ゲーム会してた。
自分は1830やっちゃったので本数少なめ。
裏では、プロスペリティ、ヘイムスクリングラ、フェイト/エースロイヤル、あとなんか謎箱みたいなやつなどが立っていた様子。
いわゆるドイツ流ボードゲームを形成しているものの一部は、ゲームは無駄を省いたシンプルなものでなければならないという一種の美意識だろう。良し悪しはともかくじっさいの話として、この美学がボードゲーム文化の一部を形成しているわけで、なくてはならないものだ。
しかし、世界にはそうじゃないゲームだってたくさんあった。もっと冗長で、そのぶんフレーバーの表現に長けた、ルールが多くカードやテキストがたくさん登場するようなゲーム、ドイツ的に対し「アメリカ的」と表現されてきたようなゲームだ(この言葉は完璧に適切とはいえないのだけど)。
特に最近。ドイツ流の流れからも複雑なゲームが増え、いろいろ混じってよくわからなくなっている。ドイツゲームの流れから現れたのは確かなんだけど各国の文化をとりいれた、純粋なドイツゲームではないボードゲームが増えている。
いわゆるアメリカ的ともまた違う。ヨーロッパの他の国だったりするし。むしろドイツゲームっぽいシンプルさを元にしているんだけど、そこにごちゃごちゃといろんなものがくっついた、美しいとはちょっといえないかもしれないキメラゲームだ。
例えば、テラミスティカもそうかもしれない。ドミニオンからつづくTCG逆輸入の流れもそうだろう。
もはやシンプルさは至上ではない。というより、シンプルでいいものも当然あるのだけど、特に重めのゲームを好む連中にとってはそれでは物足りない。
こうなると美学もぶれてきて。なにがいいのかよくわからなくなってくる。でもおもしろいならしかたないわけで。
なにがいいたいかというと、ネイションズの話だ。
文明を選び、プレイヤーボードを受け取る。そこに建物を建てたり人物(アドバイザー)が登場したりする。時代が流れていき、それにともない建物も人物も移り変わる。
建物などはすべてカードで表現される。場に置かれたカードを買い、プレイヤーボードに置く。プレイヤーボードに置ける枚数は決まっているし、時代が進むにつれ登場するカードが強くなるから、自然と移り変わっていくことになる。
このへんの時代が移り変わる感じは、スモールワールド(ヒストリーオブザワールド)みたいな感じ。マップはないけど。
人数×40分というわけで、この表記はテラミスティカより長い。まあそんなに複雑なことをやっているわけでもないんだけど、選択肢が多くて悩む。プレイ時間の長さはほとんどが長考によるもの。そういうゲームだ。
やることはだいたい2つ(他にもあるけど)。
カードを買うにはコインが必要。ワーカーを配置したり移動したりするには鉄が必要だ。カードを買うだけでは効果がなく、そこにワーカーを配置しなければならない。
また、各ラウンドの終了時に、ワーカーの人数に応じて食料を支払う必要がある。
というわけで、コイン、鉄、食料の3つの資源のやりくりが、まずすべきことになる。
これ大事なことなのでもう一度書くけど、この3つの資源のやりくりが必要だ。おおむね3つ全部が必要。なので、序盤にまずこの資源の確保を考えて動かないと簡単に詰む。
で、これとは別に「文化」というものがある。これが主な勝利点源だ。
さらに、安定度と兵力というのもある。
安定度が高いと、各ラウンド終了時に起こるイベントでなにかいいことが起きる。低いと悪いことが起きる。
兵力は「戦争」カードで他のプレイヤーに被害を与えることができるのと、「紛争」で資源がもらえたりする。あと植民地を征服するのにも使う。
他にも、ワンダーの建設というのもある。
3つのリソースをマネジメントしながら、生産が安定してきたらワーカーを増やし拡大再生産、というような流れになる。
いろいろな種類のカードが登場するわけなのだけど。ひととおり紹介すると。
ここまでが、プレイヤーボードに置くカード。あとは、買ったらすぐに効果が出る使い捨てのカード。
だいたいありそうなものが全部ある感じ。
こんな大量のカードが、場にどばっと並べられている。種類別に分かれているということもなく、全部混ざっている。3列に並べられていて、下段のカードは1コイン、中段は2コイン、上段は3コインで買えると。
手番がきたら、前述したとおり、コインを使ってこのカードを買うか、鉄を支払ってワーカーを建物に配置するかをやる。あとワンダーの建設のために建材を買うというアクションもある。
