ゲームリンク9号の「やぽんぶらんど通信」という記事がある。
そこでカワサキファクトリーの中の人である川崎晋が、ゲームの作り方というのを書いていた。
(やぽんぶらんどとどう関係あるのかはよくわからない)
この記事、決められたコンポーネントでゲームを考えてみようというものなのだけど。
この条件で、ゲームを考えてみましょうと。
おもしろそうなので、わたしもやってみようと思った。
(なんか前にも似たようなこと書いてる気もするけど。いまはじっさいにゲームを作っているわけなので、たぶん少しは考えかたを整理できてる)
理屈から入ろう。
ゲームというのは、プレイヤーに選択させなければならない。そして、その選択に意味がなければならない。
たとえば、安易に、カードを集めるゲームを作るとしよう。
この場合、赤のカードを選んだ場合と青のカードを選んだ場合とでは結果が違わなければならない。
たとえば、こんなゲームがあったとする。
これだと、赤でも青でも同じだ。カードを選択することに意味がない。これではダメなんである。
(ただし、他の場所に選択の意味を持たせることができるのだったらいい)
では次のようにしたらどうか。
だいぶマシだ。なぜなら、赤を1枚持っている人にとっては、赤のほうが青よりも価値が高いことになるから。結果が変わる、つまり選択に意味があることになる。
これならゲームにすることは可能だろう。
もっとも、これだけだと少し厳しい。赤を1枚持っている人が、青を選ぶ理由がなにもない。だからこれは、実質的に選択肢として機能しない。もう少し工夫が必要になる。
でもそれはおいといて、もう1個考えてみる。
他のプレイヤーとの比較を加え、いわゆるインタラクションを足した。
また、このルールの特徴は、同じ色を何枚持っていても5点だというところ。できるだけ少ない枚数で得点できた方が効率がいいというジレンマがある。
ジレンマ! ボードゲームでよく聞く言葉だ。たぶん大事な言葉なんだろう。
これはもう、これだけでもゲームになっている。
C)はけっこういい。というかそういうゲームたくさんある。株を集めるゲームとか、エリアマジョリティとか。
C)だけでもいいけど、複数のロジックを混ぜるのもいいかもしれない。青はA)、緑はB)、赤はC)だ。ロジックが違うなら、選択で結果が変わるということが保証される。
もちろん、他のロジックを考えてもいい。2色余ってるし。
まあともかく、これで、選択に意味を持たせることは担保できた。つまり、もうゲームの成立は確定している。簡単だ。
あとはカードの選ばせかたなのだけど。これはもうどうでもいい。
「場に並んでいるカードから選ぶ」でもいいし、流行のドラフトでもいい。もっとひねりのきいた方法もあるだろう。お好みでランダムを入れてもいいし、入れなくてもいい。
まあドラフトにしたら、まんま世界の七不思議の完成だけど。
上に書いた勝利点計算ロジックは、すべて既存のゲームにあるものだ。世界の七不思議はそれらを見つくろってドラフトにまとめたものなんだよねというわけで。
もっといえば、かなり多くのゲームはそんな感じで説明できると思うのだけど。
このゲームの場合でいえば、カードを選べればなんでもいいんである。
例えばドラフトの代わりにコロレットのシステムをそのままつかったらどうだろうとか、ドラフトを全部手札オープンでやったらどうだろうとか、いろいろ考えられる。
なんでもいいので、思い浮かんだものを。
あとは調整してテストプレイして完成です。
や、だいぶ乱暴に書いてるけど。あくまで、簡単な方法のひとつとして。
もちろん本当は、もっといろんなこと考えなきゃいけないと思うけど。
上に書かなかったことのひとつとしては「これでおもしろいのかどうか」というのがある。これは、ゲームが成立するかどうかとは別の軸として考える必要がある。テーマを考えて絵をつけるとか。バランスを整えたり壊したりとか。調整しながらそういういろいろなことをやる。
むしろそっちのほうがやりかたが決まっておらず、デザイナーの個性が出る気がしている。わたしも、まだ確立したものを持っていないのだ。
同じネタのコラム記事が『同人ゲームリンク』にもあった。操られ人形館の常時さん“ゲームのルールを創ってみよう”という記事。
こちらを読んで、じゃあ俺もと思ったのでした。
こんなタイトルだけど、倉庫は1個しか登場しない。
ゲーム開始時にコインを配るのだけど、配ってみたら銀行のコインがほとんど残ってない。えっ足りない? と思いつつはじめてみたら、ぜんぜん足りるし。
