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遊星ゲームズ
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1970/01/01 09:00

グリーン・マーズ
 読書

グリーン・マーズ
キム・スタンリー・ロビンスン 大島豊訳 創元文庫SF

2003.1.22 てらしま

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 レッド、グリーン、ブルーと続く3部作の第2部である。つまりスター・ウォーズなら『帝国の逆襲』、指輪物語なら『二つの塔』。
 このページを運営している以上、紹介しなければならない作品というものがあるわけだが、これはその一つである。ずいぶん前に読んだのになんか書きそびれていた。私はこの作家のファンで、この作品はその中でもたぶんもっとも大きな評価を受けた作品なのだから、書評を書くページを作ってしまっている以上、紹介するのは私の責任なのだ。
 第1部で登場した世界観とキャラクターたちを題材にしながら、さらに新たなテーマを提示し、第3部の大団円につなげるのが第2部の役割だろう。その意味で、第2部らしい作品であった。
 成功した第2部の典型が、始めに書いた『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』だと思う。あれの場合、第1部は普通の英雄物語で、ルークは単純に悪と信じるものを倒せばそれでよかった。だが第2部になると、ことは簡単でなくなる。ルークには英雄としての責任がのしかかり、自分自身の残酷な運命を知ることにもなる。
 もっともスターウォーズの場合、第3部でそれをすっかり忘れてしまうのだが……。
 さて、『レッド・マーズ』は火星のテラフォーミングを描く物語だった。かなり乱暴にはしょっていえば、そういうことになる。100人の科学者を乗せた宇宙船が火星に降り立ち、荒涼とした赤い大地を緑に染めるため様々に奮闘する。上下2巻のほぼ全体がそれについての記述に費やされていたのだ。
 もっとも、その最後に大きな歴史の動きがあり、科学のユートピア(つまり単純化されたモデルの世界)は過去のものとなった。『グリーン・マーズ』は、その後の話ということになる。
 余談といえば余談だが、この作者の作品に共通するテーマとは「ユートピアとその終焉」だと思う。もっともロビンスンらしい小説は『荒れた岸辺』だと思っているのだが、これは簡単にいえばSF版トム・ソーヤで、少年時代の純粋さやらなんやらがテーマの中心にあり、つまりこれもユートピア小説なのである。
 ロビンスンは以後『ゴールドコースト』でも『永遠なる天空の調』でも同じテーマを繰り返してきた。そしてとうとう、少しの妥協もない、最高傑作の一つにするべく(たぶん)書かれた大長編が、この火星3部作なのだ。
『荒れた岸辺』に近いモチーフは、本作にも登場している。冒頭の、火星生まれの少年ニルガルの物語だ。初恋やら大人への憧れやらが描かれる中で成長し、その中で、生まれ育ったドライアイスの中の世界ザイゴートの崩壊を見る。そして大人になったニルガルは、前作の主人公であった「最初の百人」の一員となったのだ。
 冒頭のこの1章はつまり、前作『レッド・マーズ』を模倣し、繰り返す内容であり、また本作のストーリーを予告するものでもある。イノセントなドライアイスの下の世界は、火星の温暖化によって崩壊する。それを「空が落ちてきた」と表現するあたりは実にロビンスンらしい。
 火星の温暖化はそもそも人間が望んで引き起こしたことだ。火星にやってきた人間たちはみな、そのために尽力してきた。しかし、それが功を奏したはずの結果が、楽園を壊してしまう。
 この3部作のテーマそのものであるといっていい。途中、非常に退屈な描写が繰り返される部分が長く続くが、それも、大きな歴史の流れとその中の人間一人一人とを両面から描くために必要なことなのである。
 一人一人がそれぞれによかれと思って行動し、それが積み重なって歴史が動き、それがまた個人を翻弄する。それはようするにこの現実の姿と同じなのであり、火星の開発というSF的な主題の中でこれをやってみせることが、本作のもっとも特徴的な部分だ。
 SFとはつまりモデルであり、シミュレーションである。そのことを、これほど強く感じさせる小説はない。もっともSFらしいSFの一つといえると思う。
 モデルであるということは、どこかで問題を単純化し、なにかに目をつぶっているということでもある。これは、およそすべての物語がやっていることのはずだが、SFが嫌いな人はなかなか認めようとしてくれない。
 本作の場合、もっとも大きな単純化は「まず人類が火星を目指した」というその部分だ。『レッド・マーズ』の冒頭、すでに最初の百人は宇宙船で旅をしている。以後も、「火星をテラフォーミングする」という目的自体に疑問を投げかけられることはあまりない。
 ここがつまりSFであり、SFになってしまっている部分ともいえる。始めからSFファンの人は読むと思うが、そうでない人が読んでくれるかといえばわからないのが、残念でならない。
 人類が宇宙へいくことを信じていない人や、そうすべきでないと思っている人には、この厚さはちょっと読めないだろう。特に、とてつもなく退屈な描写の多いこのシリーズである。
 さて、ところで、スターウォーズではエピソード4が一番好きだ。しかし世間ではわりとエピソード5『帝国の逆襲』がいいという人が多い。事実私の場合も、好きなのはエピソード4だが、もっとも印象に残っている場面やセリフは『帝国の逆襲』のものだ。
 火星3部作においても、私はやはり『グリーン』より『レッド』が好きである。3部作の第2部というのは新たなテーマが提示され混沌としてくる上、第3部に繋がるために話が完結しないところがちょっと私の好みに合わないのだろう。
 しかしそれだからこそ印象に残るのが第2部なのだろうと思う。たぶん『グリーン・マーズ』もそうなる。まあ『ブルー・マーズ』まで読んでみないことにはわからないのだが。早く出ないかなあ。


