直前になってますが、コミケ出ます。
今回は、新刊『テーブルゲームデザインの本 4号』を出します。
以前にもきていただいた方にはいつもどおり。
主に同人ボードゲームデザイナーがボードゲームデザインについてだらだらと話す本です。
今回のテーマは「ゲーム作りの道具」です。
あの『ラブレター』のカナイセイジさんにもなにか書いてもらいました。
今回もおもしろいのでぜひ見にきてください。
あと既刊ですが、品切れになっていた0号と1号をまとめて「0+1号」というのを作りました。100ページくらいありますが他と変わらず300円です。
お品書き
お待ちしております。
第1回(?)ヘイムスクリングラ会をやってきました。
たくさんの方に来ていただきました。参加者の皆さま、大変ありがとうございました。わたしもとても楽しかったです。皆さまにも楽しんでいただけていればうれしいです。
写真とか撮ればよかったよね。
今回やったのは、ドラフト大会でした。といっても2戦だけの簡易なものです。
10人の卓でドラフトを1周やり、ピックした21枚のカードから16枚のデッキを作ってスイスドロー2戦を戦う形式でやりました。使うカードはその場で開けたパックです。
いろいろなデッキを見ることができました。上位の結果を残したものを中心にいくつか紹介したいと思います。
すべてを紹介することはできませんが、他の方のデッキやプレイもいろいろおもしろいものがありました。デザイナーのわたしも感心していたり。
他に見ていた範囲で活躍が目立った印象のあるカードは「働き者」「死霊術」「劇団長」などでしょうか。
ゲーム以外にも、カードのトレードが活発に行なわれていました。
とても楽しかったので、またやれればいいなあと思っています。
今回はわたしの運営がわりとグダグダでしたが(すみません)、次回はもう少しちゃんとした大会的にやろうと思ったりしています。
試合の形式も、これでいいのか悩むところです。やっぱりドラフトは逆回りの2周目があったほうがおもしろいんじゃないかとか。その場合はどうするんだろう。パックをシャッフルして2つに分けるのか。
そのあたりも考えたいです。
あと、そういえばマニュアルに構築戦なんてのも書いてありますね。これやった人はたぶんまだいないと思うんですが(笑)。構築戦やる会なんてのもありなのかなあ。成立するのかなあ。
一人専用ゲーム。1匹から始まる羊をどんどん増やしていき、1000匹の群れを作ることができたらクリア、というゲームだ。
そんなテーマからはちょっと『クッキークリッカー』を連想する。
このゲーム、とても好きなのだ。やっててなんか楽しい。
ソロプレイといえば、サンダーストーンもかなりやった。じつはけっこう好きかもしれない。
山札があり、そこからカードを引く。手札は5枚。手番にはそこから1枚を使い、補充する。
山札が尽き、残った手札のカードも全部使ったら、捨て札のカードをシャッフルして山札を作り直す。これを3周やる。
このあたり、デッキゲーっぽくもある。なんだかんだといっても、デッキゲー的な操作は理由なく楽しいんだと思う。
タイムリミットまでに1000匹の群れを作れたら勝利。作れなければ敗北だ。
もちろん羊が増えるカードがあるのだけど、それに加え、羊が減る災害も入っている。それに苦しめられながら、羊を増やしていく。
手札からカードを廃棄(ゲームから取り除く)できるカードがあったりもする。山札は3周するから、廃棄してしまえば次からは出てこない。
ちなみに。最初の手札がすべて災害カードだと、なにもできずに終わってしまうなんてこともある。そんなところも楽しめるのは一人用ならではだ。
1000匹の達成はもちろんそれなりに難しいのだけど、慣れれば簡単になる。そうなったら次は、1000匹では終わらないスコアアタックモードがある。何匹まで増やせるかの戦いだ。
でもこれも上限があって。場には7枚しか並ばないし、ひとつの群れの大きさは1000匹が上限だ。7000匹でカンストしてしまう。
パーフェクトを出すのも、じつはそんなに難しくない。1000匹が達成できたならあと1歩だ。もちろん100%できるわけではないけど、慣れると数回に1回くらいは出るようになる。
このへんは残念なところ。ちょっとシンプルすぎて、必要な手順が確定してしまっている。手順がわかってしまえば、それを辿るのも難しくない。ぜひ続編か拡張がほしいところだ。羊を増やすためのルートが多様になったり使うカードがランダムになったりすると、リプレイ性上がっていいなあと思う。
そんな問題があって、すぐに遊び尽くして飽きてしまう面はあるのだけど。とはいえ好きなゲームなので、なんとかまだ遊べないか考えたりしている。
自分がやっていたのは、手札を5枚でなく4枚にする独自上級ルールだ。これだけでけっこう難しくなる。
しかし先日、このモードでも7000匹を達成してしまった。次は3枚かなあ。と思っている。3枚モードはほとんど究極の上級ルールといっていい。とんでもなく難しい。
(ちなみに。本当の究極シェフィは手札2枚だ。これでもすごい幸運があれば7000匹を達成できるが、パーフェクトソルジャー用だろう)