という。
この人、シュテファン・フェルドのゲームは、わりとそんなところがある気がする。リソースが絞られていたりネガティブなジレンマがあったり、強いインタラクションがあったりして、苦しい。
近ごろ話題のデザイナーで、近いうちに賞を獲るだろうなどとも囁かれているようなのだけど。なんかこう、この苦しさを喜ぶのはマニアだけなんじゃないかというような感もないではないような。
タイトルのとおり、倉庫が建ち並ぶ港街が舞台だ。船から降ろされる商品を受けとることで得点になったりする。
やることは、場の建物カードを獲得するという、ほとんどそれだけ。とてもシンプルなゲームだ。
ただこの獲得方法が、とても独特だ。
変則オークションのようなことをするのだけど。
ほしいカードの上に、自分のコマを置いていく。コマは各プレイヤー3個くらい持っている。
コマを一番最初に置いたプレイヤーが、コインを使ってそのカードを購入できる。
そして、その値段は「そのコマよりも上にあるコマの数」。
このルールが最大の特徴だ。
早く置かないとほしいカードがとれないが、人気のあるカードほど高くなってしまう。
高くなりすぎて買えなくなったりもする。買えなければ、一つ上にコマを置いたプレイヤーに購入の権利が移る。このとき、カードの値段となる「そのコマよりも上にあるコマの数」はもちろん、1つ減っている。
人気があれば高くなる。早く買いにいけば確実に買えるけど高い。そうかそれこれだけのルールで表現できてしまうかという、なんともきれいなシステムだ。
非常に洗練されたシステムだ。こういうのを作るから、話題のデザイナーなのだろう。
さてしかし、システムとゲームバランスというのは、関連しているようであまりしていない。
ゲームバランスというか。表現されたゲームというか調整というか。コンピュータゲームの言葉ならレベルデザインということになるのか。
もちろん調整はシステムに制約を受けるし、システムによって表現しやすいものとそうでないものもあるだろう。しかし、それ以上に、調整にはデザイナーの色が出る。
システムが決まったとしても、その中でできることには大きな幅があるのだ。その中でデザイナーがいいと思った場所に、ゲームは着地する。
じつのところ、ゲームシステムよりもいわゆるゲームバランスのほうに、デザイナーの特徴が出やすいと思う。
なにがいいたいかというと、フェルドはかなりのサディストだよね。
この人はなにやらすごいゲームシステムを作る。そこは、才能あるデザイナーとかそういうやつだろう。
そして、そのシステムの中で、プレイヤーに与える資源を絞ったうえジレンマを入れ、苦しいマネジメントを要求する。いわゆるインタラクションも非常に強い。
プレイヤーを苦しめるゲームバランスだ。
というような印象がある。
この倉庫の街が、まさにそれ。
予想に反して、いわゆる拡大再生産は全然しない。建物カードがたくさんあるから、そのつもりで最初にそれっぽい建物を買っていたら、これがぜんぜん弱いのだ。
そんなゲームじゃなかった。得点できるときはしないといけない。
また、上に書いたルールだけではわからないところなのだけど。これじっさいのところは「相手に買わせないためにコマを置く」というゲーム展開になる。買う気なんかなくてもコマを置き、お互い資金が足りないのにさらに妨害しあう泥沼。
そして、いわゆるインタラクションはとても強い。「お仕事」も「キングメイカー」も簡単に発生する。
そういうゲームだ。おもしろいかというと、おもしろいけどそれはなんというか、こういうのが好きならかなあ。
ちかごろ、twitterや各所のブログでよくとりあげられている話題だ。
発端はこのへん。
タイトルは運ゲーの話っぽいが、じつのところそうじゃないだろう。
我々ボードゲーマーが好きなアレとかアレとかを、自分の周囲の誰かに奨めたとき、あまり気に入ってもらえなかった。あるいは、自分の周囲の誰かとゲームすることを考えたとき、UNOとか桃太郎電鉄とかならできそうだけどプエルトリコはできないだろう。そういう話だと思う。
で、他にもいろんなブログで、そんな話題がとりあげられている。
ブロガーのこういうのは流行なので、わたしもできるだけ乗ることにしている(笑)。
とはいえ、なにを書いたものかな。
運ゲーの話じゃないと書いたけど。マニアが好むゲームとマニア以外が好むゲームに傾向があるのなら、それはそれで興味深いわけで。
「一般人は運ゲーが好きだ」
これはよくいわれることだ。そしてじっさいそんな気もする。
でも本当だろうか?
