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遊星ゲームズ
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1970/01/01 09:00

学園戦記ムリョウ
 読書

学園戦記ムリョウ
 

2002.7.4 てらしま

 最近(といっても2月ほど前だが)ビデオの最終巻が出て、レンタルでまとめて見た。私的には、近年のアニメでは『NOIR』に並ぶくらいのお気に入りである。いや、話がSFだからそれ以上かも。
 学園で戦記というくらいだから当然、主人公は学校に通う中学生で、そこに宇宙人が攻めてくる。
 考えてみれば「学園戦記」という一つの言葉からここまでのことがわかってしまうというのも面白いが、日本人ならばたぶんみんなそう思う。これまでの小説やアニメ、コミックなどの、長い歴史からそういう連想が生まれるのだろう。ただ、それをストレートにやった『絶対無敵ライジンオー』などとは少し、描き出されるものの焦点の位置が違う。NHKらしく、もっと『中学生日記』とかに近いかな。
 宇宙人はただ謎の存在ではなく、ちゃんとそれなりの事情を持って地球にやってくるし、その背後に宇宙の歴史がある。宇宙人と戦うウルトラマン役の存在は「シングウ」という巨人で、その力を使って大昔から地球を守ってる人たちが主人公の住む町にはいる。子供たち、村の大人たち、銀河連邦の宇宙人たちと、それぞれが自分の立場で事件に関わっていくのが描かれていくわけである。
 監督の佐藤竜雄というのは『赤ずきんチャチャ』(演出)、『飛べ! イサミ』、『機動戦艦ナデシコ』と注目作を次々と撮ってきた人。そんな彼が、もう撮りたいものを撮ったという感じが出ている。しかもいま調べたら、『ねこぢる草』もこの人だ。最近面白かったアニメを上位から並べていくと、半分くらいがこの人の監督作品で埋まってしまうに違いない。
 とにかくいろんな人が出てきて誰も悪人がいないというのが監督の特徴だが、今回はその中でも人の数が多く、ただの中学生から銀河連邦のえらい人まで、さまざまの立場が描かれる。
 中学生と異形の宇宙人、なんていうと条件反射のように『新世紀エヴァンゲリオン』を持ち出してしまう人たちというのはいまだにいる。だが少なくとも、『ムリョウ』を見てそれをいってしまう人はアニメを見ていないと思う。
 たしかに、両者ともに描かれるテーマは「宇宙時代の人類の進化」である。要するに『2001年宇宙の旅』だ。スターチャイルドである。
『エヴァ』は常に、一撃ですべてを解決してしまう華麗な結末を目指していた。A・C・クラークが代表する(のだと思うのだが)、奇跡を信じる神秘主義っぽいSFの流れの上に乗った作品だったのだ。まあ「福音」なんだし、そうやってキリスト教思想がテーマに関わっているのは悪いことではない。
 対して、『ムリョウ』は、もっと地に足のついた地道な方法で、人類の進化を描く。どれくらい地道かというと、体育祭の応援合戦から始まってしまうくらい。実際、70年後の未来とはいえ中学生にとっては、宇宙人の襲撃も学校行事も同じくらい重要だろうし。
 しかし、一方ではほとんど神様といっていいウルトラマン的巨人が戦っているというのに、そうしたことのすべてが連続して見えるというのはさすが『飛べ! イサミ』の佐藤竜雄。無宗教の日本人だからかどうかわからないが、いきなり神秘を持ち出されるよりもずっとカタルシスが深かったのはたしかだ。


