2006.04.30 00:10 てらしま
ネタはおもしろかった。世界観はすばらしい。だが文章や構成がやはり新人ぽく、こなれていない。そのため、読みづらい。
これはいったいなんの話なのか、どこがおもしろいのか、なかなか判明しないのは最大の弱点だろう。冒頭からの展開に無駄が多く、話に入れなかった。
あと余計な描写が多いし、読者が期待している部分をすっ飛ばしてしまったりもしている。いきあたりばったりで書いた感の強い部分も、数ヶ所あった。いきなり会話の途中に、明らかに次の展開への伏線だとばれる数行が挿入されたり。
書きたいことを書いた、よくいえば新人らしい小説だった。
電撃文庫としては、驚くほど完成度が低いのである。
なんて、素人批評家のWEBサイトが書いてもしかたないことを書いているが……。
でも、そんなできの悪さがうれしいのである。
バランスの悪い小説には、バランスの悪さゆえのポテンシャルがある。それでもおもしろいことを書いたエネルギーには、不安定さを利用しようとした前進翼機のようなかっこよさがある。
完璧に近いライトノベルには驚きがない。もうほんと、ライトノベルを読み始めたころの、何が出てくるかわからない感じがなくなってしまって久しい。
たしかに読んで苦痛はないのだが、感動もしない。そんなのが、特に電撃文庫で多い気がする(わたしの読むものが偏っている可能性はあるので信用しないで)。
金を払って水を買わされたような気分になる。これは個人的に思うのだが、金を払った以上、水よりは毒を飲みたいのである。毒というかゲゲボドリンクかな。デビュー作ということならなおさらじゃないか。毒を飲む覚悟はしているのに。
しかし、最近は新人の作品なのに水ばっかりに当たっていてなあ。それだけレベルが上がっているのだろうけど。
いや『狼と香辛料』が毒だったというわけではなくてね。むしろあとで話を思いかえせば、よくできた普通のライトノベルに近いのだが。そう見えないほど構成が悪いのだ。
それなのに、おもしろかったのはネタの力。
昔のヨーロッパの、行商人の世界が、ちゃんと納得できるレベルで描写されている。
最近の小説に多い「ぐぐるさま検索コピペ」ではなく、いやほんとにこれは多くて、しかも騙される人も多くて困るのだが、とにかくそういうものではなく、ちゃんと咀嚼してから書いている。これは確実に評価に値する。
男の主人公が電波娘に振り回されるという、最近のトレンドそのものな設定には辟易するし、好きな男に本当の姿を見られたくないだとか、そういう不自然な定型には蕁麻疹が出る。でもそれがなければ、この本が出版されることはなかった。そう思えば、必要悪だったとわりきってもいい。
個人的に、バランスを考えずに書きたいこと書いちゃうこういう人には、なんか期待したくなる。ポテンシャルを感じるじゃないか。
作品がうんぬんというより、この本が出たことがうれしいのだ。
むしろ次回作以降が問題。どっちの方向にいっちゃうか。書きたいことを全部書いてなお小説を成立させる筋肉を鍛えるか、書きたいことを削って全体を丸めてしまうか。
こういう人がライトノベルのフォーミュラに丸めこまれちゃうのを見るほど悲しいことはない。そうならないといいなあほんとに。
というあたりはT-ruth氏の感じてることと同じだろう。作品に対する評価はだいぶ違うけど。
某人のブログで柄にもなく議論してしまったせいで考えたこと。
http://white.niu.ne.jp/Freetalk/article.cgi/0604b210001a
とりあえず、ゲームの神(whiteさんの文章では「オラクル」)が必敗側でプレイした場合どうなるのかという視点は考えたことなかったので、いくつか発見があった。
下はわたしなりの結論。
ゲームに関するかぎり「絶対唯一の神」は存在しないんである。
