世界の七不思議クローン、とデザイナーがtwitterでいっていたので、そう呼んでいいんだろうか。
じつのところプレイはそんなに似てないのだけど、まあシステムはだいぶ流用されている。
戦乱の島で、100年間に渡って戦うというお話。
4ラウンドで100年なので、1ラウンドは25年ということになる。この時間の流れが、ひとつの大きなテーマになっている。
大きなゲームシステムは、トレーディングカードゲームでいうところのドラフト。5枚のカードを受け取り、中から1枚を選ぶ。残りの4枚をとなりのプレイヤーに回す。次は、回ってきた4枚から1枚を選ぶ。それをくりかえして、最終的に5枚を選ぶ。
次に、そうして選んだカードを場に出すフェイズ。自分の前に4枚(途中から5枚)までを出す。
その次に戦争フェイズがあって、場に出したカードの戦力を両隣と比べる。
そしてその次が、このゲームの特徴である経年フェイズ。25年が経過し、場に出したユニットたちが歳をとる。カードの上に「経年カウンター」を乗せることでこれを表現する。
ユニットは2ラウンド経過すると老衰で死ぬ。そういうわけで、場のカードはどんどん入れ替わっていく。
はじめから経年カウンターが乗っている老兵とか、経年カウンターが乗ると成長する戦士とか、寿命を延ばす医者とかもいる。
この経年が実現するのは、いわゆる拡大再生産しないゲームだ。
拡大しない、かといってラウンドごとに一新するわけでもない、そのあたりを狙うための仕組みのひとつだといえるだろう。
ゲームプレイには意味がなければならない。意味を持たせるためには、いまの選択が次以降のラウンドに影響しなければならない。そこで、ゲームでよく使われるのは「拡大再生産」だ。いま建物を建てれば、次のラウンド以降その建物の効果を使って優位に立てる。この選択が次のラウンド以降にも影響を及ぼす、拡大再生産はそのためにある。
しかし、拡大再生産はじゃじゃ馬だ。差がつきはじめたらそれがどんどん開いていくという欠点がある。
いわゆる正のフィードバックループと呼ばれるものになるわけだけど。
これを抑制するために、逆の「負のフィードバックループ」を入れて調整する、ということを、ゲームデザイナーはしばしばやる。
例えばカタンなら交渉と盗賊。ドミニオンなら、なんの効果もない勝利点カードがデッキに入り動きが鈍くなっていくこと。他にもいろいろある。
ヴォーパルスの場合。強制的にユニットが老衰で死んでいくという強いシステムを使った。
このゲーム、そういうところには気をつかって作られている。
経年以外にも、たとえば、ユニットは5枚までしか出せないとか。その中でも、戦争に参加できるのは「前衛」の3枚だけだとか。
そういう細かいルールの追加で、とにかくフィードバックループを収束させるように丁寧に気を配って、欠点をつぶしていったデザイン。
そのため、非常に安定した印象のゲームだ。
余談だけど。
これ、世界の七不思議の場合はどうしているかというと、世代ごとに使えるカードを変えている。
2世代目のカードは1世代目の2倍程度強い。3世代目は3倍(もしも4世代目があったら、5倍くらいだろう)。そうすることで、これも強制的に「バランス」がとられている。
正のフィードバックループはあるのだけど、それとほぼ同じ速度で、場全体のカードの強さが上がっていく。これも一種の、負のフィードバックループである。
ただあれは、セットアップが面倒だ。
あと、カードが世代分、3分割されてしまうので、とれる作戦の数も3分の1になる。そのへんが弱点ではあったというわけで。
そもそも拡大しないというヴォーパルスの選択は、ひとつの解答だ。
まあこの方法にも欠点はあって、なにしろ拡大しないのでゲームが地味という面がある。4ラウンド目が消化試合になる展開があったりはするのだけど。
というような、非常に丁寧に調整されたゲーム。
「バランス」へのこだわりは過剰なほどで、用意された多くの戦略のすべてに、おそらくチャンスがある(効果が発散しないからそれが可能になっている)。
似た印象のデザイナーだと、フヴァティルとかかなあ。ルールは非常に多いのだけど、親切に手順が紹介されるためそう感じさせない。加えて、効果よりシステムが強いためゲームが発散しない、というような作りだ。
若干残念なのはコンポーネントか。勝利点トラック用のボードが白黒印刷でもったいないとか、やっぱりもう少し大きい木のコマがほしくなるとか。というのはまあある。
あとカードの、デザインというか。アイコンの解像度がやけに低いあたりと、色が妙にくすんでる?印刷で化けてる?というような感じが少しあり、若干見分けづらい。そのへんは同人ゆえ、そういうもんだという面はあるにせよ。
