マイデッキだ。
実は最新のエキスパンション(名前忘れた)が入ってないという話もあるけど。入れるものあったっけかな。
ちなみに、全部代理カードです。ぜんぜん買ってません(ぉ
名づけて
華麗なるヒコーキ野郎デッキ
実は元ネタは、かつてフライングサーカスと呼ばれたデッキ。なんかだいぶ違うけど。
ポイントはやはり、クリーチャー多すぎて手札に余る(でも他に入れるものが思いつかない)ことと、ドレインライフじゃまるで追いつかない速さでライフが減ること。
そして、このてきとーさなのにヒッピーは一人で勝ってくること。
久しぶりに戻ってきてみると、強烈に強いなこいつ。
ロナウジーニョみたいなもんだなー。最近ほんとに化物になってきたしなあれ。
ピザを作るのがテーマ。なんかこういう、あえて軽いテーマを選んだみたいな感じのものはなんとなく手が伸びないのだが(わたしだけだと思うが)、やってみると、おもしろい。やはり名が知れたゲームにはそれなりのものがある。
とりあえず、一見には記憶ゲームである。
各プレイヤーの手札には、トッピングカードとレシピカードがある。トッピングはサラミとかパイナップルとかマッシュルームとか。レシピカードには、ピザを作るために必要なトッピングの枚数が描かれている。
手番には、このトッピングカードかレシピカードを場に出す。
この「場に出す」をやるときは、下に重なったカードが見えないようにきちんと重ねなければならない。
つまり、憶えておけと。記憶ゲームだ。
レシピを出すときは「
レシピが完成していたかどうかは、この時点ではわからない。あとでチェックするのである。
手札を山札から補充しながらこれをくりかえしていき、山札が尽きたら、いよいよ調理に入る。
調理ラウンドでは、場に重ねられているカードを丸ごと裏返し、一枚ずつめくっていく。
そこでレシピカードが出たら、そこまでに出ていたトッピングカード(と、余っている手札から加えることもできる)を使って、そのレシピを完成させる。
完成させることができたら、その分のカードを消費して、レシピを出していたプレイヤーに1点。完成させることができなかったら、トッピングカードは消費されずにそのまま場に残され、レシピはプレイヤーのもとに戻ってくる。
3ラウンドやって、一番多くのピザを完成させた人の勝ちだ。
たしかに、一見には記憶ゲームだ。だが、やってみるとそうでもないことに気づく。
もちろん、すべてを記憶していれば有利なのは間違いない。だが、自分がこれから出すレシピがどれなのかを考えておけば、なにも全部を憶える必要はない。レシピに描かれているトッピングの種類は多くないし、それを完成させられるかどうかだけを考えていれば、憶えなければならない部分を絞れる。
正確に何枚だったかというよりも、むしろ、流れの中でいつ出すかを見極める目のほうが重要だ。と気づく。
たとえば、他人が出したレシピがもし完成しなければ、トッピングカードは大量に余るわけで、その後にレシピを出したプレイヤーのピザはだいぶ完成しやすくなる。そういうチャンスを、ちゃんと見つけられるかどうか。
ただし、もちろん、最強のプレイヤーはコンピュータだろう。
隠れているすべてのカードを、コンピュータは憶えている。完全に記憶することができるのならば、あとはそれなりに適切な評価関数を与えてやれば、簡単に人間を超える強さになると思う。
コンピュータでなくてもいい。人間でも、この程度ならば苦もなく憶えてしまう人たちはいるだろう。棋譜を始めから終局まで再現できてしまう棋士とか。
そういう人はもちろん、強いに決まっている。
だがマンマミーヤ!は、そこまでの記憶力がなくても、むしろ感覚でプレイすることもできるのだ。だからおもしろい。
これは、多くの人が楽しいと思うゲームの、条件の一つだと思う。
ただ記憶させられるのではなく、自然に記憶できるようにデザインされていることだ。
たとえばこのゲームでいえば、レシピカードである。
レシピは「一種類のトッピングが6枚ともう一種類が1枚」「全種類1枚ずつ」「なんでもいいから15枚」という感じに、それぞれに性格が違う。達成するために重点をおかなければならない要素が、それぞれに違うのである。
だから、それぞれのレシピカードを別のものとして考えることができる。別々の条件を与えて、チャンスをうかがうことができる。
同じようなものがたくさんあると人間の脳は「飽きて」しまうが、別々の目的ならば飽きない。
「決められた3種類を3枚ずつ」などの、安易なレシピがあったら、たぶん駄作だった。
考えてみるといい。
「パイナップルとサラミとペパロニを3枚ずつ」というレシピと「ペパロニとオリーブとサラミが3枚ずつ」というレシピが自分の手札にあったら、どうだろう。けっきょくすべてのトッピングカードの枚数を記憶しなければならなくなってしまうだろうし、たぶんまちがいなく、そんなゲームはつまらない。
さりげない部分だが、こういう細かいところで傑作と駄作がわかれるのだと思う。
余談になるけど。
