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遊星ゲームズ
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1970/01/01 09:00

ムジカ・マキーナ
 読書

ムジカ・マキーナ
高野史緒 ハヤカワ文庫JA

2002.9.6 てらしま

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 主な舞台は19世紀のウィーンとロンドン。ヨハン・シュトラウスなどが活躍していた時代らしいが、正直私は歴史に明るくないので、すぐにピンとはこない。まあそういうものなのかと読み進めるしかないわけだが、そんなところに、私にも明らかにウソとわかるものが現れる。作中では「プレジャードーム」と呼ばれているが、現代に生きる読者にはわかる。要するにディスコだ。
 そこにはどうやら、音楽を録音して再生、リミックスする装置が働いていたりもして、このあたりは物語にも深く関わってくる。こんなふうに現代の用語を歴史上の舞台に外挿して見せるのが、この後も続く高野史緒の特徴である。
 主人公である若き指揮者フランツ(フランツ・ウェルザー・メストという人がモデルらしい)は、人間同士の力関係やらなにやらに邪魔されて自分の求める音楽を実現できないことに絶望していた。そこに現れた「プレジャードーム」。ミキサーにスピーカーにアンプに、そういった我々には馴染みの機械群は、彼にとっては魔法の道具だ。イギリスからきた怪しげな人物に連れられ、ロンドンに渡った主人公は「DJ」として一躍「クラブシーン」に注目される存在となっていく。
 熱に浮かされたような文章にストーリー。処女作らしい作品だった。
 なにかにとりつかれていて、その電波にしたがって筆を進めていく。そんな執筆風景が想像されてしまう。ときにはそうすることに抵抗があるのか、あえて物語を崩すかのように唐突な展開を見せたりもする。
 そうして電波とのせめぎ合いを繰り返した結果、熱に浮かされたように物語は終わってしまう。結局この人は憑き物にうち勝てたのかどうか。いやたぶんまだ、悪霊と一緒に暮らしているんだろうな。
 そういう印象を持ってしまうような小説だ。完成度という点では低いといわざるをえないが、だからといって無視してしまうというのも気が引けるような。
 おそらく、この電波に共鳴できる人にとってはもっと傑作に見えるのではないか。だがそのためには、少なくともこの時代の歴史に興味があり、あまりに説明不足な部分の説明が不要といえるほど、作者に近い感性と知識を持っていなければならない。
 私の場合はそういうわけにいかなかった。消化不良、というより納得いかないという感覚ばかりが残ってしまった。そもそも私の胃が、消化すべき対象と判断してくれない。
 後の作品ではだいぶ改善されており、『ヴァスラフ』などはかなり好きな作品だ。最近は世界観の描写にもう少し行数を使って、私のような読者にも入っていけるようになっている。
 だから、そうしてみたときの快感を憶えているだけに、『ムジカ・マキーナ』には欠点があると切り棄ててしまえないのかもしれない。
 作者と一部の人たちにとり憑いた熱に、こちらも浮かされてみたい。物語中に登場する、音楽の快感を増強する麻薬『魔笛』というのが、たぶんそれだ。なんか気持ちよさそうだなー、と指をくわえているうちにいつのまにか終わってしまった、そういう作品だった。