全員がパスをしたらラウンド終了。
ラウンド終了時に、誰かが戦争を起こしていたら戦争の処理をする。
その後、ラウンド開始時に公開されていたイベントが起こる。イベントはだいたい、安定度が高い人が得をするか、低い人が損をする。
ワーカーを増やしていたらそれに応じて食料を支払う。
2ラウンドに1度、時代が変わる。時代の変わり目には文化レベルで勝利点が入る。自分より後ろのプレイヤーの人数だけ得点。
で次のラウンド。
ラウンド開始時には、ワーカーを増やしたければ増やしていい。増やさない場合は、好きな資源を何個かもらえる。
4時代8ラウンドが過ぎたら、ゲーム終了だ。プレイヤーボードに置かれたカードの得点(建物はワーカーが置かれていれば得点)を足して、最終的な得点が一番高いプレイヤーの勝利。
とにかく大事なのは、序盤に間違えないことだ。必要なのは、コイン、鉄、食料の資源生産であって、文化ではない。
これけっこう罠で。生産力の確保に失敗すると、戦争でさらに資源を減らされたりそのせいでワーカーを養えなかったりと悪循環に陥り、簡単に勝利争いから脱落する。まあ拡大再生産ゲームによくある罠なのだけど、このゲームの場合は特にハマりやすそうな気がする。
あとワーカーを増やすリスクがけっこう大きい。単純に増やせばいいわけでもない。この種のゲームではわりと、ワーカー増加が単純に正義ということも多いのだけど、これはそうでもない。そのへんはいいところでもあるが、ハマりやすい要因にもなっているかもしれない。
そういう罠がいくつかあって、初回プレイの人たちで卓を囲むと大差がつくと思う。
でもそのあたりがわかっていれば、今度はそれほど差がつかないようになっている。要素が多いわりに、得点手段がとても少ない。だいたい、文化レベルによる得点しかない。
ゲーム終了時に持っているカードが得点になるけど、これはけっきょく大きな差にはならない。それ以外は主に、各時代の終わりの文化レベル順位による得点だけ。他にもあるのだけど、それは戦争で資源を失いすぎて資源を支払えずに減点とか、イベントカードで条件を満たしたら1点とか、そういう一時的なものばかりだ。
これだけ大量のカードがあるのだから、コンボとかあるのかと思うけど。そういうゲームではない。
兵力を上げても安定度を上げても、けっきょくは文化レベルが上がったり下がったりする。いろいろあるけど最終的な出力先はだいたい文化レベルだったりする。
文化レベル順位での得点は、4人プレイなら最大で3点しか入らない。いくら生産力に差があっても、それしか差が開かない。それに、4回しかない。
そういえば、テラミスティカも似たような構成だった。いろいろと難しい手順を踏むのだけど、最終的な得点は支配地域の広さの順位と教団トラックの順位。多くの要素を経て最終的になにかの順位に帰着させる、この手法はひとつの方程式なのかもしれない。
ていうか別に新しい話でもなく、エルグランデなどのエリアマジョリティがまさにそれだ。ドイツゲームの伝統的な手法のアレンジともいえる。
こうなると。けっきょく文化レベルを比べるだけなのに、こんなにいろいろなルールが必要なのか? という疑問が、ふつふつと湧いてきたりはする。汚いゲームだなと思ったのだけど、これはそのあたり。
「汚い」ところは他にもいろいろあって。例えば兵力。
このゲーム、兵力の用途がとても広い。紛争カードを使えば資源になるし、戦争で得点(他プレイヤーの減点)にもなる。植民地という便利な生産カードを手に入れることもできる。イベントカードの中には兵力を比べるものもあり、そこでも有利だ。つまりほぼすべてに効く。
こういうの、たぶん調整の結果そうなったのかなあと思うのだけど。けっきょく兵力ってなんなんだ? という意味では、意味のぼやけた万能のパラメータになっている。調整をしすぎたゲームがよくそうなる。
あとイベントカード。イベントカードはゲームに変化をもたらすために常に有効だけど、黒魔術なわけで。
とにかくそんな感じで、整理する気はないだろう。システム的なよさとかではない、じつは雑多でてきとうなゲームだ。
たとえばニュークリアウォーとか、ダイナマイトナースとか、あのあたりの、昔のカード次第のバカパーティゲームとなにか違うのか? といわれたら、じつは大差ないような……気もしてくる。
