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遊星ゲームズ
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2006/06/29 21:23

マリア様がみてる 仮面のアクトレス
 読書

マリア様がみてる 仮面のアクトレス
紺野緒雪 集英社コバルト文庫

2006.06.29 21:23 てらしま

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 そりゃまあおもしろいのだが。なんというか、話のスケールをあえて落としてる感じがやっぱり、物足りない。といったって、だからどうしろということでもないけど。
 どういう話になるのかさえ、必死に隠しつづけて、話を進めないようにしているのは、やっぱりそういう要請があるのかねえとかいまさらなことをいってもはじまらないが。つまりなんだ。
 わかりきっていることを書きつづけてたってこのシリーズは許されるし、これほど時間をかけて作り上げられてきたキャラクターはもう、なにやっててもある意味ではおもしろいわけだが。
 読み終わって、というかページの残りが少なくなってきたころに、ものすごい不安に襲われるのだ。ああ、また今回もなにも起こらなかったのかと。
 そしてもちろん、なにも起こらないまま終わっちゃうわけで。まあ1センチくらい進むんだが、そんなの3行でできる話だしなあ。

 ただし。だからどうしろということでもないのである。話はわずかでも進んでいるのだし、展開がつまらないとか間違っているとか、そういうことでもない。単純な完成度では間違いなく、シリーズ初期よりも高いし。
 瞳子がらみの話を真剣にやっているという意味では、ちゃんとおもしろい展開をやっているのだし、たぶん、数ヶ月に一度読むからいけないのかもしれない。シリーズが終結したあとで全巻をまとめ読みすれば、最近のこの展開も充分に楽しめるものなのかもとは少し思う。

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2006/06/29 02:34

オブジェクト指向ってつまり
 日記

 いままでも使ってたしなんとなくわかってたことではあるけど、最近JAVA習ってたら微妙にわからなくなって困ってたんだが。
 でさらに最近PHP勉強してたら、ふと見かけたとあるサイト(場所忘れ)でだいたいこんな説明があって、なんか納得した。

  • 昔は、変数は全部グローバルだった
  • でもサブルーチン内でしか使わないローカル変数を作ってみたら便利だった
  • さらに、処理が他に移ってもローカル変数が残るようにしてみた

 そういうことだよなー。
 継承も、再利用できるとかなんとかも、よくある「車」の例えも、まったく本質じゃないよな。妙に観念的な説明とか、カプセルだのブラックボックスだのポリモーなんとかだの、わけのわからないキャッチフレーズを使うからわからなくなるんじゃないのかまったく。

 ようするにけっきょく、コンピュータはオブジェクトじゃなくて手続きで動いてるってことを理解してないとわからないってことなんじゃないの? それなら「教育コストが高い」とかいわれるのもあたりまえだ。


[2006.07.14 13:20]white :
いや、オブジェクト指向というものは確かにあるのです。理解するためには哲学の素養が必要という大問題が横たわっているだけで。

とある「オブジェクト指向言語」だけ学習してても、この根本的な思想はたぶん身に付きません。
あと、世の中一般の「オブジェクト指向言語」の大半はその実「クラス指向言語」だと思うのよー、とか言い残して混乱させてみよう。というあたりで放置(ぉ


[2006.07.14 21:49]てらしま :
 Whiteさんの意図してるところかどうかはともかく、理念は確かにあるだろうと思うんですよ。オブジェクトとして考えるやりかたのほうが、人間がものを考えるときのやりかたに近いから。
 しかしですねー。そのために何十個も新しい言葉を作らなければならないのはやっぱり間違ったやりかたじゃないか。理念を伝えるための表現力が決定的に足りてないと思うですよ。コンピュータの世界はそんなのばっかりだけど。
 コンピュータの専門家の奴らが使ってる言葉の95%くらいは必要のない概念だとわたしは最近感じていてですね。新技術を広めるために看板として使われたキャッチフレーズばっかり溜まってきてて、どれが本物なのか捜すのに手間がかかってしまう。
 解説してくれる人も本も、キャッチフレーズにふりまわされてるから本当のことをなにひとつ教えてくれない。こういうときに新しく入ってくると大変なんですほんとに(笑)