マジック・ザ・ギャザリングがつまらなくなるときというのは、友好色、対抗色の区別なく多色カードが乱発されてしまったときだ。
単純に強すぎるカードが登場しがちになるということもあるが、それ以上に、やはりプレイヤーが、色の特色や関係に注目することができなくなってしまうのである。カードがすべて均一に見えてしまい、色の区別がなくなってしまう。輪郭が薄れ、一つ一つに注目することができなくなる。
チューニングが合っていないラジオのノイズは不快だ。だが、音楽が流れていれば不快ではない。
では、チューニングを合わせた音とノイズとの間にはどんな差があるのか。
音が出ていることに変わりはない。違うのは、周波数の分布や、変化のしかただ。ノイズでは、低音から高音まですべての周波数成分がでたらめに強さを変える。音楽はそうではない。
音の変化から、人間が情報を引き出せるかどうかが違うのだ。
「人間は均一な分布が嫌いなんだ」と、以前友人が論じていた。だから、1D6を使うゲームはつまらないものが多い。まさにそのとおりだと思う。
均一な分布、つまりノイズからは、情報を引き出せないのである。だからストレスになる。
ちなみにマジックは、ちょうどいまが「ノイズ」の時期なんだが……。
これは人間の本能の問題だ。ゲームをおもしろいと感じるのは人間の脳なのである。もしも異星人がいるならば、彼らにはマンマミーヤ!のおもしろさがさっぱりわからないかもしれない。
やったりやらなかったりしてたら大きくなっちゃってた。15歳?かな?
育ちすぎ。足長すぎ。
……転生か? でもリアルマネーがかかるんだよなー。
今日も30分くらいてきとうにログイン。ラビでいつものように骸骨オオカミに噛まれてたり。最近スケルトンよりこいつが怖い。
死ぬとめんどくさいからディフェンスを上げようと思った。
ので、修練のためにカウンターじゃなくディフェンスを使う癖がついてたんだけど、スケルトン相手にディフェンスしてみたらその上から一撃瀕死。そうなのかー。やっぱ必要なのは盾かー? でも高いって。
ライトニングボルトとディフェンスに生きようと思う今日このごろ。しかしスキルのトレーニングは激しくめんどくさい。
ていうか「同レベルの敵」ってネズミだし。魔法撃つ前に殴り殺しちゃってるし。
アマゾンには実は古代文明があったんだよーという話をテレビでやっていた。こないだ兵馬傭の話をやったのと同じ、キャノンの番組だ。キャノンはいったいなにをやる気になっているのか知らないが、しかし、いい番組である。
眉唾ではなく、本当にアマゾン流域に古代文明があったらしい。世界4大文明と肩を並べるほどの、世界史を塗りかえる大発見らしい。なにしろアマゾンの、強烈に強い野生生物たちの中の文明なので、他の4大文明とはなんか趣が違っていておもしろい。
まあたぶん、南米は発掘が進んでない感じだし、アマゾンの中なんて作業も大変だし、それになにより、石建築の文明ではないからみんな腐っちゃって残ってないだろうしで、最近までなかなかわからなかったんだろうな。
文明とかなんとかいうけど、それがいきなり姿を現すわけではないので、むしろ南北アメリカ大陸に古代文明がなかったと考えるほうが不自然なのだ。
たぶん、まだまだ世界中に発掘されていないものがたくさんある。湿気の多い土地とか、建材として石を使えない土地とかは怪しいだろう。そもそも「高度な遊牧文明」という概念が現在には存在しないが、昔ならあってもいい。
でも我々は歴史の教科書で、発掘されているものだけに基づいた歴史を習って育ってしまった。昔は不便で原始的だったと思っている。そんなの、冷静に考えればおかしいのである。人間がいたんだから。
数千年しか経ってないんだし。実はいまの人間とあんまり変わっていないんだよーという結論を出すのが、考古学の目的じゃないかと思う。
つまり『超人ロック』である。正体を伏せられていて、敵か味方かわからない相手を推理しながら戦うのだ。なんていうか、みんなそういうの好きだよね。
ただし、ロックよりもかなり単純になっている。戦闘はただ一方的に殴るだけで反撃もない。マップは6マスしかなく、ダイスで移動。
もちろん特殊能力などもあるが「ラフノールの鏡」だの「ニケ」だのといったとんでもないものはない。……超人ロックのボードゲームを知らない人は、まあそういうものがあるんだと思ってくれればいいです。
GOODとEVILに分かれて戦うところも超人ロックと同じだけど、「ハンター」「シャドウ」といいかえられている。ハンターはシャドウを全員殺せば勝ちで、シャドウはハンターを全員殺せば勝ちだ。
独自の勝利条件を持ったニュートラルもいる。
で、情報やアイテムを集めながら戦う。
情報は「おばばの家」なる場所で他人を占ってもらうと、限定的に判明していく。「シャドウかニュートラルならアイテムをよこせ」とか「最大体力が12以上ならダメージを受けろ」とか、そんな感じのカードを他人に渡して、反応を見て絞りこんでいく。