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1970/01/01 09:00

少女海賊ユーリ 時のとまった島
 読書

少女海賊ユーリ 時のとまった島
みおちずる フォア文庫

2002.9.13 てらしま

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 日本には「宮崎駿夫」というジャンルがあると思っている。スチームパンクっぽい科学技術が外挿されたファンタジーで、元気な少年少女が主人公の冒険モノ。なぜかどこか世界観に広がりが感じられず、登場人物たちは典型的で隙がない。物語の方は、いくぶんご都合主義ぎみ。そういうジャンルだ。
 少々穿った見方だが、これはそういうジャンルに属する話である。
 前作で主人公ノエルを乗員に加えた海賊船ユーラスティア号。ある日、遭難した老人を海で助ける。聞けば老人は、何度そうして遭難してもあきらめずに嵐に囲まれた島を目指しているらしい。船長のユーリは老人の話を聞き、その思いを叶えてあげるために島を目指す。
 少し短すぎと思わないでもないが、そこは文字の大きい子供向けの文庫のこと、しかたないといえばしかたない。そもそも、我々のようないい大人が読むためには書かれていない。
 そういうところをさし引けば、前作に続きけっこう楽しめた。次回に続く話もかなり多くあったので、先が楽しみでもある。
 最後にはバーンと神秘の力が顕れて問題を解決してしまうあたり、子供向けのためか非常に素直で、わかりやすい。
 ふだん読んでいるものが、ずいぶんとひねくれた話ばかりだったんだなあ、と今さら気づかされてしまったりもした。
 だけどその神秘の力を使うため、ユーリは命を削らなければならないのだ! といってしまうあたりがこのシリーズの特徴であり、おもしろいところだ。そのせいでただのご都合主義ではない、深みのある話になっている。
 素直な正義と共に苦悩がある。ただ教訓が示されたわけではなく、読者はちょっと考えなければならない。
 文学性がとかいっちまってもいいんだけど、それよりもむしろエンターテインメントとしておもしろかったと思う。
 情報があふれている今の時代、ただ単に勧善懲悪では子供でも納得しないだろう。そういう意味で、素直な話の中に「でも」を含めて見せる、このバランス感覚が秀逸なのだと思う。
 もう少し上の年代向けのものでもこういうものがないかなあ、と思ってしまうのだが、これがなかなかない。ひょっとして、子供向けの本にもっと目を向けた方がいいのかも、とも思う。


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1970/01/01 09:00

クロスファイア
 読書

クロスファイア
宮部みゆき 光文社文庫

2002.9.23 てらしま

 本文

2002.9.23

クロスファイア
宮部みゆき 光文社文庫

 主人公がまるっきりスーパーヒーローなのである。そこにまず驚いた。
 映画化までしたベストセラーが、そんなサブカルチャーの要素を持っていることに、驚いてしまったのである。子持ちの主婦が仮面ライダーに熱を上げるこのご時世、そんなこともあるということなのだろうか。そういわれてみれば、もうとっくにヒーローはサブカルチャーだけのものではなくなっていたような気もする。
 強力なパイロキネシスを持った主人公は、生まれ持ったその力を、悪を罰するために使っているのである。世にはびこる悪党を捜してみつけ、パイロキネシスを使って焼き殺す。
 そんなマンガそのもののキャラクターも、宮部みゆきの描くリアリティの中におかれてしまうと、立体感のある人間に見えてくる。そう決意するに至った過程にはそれなりの過去があるわけで、「大いなる力には大いなる責任がともなう」とばかり、彼女は次々と都会にはびこる悪を殺していくのである。
 つまり動機はスパイダーマンと同じ。コンビニエンスストアで買えるベストセラーでこれを読んでしまうと、戸惑いというかためらいがある。普段から私は、どちらかといえばベストセラーよりもスーパーヒーローの世界になじんでしまっているワケで。
 いったい自分が読んでいるこれは自分が思っているとおりの世界なのだろうか、自分はなにか大きな誤解をしているのではないだろうか、などと余計な心配をしながら読むことになってしまった。
 けっきょく私の理解はさして間違っていた様子もないので安心したわけだけど。
 だがさすがに、現実の世界にあってはスパイダーマンもあんなに脳天気ではいられない。この本の彼女の場合はもう少し、危険なパーソナリティを持つことになったようだ。力を使うことには快感がともなうらしいし。「あたしは装填された銃だ」とかいっちゃうし。
 アメコミヒーローは結末を想定する必要がない。30年でも40年でも、ずっとシリーズを続けてしまえばいい。しかし一冊の(実は上下巻だが)小説ではそうはいかない。話は結末に向かって展開していくことになる。
 宮部みゆきは真に実力を持ったエンターテイナーなのだと思う。一度でもこの人の小説を読んだ人はもうわかっているから、完全に「安心して」この本を読むだろう。信頼するに値する作家なのだということがわかってしまうのだ。
 物語上こちらの予想を裏切ることはあっても、不快なことは起こるまい。大きく倫理から外れた結論にはなるまい。そして最後にはこちらを納得させてくれるだろう。つまりそういう信頼を持って本を読んでいる。これはいってみれば文章以外の部分からの情報を頭に入れて小説を読んでしまっているわけで、読者としてはフェアなやり方ではない気もするのだが、知ってしまっているものはしかたない。
 そして、まあ、その信頼から逆算してしまうと先の展開が読めてしまうということもあるわけで、そのへんはちょっと楽しみが減ってしまったのかなと思わないでもない。でも充分おもしろかった。この登場人物たちと別れなければならないのかと思うと読み終えるのが惜しくなる、そのあたりはさすが宮部みゆきだ。
 実は結末に少し納得がいかない部分もある。スーパーヒーローらしく「正義とはなにか」を問いながら物語は結末に向かっていくわけなのだが、その部分の展開に、少し矛盾を感じた。だがそこは読者自身が考えるべきところだろう。むしろ結末にたどりつく以前の、かなりビジュアルな、映画を見ているかのようなエンターテインメントを楽しんだからそれでいいかと思っている。