もうひとつ、書かなければならないことがある。
このゲーム、すべてのフェイズが「同時進行」なのだけど。プレイヤーの選択が入る場面で同時進行というのは本来、許されないんである。
世界の七不思議でも完全にアウトだったのだ。このゲームではさらに同時プレイが増え、傷が拡がっている。少し誤魔化しすぎかと思う。
とはいえ、世界の七不思議だってゲーム賞を獲っちゃったのだ。ルールの整合性より楽しさを優先するデザインが、悪いといいきれるものでもない。
丁寧に欠点を埋められているので、極端に差がつくなどのことがなく、初プレイから楽しめると思う。これ日本の同人なのだが、好ゲームだ。
ところで。レビュー書いといてなんだけど、これいま売ってない(笑)。
ごく少数の生産だったようで、ゲームマーケット2011春で販売したぶんしかなかったのだそうなのです。わたしも持ってないし……。
k_bigwheel -2011/07/11 00:16
遅ればせながら読ませていただきました。
一つだけ気になったのですが、
このゲーム、すべてのフェイズが「同時進行」なのだけど。
プレイヤーの選択が入る場面で同時進行というのは本来、許されないんである。
というのは、どういう意味ですか?7wondersでも多人数同時でのプレイはプレイ時間を縮めるメリットには思えても、特にデメリットは感じなかったのですが。
てらしま -2011/07/11 02:25
ありがとうございます。
世界の七不思議では、建物カードを建てるか、七不思議を建てるか、捨てて3コインにするかという選択を同時にやります。
これは本当は、他人の選択を全部見てから決めたほうが有利です。なので、本気の本気で勝ちを目指すなら、先に動いたら不利だから誰も動かないということになります。
少しの差ではあるでしょうが、僅差の決着だったときにじつはそこで勝負が決まっていたというケースがないとはいいきれません。
まあふつうは問題にならないし、このゲームの場合問題になるケースが多くあるのかどうかも検証していないのですが。
ルールとしては、本当の「同時」はありえないので、本来はなにかが必要だろうと思います。ついたてで隠してプレイを決めるとか、解決法は他のゲームでいろいろ示されているし。
てらしま -2011/07/11 02:34
あ、ヴォーパルスの場合はデザイナーもわかっていて「厳密なルール」という項目がルールブックにあります。順番が問題になる場合の決めかたが定められています。
おそらく使われることが少ないルールだと思うので(そしてそのとき空気を読まないプレイヤーが有利になるので)完全な解決ではありませんが、フォローはされています。そのことは上に書き忘れていました。
k.bigwheel -2011/07/12 14:22
ありがとうございます。なるほど、合点がいきました。
未プレイなのです(笑)
レビューなどをみると、どうもアブストラクトらしいんですが。
あまり出回ってないらしく。twitterの反応が面白かった。なにそれしらないとか。
どうやら、5年くらい前にアメリカで出てたゲームでもあるようで。そういわれてみれば「ドイツ年間ゲーム大賞」だったなあとか。「世界」ではなく。
ここまではっきりしたアブストラクトゲームが受賞というのもめずらしい
気もする。エキスパートゲーム賞を分けた意図が、かいまみえるようなそうでもないような。
とりあえず、やってみたいとおもってる。
あ、あと、話題のエキスパートゲームのほうは『世界の七不思議』。順当ぽい。
偉大な(またはそうでもない)王の時代も、永遠ではありませんでした。
突如強大な敵が現れ、平和だった国は荒らされました。騎士たちは懸命に戦いましたが、押しとどめることができませんでした。そしてついに、敵は王の城に侵入しました。王は自ら剣をとり立ち向かいますが、あえなく倒れてしまいます。平和だった王国は、侵略されたのでした。 あれから、十数年。国はすっかり、新たな支配者のものとなっていました。 あなたは、山奥の村でひっそりと暮らす少年です。何度も見る夢がありました。人々の叫び声、踏み荒らされた畑、炎に包まれた城。 ある日、父親から告げられます。自分はじつは、あなたの父ではない。あなたこそが、あのとき倒れた偉大な王の子なのだと。そういうと、父だと思っていた男はあなたに傅きました。あなたは戸惑いながらも、自分の運命を理解したのでした……。 |
あなたは、失われた王国の再建を目指す王子です。