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1970/01/01 09:00

マリア様がみてる パラソルをさして
 読書

マリア様がみてる パラソルをさして
今野緒雪 コバルト文庫

2002.7.21 てらしま

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 キャラクターものなのだから登場人物が好きで読んでいるということになる。他の部分が好きだということになると例えば同性愛ものが好きだとか学園モノがとかそういうことになってしまうわけで、それは少し違う。
 登場人物の中で誰が好きかといえば、私の場合は明確に主人公だ。
 成績は平均点、容姿も抜群というわけではない。ともすればクラスの中に埋もれていそうな普通の生徒である。性格は明るく脳天気。自分がなにも特別なものを持っていないと自覚していて、ときにはそのせいでコンプレックスを抱いたりもするが、しかし実のところ、真に誰もに好かれているのは彼女なのだ。なにも特別ではないが、当たり前のことを当たり前にできる。これほど優秀なキャラクターは他にいないと思う。
 普段は一般市民として生活しているが実は悪の秘密結社と戦うスーパーヒーロー、という構図と同じだろう。読者だけがすべてを知っている。少し違うのは彼女自身が自分のスーパーパワーに気づいていないところだが、けっきょく、少女小説でも少年漫画でも、我々読者を惹きこむ要素に違いはないということか。
 シリーズの読者の中に、この主人公を信用していない人はいないんじゃないかと思う。いやそれどころか、この小説の世界に悪意を持った人間がいると思っている人さえいないだろう。登場するキャラクターは全員がいい人。ただときどき、誤解やすれ違いがあるだけだ。
 悪意のない、性善説の世界である。だが、だから理想郷かといえばそれが微妙にそうでもないのがいいところ。
 今回はこれまでのシリーズとは違い、勢いにまかせてえいやっと書かれたような印象がある。とりとめもなく次々といろいろなことが起こり、初登場の人が何人も現れる。この人たちに関しては少し消化不良かもしれないが、その分主人公の悩みとそれを乗り越える様子が強調されて描かれる。
 結果、浮かび上がってくるのは主人公が持つ魅力だ。どこをとっても普通の平均的少女だが、だからこそ誰も彼女のことを嫌う人はいない。なにしろ読者もそう思っているわけで、これは非常に説得力のあるスーパーパワーだ。放射能グモに噛まれる必要も、身体中の骨格を超合金と入れ替えられる必要も彼女にはない。
 だから、極めてふつーのことをしている場面が楽しくて仕方ない。恩を受けたお礼にクッキーを持っていったら、「おもたせだけど」一緒に食べましょうということになったとか、制服にツユが飛ぶのを気にしながらラーメンを食べたとか、そういう場面が強く印象に残る。
 もしこのシリーズを読んでなんとも思わない人がいたとしたら、その人はきっと、この主人公と同じ能力を備えているんじゃないかと思った。たぶん、本当に幸せなのはそういう人なのだろうけど。