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1970/01/01 09:00

アラビアの夜の種族
 読書

アラビアの夜の種族
古川日出男 角川書店

2002.12.10 てらしま

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 日本推理作家協会賞受賞作、らしい。どこが推理小説やねん。いや、推理作家協会の人たちが選べばそれでいいのか。
『The Arabian Nightbreeds』という本があって(少なくともそういう設定になっていて)、これはその英訳版の邦訳である。だから本文中に、括弧書きで古川日出男による注釈が加えられていたりする。この大仕掛けがまず、一つのセールスポイント。
 これを始まりとして、ご多聞に漏れず、多層的なメタフィクションを構成していく。本の中に本が登場し、という具合だ。
 カイロに、ナポレオンの艦隊が迫っている。いまだに中世のさなかにあるイスラム社会にあって、ただ一人近代戦術の恐ろしさを知る主人公アイユーブは、敵を撃退すべく一つの策を実行に移す。それは、読むものを前後不覚にいたるまで没頭させ、その身を破滅に導くという『災厄の書』。そのフランス語訳版を作り、ナポレオンに献上するという計画だった。
 ……「殺人ジョーク」みたいなもんか?
 読み始めてまず思ったのがこれだった、というのはいうまでもない。
 無粋ながら説明すると、これは『空飛ぶモンティパイソン』に出てきたネタの一つ。それを聞いたとたんに笑いがとまらなくなり、そのまま笑い死んでしまうという、恐ろしくもおかしいジョークなのである。『モンティパイソン』の中でも、軍が兵器として用いていた。共通点が多いので、知っていればどうしたって思い浮かべてしまうのである。元ネタなんだ実はといわれたら納得する。
 さて、本書。厚い本なのだが、中身は大部分が『災厄の書』の内容にさかれている。つまり「殺人ジョーク」そのものを書いているわけで、これはかなり挑戦的だ。
 あとがきでさえ英訳版『The Arabian Nightbreeds』に触れ、それを「邦訳」した経緯を書いてしまう。この構成はむろんメタフィクションとしての演出に一役買っているんだが、それと同時に、作者の照れ隠しみたいなものを感じないでもない。
 なにしろ、「読み始めたらとまらない、茫然自失になって没入してしまう」物語だもの。そんなものが本当に書けたら、作家としてはそりゃあ本望だろうし。
 さすがに笑い死ぬとまではいかないが、『災厄の書』の中身というのは確かに、没頭して読まされてしまうだけのおもしろさがあった。初版から以後さまざまな人の手により改竄されてきた、という設定になっていたりして(それをいいわけに)、先の読めない、二転三転する展開をみせる。
 アラビアの砂漠を舞台とした壮大なファンタジー、ということになるだろうか。途中から「ウィザードリィ小説?」と思うような展開があったり、意外にライトノベル風の世界である。
 そういえば、近所の本屋ではこの本のとなりに『風よ、龍にとどいているか』(ベニー松山。ずっと絶版状態だったWIZ小説)が並んでいたなあ、なんてことを思い出した。もちろんこれは単純に、作家名のあいうえお順の問題なのではあるけど。
 もっとも、ただのファンタジー小説だと思ってしまうと、世界観も定かでないところがあるし、話も一貫しないので、完成度に難があるということになってしまう。しかしそこはメタフィクションとして読ませることで、うまくごまかしてしまっている感じだ。その部分では、たんなる剣と魔法と冒険でもない。
 でもだからってミステリーでもない。
 私としては。内容はライトノベルなのにもかかわらず、ミステリーの棚に並んで、どこか高尚な雰囲気を出そうとしているのがちょっと気にかかる。「ミステリーにあらずば小説にあらず」ではないが、そういう風潮が日本のどこかにあるのは確かだ。そのために、この本もミステリーとして売り出されることになってしまった。
 私はむしろ、「日本推理作家協会賞」なんて、この本の価値を低めこそすれ、高めることは全然ないと思うんだけど。
 だから、これはミステリーじゃないです。ライトノベル。ファンタジー。剣と魔法の話。そういって人に勧めるつもりだ。それも、二段組600ページ超という厚さを感じさせない、次へ次へと読まされてしまう良書なのだ。