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1970/01/01 09:00

Kishin-姫神- 耶馬台王朝秘史Ⅲ
 読書

Kishin-姫神- 耶馬台王朝秘史Ⅲ
定金伸治 集英社スーパーダッシュ文庫

2003.1.29 てらしま

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既刊の評
Kishin-姫神- 耶馬台王国秘史Ⅰ・Ⅱ
 けっこう好きではあるんだけどねえ。今回はちょっと期待はずれだった。
 このシリーズの好きなところは、古事記の神話の世界と作品の中の歴史の世界が連続して繋がってしまっているところだ。
 卑弥呼(天照)が死んで、神話の世界から人間の世界へ時代は移りつつあることになっている。それを、偶然とも奇跡ともとれる出来事という形で表現している。
 現実に史料として残っている人と古事記の登場人物たちが共存していて、この世界観の中では彼らも奇跡と必然のはざまに生きているわけで、変革していく時代の雰囲気というものが感じられる、こういうのはけっこう好きなのだ。リアリティはともかく。
 つまり簡単にいえば、『帝都物語』とか、最近では『アレクサンダー戦記』(私はアニメ版しか知らないのでこの表記)とか、荒俣宏らがやっていたことをやりたいんだろう。
 ただ違うのは、主人公が女の子であること。
 ヤングアダルトの文庫、文法でこれをやってくれているところを評価している。荒俣弘の世界に「萌え」を導入する、というのはなかなかできる人がいないことでもあるし、面白いと思うのだ。
 少なくとも試みとしては興味深いと思う。
 前の2巻ではひとまず話がひとくぎりついたような形になっていたから、今回はまた新しい話が始まることになる。そのせいか、いろいろと話が出るのだが、ほとんど完結しないまま終わってしまった。一巻の本として見ても盛り上がらない。
 まあしかし、全5巻になるらしいから、3巻目くらいはちょうど谷間にあたる部分になるんだろうか。次巻に期待というところだ。
 この作者、定金伸治が歴史オタクであることは、ここまで読めば充分にわかった。次巻以降の問題はその先、すぐれたストーリーテラーであるかどうかというところに求められている。
 さらにいえば、この人がどこまで「萌え」を表現できるかどうかで、この作品が異彩を放つ傑作になれるかどうかが決まるんじゃないだろうか。今回でいえば、もう少し13歳の少女である主人公の心の揺らぎを細かく描いて欲しかった。
 とそんなことを考えているのは、私だけなのかもしれない。歴史モノなのだったらそんなの必要ないのかもしれないのだが……。でももしそうなら、「荒俣弘を読んだ方がいい」となってしまうんじゃないか。それはちょっと残念なのだ。