#オブジェクト、オブジェクトって祈りの言葉みたいにくりかえしてた教科書で、いきなり「フローチャート書け」とかなー。


2006/06/27 22:41

南極大陸
 読書

南極大陸
キム・スタンリー・ロビンスン  赤尾秀子訳 講談社文庫

2006.06.27 22:41 てらしま

amazonamazon

 うーん、おもしろい。おもしろいけど、どこがおもしろいんだろう……。とにかく非常にロビンスンらしい、あーまあ、いってみれば死ぬほど退屈な話なんだが、しかし、なぜかおもしろい。ていうかもう、ただたんに小説がうまいんだろうなあ。
 南極に暮らす研究者たちの話である。南極というのは要するに、科学者しかいない世界だ。科学のモデルの世界、つまりユートピアなのである。
『レッド・マーズ』『グリーン・マーズ』と同じである。ひたすら詳細に世界観を描きつづけ、その中で暮らす人々を描きつづける。
 紹介する以上あらすじを書いたほうがいいのかもしれないが、しかし、どうにも意味を感じられない。
 話がつまらないとはいわないが、特別すごいわけでもない。しかし、読んだあとの印象は、言葉で紹介されたあらすじではわからないものがある。
 この得体のしれないすごさはまさにロビンスンそのもの。それこそ『レッド・マーズ』『グリーン・マーズ』を読んだ人には想像できるはずだ。
 作者の意図だとか、キャラクターがどうとか、そういうものを超えた、本物の小説を書ける人だと思う。
 登場人物に共感する必要もない。そこにある世界を見て、なにも感じない人間はいない。それだけのことなのだ。
 人間が世界を世界として認識するために必要なものはなんなのか。おおげさにいえばそういうことだ。たぶん物語とか、適切な情報量とか、魅力的な文章の力とかだろう。
 これを表現する方法は作家しかしらない。それも本物の作家でなければ。
 小松左京流にいうなら「宇宙にとって物語とはなんなのか」ということになるのだが、それはちょっとおおげさになりすぎかな。

南極大陸』はそれほど未来の話でもない。ちょっと状況が違っていれば、いますぐに現れてもいい世界だ。でもそんな近い未来に、火星と同じ科学の楽園があるわけで、この身近さというかリアリティというか、そういうものがこの話の特徴である。
 やはり、宇宙の厳しさと比べれば、スケールは少し小さい。いまどき、これほど近い話をSFと呼んでいいのかどうかにも疑問を感じないでもない。
 よく考えるほどどこがいいのかわからなくなるんだが、それでも個人的には、火星三部作の入門版というくらいの位置づけにある。ベストとはいわないが、ロビンスンらしさと芸が充分に堪能できるのだ。
「萌えるよ!」とか「熱いぜ!」とか、そういうのもいいんだろうが、でもほんとうは、そんなわかりやすいものではない。ロビンスンはそういう領域で読者に世界を認識させるSF作家である。そろそろ職人芸といっていいかもしれない。
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2006/06/27 02:20

ヒディンク散る
 日記

2006ドイツワールドカップ 決勝リーグ1回戦
イタリア 1−0 オーストラリア


 うわひっでえなんだそりゃという結末。まあ主審が暴れた上試合を決めちゃった系なんだけど。でもそれを完璧に利用してみせたイタリアが強かったのだ。
 10人になったってそれほどの危険は感じないイタリアだけど、もちろん攻撃には齟齬をきたしていて、オーストラリア以上にゴールの気配がない。
 得点の入る理由が一つもなくなってしまった試合展開である。
 こうなるのはもちろん、イタリアの「カテナチオ」がやっぱりすごいから。1対1にとても強い人たちが集まっているチームなんだが、ブラジルのようにそれを攻撃に使うメンタリティは、イタリアにはない。ゴールされないことが最優先で、他の国のサッカーの基準で見れば2人くらい過剰にディフェンスに下がる。
 ディフェンダーが1発レッドで退場して、前を下げて守備を固めた。つまり攻撃はどう考えても足りない。でもあたりまえのように守備を続けるのが、イタリアだ。
 そしてロスタイムに、突然の攻撃をみせた。
 といってもリスクは犯さない。たった一人の、ドリブル突破だ。
 リスクを犯さないことに関して、イタリアの選手たちは徹底している。守備には必ず7人必要で、だから、攻撃に割ける人数は2人だけ。
 なりゆき上カンナバーロがドリブルで上がる場面があったのだが、そんなときも、周囲のチームメイトは誰一人としてフォローにいかなかった。
 ディフェンダーが攻めあがる、ということは全員攻撃を意味する、わけではない。それは、たまたまその瞬間に攻撃を担当する人間のうち一人がディフェンダーだったというだけの話なのだ。あくまで、守備に割く7人という数が最優先なのである。
「攻撃的になった」といわれるイタリアだが、それは守備の人数が8人から7人に変わったってこと? まあそうなんだろうなあ。
 守備的なチームは数あれど、やっぱり、イタリアほど特異なチームは他にない。
 ロスタイム、それも残り1分を切ったラストプレイ。グロッソが、左サイドから単独突破を試みる。フォローがこないことはわかっている。だから単独突破、というよりもたぶん、ペナルティエリアの中で倒れるために走ったのだ。
 イタリアは一発レッドで人数を減らしている。たぶん、主審にもその負い目があった。それで、目論見は見事に成功。
 トッティがPKを決め、試合終了。
 ヒディンクは延長戦のために交代カードを2枚も残していて、準備は万端だったはずだ。オーストラリアはここからが勝負、のはずだった。
 ひでえ試合だ。でも、思わず笑ってしまうほど見事に、イタリアらしい。
 こういうキャラの立った試合は、なんともワールドカップならではだ。イタリアがこういう試合をするといつも、ワールドカップって楽しいなあと思う。