# ゲームにそれがいえるってことは現実のすべてにいえるってことで、ってことは一神教は嘘か?とかそれは余談。
性格があるといっても、オラクル同士の対戦なら、席決めだけの勝負なのは同じ。だから、ゲーム上で絶対のプレイヤーであることに変わりはない。「絶対」にも幅があるということだ。
問題は、3人以上に話を拡張したとき。
「ティカル」のレビュー記事にも書いたけど。具体的には、n人零和有限確定完全情報ゲームの場合である。
オリンポスか高天原かどこかで、オラクルがn人集まって卓を囲んだらどうなるか。
まず「全員に勝利の可能性がある」ということはない。このゲームは零和だから(ゲームによって引き分けはありえるけど)。
二人の場合と違うところは、ゲーム開始時点で「複数のプレイヤーに勝利の可能性が残っている」場合があるというところ。
では勝者は誰になるのか。
プレイヤーは全員オラクルなんだから、ミスはしない。であれば、勝者を決める要素はあまり残っていない。
ゲーム開始時に決定している敗者の、ゲーム中の選択。あるいは勝利の可能性があるプレイヤーが、複数の最善手の中からどの手を選ぶか。そうしたものの組み合わせ次第で、ゲームの展開は変わることになる。
つまりプレイヤーたちの性格の組み合わせによってゲームの展開が左右されるのである。
最強のプレイヤーたちが完璧なプレイをしているはずだったのだが。勝敗を決めるのは、ゲームに対する能力ではなく「性格」なのだ。
あー。まあそりゃそうだよねー。神さまでも大差ないねー。ゲームっておもしろいねー。
今回はみちのく 遠いぜ……。でもいきたいなー。でもいけるかなー。
7月の8、9って、いけるとしても直前の申込になるんだよなー。
ここ二回ほど参加してる「SF創作講座」にいきたいわけなのだが、こっちの原稿の〆切はGW明け……orz 書くことはできても、本番にいけるかどうかわからないんじゃなー。
とりあえず短編一個、未練がましく書いといてみるかー? でも書きあがるカー? ていうかそんなことしてる場合か俺ー(←個人的にいろいろのまっ最中)
ヨーロッパ全土を舞台に、たくさんの民族が侵入してきて戦ってる様子をシミュレートするゲーム。これはかなり好きだなあ。でも賛否両論分かれるかもなあ。
ちなみに『Algo』の別名がダヴィンチコードというらしく。紛らわしい。
ヨーロッパに、わーっと海やアジアから多民族が侵入してくる。奴らはあたりの村々を蹂躙して、勝手に新たな国を作る。
かと思えば勝手に(いやほんとに勝手に)衰退して、また他の民族に攻め滅ぼされる。
そうやっていろいろな民族が勝手気ままにヨーロッパを闊歩する様子が、ダイナミックに再現されるゲーム。舞台としてはいつごろ? 地図が描かれたボード上にいろんな民族のコマが置かれる、そういうゲームだ。
登場する文明は毎回ランダムに変わる。それぞれ特殊効果を持った「文明タイル」2枚の組み合わせで、文明の特徴が決まるのである。
これが楽しい。
「農耕と将軍」の文明とか「ひたすら要塞を作る」文明とか、ランダムなのでわけのわからないものもできる。文明の種類はけっこう多い上に2枚つかうわけで、同じ組みあわせはほとんど出ない。
というわけで、毎回違う文明がヨーロッパにやってきて、いろいろと争いをくりひろげる。
このゲームの特徴はなんといっても「文明の衰退」を
これは通常のターンをおこなう代わりに宣言しなければならないので、実質上のコストがかかるわけなのだが、とにかく宣言するだけで文明は衰退する。どんなに栄えていても、プレイヤーが「衰退した」と一言いえば衰退する。
衰退した文明の版図はボード上に残りつづけるけど、なにしろ衰退してるので、戦力は激しく弱い。しかも、もはや動かすことすらできない。他の文明に攻撃されれば、なすがままに踏み潰される。
残骸は残ったが次第に勢力は減っていく、なんとも悲しい、いかにも「衰退」といった末路をたどることになる。