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1970/01/01 09:00

マリア様がみてる 子羊たちの休暇
 読書

マリア様がみてる 子羊たちの休暇
今野緒雪 集英社コバルト文庫

2002.12.27 てらしま

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既刊の評
マリア様がみてる
マリア様がみてる レイニーブルー
マリア様がみてる パラソルをさして
 
 私がこのシリーズに本格的にはまるようになったのは、4巻目『ロサ・カニーナ』の後半「長き夜の」を読んでからではなかったかと思う。この話、物語中での時期としてはちょうどお正月で、冬休みにお姉さまの家にお泊まりにいった、という、なんというかどうでもいい話なんだが、だらだらと一緒にトランプをやったとか、そんなのがなぜか楽しくて、それから続きが楽しみになっていったのだ。
 今回は2年生の8月。だから今度は夏休みなのである。「長き夜の」に似た感じの、まったりとした話を期待して読んだのだが、はたしてそんな話だった。
 お金持ちのお姉さまの家はもちろん、避暑地に別荘を持っていて、今回はそこに遊びにいこうと誘われるわけだ。
 前2巻はシリーズ中最大の山場の一つだった。ずっと抱えていたコンプレックスのためにお姉さまと喧嘩をしてしまい、主人公は自分でそれを克服していかなければならなかった。
 そんな話の後で、今回はちょっとした小休止というところか。
 主人公は自分のコンプレックスをひとまず克服してしまったので、大きな問題も起こりようがない。
「今はストレートに気持ちを伝える方が気持ちいいってわかったから、ため込むのは身体に毒だってわかったから、祐巳はそうすることにしたのだった。」なんて一文があって、私としては少し驚いた。だってそれをいっちゃあお終いというか。それができないからいままでのドラマが起こっていたのだし、主人公がここまでの悟りをひらいてしまったら、それはもうこのシリーズの結論なんじゃ……。
 これから先、いったいなんの話をやるんだろう? と、いらぬ心配を持ってしまう。
 だが、まあ当面、夏休みは遊んでいればいいわけである。ごく普通の一般庶民が大金持ちの別荘に遊びにいったのだ、ちょっとした問題も起こらないではないが、いまの主人公に敵はいない。
 ちょっといやな視点だが、そうした主人公のスーパーマンぶりを確認するのが、今回の趣旨なのだと思った。つまりコンプレックスを克服し、人間的に成長した主人公ならば、少々の困難は自分で克服できる、というそのことを確認したのだ。ついでにいえば、これはこのシリーズの世界観そのものでもあると思う。


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