国には、あなたの目的に協力的な人物が多くいます。彼らを集め、奪われた王国を再建しましょう。
各ラウンドは2つのフェイズに分かれます。最初の「ドラフトフェイズ」では、王国にいる様々な人物を集めます。次の「プレイフェイズ」では、集めた仲間たちの力を借り、様々なアクションをおこないます。
ゲーム終了時、もっとも多くの勝利点を獲得していたプレイヤーがゲームに勝利し、偉大な王「アークキング」となります。
いただいたお問い合わせなどを参考に、随時追加します。
ゲームルールに関するお問い合わせ、ご意見、ご感想などは
twitterで@terrasimaにメッセージを送るか、下記メールアドレスにメールを送ってください。
(※半角にしてください)
ゲームマーケット2011春に出展するわけですが、新作『アークキング』以外にもいくつか出品物があるので紹介しときます。
新作についてはこちらをご覧ください↓
前回テーブルゲームフェスティバルで発表したゲームです。
軌道エレベータのふもとの街で、宇宙から次々と降りてくる商品を集めます。
ぶっちゃけ、ぷよぷよみたいなものなんですが。
商品が4個の塊になると入港して、プレイヤーに分配されます。この分配のときに、いろいろな建物の効果が発動されます。
ぷよぷよではあるんだけどマルチゲームなので「いまこれを消しても他人を助けるだけ」なんて局面もあります。結果邪魔しあうことになって、思いのほか消えなかったり、そうかと思えば、突然連鎖でまとめて消えたり。
そうして集めた商品で、新たな建物を建てることができます。でも勝利点は「4色の商品1セットで1点」です。あまり使いすぎると点がなくなってしまいます。
建物は商品を獲得する効果以外にもあります。盤面の商品を入れ替えるとか。追加で商品を落とせるとか。「お邪魔ぷよ」を置けるとか。
そういういろいろな建物が登場して、そのたびに状況が変わっていきます。
じつはわたし、このゲームけっこう好きです。手前味噌ながら。完成度高い仕上がりになってると思います。
くわしくはこちら↓
(テラフォーマー拡張キット『パ ニ ク る な』)
印刷をお願いしている萬印堂からの委託です。
なんで委託を置くかというと、わたしの作品が入っているからなんですが。
昨年のゲームマーケット2010で発表した『テラフォーマー』の拡張カードが6枚入ってます。何気に。
(遊ぶには『テラフォーマー』本体が必要です)
他にもいろんなモノがはいって、2011円らしいです。萬印堂のブースでも売ってます。わたしもほしいです。
こちらが『テラフォーマー』本体。
おかげさまで好評をいただき、手に入りづらい状態が続いていたのですが、今回増産しました。
萬印堂のブースでも売ってます。
くわしくはこちら↓
なにか思いつきでコピー誌かなにか置いてるかもしれない。
定期的に、年に数回盛り上がる話題である。なのでわたしもときどき書く(笑)。前にも似たようなこと書いてるかもしれない、ボードゲームのマナーについて。
典型的なモノは「長考禁止」などがあるわけだけど。
じっさいの話、長考しすぎて座の興を削ぐケースというのはある。逆に、長考すんなといいつのる人のほうが興ざめという場合もまたあるので、どちらがとは一概にいえない。
なぜこの問題がしょっちゅうとりあげられるのか。
なにが問題かというと。
まず「遊び」が成立するための条件というものがある。それは、プレイヤー全員が遊びを共有していることだ。
またかお前はという感じだけど『ルールズ・オブ・プレイ』や『ホモ・ルーデンス』から引くなら
魔法円を形成している要素の中に、たとえば「長考禁止」が含まれているのなら、長考は
しかし、このことはルールブックに書いていない。
つまり、ゲームを規定するルールは「遊び」を規定していない。そして、遊びの魔法円を規定するのは、参加者以外ではありえない。
ルールにのっとり、ルールが規定する勝利を目指すために考えることは、本当に悪だろうか。他になんのルールもないのであれば、これはプレイヤーに当然認められる権利ではないか。
じっさい考える対象がそこにあり、考えたほうが勝利が近づく事実がある。極端な話「考えるな」というのはゲームの否定かもしれない。
というわけで、ここに矛盾がありうる。ゲームと遊びとの間の溝だ。
これが、結論。
えーと、いろいろ議論があるけど、結論はずっと前から決まってるんですよ。
「遊びとゲームの違い」
ちょっと線を引く。
問題になるケースというのはそもそも矛盾があるので、完全な解決はできない。しかしそれでも策を探るなら、
考えられる可能性としてはそんな感じ?