これを語るにはまず、運ゲーを定義しなければならないが……、これがじつは難しい。
わたしがよく引き合いに出すのが、サンファンとプエルトリコだ。
サンファンは、プエルトリコをカードゲームにしたというゲーム。これが出た当初、プエルトリコのファンたちの一部は、サンファンを「運ゲーだ」といった。
さてしかし、ここにひとつのデータがある。オンラインでさまざまなボードゲームを遊べるサイト、 BrettspielWelt のランキングだ。
ここで、プレイヤー人数4人の場合の、サンファンとプエルトリコのランキング上位を見てみよう。すると奇妙なことがわかる。
プエルトリコのランキング1位は、勝率70%弱(すばらしい成績だ)、しかし、運ゲーのはずのサンファンの上位は、勝率80%だ。
(2011年8月11日現在)
運ゲーじゃないじゃん!?
そう、じつはサンファンは運ゲーではない。むしろ、プエルトリコよりも強く腕の差が出るゲームだ。
理由はある。
サイコロを振る、カードを山から引く、などの行為は、たしかに運がからむ。だから、こうした要素があると運ゲー指数が上がる。一般的に。
しかし、ゲームには別の要素がある。「他のプレイヤーの行動」だ。
こういう話はもう何度もこのサイトに書いているけど。
サイコロと同じく、他のプレイヤーの行動もゲームに影響を与える。他のプレイヤーの何気ない一手が、あなたを敗北させるかもしれない。
そして、サイコロと同じく予想できない。相手の目的や性格を考慮しないなら、他のプレイヤーは、サイコロとまったく同じランダムだ。
いわゆる「運のないゲーム」は、運の代わりに、いわゆるインタラクションに依存している。インタラクションへの依存度が高ければ、それはつまり、運に左右されるゲームに他ならない。
「運のない」ゲームは、サイコロやカードの引きなどの「運」をシステムが用意してくれていない。つまり、すべてをインタラクションに依存している。
インタラクションは運と同等だ。だから、インタラクションに依存すれば運ゲーよりも運ゲーになるのである。
わりと論理的に。プエルトリコは、サンファンよりも運ゲーだ。
と、そのへんの細かい話はともかく。
ここでは「運ゲー」という言葉をあえて「運で勝敗が左右されるゲーム」という意味でつかった。しかしそうではないのだ。現に、その定義では上のデータを説明できない。
一般にいわれる「運ゲー」は「運で勝敗が左右されるゲーム」ではない。
などの話があるのだけどここでいいたいのは、運ゲーの定義が難しいということ。かなり大きな幅がありうるということ。
なので、その話はおいておこうか。ここまで書いといてなんだけど。
別の方向からやりなおす。
流行ってなんだろう。人気ってなんだろう。
わたしとしてはこれは、ごく単純に「市場規模」についての話でいいと思っている。市場規模が拡がっている間は流行、である。
さて、ボードゲームの市場規模はいま拡がっている。流行しているのだ。といったらまた話が終わってしまうのだけど。
市場のモデルを考える。
ここでは『「ヒットする」のゲームデザイン』という本から話を引こう。
この本、もちろんコンピュータゲームの本なのだけど、分析的な語りっぷりがけっこうおもしろい(ちょっとデータが足りず、語りが先行してるきらいはあるが)。
この本に書かれているいくつかのモデルのひとつ。世界最大のゲームパブリッシャーである Electric Arts が採用してるモデルのひとつだということなのだけど。
コンピュータゲームのユーザを、3つに分ける。
ハードコアゲーマーは、いわゆるオタク。さまざまな情報を積極的に収集し、数は少ないが、一人一人が大量のゲームを買う。
クールゲーマーの多くはハードコアゲーマーの友人を持ち、情報に触れる機会を持っている。
マスマーケットカジュアルゲーマーは、この中でもっとも多いが、もっともゲームを知らない。クールゲーマーやテレビCMでゲームを知り、いま一番人気のゲームを買う。
このモデルでは、新しいゲームにまず触れるのはハードコアゲーマーだ。彼らが最初の伝道師となってより大きな市場にゲームを布教していく。
ゲームはそこから、クールゲーマー、マスマーケットカジュアルゲーマーと伝播していく。
まあこの本稿はボードゲームの話なので、大流行したボードゲームにあてはめてみると。