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1970/01/01 09:00

少林サッカー
 読書

少林サッカー
 

2002.8.6 てらしま

 いろいろと無茶だが、かっこいい。かっこいいからそれでいいのである。
 特に私がいいと思うのは、どこからどー見てもダメ人間で、とても強そうには見えない連中が、目覚めてみたらそりゃもうかっこよく活躍するようになってしまうあたりだ。前半は「もういい」といいたくなるくらい彼らのダメさかげんが描かれ続けるわけだが、それが後半になると、どうやったらあれがこうなったのかと思うほど見違えてしまう。
 定型文のような手法ではあるが、てらいもなくそれを使いこなしている。素直にうまいと思った。
 見所はといえばむろんのこと、最終決戦である。少林サッカーチームは破竹の快進撃を続けていて(見る前からわかっている展開だ、ネタバレにはならなかろう)、圧倒的に強い。
 もはや敵はいないだろうと思った、そこに!
 現れるのである。しっかりと。見るからに恐ろしい、強っそーな敵が。
 ストーリーなんか始めから全部わかっている。『少林サッカー』というタイトルから、もはやすべてが約束されているといってもいい。それなのにわざわざ映画館に足を運んで、見たいのはかっこいいシーンだ。
 期待通りの展開に、期待通りのハデな演出。それが、しかし、燃えられたかどうかどうか。問題はそこだろう。
 はたして、この映画は文句なくかっこよかった。
 ルール違反? あんなのサッカーじゃない? まさしくごもっとも。でもいいのだ。かっこいいから。
 ストーリーは完全に予想どおりである。だが予想どおりだからこそいい。だれが『スターウォーズ』や『レイダース』に斬新な展開を求めるだろう。観客の求めるとおりのものを素直に提示して、しかもそれを楽しませる。けっきょくエンターテインメントというのはそういうものではないか。それが一番難しいわけでもあるが。
 こんな映画、久しく見ていなかった気がする。サビのシーンに派手なCGをつかわなきゃならなかったり、女性と黒人を登場させなきゃならないとか、ハリウッドの映画は近ごろ、制約が多くて大変だ。期待できるのはアジアという気持ちもよくわかる。そこに日本映画が喰いこんでこないのはどうも残念だが。
 いいのだ楽しければ。映画館でスクリーンを見つめている時間、燃えることができればそれでいい。重厚なテーマなんか余計だし、平和や愛を叫ばれても困るだけ。斬新な映像効果は疲れるだけだ。
『スターウォーズ エピソード2』を見てしまった今では、真剣にそう思う。
 まじめな話、私は『エピソード2』を見るべきではなかった。おもしろいはずがないじゃないか。たぶんルーカスはおもしろい映画を撮ろうとしていないのだから。そんな映画に金を払うのは、罪だと思う。
 客には客の義務がある。それは映画を楽しもうとすること、すなわちおもしろい映画を求めることだ。私は『エピソード2』を見ることで、この義務を放棄してしまった。
 罪を償う方法は『少林サッカー』のような映画をふたたび捜し出し、見ることだ。きっとそうするしかないのだが、これはあまり簡単なことでもない。


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1970/01/01 09:00

Jの神話
 読書

Jの神話
乾くるみ 講談社ノベルス

2002.8.13 てらしま

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 面白かった。
 が、あまり声高に他人に勧めるのもどうかなあという迷いもまたあってですね、少し困っている。
 全寮制の女子高校である純和福音女学院。そこで起こった不可解な生徒の死。依頼を受け、調査を始める女探偵『黒猫』。
 こう書いてしまうとなんともふつーのミステリー小説だ。だがこの作者、乾くるみの小説をあらすじだけから判断してはいけない。
 乾くるみの面白さはいつも物語後半、もしくは終盤にある。斬新な、あまりに斬新なために読者が「さすがにそれは」と思い、無意識のうちに予想から外していた部分に物語が突進し始め、それまでのスローテンポが嘘のように加速していく、そこが面白いのである。
「さすがにそれは」に続くのは「ありえない」より「どうかと思う」なんだが。
 ネタばれにならない当たり障りのないところからいって、キャラクターの造形やシーンの展開など、基本的な部分がよくできている。だからこそ、後半になって繰り返されるどんでん返し(?)の連続に魅力があるのだし、先が気になるより心配で仕方がないので一気に読んでしまう。
 登場人物に魅力があるから、彼女らのことが心配になるのだ。非道な作者が、いったい彼女たちにどんな恐ろしい仕打ちをしかけることか。
 そしてまあ、そんな読者の期待?を裏切らない、非人道的というか、こういってよければ「センス・オブ・ワンダー」のある展開をきっちりと見せてくれる。
 本作は乾くるみの処女作だ。したがって、以後の作品に比べると幾分、細部に欠陥が見えてしまう部分もないではない。どこまでも計算高い(たぶん)物語展開に、若干の無駄が感じられてしまうことがある。
 しかしそれを補ってあまりある、……これはセンス・オブ・ワンダー……なのか?
 ネタ、世界設定や導入に見所のあるハリウッド映画型の作品ではないから、ネタばれを避けようとするとこんな、歯切れの悪い紹介になってしまう。この作者の小説はいつもそう。
 だが実のところ、私にとってはかなりのお気に入りなのだ。これは信じてもらうしかない。
 センス・オブ・ワンダー、もしくはSFの基本は俯瞰すること。この世界全体や人類を内側からではなく、外側から見ようとすることである。乾くるみはSF作家ではないが、これほど「俯瞰すること」を貫ける作家はいないと思う。代償として多作になれないのが残念だが、一つ一つの作品には間違いなく、他にはない面白さがある。
 ミステリーなのにネタに見所があるわけではないから(清涼院流水などとは正反対)、紹介しづらい。読後感も快いとは言い難く、むしろ不快なことが多いので、いわゆる「売れっ子」には決してならないだろう。そういう意味で、作家としては不遇かもしれない。
 しかし私は乾くるみのファンだ。
 乾くるみは面白い。ほんとだぞ。だが誰に勧めればいいんだろうと考えると、いつも悩んでしまう。処女作からすでに、そんな困った作家だったようだ。


