2007.01.22 01:15 てらしま
読んでおこうかなあと思っていた本。
『ホモ・ルーデンス』という本を下敷きにして考察を進めた、文系の視点からわりと大上段に「遊びを軸にした社会学!」みたいなものを目指した本だ。けっこう有名らしいのだが。
とりあえず、遊びを四つに分類してみるところから話ははじまる。
内容については正直、納得のいかない部分はある。いかにも西洋的な考えかたをもとに考察がされていて、日本人ゲーマー的にはどうだろうと思うし。いかにも文系的な、各論で終わってしまう議論のしかたも肌に合わない。
そもそもボードゲーマーには「世界でもっとも遊びについて深い実感をもっている」自負がある(でしょ?)。ボードゲーマーの視点を中心に据えればもっと深い考察ができるに違いない、とか考えたりもする。
そんないろいろはあるにせよ、しかし、こうばっさりと分類して、しかもそこにラテン語の名前をつけちゃったりすると、かっこいいのである。あと便利そうだし。
ヒポクラテスの体液気質論とか、ユングの性格類型とか、四精霊がどうとか、なぜか4つに分類するのはなにかの伝統なんだろうか。この本が書かれたのは1958年で、それを思えば、遊びに対する研究はこの年にようやく、医学のヒポクラテスの段階まできたところ、ということなのかもしれない。
この本の分類でいえば、ボードゲームはほぼ「アゴン(競争)」に属する遊びだ。もちろんそこに「アレア(運)」が混じる。
TRPGは「ミミクリ」そのものだろうし、一人遊びのコンピュータゲームは「ミミクリ」と「イリンクス」あるいはこの四つでは分類不能な、中国語の「玩」かもなあ。
そうやって分類してみることには、たしかに意義がある。分類に穴があるにせよ、遊びの本質を捉えるきっかけにはなるから。それに「遊びは真面目じゃないとおもしろくない」とか「遊びは他のものから独立している」とか、ちゃんといいこともいってる(ただし、このへんは『ホモ・ルーデンス』からうけついだ部分)。これ、ボードゲームやる人にとっては実感そのものなのに理解してもらうのが難しいところなのです。
しかし、全体にちょっと考察にムリヤリ感を感じるような。東洋思想というか非一神教的考えかたにはあわないのかもしれない。というか、コンピュータゲームや映像が遊びの中心になってる現代には無理があるのか。こういう本としては『ホモ・ルーデンス』のほうが納得できた気がする。
whiteさんちあたりでやってきた。要は、少し評価下げたんですけどね。
問題だろうと思う点がいくつかあった。
ひとつめは、いつが勝負どころなのかわかるようになればいいこと。たぶんある程度まで進めば詰んでいるはずなので、そのときに勝っている人が「詰みました」を宣言して、他のプレイヤーが認めるという手続きを成立させたいところだ。
2つめが問題だ。もしそうなら、これはもうプレイする価値のないゲームになってしまうと思う。
ただし、まだオークションの落札価格がまるで適正ではないはずなので、これも慣れれば解決するかもしれない。おそらく、アクションタイルの内容次第で最大五倍程度の価値の差がある気がしていて、それがちゃんとわかれば、安く多くターンをプレイする人と高く質の高いターンをプレイする人とにロジックを分割できる。状況しだいで変動するアクションタイルの価値も見極められるようにならなければいけないだろうし。
しかし、そこで3つめの問題が。いったい何度プレイすれば適正価格がわかるのかわからないのに、時間かかるのはまずいなあ……。
というわけで、そんないろいろの問題を一撃で解決するには「基準価格表」みたいなものがあるといいんじゃなかろうかー。
あまり正確である必要はないはずだ。感想戦で「これの値段は高すぎたね」みたいなことがいえるようになればいいし、それにもとづいて変更を加えていけばよかろう。
とりあえずなにしていいかわからなさすぎるゲームだから、思考の叩き台があるだけでも違うんじゃないか、という意味もある。一番強いロジックがオークションなのは間違いないわけだし。
なんてことを考えてるわけですが……、そもそもぐぐってもあまり釣れないゲームに、そこまでやる意味があるんだろうか。
[2007.01.09 02:10]てらしま :
つーか変換レートが決まってるんだから、まずはそれを基準にすりゃいいのではと思った。
AP
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1
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資源価値変更
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4
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トレーダー投入
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4
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中立を入れ替えるのも同じで
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名声変更