いろいろ書いてるけど。けっきょくのところ、なぜ汚いと思うのか。ドイツボードゲーム的美意識と食い違うのだ。ある種のシンプルさを土台にしてはいるのだが、それを台無しにするレベルでごちゃごちゃと付け足されている。そぎ落とすという思想はたぶんない。
で、じゃあおもしろくないの? という話だ。
いやおもしろいですよ(怒)。
完璧とはいわないけど。歴史テーマも、拡大再生産も、リソースマネジメントも、もちろん嫌いじゃないし。
これ、最近特に思うのだけど。テラミスティカにしろネイションズにしろなんにしろ、最近ゲーマーズゲームと呼ばれるような長時間ゲームって、これまでの美学では計れないものになりつつあるんだと思う。
要素が多いからツッコミどころを捜せばいくらでも見つかるんだけど、整理してみたら大したことじゃなかったりするんだけど、でも総体として遊んだらおもしろいじゃんと。
昔のアメリカ重ゲーだってそうだったといえばそのとおり。ただ、いまのゲーマーズゲームはドイツゲームの美学が浸透した後に生まれてきたのだ。収束性とかインタラクションとか、インタフェース部分の作りとか、いろいろなものがドイツゲームの歴史を引き継いでいる。そうするとやはりまとまりが違う。少し前の重ゲーよりも、格段に遊びやすくなっている。これはこれで、いまこの時代でしか作れないゲームなのだ。
それをどう受け取ったらいいのか、わからなくなってきたところがあると思う。というか自分にはちょっとある。
またやります。ヘイムスクリングラなどボードゲームをやる会です。
こういう重めの同人ゲームやる機会ってなかなか作りづらいとか、そういうことはじっさいあると思うわけです。なので自分でイベントやります。
普通にボードゲーム会です。ヘイムスクリングラやらなくてもいいです。
今回はちょっと趣向を変えて、構築戦をやろうかと思っています。
(手元のブースターパックが品切れということもあり……)
それこそ普通やる機会のない遊びだと思います。気が向いたら、せっかくなので構築デッキを作ってみてもらえればと思います。
まあそんなにガチ勢もいないので、ドラフトやシールドでうまくいったときのデッキくらいのものをてきとうに作ってきたら充分と思います。
もちろんデッキを持ってこなくてもいいです。
まあゲームスペース柏木でボードゲーム遊ぶだけの会です。お気軽にご参加ください。
「非対称ゲーム」という言葉がある。一般的な用語かどうかは知らないけどわかりやすいから使う。ボドゲで使われる場合はおおむね「初期条件がプレイヤーにより違うゲーム」くらいの意味だ。
BoardGameGeekでは、Variable Player Powersなんてタグがあったりもする。
はっきりと非対称を意識し成功したゲームの例としては『世界の七不思議』が挙げられるだろう。もっと最近で印象深いのは『テラミスティカ』だ。他にも『ネイションズ』『スマッシュアップ』などなど、多数の例がある。
特に最近多い気もするのだけど。歴史的な話をするなら『コズミックエンカウンター』を挙げないわけにいかない。あるいは『シヴィライゼーション』などもある。つまり、新しい話ではない。むしろ歴史は古い。
ウォーシミュレーションゲームでは非対称が当たり前だ。そしてウォーシミュレーションはおおむね、いまボードゲームと呼ばれているムーブメントよりも古い。非対称ゲームの隆盛というのが現在あるとしたら、それは回帰だともいえる。
先日『ネイションズ』を遊んだときに思ったことなのだけど。
『ネイションズ』にはプレイヤーボードがあるのだけど、これが両面仕様になっている。A面は全プレイヤー同じ。B面はそれぞれ違う、という、よく見る奴だ。
そういうゲームはたいていそうだが、A面は初心者向け、とマニュアルに書いてある。特殊能力などがないため、ルール説明が多少省けるからだろう。わたしたちも、最初はA面で遊んだ。
この初プレイは序盤に失敗してボロボロだったのだけど(笑)。これはじっさい、自分の序盤の動きが間違いだった。初プレイのゲームにはそういうことがある。特に拡大再生産するゲームでは、序盤の1手が大きく効いてくる。1ラウンド目に打った手がたまたま正解だったら勝つし、そうでなければ負けるという、運に左右される面が必ずある。このゲームでは、序盤に必要な資源生産力が確保できず、トップとの差は開く一方になった。
人はたいてい、勝ったゲームのほうがおもしろい。しかし初プレイで勝てるかどうかは、まあある程度は運だ。つまり、ゲームがおもしろいといわれるかどうかは単純に運で決まっている可能性があり、意識していないとそれに振り回される恐れがある。1回だけ遊んで負けたゲームへの評価は信用できない。たとえ自分の感想であっても。