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1970/01/01 09:00

ワールドタンクバトルズ
 読書

ワールドタンクバトルズ
 

2003.2.9 てらしま

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 不景気である。それは間違いないのだろう。しかし、それはともかくとしてだ。
 深夜のコンビニエンスストアで海洋堂の戦車模型を買うことができる、日本という国はユートピアなんじゃなかろうかとも思う。
 この『ワールドタンクバトルズ』は、その戦車つき食玩「WORLD TANK MUSEUM」をコマとして使うボードゲームだ。
 戦車でゲームというと、どうしても昔の、クソ細かいチットをたくさん使うウォーシミュレーションを想像してしまうが、これはああいうものとは全然違うので驚いた。
 まあ考えてみれば、戦車一台単位の戦闘となればスケールが少し違うので、それもあたりまえなのかもしれない。それにやはり、簡単でとっつきやすいというのは評価できる。
 プレイしている感覚としては、むしろ『スーパーロボット大戦』に近い。
 毎ターンの最初にドローフェイズがあり、手札を使ってプレイする。「前進」カードで移動、「射撃」カードで攻撃、という感じだ。移動してから攻撃できるカードとか、もう1ターン余分に行動できるカードとか、中には強力なものもある。もちろんそういうのは「精神コマンド」と呼んでいるわけだが。
 移動カードがなくて立ち往生してしまったり、敵が目の前にいるのに攻撃できなかったりと、なかなか思いどおりにいかないあたりが実際の戦車っぽいのかな。
 ゲーム自体は、これがけっこう面白い。和製ボードゲームとしてはかなり高いレベルにあるといっていいと思う。
 少なくとも、私がこれまでにプレイした日本製ボードゲームでは最高なのである。
 もっとも、日本製のものをたくさんプレイしたとはいいがたい。ほとんどドイツ製ボードゲームだけをチェックしていたからだ。他の国のゲームとは確実にレベルが違うので、それでこと足りてしまっていたというのが実際のところ。
 このゲームにしても、前からいくらか買ってはいた「WORLD TANK MUSEAM」でゲームができると聞いたから興味をもったものの、ゲームとしては少しも期待してはいなかった。でもやってみたら面白いじゃないか。
 ルールはすごく簡単だ。
 移動するときは戦車の移動力分のヘックスを進める。攻撃は、2D6で相手との距離(ヘックス)以上の数値を出したら命中。その後「撃破判定」。ここでは基本的に9以上を出したら撃破。一撃で撃破である。
 基本はこれだけ。こんなに簡単でいいの?と思うくらい簡単だが、前述した手札のシステムがあるから、これでなんとかなっているのだ。
 強いカードを使えば、小粒な戦車がタイガーⅠを撃破してしまったりするし、いろいろと意外なことも起こるので楽しい。
 1ゲーム1時間弱で終わってしまうのが物足りないと感じるかどうかは人によるだろうが、私は気軽でいいと思う。カードを引くしダイスも使うから運の要素はかなり大きいが、でもすぐに終わるから「さあもう一戦」と言える。そこもいい。


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1970/01/01 09:00

Ⅸノウェム
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Ⅸノウェム
古橋秀之 電撃文庫

2003.2.11 てらしま

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 内容がさっぱりわからない、というより誤解してしまうタイトルと表紙絵はこの本の最大の問題点だと思うので、まずあとがきを読んだ方がいい。
 これは武侠小説なのである。
 中国風の世界観と固有名詞で、CGばりばりの(まあ映画の場合)剣術アクションをやる、アレだ。しかも書いているのは古橋秀之。これはもうほとんどアクションだけの、楽しい話になっている。
 アクションだけと書いたが、それ以外の部分でもこの人はうまい。戦っていない場面というのは要するに戦っている場面を盛り上げるために存在するワケで、そこでごちゃごちゃと余計なことをしても仕方ないのだ。多少のロマンスでもあればそれで充分。
 これが武侠小説の思想といったらファンに怒られるかもしれないが、少なくとも読んでいて疲れないし、エンターテイメントとしてよくできているとはそういうことだと思う。
 あとがきにも紹介されている金庸は読んでいないのだが、最近の流行のおかげで、それ系の映画はいくつか見た。そういうものと比べてみると、この小説が実に素直に武侠小説・映画の世界をまねてしまっていることがわかる。
 登場人物が全員戦えるというところはその一つ。そこらの英雄物語ならば「囚われの姫君」役の少女でも、「常人でこの娘を負かせる者は、そうはいないだろう」という使い手なのである。
 まあ、序盤に登場人物を順番に紹介して、その間はストーリーに進展がなく少し退屈、というあたりも、私が見た武侠映画に共通する特徴で、本書ではそんなところまでも倣っている。
 古橋秀之っぽい部分というのは、エンターテイメントに徹しているところだ。定型的なストーリー展開をソツなく描き、素直に「うまい」と思わせる。
 ボーイミーツガール。「パインサラダの話をしたら戦死する」みたいな法則にのっとった展開。そして、強い力の源となるのは愛、という考え方。
 あとは近ごろ流行の「家族愛」があれば完璧というところだが、まだ第一巻の本書では、それは出てこない。もっとも、主人公の行方不明の母親の存在はほのめかされているし、次巻以降ではそんな話になるのだろうと私は踏んでいる。ルーク・スカイウォーカーの父親だって、第2部で判明したのだ。
 前作『サムライ・レンズマン』と似たようなもの? そうかもしれないが、いいじゃん。あれも面白かったし。
 そういう展開のうまさに加え、キャラクターもいい。こちらも素直で、やはりソツがない。
 たぶんこの人は、エンターテイメントを記述する方程式を持っているのだと思う。なにもかも自然で、苦労のあとが感じられないのがその根拠。
 もちろん背後ではいろいろと考えているのかもしれないし、それを隠すのも娯楽作家の腕かも。だけど古橋秀之に関しては、今のところ、それを判断できるだけの資料がない。
 もしもこのまま「作家の影」を小説中から隠し続けられるなら、それが娯楽作家にとっては一番だろうと思う。
 この巻ではまだ判明していない謎ばかりだし、続刊に期待だ。


