タイルにエラッタとか、かなりやっちまった感ある。しかも変なかたちのタイルで。
さらにルールブックがわかりづらいようで、エッセン後のレビューには「見るたびにルールが違う」なんてのがあった。読んでみるとたしかに、マニュアルの構成がいくぶん悪い。とはいえ思ったほどでもなかったけど。もともと独特で説明しづらいメカニクスでもある。
それよりもコンポーネント。いかにも間に合ってない。蟻のかたちのコマはいいんだけど、その他が。「育児蟻」は八角柱だし、幼虫はキューブだし。勝利点トラックに置く勝利点マーカーは厚紙じゃなくて木ゴマであるべきだよなあとか。ヘックスマスの描かれたボードにタイルを置くんだけど、ボードの六角形とタイルの六角形のサイズが合ってないとか。なんか全体に感じる野暮ったさとか。ちょっと難点が多すぎるんじゃないかなあ。
そんなわけでなかなかに印象悪い。なのだけど、いちおう、去年のエッセンの話題作の一角だったりする。
悪印象のせいもあったかもしれない。買ったのはだいぶ前なのに、いままで遊んでいなかった。でも遊んでみれば、さすがにおもしろかった。
ゲーム自体はワーカープレイスメントのアレンジだ。
2重の構造になっているのが特徴。ワーカー的なコマが2種類あって、それぞれ役割が違う。誕生フェイズには育児蟻コマを使い、働き蟻フェイズには働き蟻コマを使う。
育児蟻の仕事は、蟻の生産だ。幼虫と、働き蟻と兵隊蟻を作る。または巣の拡張とかもやる。ここは同時に処理するし、どう割り振るかだけ。
あ、ちなみに、幼虫はほとんどただの資源だったりする。資源コマと同じ大きさのキューブだし。食べれるし。
働き蟻はもうちょっとワーカープレイスメントっぽいことをやる。巣の中で資源生産に従事するか、巣の外に出ていって資源を探す。巣の外に出ていった働き蟻は帰ってこないので、どんどん消耗されていく。育児蟻で生産し続けないと、すぐにいなくなってしまうというわけだ。
ワーカーを作ったり簡単に死んだり、幼虫食べたり、このへんの蟻の世界の気持ち悪さが、とてもいい。簡単にコマが生まれたり消えたり変換したりするボードゲームの世界に妙にぴったりハマってて、じつに気持ち悪い。
ワーカープレイスメントって書いたけど、じっさいには違うというべきだ。ワーカーの働き先が共有地ではないから。その部分にインタラクションはない。少し先祖がえりして、ターン進行を分割したアクションポイントの変形といったほうが実情に近い。そのあたりは『エクリプス』もそうだった。
ワーカープレイスメントの欠点は時間がかかること。例外なくすべての行動に強いインタラクションがあるから、プレイヤーが悩んでしまう。そこがいいんだけど、そのままだとストレスが強すぎるのかもしれない。じっさい、ケイラスのあのジレンマのすべてが必要なのかといったらそうでもない気もする。
共有地をなくしたプレイヤーボード上でのワーカープレイスメント、つまりアクションポイントの変形にしてしまうことで、インタラクションによる考慮時間増加を抑えることができる。
そういうわけで、このゲームにはプレイヤーボードがある。プレイヤーボードはもちろん、蟻の巣。そして共有ボードは外の世界だ。共有ボードのマップ上に巣穴があって、巣から出た働き蟻はそこから出てくる。
この対比はすごくきれいだ。雰囲気はほんとにすばらしいと思うし、……もう少しボードの見た目がきれいなら、すごいゲームになれたんじゃないかと思ったりもする。それはいいすぎかな。名作になるかどうかってのは、ちょっとしたことの積み重ねだったりするなあとは思う。
他にもいろいろな要素が入っている。最近のゲーマーズゲームらしいところは、ゲーム環境を変える乱数。それも、ゲーム開始時などあらかじめわかっているかたちで使われる。結果を判定する乱数ではなく、最初に環境を変える乱数だ。これはもちろんドミニオンの王国カードに由来するものなんだけど。
テラミスティカのラウンドタイルやボーナスタイルと種族ボード、カッラーラのルールタイル、などなど、けっきょくいまのゲーマーズゲームにはだいたいある。ゲームによっては、いかにもムリヤリ加えられていたりもする。リプレイ欲求を煽るための非常に優れた仕組みなのは確かで、無視できないのだろう。
この蟻の国の場合、ゲーム開始時に「目標タイル」が6枚だけ配置される。達成したら勝利点が入る目標で、たくさん入っているけど6枚しか使わない。また、各年度の開始時にサイコロを振って、その年の各季節に起こるイベントが決まる。これは奇しくもテラミスティカのラウンドボーナスと同じもの。テラミスティカと同じくムリヤリ感はあるけど。
この組み合わせ、現代ボードゲームの最新理論のひとつといっていいと思っている。
革新的なものはなく名前がつくゲームシステムというわけでもないが、このように組み合わせることがだ。
重要なのでもう一度まとめると。
共有地を使わない、というのは、個人ボード上とか手札とかそういう意味。ワーカープレイスメントでなくてもいい。共有地はあってもアクション選択では使わないか、一部だけ使う。上にも書いたけど、ジレンマとストレスを減らして考慮時間を減らす効果がある。ソロプレイ感とかいわれるかもしれないけど、プレイしやすくはなる。
そうしてプレイしやすくしてどうするかというと、そのぶんさらに複雑な要素を盛り込むことができると……。
環境を決める乱数については、考えてみればカタンのマップだってそういうものだった。別に新しいものではない。ただ、当時より意識的にやっていると思う。
この組み合わせ、よく探せば過去のゲームにもあっただろう。単純に新しい斬新な発明ではない。しかし、それが具体的に意識してデザインされるようになったのはここ数年のことだ。特にワーカープレイスメント以後の試行錯誤と、ドミニオンショックの解釈と受容をめぐる混乱を経て、だんだんとかたちになってきた。
みたいな、そういう歴史の積み重ねの上で開発された、ゲームデザインの技術があるといえるんじゃないか。そのひとつが、上に書いた組み合わせだったりするんじゃないか。
蟻の国はそんな、最新式のゲームのひとつだとは思う。
プレイ感といい作りといい、テラミスティカによく似ている感じがあったりもする。同時期にテラミスティカがあったのは不幸かもしれないけど、ゲームとしてのまとまりでいえば蟻の国が上だろう。あとこの気持ち悪さもいい。
わたしの評価は高い。でもだからこそ、コンポーネント面の残念さがなんとも残念だ……。