そんな風に気軽にちょっとルールを変えて遊べるのは、1人用ゲームのいいところかもしれない。相手がいるとなかなかできない。そんな遊び方する人が何人いるのか知らないけど…・・・。
公式の上級ルールが発表されるといいなあとは思うけど。それまではこの勝手ルールで遊んでいると思う。
ボードゲームの問題に、タダで遊べてしまうというものがある。ゲーム会にいけば、誰かがゲームを持ってくる。買わなくても遊べてしまう。
例えば東京には、100人規模のオープンなゲーム会がいくつかある。ということは、極端な話をすれば、ゲームは100人につき1個でいい。これはユーザにとってはけっこうなことだけど、ショップやメーカーにはおもしろくないかもしれない。
そこで、ソロプレイ専用ゲームだ。商業的にとてもよかったりするんじゃないか。
あと、シェフィの話題は平日にtwitterに流れてくるし。これ強い。自分もけっこう流してるけど。
以前から思っていたことなんだけど。ボードゲーマーって「ボードゲーム界の発展」とか「プレイヤーの増加」とか、そういうことをよく口にする。と思う。
表題に「宣教師」と書いたのはそういう意味だ。別に宗教とは関係ない。
例えばアニメ好きな人が「みんなアニメ見ようぜ!」などとというだろうか。いやまあいうかもしれないのだけど、ボードゲーマーほど頻繁にいうかなあ。
なんでだろうな、と考えてみると、もっともらしい理由はいくつか思いつくのだけど。
とてももっともらしい。
例えばなにもないところからいきなりボードゲームを知った人が、買ったゲームを遊ぼうと思ったら、まずは友人たちに教え説得しなければならない。多かれ少なかれそういう経験をしたことのあるユーザがかなりの数いるだろう。
仲間を増やさなければ自分が遊べない。ボードゲームの特性だ。
あとは、こんなのもありそうだと思う。
普通の人に「ボードゲームが好きです」といっても、さっぱり話が通じないだろう。「人生ゲームですか」「桃鉄ですか」ならかなり上等な反応。「えっなに?」くらいがほとんどだろう。ほとんどの人にとって、そもそも脳の中にある語彙データベースに登録されていない語だ。
だから、自分のことをわかってもらうためにはまず、ボードゲームとはなんなのかを説明しなければならない。この説明が「布教」とつながる。
そんな理由があるかもしれなくて、それでかどうか、ボードゲーマーには宣教師が多い気がする。あくまで自分の印象なんだけど。
さて、それを前提として。このためにおもしろい現象が起きている気がする。それは、ゲームを見るときに「布教しやすさ」が評価されているんじゃないかということだ。
例えばゲームについて、こんな感想を聞くことがある。
こうした言葉のおもしろいところは、ゲームとしてのよさにあまり触れていないところだ。もちろん加味されているはずだが、言葉からはまるで、ゲームのよさは関係ないかのように見える。
この背景には、もしかして「布教しやすさ」があったりしないだろうか。
供給されるゲーム自体も、そんな環境に適応してしまっていると思う。日本だけの話じゃなくて。
近年、といってもけっこう前からだけど、よく見る奴で「拡大再生産っぽいのにじっさいには拡大しないゲーム」というのがある。
拡大するということは差がつくということで、経験者と初心者との間で得点に大きな差がついてしまう。圧倒的に負けた初心者はそのゲームをつまらないと思うかもしれない。そりゃ勝てそうな方がおもしろいだろうし。大差がついてしまうゲームは布教に向かない。
または、なにをやっても勝利点が入り差がつかないゲーム。これも同じだ。見た目上差がつかず、上級者が初心者と遊びやすい。あるいは、そもそも「上級者」が発生しえない。これも多い。
布教しやすければいいから、複数回やりこんだときのおもしろさは考慮しなくてもいい。数回遊べば飽きるようなゲームでも、初回プレイがおもしろければ問題ない。
このあたり、布教される側がそういうものを求めるケースは当然あるのだけど、同時に、布教する側の都合でもあると思うのだ。
ゲームを買いまくるタイプのマニアは、ひとつひとつのゲームをやりこまない。たぶんほとんどのゲームを1回かそれ未満しか遊んでいない。やりこむ時間がないのだ。そしてたぶん、そうしたマニアたちが宣教師の役をやっている。
いわゆるリプレイ派とノンリプレイ派の話なのだけど、これ、業界全体から見れば、ノンリプレイ派が多いほうが都合がいい。
一生カタンをやり続けるプレイヤーばかりでは市場が回らない。ボードゲームを買いまくるノンリプレイ派のマニアが、ゲーム会などで初心者相手に1回遊ぶ。そうした環境に特化したゲームが増えるのは、市場の動きとして自然なのかもしれない。
ボードゲームの世界が大きくなったのはたしかなのだ。種類も増え、プレイヤーも増えた。そこで「宣教師」たちが果たした役割は小さくないだろう。
でも、例えば、わたしやあなたが宣教師になる必要はないのではないか。
「布教」は最終目標ではないはずだ。布教しやすさがそのままゲームの評価となる、わたしが感じているような状況が本当にあるとして、それはゲームを楽しんでいるといえるのか?
