遊星ゲームズ
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ドメモ
 ボードゲーム

2010/03/10 02:51

 オリジナルはずいぶん昔のゲームのようだが、2009年に幻冬舎エデュケーションがリメイクした。デザイナーはあのアレックス・ランドルフ。いまでは本屋で売ってるので、たぶんそこらのボードゲームよりも手に入りやすいだろう。

 ルールはいたって簡単。
 1から7までの数字が書かれたタイルを、何枚か、裏向きで渡される。それを自分の前に、あちらをむけて立てる。
 インディアンポーカー方式だ。自分のタイルだけが見えていないんである。
 幻冬舎エデュケーション版はプラスチック製で、しっかりとした厚みがありちゃんと立つようになっている。裏がへこんでいて、そこを指で押さえればさらにがっちりと安定する。
 このゲームをプレイするための用具として、このかたちは非常にマッチしていると思う。こういうのに触れると気分がいい。
 で、その、見えていない自分のタイルの数字を当てるのが目的。
 それだけだ。
 手番がきたら、数字を1個宣言する。それが当っていれば、他のプレイヤーがそのタイルを倒す。
 配られたタイルを全部当てたら勝ち。である。

 推理の材料となるのは2つ。
 ひとつはもちろん、見えている他人の数字だ。
 各数字タイルの枚数は、もちろんルールブックに書いてある。必ず何枚かは使わないタイルがあるから、確実にはわからないのだが、情報はだいぶ見えている。
 だから、
「5があまり見えてないから、自分の手にあるに違いない!」
 とか、そういう推理を働かせることができる。

 このタイルの枚数が、非常によくできている。なんといってもこのゲームの、デザイン上の肝ではないかと思う。
 たとえば「1」のタイルは1枚ある。「2」は2枚。「3」は3枚。
 数字と同じ枚数である。わかりやすい。
 すべて同じ枚数ずつ、ではない。そこが重要だ。タイルごとに枚数の差をもたせた。これはいいかたを変えれば、それぞれのタイルにキャラクターを持たせたのだ。
 人間は、平坦な分布を嫌う。カタンがおもしろいのは、使うダイスが1個ではなく2個だから。
 1個のダイスの出目の分布は平坦だが、2個の合計は平坦ではない。8は9よりも出やすい。だから、8に置く選択と9に置く選択は違うのだと、はっきり認識することができる。
 違うから、脳の中で個性を加えて、一つ一つを別のモノとして認識できる。
 平坦な分布では、それぞれの出目を区別することができない。2であることと3であることの間に差がなければ、どれを選んでもいいことになる。そういう選択は、人間にとっておもしろくないんである。
 ドメモだって、平坦な分布としてもよかったはずだ。
 もしデザイナーが違えば、たとえば数字ではなく色で「赤」「青」「黄色」……が4枚ずつ、というゲームになる可能性もあった。そういうゲームでも、充分にありそうではないか?
 そこはさすがランドルフ、といったところだろう。おそろしくシンプルかつエレガントに、ゲームのおもしろさを倍加してみせたんじゃなかろうか。

 そんなタイル枚数の事情があるから、他人の宣言にも意味をもたせて聞くことができる。
 もうひとつの推理材料は、他人の宣言だ。
 たとえば他人が「1」と宣言したなら。それはきっと、その宣言者から「1」の数字が見えていない。なにしろ「1」は1枚しかないのだから。
 つまり、自分のタイルに「1」はない!
 そういう推理を、それぞれの数字についてすることができる。
 やることは数字を宣言するだけ。それなのに、さまざまな推理を働かせることができる。
 または、ときにはブラフを交えた宣言をしてみてもいいかもしれない。
 非常におもしろい。

 我々素人から見れば、こういうゲームは「神の手」が作ったんじゃないか。とさえ思える。
 すべてがぴたりと収まるべきところに収まっていて、極限までシンプルで、なおかつおもしろい。そんなこと、狙ってやれるわけがないという気がしてしまう。つまり、デザイナーの意図した以上におもしろくなってしまったんじゃないかと。
 傑作というのはなんでも、あるていどそういう面はあるだろう。
 しかし、それを何度もやってみせているデザイナーがいるのもたしかだ。
 彼らの頭の中にはなにかがあるんだろうなと思う。
 そんなことを考えてしまう、そういう領域にいるゲームである。

cut4.jpg

すぎもと -2010/03/15 22:59

8は9よりも出づらい。

逆です。


てらしま -2010/03/16 00:51
 あどうも。なおしました。


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