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遊星ゲームズ
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2006/07/04 01:39

Winny裁判
 日記

http://slashdot.jp/articles/06/07/03/1347225.shtml

 まあ一応ニュースを見かけたら読んでしまうくらいの関心はある。つまり普段は忘れてるわけだが。裁判て時間かかるしねえ。
 ほんとに、開発したことが有罪というのならひどい話だ。でも別にこういう裁判が前代未聞というわけではないだろうと思うんだけど、どうなのかな。
「Winnyは問題だ」という奴のいうことはたしかに間違っていると思う。だが「Winnyが犯罪になってしまう日本はダメな国だ」という奴もなんかズレている。「わたしはこんな日本を捨てます」なら納得するんだけど。
 たしかに有罪になったらイヤだけど、まだ日本を捨てるほどイヤなわけではない。というのがだいたいの本音だとは思う。それにP2Pの技術は生まれてしまったわけだから、有効なケースがあれば、けっきょく使われることになるんだから。
 たぶんいまは西部時代なのだ。いろいろいいことや悪いことが起こって、「昔はよかった」とかいう奴らを尻目に、だんだん落ちついていくことになるんだろう。


2006/07/03 22:52

学校を出よう!
 読書

学校を出よう!
谷川流 電撃文庫

2006.07.03 22:52 てらしま

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 ハルヒが大流行だしってことで。見極めるために別のシリーズを読んでみたくなるのがヒネクレモノというものだ。

 まずあらすじを紹介。
 超能力者を隔離するために山の上に建てられた学校。主人公はそこで暮らしている。
 あ。あらすじってこれだけか。
 話はもちろんもう少しいろいろあるが、重要な部分は多くない。SFっぽいネタは、可もなく不可もなし。しかしそこは要所ではないんである。
 書きっぷりはハルヒとおんなじ。物語はあまり動かず、キャラクターと、キャラクターを中心においた世界の説明だけで大半のページが埋まっている。起承転結とか、切り出してみればたしかにあるのだが、あまり関係ない。
 これをやれるのはつまり、いわゆる「魅力的」なキャラクターと、現代ジュブナイルのトレンドに合致したスラップスティックがあるからで、裏にある世界設定などは味つけにすぎない。むろんそんな味つけの部分でしか差別化できないほど極まっちゃってるのがこのジャンルだが。いやしかし単なる味つけであってもネタがSFであることにかわりはないわけだが……。

 なにがいいたいかといえば、それはもちろん、そういうものさえあればSFをやれるんだってことである。

 ネタとしては、ハルヒよりもSF寄りの話である。
 まあハルヒだってまじめにやれば充分SFになるんだが、あれは実は、もはや使い棄てるしかない古いネタばかりを集めたパロディであって、もしもまじめなSFとして書かれてしまったら古臭くて読めないものになっていたはずのものなのだ。
 ……ただし、そんなことを感じるのはSFファンだけという可能性は充分にあるわけなんだが。
学校を出よう!」だってそういう雰囲気は強いが、印象としては、もう少しSFネタにこだわっている感じがある。
 というより、SFにかぶれているというべきか。
 現代アメリカ流のSFを書くには、日本では現実的ではないほどの調査が必要になると思う。だがこのやりかたなら、使い古されたSFネタをリサイクルできる。調査はぜんぜん必要ないのだ。

 よくいう「浸透と拡散」の結果薄まったSFが、SFを冠さずに出版されている。そんな中で、こういう本を出すSF好きが、妙なヒットを飛ばしてみることもある。SFファンは喜ぶべきなのかどうか、非常に微妙なところだが……。
 いやしかし、ないよりマシと思わなければいけないか。なにより、これはまだ純真な子供が読むジュブナイル文庫なのだから。洗脳の機会ととらえるべきだ。

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2006/07/02 12:33

ブラジル消えたーっ
 日記

2006ドイツW杯 準々決勝
 ブラジル 0−1 フランス


 ブラジルというのは、基本的に世界最強のテクニックを持っている。だから、苦労しなくてもたいていの相手には勝ててしまうんじゃないかと思う。
 今大会のブラジルはまさにそれだった。予選も含めてここまで、危機らしい危機に出会っていない。
 だが、だからこそ、ブラジルの優勝はないとはじめからいっている人たちがいた。
 そういう人たちだって、もちろん、ブラジルの最強を疑っていたわけではない。ワールドカップの得体のしれないセオリーが、予言に理由を与えていたのだ。
 予選や1次リーグで苦労してきたときのブラジルは強い。だが楽勝できたブラジルは、なぜかどこかでこける。そういうジンクスが、たしかにある。
 たぶん最初に書いた、苦労しなくても勝てちゃうというところが問題なのだろう。攻撃をしつづけるだけで勝てちゃうから、本当の危険をしのぐ戦いかたが、チームとして身につかない。

