忘れてたわけではなく。いちおう書く気はある(読者がいるかは別として)。最初に何個かゲームを挙げてしまってるわけだから、書きたいこともある。
でもいきなり、最初に書いた一覧に入ってなかったゲームだけど。
いわゆるアクションポイントシステムの初期代表作という意味で、やはり入れたくなった。なので割り込ませることにした。
手番あたり10ポイントのアクションポイントがあり、それを自由に割り振って行動する。コマの移動は何ポイント、テントを作るには何ポイント、というように、行動により必要なアクションポイント数が決まっている。
ふつうなら、手番にできることはひとつだろう。しかしこのゲームは、1手番中に複数のことができる。組み合わせはプレイヤー次第。選択肢の数が爆発的に増え、自由度が増した、といえる。
でもこれが、弱点にもなっている。多すぎる選択肢はプレイヤーを不要に悩ませる。それに、いわゆるダウンタイム。他のプレイヤーが行動する間、することがない。このゲーム、上級ルールだと、下手をすれば30分近く待たされる。
テンポアップした現代の基準でいえば、とうてい遊べないゲームということになってしまうだろう。いや、それは当時だって同じ。もしつまらないのなら、こんなゲームを遊ぶことはない。
でも、おもしろいんだからしかたない。30分待たされたとしても、それがおもしろいのだ。
まあ、それはこのゲーム自体の力であって、アクションポイントシステムの力かどうかはわからないけど。
アクションポイントシステムは、この後の歴史にとってけっこう重要だ。
まず、プレイヤーの選択肢を増やしたこと。ゲームを重くしたことだ。エルグランデなどと比べてもさらに重い。でも、そんな重さでも、おもしろいんだからしかたない。ゲームは重いほどいろいろなものを詰め込める。重いゲームが許容されないと、生まれてこれないゲームがあるはずだ。
もうひとつはもちろん、アクションポイントというシステムがこの後の歴史に子孫を残したこと。
アクションポイントはこの後もさまざまにアレンジされながら作られており、いまも残っている。さすがにだいぶ軽くなったけど。
同時に、別の、もっと洗練された現代的なゲームシステムの祖先ともなった。後で出てくるのだけど、ワーカープレイスメントというゲームシステムだ。これも、歴史的に重要な理由のひとつ。
この記事はゲームシステムの歴史の記事だ。生物学史といってもいい。アクションポイントは魚類のようにいまも残っているが、哺乳類のような現代的な種の祖先でもある。
いまの分類法のひとつでは、爬虫類も哺乳類も同じ「硬骨魚類」だということになったりするそうだ。どちらもシーラカンスのような魚から進化してきたから。ワーカープレイスメントは、アクションポイントシステムの亜種であるといういいかたもできる。さらにいえば、どちらもオークション脊椎動物の一種であったりするのかもしれない。そこはこの記事では書いてないけど。
わたしは、ワーカープレイスメントというゲームシステムをとても重要視している。ワーカープレイスメントを生むためにそれまでの進化史があったのだとさえ思っている。
あともちろん、ドミニオンのデッキシステムも同じくらい重要だというべきだ。
この2つが最新技術である以上、この記事が語っているような歴史の話は全部、そこにつながっていくことになる。
マジック:ザ・ギャザリングの独特の遊び方に「ドラフト」というのがある。
マジックのパックを買うと、中には15枚のカードが入っている。レアが1枚、アンコモンが3枚、残りはコモンだ(最近はこのレアリティ構成が変わっている。これは当時の構成)。これをつかって、ゲームをやるというのが、ブースタードラフトだ。
パックを全員が買い、開ける。出てきたカードの中から1枚を選び、残りを隣に回す。これをくりかえす。たいていは、3パックずつ買って開ける。
そうして集めたカードを使って、自分のデッキをその場で作り、対戦する。
なにがすごいってこれ、遊ぶためにお金がかかるのである。トレーディングカードゲームを売る店にとっては、こんなにうれしいことはない。いっぽうのプレイヤーにとっても、カードはどうせ買うのだ。それをただ開けるのではなく遊びながら開けられるというわけで、付加価値が上がっている。Win-Winの関係というわけだ。
トレーディングカードゲームがこれほど普及したのは、この遊びかたがあったためかもしれない。
そのドラフトを、ボードゲームにとりいれたのがこの操り人形だ。
いや実はそんなにドラフトっぽくはないのだけど。しかし、たしかに操作が似ている。
TCG的ドラフトは、この後『世界の七不思議』で、よりはっきりと影響の見られるゲームシステムとして現れることになる。操り人形ではじつは、システムだけを見たら、影響があったといいきれないような気もする。
でもまあ、ドラフトっぽいことは確かだ。当時、わたしの周囲のプレイヤーたちもそう認識した。
このドラフト的システムは、後年のボードゲームの歴史に密接につながっていく。
プエルトリコの役職選択システムにつながるものであろうし、さらにいえば、その後のワーカープレイスメントの礎にもなる。
それは、プレイヤーが行動を選択するということ。そのために、行動そのものを直接表したカードを用意したこと。その行動の選択自体に、プレイヤー間のインタラクションを直接持ち込んだこと。1個ずつしかない行動をとりあうことで戦略を分岐させる仕組み。
じつはもともと、ゲームとはそういうものだったのだ。ただ整理されていなかっただけで。操り人形は、マジック的なドラフト的なシステムを利用することで、そんなプレイヤーの選択肢を明確に役割カードとして表現してしまった。
すごいゲームだ。わたしはそう思っている。
どのあたりがすごいか。ゲームはここまでまとめ上げることができてしまうのだ、ということを、示したところだ。
やることはシンプル。場に並んでいるカードを、お金を使って購入する。カードの効果で、またお金が手に入る。勝利点が入ってくるカードもある。
変なところはどこにもない。
新しいところはあまりない。ゲームシステムの歴史という観点でいえば、このゲームが世界に新しく投入したものは別にないのではないか。そういう感じもする。
ただ、それを、これほどシステマティックにまとめてしまっているところがすごい。
サンクトペテルブルグがなしたことは、ゲームのオブジェクト化だ。プログラマの世界の言葉でいう、オブジェクト指向の発見と同じもの。
それまで、ゲームは準備から手順を追ってデザインされていた。しかしこのゲームは、ゲームの各場面やトークンをオブジェクトとして定義することでデザインされている。
職人カードと建物カードでは、ゲームとしてやることが違う。しかし、まったく同じインタフェースを持っている。同じ手順で、意味が違う行動を実行できてしまう。
別のいいかたをすれば。インタフェース定義があり、それの実装としてのオブジェクトがある。
プログラマ以外には伝わらないと思うけど……。ゲームシステムというものを工学的に解析するような立場にとってしか、重要でない話かもしれないんだけど。