しそうだ。と思う。
プレイヤーは酔狂な金持ちたち。売り出されている屋敷や城をオークションで買うのが目的。
でも本当の目的は、建物じゃない。建物に出ると噂されている、幽霊がほしい!
……というバカネタなんだが。
建物には幽霊がいるらしいけど、まだ噂なのでわからない。幽霊がいれば得点が高いが、いなければ意味がない。
あと、幽霊がいすぎてもいけないらしい。それはちょっと、いくらなんでも危険すぎるんだろう。
この噂の真偽がポイントだ。
プレイヤーたちはオークションの前に、噂を流しあう。
「あの屋敷にいったけど幽霊いたよ」
とか。
「幽霊なんか見なかったなあ」
とか。
でもこの噂、本当かどうかわからない。
ラウンドの最初に「?カード」というものを1枚渡されている。ここには「true」「false」のいずれかが書いてあり、自分しか見ていない。
trueのプレイヤーが流した噂はすべて本当。falseのプレイヤーが流した噂はすべて嘘。なのである。
噂というのは、各プレイヤーの色がついたタイル「宣言トークン」を、物件の脇に並べていくことで表現する。
「幽霊がいた」「幽霊じゃなくて絵だった」の2種類の宣言が、各物件に並んでいく。
物件の得点は、この宣言トークンによって決まる。幽霊が多いほど得点が上がる(多すぎると0点)というわけなのだが。
嘘つきのプレイヤーの宣言は、すべて逆になるんである。
オークションがすべて済んでから、正直者か嘘つきかを公開する。そこではじめて、各物件の本当の価値が決まる。
つまり、まだ価値の決まっていない商品をオークションするゲームということ。
で。このゲームの最大のポイントであろう点。
この「嘘か本当か」という「情報」も、買うことができるんである。
建物のオークションの前に、情報をオークションするフェイズがある。
他の一人の伏せカードを見る権利と、余った「?カード」を全部見る権利のオークションがある。
情報を手に入れれば、もちろん有利だろう。しかし、そこにお金を使いすぎては、肝心の建物を買えない。
じゃあ情報はいくらなのか?
なかなか難しい問題を提示されている。
きわどいところにチャレンジしてるゲームと思う。
「情報」を明確にリソースと同格として扱ったゲームは、過去にも多数ある。しかし、すべてが成功だったわけではない。というよりも、じつはけっこう「佳作どまり」が多いという印象がある。
たいていのゲームでは、伏せられている情報を手に入れれば有利だろう。だから、情報は力になりうる。
しかしたとえば「あの伏せカードが『○○』という前提で動く」のはいつでも可能だ。そして、そうすることにしてしまえば、情報にリソースを支払う必要はない。その読み(あてずっぽう)が、偶然にでも当たってしまえば、当然そのプレイヤーが勝つ。
ならば、最終的には、それを狙うことになってしまう。
これはさまざまなボードゲームで見てきたことで。
「うまくいけば勝つ」選択肢は、強い。
というより、ボードゲームはマルチプレイヤーズゲーム(3人以上のゲーム)なのだ。誰か一人くらいは運のいいプレイヤーがいるもので、そのプレイヤーに勝つためには、自分がもっと運のいいプレイヤーにならなければならない。
まあ、この仮説の真偽はともかく。
プレイヤーがひとたびそう思ってしまえば、情報にリソースを支払う必要は、いっさいなくなってしまう。情報の価値はゼロである。
そうなってしまえば、もうあとは運勝負になる。
単純に情報をリソースと変換させる場合、少なくとも「プレイヤーを選ぶ」。悪ければ「意味がない」「運勝負」になる。と思う。
それを回避するための工夫が必要になる。ということになるだろう。それがなかなか難しい。と思う。
失敗した例を、けっこう見てきた気がする。
「情報」に特化したゲームなら、傑作もあると思うのだけど。
それほど多くやっているジャンルではないから、ごく個人的な範囲になるが『スルース』とか『シャーロック・ホームズ 切り裂きジャック事件』とか『ドメモ』あたりが思い浮かぶ。
問題は「情報」と「実体」という、2種類の選択肢があったとき。この2つの統一理論が難しいのだと思う。
ゴースト・フォー・セールも、そのあたりの罠に陥り気味という気がする。しかし、チャレンジは買いたい。
デザイナーにとっての難度(わたしの想像だけど)のわりにはちゃんと楽しめる。ふつうのオークションとは少し違うおもしろさもある。もしかしたら、あと一歩だったのかもしれない。