 わたしの印象ではフランスは大したチームではなかったのだが、決勝トーナメントに入ってから別物になってしまった。それでもブラジルならポゼッションで圧倒できそうな気がしていたのだが、そうはならなかった。
 互いに決め手を欠く感じの試合展開になった。
 で、そうなると「試合を決める」選手の存在が重要になってくる。
 ブラジルにだって、もちろんそれはいる。それどころか、並のチームなら、どの一人が入っても絶対的な選手になりうる。
 だが、こういうときに重要なのは一人の力なのである。チームを背負っている一人と、相手チームで同じ立場にいる一人の戦いだ。
 つまり、ロナウジーニョとジダンである。
 わたしは実は、ジダンという選手が好きではなかった。たしかにすごい選手だが、常にすごいから驚きがない。たとえ力で劣っているとしても、突然すごいことをする驚きを持った選手には、パーフェクトな選手よりも有用な瞬間があると思う。
 ジダンはパーフェクトな選手だった。だから、それに頼りきってしまったフランスは力負けすれば勝てない。そう思っていたのだ。
 だが。この大会のジダンはなにかが違う。歳の功だろうか。動きは落ちているのだが、しかし、決定的な瞬間になにかをする選手になっている。テクニックだけではなく、流れを見て、要所をおさえて試合を支配できる人になっている。
 もっと端的にいえば、顔つきに風格がある。

 ブラジルは、ロナウジーニョ対ジダンという試合展開になってしまったことが間違いだった。もっと積極的に、ポゼッションにこだわることもできたんじゃないかと思う。だがやはり、危機を経験してこなかったチームには、そういう微妙すぎる流れの機微は感じとれなかったのではないかという気がする。
 対してベテランぞろいのフランスは、こういう相手に勝つためになにをすればいいかを知っていた。それに、ジダンがいた。
 もちろん本当は、そんなあいまいな話ではないだろうけど。観客としては、そういう物語をたしかに感じる試合だったのだ。ジダンのすばらしいプレイが、試合の主人公の座を勝ち得ていた。

 さて、ともあれ、おもしろくなっちゃったワールドカップである。個人的には、ここまできたらポルトガルを推したいが、本命はドイツ。しかし残り4チームすべてに可能性があるなあ。


2006/07/02 10:47

今大会最高のグダグダ試合
 日記

2006ドイツW杯 準々決勝
 イングランド 0−0 ポルトガル
      延長0−0
      PK1−3


 ワールドカップもここまでくると、負傷者を抱えていないチームはない。ほんとに、サッカーって人道的にどうなんだろうとか心配になったりもするくらい。加えて、疲労もカードも溜まっている。もはや、チームの本来の姿を保つことなどできないのである。
 そういう歪みが、極大点を迎えたのがこの試合。
 デコのいないポルトガルと、オーウェンの離脱でチームの形がなくなっているイングランド。どちらも、もはや極限状態なのだ。

 それでもイングランドには、史上最強の飛び道具がある。ここまでのほとんどの試合を、ベッカムの足一つで勝ってきたのがイングランドだ。
 フォワードはどう考えても必要なレベルに達していない。中盤も、ここまで勝ち上がってきた他のチームと比べると、テクニックの面で一回り負けている。得点につながるまともな形がない。すでに崩壊しているチームである。
 チームにできることは引いて守ることだけ。
 だが、それでも。ベッカムのフリーキックがサイドネットに飛んでしまえば、いつでもどんな相手からでも得点をとれる。
 そういうあんまりな勝ちかたをしてきたチームが、しかし、どうやら負傷のためにベッカムを下げることになってしまった。
 そしてさらに。ルーニーが、相手選手に手をあげたうえ審判への抗議で一発レッド。
 オーウェンの負傷で、やむなく1トップとして置いていたのがルーニー。クラウチを出すよりは守備的な選手を増やしたほうがいい、それは理解できる。つまり、イングランドにはもはや駒が一つも残っていない。ルーニーは、正真正銘の、最後にただ一人残ったフォワードだった。
 ルーニーが唯一無二の選手だったわけではない。ただ、いまのイングランドには代えがひとりもいなかった。退場なんかしていいわけがないのに。
 本当に、こんなことがあっていいのだろうか。ワールドカップの舞台で、チームが崩壊寸前まで落ちているときに、本気で代えのいない選手が、余計なレッドカードで退場だ。自覚が足りないとしかいいようがない。
 これで、得点の可能性は限りなくゼロに近づいたのだ。

 対するポルトガル。ここまでの試合で真の中心だったのはデコだった。中盤でボールをふりわけ、自分自身も走り、恐ろしく個性的なチームメイトたちの歯車を合わせていた。
 それが、前の試合のひどい笛による累積警告で、いない。
 マニシェも、フィーゴも、ミゲルも、クリスティアーノ・ロナウドも、本当にいい選手だ。しかし、そこはやはりポルトガル。イングランド以上に本質的な問題で、フォワードがいないのである。
 スーパードリブルは苦もなく見せるが、スーパーゴールをやれないチーム。ボールを持つことはいくらでもできるが、9人で引いて守るイングランドを相手に、駒落ちでは得点できない。
 可能性というか、こういう試合を決定する格を持っていたのは、もちろんフィーゴ。だが、さすがにこの歳で、120分間の試合はできない。後半で下がってしまった。
 こちらも、得点の可能性が限りなく低くなってしまった。