日本でドミニオンにまず触れたのは、個人輸入やメビウス便でゲームを買っている連中。彼らは間違いなくハードコアゲーマーだ。
彼らがブログなどで、これはおもしろいと大騒ぎした。
次に、彼らの友人がプレイした。当然だ、ボードゲームは複数人で遊ぶものだから。おそらくは、ハードコアゲーマーの自宅や各地のゲーム会でだろう。そしてハマった。買った人たちも多くいる。この段階が、クールゲーマーまで拡がったところ。
その後、それこそどこへいってもドミニオンがある状態になった。日本語版が発売され、普段それほどゲームを買わないプレイヤーがドミニオンを買った。ボードゲームの世界を知らなかったプレイヤーがドミニオン大会に顔を出すようになった。マスマーケットカジュアルゲーマーに拡がったのだ。
まあとりあえず、おおむね、上のモデルにしたがって動いたのではないか。
(マスマーケットへの抜け道としてTCGプレイヤーがいたり、少し特殊な要因はありそうな気もするけど)
モデルがどこまで正しいかは知らないが、とりあえず、一つのケースをそれなりに表現できたような気がする。
では、この現象を「引き起こす」ために必要な活動とはなんだったか。なにがこの現象を引き起こしたのか。
わたしの考えとしては。
「日本で最初にドミニオンをプレイしたプレイヤーがtwitterでつぶやいた一言」でもなければ「ドミニオンなんてつまらないといって炎上したブログ」でもない。ましてや、ゲームマーケットで販売されたドミニオン攻略本でもない。
たしかに、ハードコアゲーマーはゲーム普及のためのエヴァンジェリストとして機能するだろう。ドミニオンの場合は、現に機能したように見える。
しかし、どのハードコアゲーマーのどの活動が決定的だったか? どれもユーザを増やしたが、どの一つがなくてもユーザは増えたのではないか。
市場はマクロな現象だ。
「いや、ホビージャパンの日本語化は大きかった」そういう意見もあるだろう。たしかにそうだ。しかし、ホビージャパンがやらなければ他の誰かがやったのではないか。なにしろ、それだけのユーザがいるのだから。
流行するものは、それ自体の力で流行する。
市場というものを、わたしはそういう風にとらえている。
だから、ドミニオンが流行した理由は、
「ドミニオンに力があったから」
だ。
このモデルでいうと「運ゲーが好き」「おもしろいゲームを知らない」プレイヤーは、カジュアルゲーマー。だが、ドミニオンは予想以上に、彼らにも届いた。
じつのところけっこう複雑なゲームなのだけど。あとドミニオンは、ある程度までのレベルでは、経験が多いプレイヤーの勝率が絶対的に高い。経験に差があるなら、ほぼ100%経験者のほうが勝つといってもいい。「運ゲー」かというと、けっこうなグレーゾーンだ。
わたしは、一般人が戦略的なゲームを好まないというのは違うと思っている。また、マニアたちの布教次第でもない。パブリッシャーの生産部数などはさすがに要因の一つとなりうるが、それも、市場の圧力で達成されてしまうことだ。
流行はマクロな現象であり、個人の力は及ばない。流行する要因はゲーム自体の中にしかないのではないのか。
ようするにいいたいのはこれなんだけど。
布教しようとか、そんなことは考えなくてもいいと思っている。ドミニオンは、我々の布教などまったく関係なく、ボードゲーマーが一人もいないトレーディングカードゲーム会場で遊ばれていた。
また例えば、ゲームを知らないが数の多いマスマーケットカジュアルゲーマーにアピールするゲームとして「運ゲー」を選ぶようなことが、あったとしたら、それは少しリスクの高い方法論なのではないか。
たしかに彼らは運ゲーを好むかもしれない、そうなのだとしても、エヴァンジェリストであるハードコアゲーマーを介さずに大きく伝播させるのは難しいのではないか。少なくともドミニオンの例にならうのならば。
大きな話でいうならば、そういうところなのではないか。
個々人の状況や感情の話がこれとは別にあるのはもちろんだし、そっちが本題ならば、この記事はずいぶんと的の外れたことだけど(笑)。
「流行しないワケ」という表題だった。
わたしの答えは「流行できるゲームなら流行する」だ。
また同人ゲーム。
同人とはいえ、こうして日本製ゲームをふつうに紹介できてるのが、最近すごいなーと思う。