じっさいのところ、自分だってゲームを買うほうだし、布教っぽいことをしないわけではない。「軽くていいね!」なんて自分だってたまにいう。だからこそ、ときどきこんなことをふと考えたりする。
やりこみについては。
「初心者と楽しめなくなってしまうからやりこまない」
と公言する人さえいる。けっこういる。
この言葉、すごいと思う。自分の楽しみの一部を犠牲にしてしまっているのだから。
こうなると、そもそもボードゲームってなんだったっけという話になる。
相手が誰でも楽しめる、そういう遊びの側面は確かにあるだろう。一方、ゲームである以上、やりこみや技術の向上を楽しむ遊びの側面もある。これ、両者はそもそもなんか違う遊びを遊んでる。
どちらがいいという話ではないよね。
「軽くていい」は「重いから悪い」ではない。
「初回から楽しめる」は「1回でわからないから駄目」ではない。
ただ、布教が大目標になりすぎると歪むなあと思う。
ゲームを買いまくるマニアがノンリプレイ派になるのは自然なことだ。一方、あまり買わない初心者と呼ばれる人がゲームを1個買ったら、それは飽きるほどやりこむわけで。そんな人の遊びは純粋かもなあと思ったりする。マニア側の人間の端くれとして。
seeryu -2013/12/11 10:24
大変面白い話、読んでいただきました。
差支えがなければ、このエッセイを韓国語に翻訳して韓国のボードゲーマーにも見せてやりたいのですが、よろしいでしょうか。
もし良かったら、horrible2000@msn.com でご返事お願いします。
てらしま -2013/12/11 21:56
ありがとうございます。
はい。問題ありません。
阿部勝利 -2013/12/19 11:42
山口の阿部勝利と申します。
カルチャーセンター等で、ボードゲーム教室を
やっているボードゲーム宣教師です(笑)
確かについ、ライトなゲームを紹介しがちです。
(ピットとか、オバケキャッチ)
宣教師の楽しみの一つは、インストの喜びです。
「こんなゲームに出会えてよかった!」
とそう言って頂けると本当に嬉しくなります。
いつも、投稿楽しみにしています。
失礼しました。
『ヘイムスクリングラ』ご好評をいただいております。ありがとうございます。楽しんでいただければ、こんなにうれしいことはありません。
すでにショップでもお求めいただけるようになっていますので、ご興味がありましたら見てみてください。これから入ってくるエッセン新作のついでにでも。
最初はマニュアルにある構築済みデッキで遊ばれることが多いかと思いますが、ルールがわかったらぜひ他の遊び方も試してみてほしいと思っています。シールドなどでデッキを作り、デッキの内容を把握して遊ぶとまただいぶ違った感じになると思います。
慣れたらドラフトがおもしろいと思います。ただ敷居が高いと思うので、構築済みデッキに数枚だけ足すとか、半分だけドラフトなどでもいいと思います。なんでもいいです。
以前にもここに書きましたが、体験会的なイベントも予定しています。ちょっと興味あるくらいで充分なので、お気軽にご参加ください。
ルールの説明などもします。あとちょっとしたドラフト大会もやる予定です。
ところで。よくいただくお話で『辺境の要塞』というカードが強すぎるというご意見があります。申し訳ありません、じっさい強いと思うんです……。
強いコモンのつもりで作ったカードではありますが、やりすぎた感も確かにあります。どうですかね。
そんなわけでパッチを検討しているのですが、こういうのは慎重にやったほうがいい気もして迷います。きりがなくなってもよくないです。
まだ発売から間もないし、もう少し様子を見たい気もするのですが。ただこのカード、強いだけでなく使い方が楽すぎるので、おもしろさを削ぎやすいかもしれないという気もします。
そこで、こんな修正案を考えてみています↓。
もちろん使っても使わなくてもかまいません。必要に応じご利用ください。
(案なので、変更の可能性があります)