 ワールドカップらしいといえば、これほどワールドカップらしい試合もない。
 基本的にチームの形がないイングランドに、勝つ資格はなかった。それはそうなのだが、PK戦になった以上、勝ってしまってもおかしくはなかった。
 それに、ここまでだって、勝つ資格がないのに飛び道具で勝ちあがってきたのがイングランドである。
 が、最終的には、テクニックの差でポルトガルの勝ち。
 どう見ても読みやすいキックしか蹴れないイングランドのキッカーは、相手キーパーに、すべてのキックを読まれていた。目の前の相手をいかに騙すか、そのことばかりを考えてきたドリブラー集団ポルトガルは、すべてのキックで相手キーパーの逆をついた。

 いやもう、ほんとに最低の試合だった。だがやはり強いほうが勝ったとはいえる。
 この前のオランダ−ポルトガルも別の意味で最低だったが、けっきょく、ポルトガルは、かろうじてだが、相手を上回る自分たちの力で勝ってきたのだ。
 ここまでひどい試合が連発するのもワールドカップだから。その洗礼を一身に受ける格好になってしまっているポルトガルだが、それでも、ポルトガルは勝利にあたいするチームだ。だから勝った。勝利にあたいしないのに飛び道具で勝ってきたイングランドもおもしろかったが、このへんが潮時だったかねー。


2006/06/30 00:21

火星縦断
 読書

火星縦断
G・A・ランディス 小野田和子訳 ハヤカワ文庫SF

2006.06.30 00:21 てらしま

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 火星に降りたった調査隊の話。ところが、着陸したとたんに帰還船がぶっ壊れてしまったんである。しかたないので、以前の調査隊が残していった船までいこうということになる。しかし、それは6000キロのかなたにあるのだ。
 というわけで、調査隊は旅をはじめる。
 なにより、作者がNASAの現役研究者ということで、細かい技術の話をやるのかと思ったら、そうでもなかった。
 死ぬほど退屈な話だろう、というのはもちろん、覚悟して読んでいたので大丈夫だったが、やたらと登場人物の過去の話をやるのは予想外だった。想定していない退屈さだったのだ。

 火星、というよりは、人間が宇宙にいくというのは大変なんだという話である。
 実はこの主人公たち、最初の「火星人」ではない。3番目の有人調査隊である。
 ところがいままで、まだ火星から生きて帰った人間はいないのである。前の2回の隊は火星に到達したものの全員死亡している。それほど、大変なのだ。
 でも別に、どこかのD級映画みたいに、無根拠に怪物がいるわけではない。そのあたりはさすがの期待どおりに、地球とは違う環境にいくことそのものの難しさが描かれる。そう、火星がなにか特別なわけではなく、ただ地球とは違う環境にいくことそのものが難しいのである。密閉空間で長期間、補給なしの旅をすることもそうだし、金がかかりすぎるために充分なテストができない機械を使わなければならない、一発勝負にならざるをえないこともそうだ。地球の外は全部、エイリアンがいなくたっておそろしく危険なのである。
 宇宙船の配線やパイプが、火星の大気に侵食されたとか。長い宇宙旅行の間に繁殖した水虫菌(!)がどこかにつまったとか。
 確かに起こりうるけど誰も思いつかなかったし、物語としてはあえて思いつく必要もなかったような仔細(と思ってしまうような)な可能性が、致命的な事故として語られる。本気でそこまで考えなきゃならないのが宇宙開発に携わる人なんだろう。本物の研究者ならでは。

 でも、それだけで話を作れるのは本物の小説家の仕事。細かい科学技術の話で小説を書けてしまえるほどの力のある作家というのは、なかなかいないんである。
 でこの小説が選んだのは、人間を書こうとしてみたこと。登場人物一人一人の生い立ちが、やたらと挿入される。というか本筋よりもそっちのほうがずっと多い。
 確かに、人間を書けば小説にはなる。だがまあ、SFとしてのおもしろさがあるかといえばそのへんは怪しくなってくるわけではあるんだが。

 とりあえず、宇宙開発は夢ばっかりじゃなくて、ただ単に難しいんだよと。夢も希望もない小説なんだが、でもじゃあなんでこんな宇宙にいきたいのさということになる。
 こんな話じゃ宇宙にいきたくなくなっちゃうじゃないか。とも思うんだが、不思議なことに、そうでもないのだ。
 そこはやっぱりNASAの人だからだろうか。絶望的な状況に立たされながらも、登場人物たちはどこか楽しそうなのだ。
 いやもちろん、そこは、絶望的な状況をちゃんと描写できていない小説のつたなさのせいもあるんだが。
 いろんな過去を背負ってきてる登場人物たちだが、その全員が、一番の根本の行動原理に、宇宙を抱えているのである。当然のように火星の風景に昂奮し、故郷に帰ってきたみたいなことをいう。
 そう、もちろん当然なのである。確かに厳しいし思ってたより何十倍か時間がかかりそうだが、宇宙にはやっぱりいきたいよね。というのを逆に感じたような本だった。

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