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1970/01/01 09:00

塔の断章
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塔の断章
乾くるみ 講談社ノベルス

2002.8.27 てらしま

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 あらすじはもう書いてもしょうがないので書かない。これまでに何度も書いているが、この作家の小説はストーリーを追っても意味がないのだ。
 裏表紙の紹介文にこんな文がある。
『容赦なく裏切られながら、強烈極まりないラストまで一直線。その衝撃音が世界と読者の魂を揺るがす。』
 よくもまあ大袈裟にあおったものだが、最後まで読めば意味がわかる。うんまさにそのとおり、とうなずくしかなくなるはずだ。
 さて、それにしてもあいかわらず他人に勧めづらい。どこがおもしろいのか説明しようとするとネタばれを避けられず、かといって講談社ノベルスの裏表紙にあるようなあらすじを説明したところで、なんの魅力もない。
 しかも悪いことに、この人はミステリー作家ではない。いや、少なくとも小説はミステリーの形態をとっているのだが、おもしろさの中心はミステリーではない。それなのにミステリーの皮を被っている。
 これはたぶん、むしろSFに近いのである。
 つまり、ミステリー好きにはセンス・オブ・ワンダーのなんたるかを説明しなければならず、SF好きには慣れない講談社ノベルスを手にとってもらわなければならないのだ。
 しかも、ネタばれを避けながら。けっきょく、「読まない?」という一言しか残らない気がして、挫折しそうになる。
 本書の正体はミステリーの皮を被って地球に潜入した宇宙人である。その目的はいったいなにか……。
 地球の征服にしろなんにしろ、そこにあるのは悪意だろう。それも読者に向けられた、強い悪意である。
 読み終わったとき。乾くるみを好きだという奴はマゾなんじゃないかと考えてしまった。騙され、裏切られ、自分の世界観を激しく揺さぶられると、逆にそれが快感になってしまう。
 だが人間は誰しもマゾヒストの要素を持ち合わせているに違いないし、それは『塔の断章』を読めばきっとわかる。
 あまりに見事に騙されてしまったために、一瞬ぽかんと我を忘れ、やがて怒りよりも先に笑いがこみあげてくる。
 その騙し方はあまりにすさまじく、まずはこちらが信じていた小説世界への幻想が、次には我々の世界観そのものをうち砕いてしまう。
 そのやり方がまた、周到で抜け目ないのでたちが悪い。
 この乾くるみワールドの、『塔の断章』は一つの完成形である。
 他の作品に比べてスケールも小さく、内容もかなりまともだ。だがその分完成度は高い。ギミックの中に読者自身を組みこんでしまうのがこの作家特有の部分だが、それも見事に計算され、活かされている。
 ただ……。
 この人はもっとすごいものを書けるはずだ。私はそう思う。
 たとえば遊んでいる子供の人数を数えたらなぜか一人多かったとか、ウェブサーフィンで見ていたページの管理者がすでにこの世になかったとか、そういう感覚を読者に味わわせてくれる、思わず後ろを振り向きたくなるような小説が読みたい。そしてこの人にならそれが可能だ。
 現実の影を見せつけ、異界への扉を開いてしまう、そんな小説こそ、まだ見ぬ乾くるみの最終形ではないだろうか。


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