まず A は論外だ。
まあ、じっさいにはこれが多いだろうし、それでいい場合のほうが多いだろうけど。とはいえこういう議論としては、これは思考停止であり、この立場をとることはできない。
じっさいに問題が発生するまではこれでいい、というところか。
B もちょっと無理だ。プレイヤー全員というのは何人いるかわからない。何万人かもしれない。そのすべてをひとりひとり説得する必要があることになり、もちろん不可能なんである。
ただ、ゲーム会の主催者がルールを定めるというのは可能だろう。できれば明確で明文化されたものがいいかもしれない。これをどのように定め運用するかというのはいろいろ難しいだろうけど、やっているサークルもある。
C はかなり正義に近い気がする。たとえば長考が発生し座の興が削がれてしまったなら、それは遊びのツールとして問題がある。そのゲームにバグがあったといういいかたもできる。
とはいえ、メンバー次第というところは多分にある。あるゲームがこちらのサークルでは盛り上がり、別のサークルでは嫌われるということはある。「その場でそのゲームを出したことが問題」ということになるだろうか。
もしも、それほどボードゲームに慣れていないプレイヤーが多いのなら、そこにフリークゲームを出すのは間違いかもしれない。
「参加者の顔を見てゲームを選ぶ」
「問題が発生しないゲームを選ぶ」
どのゲームを選ぶのかというのは、また別の技術があるだろうけど。多かれ少なかれ、みんなやっていることではある。
また別解として、不足しているルールを自分たちで補うというものがある。アグリコラにチェスクロックを導入して成功している事例を聞いているが、ああいうものだ。
アグリコラは長時間ゲームだが、その「長時間かかること」「長考が発生してしまうこと」それ自体をバグ、つまりルールの不足と考え「時間制限」を導入する。手間がかかるが、その手間を投入したいほどのゲームがあるのなら、いい方法だと思う。
そう考えるなら、 D は C の裏表だ。メンバーとゲームが合わない場合があるのなら、ゲームに合わせてメンバーを変えればいい。
この方法も考慮に値するように思う。現在の日本のゲーム会は「集まってボードゲームをやりましょう!」で成立している場合が多い。「このゲームをやるから集まりましょう!」ではないのである。
最近では「ドミニオンをやろう」とか「アグリコラをやろう」などで集まるイベントをよく目にする。ボードゲームは幅が広すぎ、ひとくくりにして人を集めることに無理があるのかもしれない。
まあそれだと、ドミニオンだけあればずっと遊べてしまうので、市場に金が回らないという話はあるけど……。そういうのは、ユーザが考えなくてもいい。
マナーの話だった。
だいたいわかると思うが、マナーというもの全般にわたしは懐疑的だ。上の話にも、正しいマナーで遊ぶべきだなどという内容はないつもり。
おそらく、上でいう B が「マナー」を主張する立場にあたるのかもしれない。しかし、書いたとおり、プレイヤー全員に徹底というのは不可能である。
この話に関してはそもそも矛盾があるのだから、どれが正しいということはない。充分なサンプル数のデータが出てくるまでは。
あるとすれば「これが正しいと断定する意見は間違い」とかかなあ。
というあたりかと思っている。
ただ注意したいのは、個人の感想は別だというところ。個人が長考に遇いなにかを感じたというのなら、それは事実だ。それをいうこと自体は、否定されるべきものではないと思う。
まつざわ -2011/06/07 01:15
明文化されたルールの不足を、マナーで補うのは一般的な話ですが。
仕様書の不備を常識的判断で補え、という良くある話が想起されるので、個人的にはルールが悪いと叫びたい派です。
てらしま -2011/06/07 12:18
わたしも、非論理的な常識に泣かされる仕事してる影響ってのはあると思いますw
なかた -2011/06/10 22:09
「ルールを守る」というのは、その前提として「公正さを守る」というメタルールに囲まれているよね。これは単なるマナーの話じゃない。どんなにルールを修正しようが、そのメタルールについて見向きもしない人には通用しない。
でまあ「マナー」というのは個々人が勝手に思ってるメタルールのうち、共有されているかどうか怪しい部分を強制したいがために喧伝されてるあたりだよねー、などと思ってたり。
てらしま -2011/06/10 23:27
そうですねー。そのメタルールに関しては、守らないと遊べないレベルのものがたくさんありますね。そういうのも表現を変えてマナーといわれてることもあって、マナーってのはいろんなレイヤーの話が混じってるとかはあります。
いろいろ混乱してて、そこに政治や宗教が好きな人がいるんだろうなとかは思いますねえ。
まつざわ -2011/06/14 00:44
雀牌の表面を指で削っちゃいけませんとか、対戦相手を狙撃してはいけませんとか、いちいちルール記述できませんしね。
※ムダヅモ無き改革は、考察の上で良いテストケースと主張してみる。