これはなにか意図があってやっているわけではなく、というかそういう計画性とかなにもなく気分で書いてるんだけど、そうするとやっぱり話題のゲームを優先して書きたくなるわけです。それで、話題のゲームを気分で選んでいったら自然に日本製ゲームの記事を書いているわけで。これはけっこうすごいんじゃなかろうか。
まあ、自分が同人にだいぶ浸かっててその影響というのもありそうですが。
「ひも電」だ。なんとも非常にわかりやすい。
ひもで、電車なんである。
もうそのとおりの内容で、テーブルに駅タイルを並べて、それを、線路に見立てたひもで繋いでいく。
ゲーム風景を一見してなにをしているかわかる。このアピール力とわかりやすさ。
エッセンでヤポンブランドで出展されたときも大きな注目を受け、すでに Asmodee からの発売が決まっているとか。あとこのゲームをもとにしたフォロワーも登場しているとか。
外国のほうが盛り上がってるかもしれない。
で、今回紹介してるのは、そのひも電の続編。「輸送編」だ。
個人的には、こちらの輸送編のほうがずっと好みなのだけど。
まず、長ーい黒の輪になったひもで世界を作る。このひもの外に出てはならない。
次に、灰色の、やはり輪になったひもを世界のどこかに置く。これは「山」だ。
あとは、駅タイルを世界の中にてきとうにちりばめる。
これで準備完了。
なんだろうこれ。すばらしい。
このビジュアルを見せた時点で、おそらくどのプレイヤーも見たことない風景なのだ。とにかくアピール力がすごい。
輸送編では、ここからのゲームが少しゲーマーズゲームよりにチューンされている。
手番には線路(ひも)を配置し、駅と駅をつなげる。
アクションポイントをつかって、荷物を運んだり、列車をパワーアップしたりする。
基本編と比べて、わかりやすくいえば、エンパイアビルダーに近づいている。
デザイナーが本当にやりたかったのはこの「輸送編」なんじゃないかとも思うのだ。わたしはこちらのほうがずっと好きだ。
一緒にプレイした友人がいっていたのは「そうだよこれがやりたかったんだよ」。まさにそうだなーと思う。
今年ゲームマーケット2011春で発表された、これも同人ゲーム。
とはいえ、ただの同人とは格が違う。あの会場で売ったと噂されている数も、桁外れだ。
っていうか、プロの漫画家だし。聞くところによれば、ふだんゲームマーケットにこない人たちがあの会場にきてこのゲームを買っていく姿もあったとかなんとか。サークルとして参加してる身としては、なにしてくれんのと(笑)。
ゲームのほうは、いわゆるドミニオンクローンだ。まあ「クローン」と呼んでいいだろう程度に、ドミニオンを流用している。
剣と魔法の世界。病に倒れた皇帝の後継者を擁立しよう、というお話。その後継者たちというのが7人のお姫さま(2人は双子らしく、カードは6枚)。
ドミニオンのようにカードを購入し、自分のデッキを育てていく。財宝カードとかアクションカードとか、勝利点カードとかを購入する。ドミニオンで見たことのあるカードがたくさんあったりもする。
村っぽいのとか、研究所っぽいのとか。
→の写真は、いわゆる村。まんまなのだけど。これこういうゲームとしては珍しいのだが、ドミニオンの村より強い(安い)。他にも、本家より強いカードがけっこうある。
なんか日本のゲームの特徴なのかどうなのか、いわゆる「バランス」をとるために、本家ドミニオンよりもカードの効果が弱くなることが多い。しかしそれはたぶん、楽しさを削っている。その方針では、本家の縮小版にしかならないという気がする。なにかがぶれていないかと思う。
本家より強いカードがあるというのは、それだけ、目標をぶれずに高い意識で作られたというように感じる。
ドミニオンとは違うところももちろんあって。
それが、お姫さまを「擁立」するルール。
お姫さまは6コインで擁立できる。擁立すると、これだけは特別にデッキに入らず、自分の前に置かれる。
思い出すのは『デックビルドガンダム』のパイロットあたりか。
この擁立をしたあとが、このゲーム最大の特徴であり、ドミニオンとは違うところ。お姫さまを擁立していれば、勝利点カードを場に出していくことができる。
ドミニオンはもちろん、デッキの中の勝利点を高めることがゲームの目的だ。しかしハートオブクラウンはそこに手を入れた。勝利点カードはデッキに入っただけではなんの意味もなく、お姫さまを擁立して場に出して、はじめて得点となるんである。
ゲームのステージがひとつ増えているんである。ルール自体はドミニオンそのものだけど、かなりダイナミックな変更だ。