文明を衰退させたプレイヤーは、次の文明(ボードの横に並んで控えている)を選んで、そのターンは終了。次のターンからは心機一転、新しい文明を操って繁栄を目指していくわけである。
……が、実は、衰退した文明のほうからも得点は入ってくるのだ。
得点は基本的に、そのプレイヤーが支配している土地の広さに応じて、毎ターン加算されていく。この得点が、衰退した文明からも入ってくるんである。
ということは。むしろ積極的に衰退させたほうが得点が伸びる場面があるのだ。
ゲームとしてのキモはそのあたりになるだろう。どのタイミングで衰退させるか、現在アクティブな文明の発展性と見比べて決断していくことも重要になる。
ていうか、それが一番重要。
資源を確保して技術開発をして人口を増やして云々とか、そういうゲームではない。断じて違う。そういうよくある歴史ゲームとは、まったく逆のプレイを要求されるのである。
つまり、いかに発展させるかではなく「いかに滅ぼすか」というゲームなのだ。
文明の人口は文明タイルで決まるのだが、これははじめからそれだけの人数がいて、基本的には増えない。
でも攻撃を受ければ減る。
つまり、文明はまったく発展しないのである。そうなのかー。
この変な世界観のおかげで、非常にダイナミックな展開が起こるようになっている。
新しい民族が現れ、瞬く間に(ほんとに1ターンで)版図を広げる。でも人口は増えないので、あとは多民族との戦闘で数をすり減らしていく。
放っておけば減る一方だし、しかたないから衰退させる。そうするとヨーロッパに新たな文明がやってきて、また他の文明を喰い荒らす。
なにかもう、笑っちゃうくらいめまぐるしく地図が塗り変わっていくのである。まあ常に外部からいろんな民族が入ってきて争ってるあたりがヨーロッパっぽいのかな。
文明タイルの効果もかなり個性的だ。中にはかなりでたらめな能力もある。『コズミックエンカウンター』とまではいわないが、近いものがある。ほんとに人間かお前らって感じである。
でもそのわりに、バランスがとれている。
たぶん、基本的に他人の土地を攻撃することしかできないルールなので、プレイヤーたちの裁量でバランスをとることができているのだろう。
このあたりは欠点になりうるかもしれない。
積極的にバランスをとろうとするプレイスタイルが要求され、漫然と遊ぶことができない。必ず攻撃されるので、攻撃されたことにストレスを感じる人には向かない。実はけっこう、プレイヤーを選んでしまっている。
プレイヤーが感情移入する対象があるわけではなく、神の視点で、民族の興亡をシミュレートする系のゲームだ。その意味では、名作『チグリス ユーフラテス』みたいな感じ。プレイヤーはあくまでゲームとしてプレイするが、それはそれとして、盤面にはシミュレーション結果としての歴史が現れるのである。
自分の王国を発展させたからといって勝てるわけではなく、立場とかなんとか、そんなものは超越した歴史の神として、勝利得点なる謎の数値を稼ぐためのプレイをしなければならない。時には王国を自ら滅ぼしたりもする、そのへんもチグリスと同じ。盤面世界の歴史を翻弄する気まぐれな神、すなわちゲームプレイヤーたちである。
で、その歴史なんだが。
ゲーム終了までに登場する民族はたぶん20を超える(2〜3ターンで文明は衰退するw)。つまり、それだけの外敵が次々とやってきて、ヨーロッパを荒らすのである。
大陸の歴史って大変だったんだねえというか……。ずっと内乱しか経験してない日本では想像もつかない世界だ。
人間とは思えないような蛮族たちの特殊能力も、当時の人の感覚ではこんなものかもしれないし。かなりデフォルメされた歴史の世界だが、妙なリアリティを持っている気もしてくる。エッセンスをうまく抽出して再現されているのだろう。
もう少しルールやコンポーネントが整理されていたら、チグリス・ユーフラテスと同じように、名作といわれていたかもしれないのだ。
まあ残念ながらそこまでの評価は受けなかったようだが、個人的には、かなり好きである。