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2
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ボーナスポイント
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1
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とれるものだけ数える。
名声の低下は考慮すべきかどうか? |
あとはっきり決まってないものはなんとなくで。
交易所
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3
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中立トレーダー投入・移動
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0
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エリア内トレーダー移動
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2
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卸トレーダー投入
|
4
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調整するのでご意見希望……とかいうだけムダなこと書いてみたり。
正月で実家に帰ってました。なにやらn.g.k.の面々がゲームやるとの噂を聞きつけて、突然お邪魔。
80日間世界一周、オリエンテ、ニムト、あとわりと念願のハートオブアフリカあたりをプレイ。
オリエンテはパーティーゲームだけど、もう少し慣れればちゃんと考えて遊べるゲームになりうる感じ? パーティーゲームにしては慣れるのが大変なあたりは玉に瑕かも。
ていうかメインディッシュはなんつーてもハートオブアフリカですよ。これはひょっとしたら、久しぶりにわたしの好きなタイプのゲームかもしれない。
「わたしの好きな」というのはなんというか、システムは一線級だしなにげに完成度高いんだけどどっか垢抜けなくて、微妙に挑戦しすぎてて定番ゲームにはなれない感じのラインのゲームっつーか。だけど妙におもしろいみたいな。そんなの。
これまでのラインナップは、ワイルドライフ、モルゲンランド、ビンチというあたりなんだけど、ここに加わりそうな勢いですよ。
手番をオークションで買う……のはまあいいとして(ここですでに怪しいけど)、ほんとにオークションに勝たないとなにひとつ行動できないとか。その上得点も手番プレイヤーにしか入らないとか。
ただ、マニュアルがちょっと怪しい。こういうゲームは先入観が通用しないから油断できないんだけど、もともとの原語マニュアルですら怪しいところがある上に邦訳も微妙。
ここはひとつ、自分でプレイチャート作りなおしたるかーとか思ってしまうくらい。
あと、通常ルールは42点で勝利なんだけどルールの最後に
ロングゲーム:勝利条件を60か80点に変更して2〜3時間のゲームを行ってもいいでしょう。
なんて書いてあったりする。一度やってみて思ったのだが、たぶんこれは、本当は80点のゲームだ。ロングゲームじゃなくて、通常ルールのほうがハーフゲームなんじゃないか。なんとなく事情は想像しちゃうけど。
ってあんまり書くとあとでレビューに書くことなくなっちゃうので。さすがに1回目ではあまりわからなかったので、もうちょっとやってから詳しく書きます。
ゲームはほしいしやりたいけど、プレイする機会が足りない罠。
毎月十個以上もゲーム買ってる人たちっているじゃないですか。たぶん半分くらいのゲームはプレイしていないだろうし、やったとしても1回だけだろうなーという人たち。
あの人たちの気持ちが少しわかってきたかもしれない。普通ゲームやる機会というのは週に一度がいいとこだろうけど、ほしいゲームはもっとある。
特に大都市のゲーム会がそうなんだろうけど、だいたいそういう人たちが数人はいる。で、もちろん誰もやっていないゲームを持ってくるから、それをやる。少し重めで知名度の低いゲームなら、プレイする機会はおそらく1回だけ。
たまにとりあげられるゲーム会の問題のひとつだ。
メビウス便をやっていないわたしは少数のほしいゲームだけ買うわけだけど、そのゲームはたぶん「すでに1度プレイされたゲーム」なのである。
もちろん、いろんなゲームをプレイすることは否定しないし、そういう人がいなければ知ることもできなかっただろうゲームは無数にあるわけだが。
でつまり、わたしが買ったゲームをプレイする機会というのは、実は知人宅に集まったときくらいなのである。
基本的に、ひとつのゲームを少なくとも10回はやりたい派(ていうかつまらなくなるまでやりたい派)なのだが、しかもできれば同じゲームばっかりくりかえしやりたいのだが、こういう欲求を満たすのは非常に難しいのだ。うーむ。
というわけで、買えばいいじゃんとは思いながらも、やれないなら買ってもなあというゲーム。の覚書。
いやしかし、考えてみれば、積ん読はとっくに数百冊になってるんだから……ゲームだって買っちゃえばいいのか?