しょうじきなところわたしは、いわゆるドミニオンクローンへの評価が高くない。
とはいえ評価しているものもある。『サンダーストーン』あたりなら、クローンと呼ぶのに違和感をおぼえたりもする。
そのあたりの感覚の源泉として、やはり「オリジナルであることに敬意をはらいたい」というところがある。
これはひどく個人的な印象の話だけど。
ドミニオンが作った枠組みとゲーム性を流用して作られたゲームは、オリジナルであるとはいえない。オリジナルのゲームシステムで世界中のゲームと渡り合っている他のゲームたちと、同じ土俵で評価することはできない。
そういう風なことを感じている。
でも『サンダーストーン』くらいになると、ドミニオンとははじめからぜんぜん違うところでゲームを成立させている。そしてその完成度が水準を超えている。だから、ドミニオンの文脈で語っていいのかどうかに疑問を感じる。
そんな俺基準でいくと。ハートオブクラウンはやはり、ドミニオンクローンかなあ微妙なところだけど。ドミニオンの枠を拡張しているが、抜け出してはいない。かなあ。
だから、他のゲームと同じ軸で評価することはしない。
これは俺基準の中ではそれなりに大切なことで。いくら出来がよくても、他のゲームと同じ土俵で比べられる質のものではない。忘れないようにしたいのだ。
そんな前提の上でだけど、このゲーム、かなりよくできている。
擁立のルールがとてもいい。
ふつうドミニオンでは、手札にきた勝利点カードはジャマだ。手札には勝利点ではなく財宝を集めたい。そのため、例えば「地下貯蔵庫」で勝利点カードを捨てたりする。
ところがこのハートオブクラウン。お姫さまを擁立したあとは、勝利点カードを手札から場に出さなければならない。そうしないと得点にならないのだ。
そのため、逆に財宝カードのほうを捨てたりする。財宝か、勝利点かという2択を迫られる局面があったりする。
そのあたりのゲーム性が、きれいに追加されている。間違いなく、ドミニオンとはひと味違うゲームとして成立している。
このゲーム、わたしは高く評価しているんである。
ドミニオンクローンであるというのは商業的な理由と思えば間違った選択ではなく、しかしそこにきっちり新しいゲームを組みこんでいる。
なによりも、絵がいいし。
いやいいですよ。萌えが好きだとか嫌いだとか、そもそもこれの絵が萌えなのかとか、そんなことはどうでもよくて、ゲームが表現したい世界観がしっかり表現されている。
あとカードのデザインなどもよくできており、見やすい(左上に購入コストははやめたほうがいい、などはあるけど)。
そういう品質の面に関しては、同人のレベルははるかに超えている。
というか……、小さなボードゲームの世界で他と比較するなら、小さめのプロのレベルも超えてしまっている出来だろう。
ルール面も、だいぶいろいろな工夫がある。
特にアクションの「リンクシンボル」はすばらしい。
カード効果欄の右に矢印があったら、もう1枚アクションが使える。これがドミニオンでいう「+1アクション」を表す。下にも矢印があれば、分岐が増える。つまりドミニオンでいう「+2アクション」だ。
そしてこのゲーム、財宝カードにもリンクシンボルが描かれている。つまり、アクションと財宝に区別がない。この点に関しては、ドミニオンよりも整理されてしまっているんである。
他にも、購入数のルールを省いていくらでも買えるようになっていたりもする。その代わり、サプライがある程度ランダムに入れ替わるようになっている。
ルールを追加する以上、元のルールは少し削ったり整理したりしてほしいよねというのは、クローンをプレイしてよく思うことだ。そこもクリアしている。
意外とといったらいけないけど、筋のいい改変がなされてる。
なんていうか。
狭いボドゲの世界に、いきなり違う世界のメソッドで参入してきたっていうか。
同人ゲームとはいうけど、少しマイナーな輸入ゲームよりずっと多く出てるし。
むしろたぶん、ゲームでない同人誌の大手サークルの活動と思ったほうがいいかもしれない。ゲームマーケット後の販路はゲームショップではなく、とらのあなとメロンブックスだ。
そういう、我々が知るのとは違うアプローチで作られ、販売されているゲームだ。
そういうゲームが突如現れ、イベントでは異例なほどの数を売った。遊んでみれば出来もいい。なんとも痛快なのだ。