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1970/01/01 09:00

サッカー ファンタジスタの科学
 読書

サッカー ファンタジスタの科学
浅井武監修 光文社新書

2003.2.28 てらしま

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 サッカー狂の研究者たちが書いた、サッカーの科学の本。わりと面白い。
 とはいってもまあ、面白いのは始めの2章だけで、残りの後半は読む必要がない。これを読むくらいならコンビニで日刊スポーツを買ってきた方が有効な時間の使い方だ。
 その面白かった部分。まず第一章は、基本的な力学からサッカー選手の身体の使い方を説明する。「キック力とはなにか?」など、たしかに興味深い部分を、力学としての観点からモデル化し、実際に測定してみたりもした研究成果を紹介している。
 キック力を決めるのは筋肉なのか、技術なのか。わりと気になるところでしょう? むろん、たぶん両方が必要なのだとは容易に想像できる。では具体的にはどの部分の筋肉が必要なのか、どんな技術が必要なのか。これはテレビを見ていても、実際にボールを蹴ってみても素人にはわからない。
 この本の筆者はそういうところの研究者である。この本では、かなりわかりやすく研究成果を解説してくれている。
 理系のサッカー狂にはおすすめだ。まあ、本当に理系の人間には少しわかりやすすぎてまわりくどい部分もあるだろうが(『トルク』、『角運動量』という言葉が出てくるのに『積分』という言葉は出てこない)、そこは一般向けの本としてはしかたがない。
 書いている人たちがまずサッカー狂なのだ。それが行間に滲み出ている。まず冒頭がこれだ。
 
「サッカーが人生だって?」「とんでもない! それよりも大切だ!」英国の有名なジョークの一節である。このジョーク、けっして古き良き時代の昔話ではない。十年一日のごとく、今この瞬間にも地球上のあらゆる地域でこのような人達が増え続けているのである。それは、アジア初のW杯共同開催前、後でも変わらないはずだ。
 
 2002ワールドカップの直前に書かれた本なので、話題が古いのには目をつぶろう。とにかく始めの2章に関しては、書いている連中が一番楽しそうだと思った。
 ただ、これを逆にいうと、理系でもサッカー狂でもない人間には薦めてもしかたない本ということでもある。だったら微分も積分も前提知識として説明してくれりゃその方がわかりやすい気もするのだが、さすがに一般向けの新書としてはそういうわけにもいかないんだろう。
 全体としては、もう少し踏み込んで細かいところまで知りたかった。概略にもならない紹介程度のところでそれぞれの話が打ち切られてしまうので、まるでそういう研究を紹介するパンフレットくらいのノリになってしまっている。特に後半は、スポーツ新聞を読んでいれば素人にも書けるくらいの内容しかない。
 私は買ってしまったが、自分が理系でサッカー狂だと思う人なら、1章と2章を立ち読みすれば充分。特に2章、ストイコビッチのインサイドキックを解析するくだりはエキサイティングだった。


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