移動はダイスでおこなう。D4+D6という変なダイスを使って、出た目でそのターンのいき先が決まる。つまり好きなところにいけるわけではない。
戦闘は、近くにいる相手を「殴る」といえばすぐに殴れる。相手に変な特殊能力がないかぎりは、反撃も受けない。
全体的に「ジレンマが少ないように」というデザイナーの意図が感じられる。あまり重くない、気軽なゲームにしたかったのだろう。
というかたぶん、そうしなければ売れないと判断したのだと思う。
がんばったなーという印象である。たしかに『超人ロック』風のゲームを、できるだけ簡単な(そして明確な)ルールの中に再現しているのだ。
ただし、簡単にしすぎた感もないではない。
なにしろ、他人を攻撃することの、表面上のリスクが非常に小さい。だからてきとーに殴られる。
わたしは情報もなく殴るべきではないと思っているが、実際は、近くに人がきたら必ず殴られると思っていたほうがいい。なにしろ反撃されないのだから、ほんとにてきとーに殴れてしまう。
「実は味方だったんだー」となったら大変だとは誰でも思うが、ニュートラルの勝利条件をうまく利用すれば味方になりうるというあたりは、このゲームか『超人ロック』に慣れていなければわからない。となれば、たった1人(か2人)の味方以外は全員「殴ってもいい相手」になってしまうのだ。
こうしたプレイは実は間違っているが、しかたのないことでもある。そもそもこんなマニアックなシステムで、気軽なゲームを作ろうとしたところに無理があると思う。ルールブックにミスリードされているのである。
ルール上リスクなく殴れるんだから殴る。それは責められないのである。すごく責めたいけど。
ということで、まあだいたいは、運悪く自分のいる場所に他人がたくさんきてしまった人が、最初に殺される。ちょうどそのころにはだいぶ情報が明らかになってきていて、残りの誰がどちらのサイドなのかも判明している。
一人死んで、そこからゲーム開始なのである。
まあそれが悪いとはいわないが……「汝は人狼なりや?」がもともとだと思えばそれでもいいのだろうが、その「最初に死んだ人」が誰だったかで以後の趨勢が決まってしまうわけで、そうすると、勝つか負けるかは運次第、ということになってしまう。
システム上、バランスはとれていない。というか、きれいにバランスよく作られている必要はないシステムである。だから、ほとんど必ず勝つキャラクターというのもいるし、まず勝てないキャラクターもいる。
そうしたことを理解した上で、プレイヤーが積極的にバランスをとろうとしなければならないのが、超人ロックゲーの難しいところ(おもしろいところでもある)。
プレイヤーたちが全員「運勝負」のリスクを避けるプレイスタイルなら、いいゲームになりえる。
しかしそういう人はごくごく少数派だ。
まあ楽しくないわけではない。「運勝負」を受け入れてしまえば、まあやっているときは楽しいと思う。でも他人のプレイを見ていて「そのリスクは避けられた」と感じ、そこにストレスを感じてしまうと、これはかなりキツイ。
攻撃にリスクがないぶん、ロックよりもずっと、そういうところが強調されてしまっているのだ。
とはいえ、単純な完成度ということでいえば、小さいゲームにしたぶん、シャドウハンターズのほうが上だろう。
ロックは、プレイヤー全員がゲームをゲームとして成立させるための努力をしなければゲームにならないほど完成度の低いゲームだった。それに比べればまあなんとかなっている。
そもそも、そんな完成度のゲームがいままで続くファンを獲得しているのだから『超人ロック』というゲームにはなにかがあったのだろうとは思う。
それが、シャドウハンターズにも引き継ぐことができているのかどうかは、もっとやってみなければわからない。
心配なところはある。とりあえず、キャラクターの種類がまったく足りない。すぐにエキスパンションでも出してほしいところだ。この3倍くらいいてもいいと思う。
「最後まで生きていたら勝ち」なんてキャラクターがいるのだが、こいつは他のプレイヤーがなにをしていても関係ないわけで、ゲーム上必要ないキャラクターだと思う。『超人ロック』でいえばジェシカとか。こういうキャラクターは、何度もプレイするうちに「抜いちゃおうか」ということになりかねない。だから、完璧なバランスで作られているのでなければ、キャラクターは余分にいるくらいでもいいと思う。
システムでがちがちに固めることはあえて避けた「開いた」デザイン。ちょっとした改変も容易なため、ローカルルールが生まれやすそうだ。
そのへんも『超人ロック』と同じ。これはあまりいいことではないだろうが、ゲームのおもしろさを決定づける要素というのは、こういう完成度とかそういったものとはまったく別のところにある。
つまり、何度もプレイさせるなにかを、持っているかどうかなのだ。
わたしは、シャドウハンターズは少し厳しいかなと考えている。でもがんばったって感じ。ぜひこの会社には、どんどんボードゲームを作ってほしいのだ。
……あと、せっかくイラストつきのカードなのに女の子キャラクターが足りないよね。