[2006.06.28 23:37]とりい :
まぁ、イタリア的な攻撃的なサッカーってのは、8人のディフェンスから点を取れる2人がいるってだけだから。そりゃファンタジスタと言われるのもうなずける。
個人的には半分やる気なさそうにプレスにいってるピルロがいいね。

たしかに点が入る気がしなかったんで、後半43分に見るのをやめて寝たよ(笑。


2006/06/23 06:36

終わった……
 日記

2006ドイツW杯 一次リーグF組
ブラジル 4−1 日本


 瞬発力、キープ力、ミスの少なさ、パスのスピード、シュートの正確さ、強さ、身体の強さ、ほとんどどこをとってもブラジルが上だ。
 日本で、テクニックで匹敵しうるのは中村だけ。意思で匹敵するのは数人。唯一ゴールキーパーは戦えるレベルだったかもしれない、というのがこの大会の日本である。
 そう見えるのはつまり志向するサッカーが似ているからなんだが、その理由はブラジル人監督だからというだけではない。
 技術への信仰のようなものが、遺伝子の中にある。そういう遺伝子が、日本とブラジルに共通している。
 ……なんて冷静に書いているのは、まあ、もう終わったからである。
 ではなぜこれほどふがいない結果に終わるのかといえば、それはつまり、まだ日本がまだ本気でサッカーにとりくんでいないからだ。
 この大会に限れば、日本が敗退した原因は勝つための意思が足りなかったからである。それがあれば、オーストラリアにもクロアチアにも勝てたはずなのだ(終わったからいうのだが、このブラジル戦はしかたない)。
 ジーコはトルシエと違って、選手にそうした意思を求める監督だ。ある意味では、トルシエジャパンが負けたら監督のせいだが、ジーコジャパンが負けたときは監督のせいではない。
 まだ子供だった(と判明した)今の日本にとっては、ジーコのやりかたは早すぎたのかもしれない。ジーコに似たタイプの王監督が、WBCで世界一になったことを考えれば、やりかた自体がまちがっていたわけではないのだろうけれど。

 おもしろいと思うのは、そんなサッカーに足りないものが、野球にはあるというところだ。
 やはり世界最大規模の、しかも最高レベルの大会を高校生のときに経験してきている選手たちはなにかがちがう。勝つということの意味と、勝つために必要なものを、知っている。
 わたしはボードゲーマーなので、ボードゲームにおきかえればそういうところがイメージできる。ボードゲームの勝敗を決めるのは、記憶力がいいとか、ダイス運がいいとか、そういうことではまったくない。いつでも、どんなゲームでもたいていは、勝とうとする奴が勝つのである。
 そういう意味で、数ヶ月前に話題が盛り上がった「長考反対キャンペーン」は実はけっこうショックだった。というのは余談だが。
 本当に日本国民の大多数がそういう考えかたをするのだとしたら、そりゃあワールドカップだって勝てないだろうと思う。ボードゲームとサッカーは関係ないようだが、そんなことはない。国際大会は文化のぶつかりあいそのものなのだから。

 たとえば格闘技では、軽量級なら、日本は世界最強である。野球もトップ争いをやれる位置にいる。正しいやりかたを憶えれば、身体のない日本人の技術力への執着心は、とんでもないレベルまで到達しうるのである。
 日本はたぶん、まだ正しいサッカーのやりかたを知らない。だから、自信がもてないのだと思う。自信がないから意思を維持できないんじゃないかという気がする。
 けっきょく、まずは技術が足りない。自分自身がイメージするサッカーをやれない、そのことが問題なのだという気がする。
 この試合を見ていて実感したのはとにかくトラップの距離。ブラジルの選手は全員、日本選手の3分の1以下の距離にトラップできる。
 できないわけではない。これは技術の問題で、身体はあまり関係ない。たぶん、育成段階に間違いがあると思う。ボールを短くとめて正確に蹴る、そのことを、もっとしっかり叩きこまれて育ってくるようにならなければいけないだろう。
 それと、正しいやり方だ。ブラジル人は激しい競争の中で自然に身につけてくるのだろうが、サッカーに関しては、日本は事情が違う。やりかたを憶える必要がある。たとえば「トラップするときは足を引け」というのは間違いで「力を抜け」が正しい。
 それを考えると、本当に日本が強くなるにはあと12年(3大会分)は必要かなという気がしている。


[2006.06.23 17:45]とりい :
育成段階以前に子供が生まれたときからサッカーボールで遊ぶ環境って大事だよね。神経系の一番発達する年代って、日本での育成段階より早かったりするし。


[2006.06.25 14:21]てらしま :
 好意的にいえば、いま代表やってる年代はまだアジアで勝つために育成された年代といえないこともないので、これからの年代に期待したいところなんだけど、育成システム自体はそれほど変わってなさそうなのよね。
 敵が野球なのは間違いないが、なんとなくだけど、子供の憧れの対象は野球よりもサッカーになってきてないかなあ。あとは6歳くらいからそれを受け入れられる環境があるといいですね。


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