少なくとも、全員が同じ条件のA面ではそう。特に、ミスをしてへこむと二度と逆転できないゲームだけに(ミスをしなければそんなに差がつかない)。危険なゲームだなと思った。
しかし、B面ならどうだろう。B面はそれぞれに違う能力を持っている。B面で負けたのなら、とりあえず「この文明弱い」といえる。これなら、文明が弱いのであって、負けたゲームがつまらないわけではない。
あるいは、自分のミスであることに気づくかもしれない。「この文明はこう使うんじゃないか」という感想戦が行なわれるだろう。そこで話されるのは文明の攻略法であり、このゲームがいいか悪いかという話ではない。プレイヤーの心理の動きとして。非対称ゲームには、そういうバイパスを作る機能がある。
それ以上に。各文明固有の特徴は、プレイヤーの道しるべになる。他の文明と比べ、自分の文明のどこが強くどこが弱いのか、それがわかる。欠点を補うにしろ長所を活かすにしろ、文明の特徴はプレイの指針になる。初プレイでなにをしていいかわからない状態になりにくい。
そういう意味で。ネイションズは最初からB面で遊ぶべきだと思う。ゲームデザインの話として、A面の存在が失敗だという気がする。
というか、1回目のゲームでそう思った。
そこで、2回目はB面で遊んだ。1ゲーム目の教訓が活き、僅差の好ゲームになった。2ゲーム目のほうがよりおもしろかった。
もちろん、これはB面だからではない。1ゲーム目の教訓があったからだ。最初からB面だったらどう感じていただろうか? それはもうわからない。違うことを感じたかもしれないし、あまり変わらなかったかもしれない。このゲームに関してはもうわからないというのがじっさいの話なのだけど。
同じような例で思い出すのは『アグリコラ』だ。アグリコラは通常、たくさんのカードが配られてからゲームを開始する。あれも非対称ゲームだ。
しかし。初心者向けの「ファミリールール」ではそのカードを使わない。それでは非公開情報が極端に少ない、むしろガチゲーになる。とはよくいわれる。
あの手札には大きな意味がある。手札のカードを活かすためにどうしたらいいかを考えそれに沿ってプレイすることができる、つまり、プレイヤーの道しるべとなることだ。手札がある通常ルールのほうが軽い印象になるのはそのため。それを、省いていいのだろうか。
確かに、数百枚もあるカードを把握するのは手間がかかる。ルール説明も時間がかかるだろう。それになにより、あのカードは自分にしか見えていない。だから同卓のプレイヤーが教えるということができない。基本的なルールもわからないのに各カードがどう機能するのか、想像するのはあまりに難しい。
それでも、アグリコラは最初から通常ルールで遊ぶべきなのではないか。むしろ初心者だからこそ。なんの道しるべもないファミリールールでは途方にくれてしまうのではないか。
テラミスティカに「ファミリールール」があったとしたら、どうだっただろう。能力のない、全員同じプレイヤーボードが配られるのだ。たしかにルール説明の手間は省けるだろうけど、これほどリプレイされるゲームになれただろうか。
穴のないゲームではないのだ。「差がついたら逆転できない」「重い」「テーマ性が薄い」など、いえる言葉はたくさんある。しかしそう感じないとしたら、種族差があるからではなかったか。プレイヤーの目がゲームの欠点ではなく種族別攻略に向かい、リプレイ欲求になるのではないか。
非対称ルールが上級者向けというのは、間違ったデザインなんじゃないか?
あるいは、非対称ゲームのゲームデザイン上の価値は、現状でもまだ過小評価されているのではないか。
などと考えた。
(反対の話をするのもおもしろそうだ。つまり「騙されるな、非対称はゴマカシだ!」)
のっくあうと -2014/01/15 21:46
非対称ルールの考え方にも幅があるのかもしれませんね。
おいらは netrunner は非対称ゲームだと思いますが、ウォーゲーム(ドイツ軍とソ連軍の違い)アグリコラ(手札が違う)やコズミックエンカウンター(特殊能力が違う)あたりは同じルールの枠内なのではないかと思います。
たとえば、手札が違うのも含めるとトランプを使ったゲームの多くは非対称ルールになっちゃうのでw
アグリコラのファミリールールについては、カードの特殊能力を用いないことでゲームの進行を覚える、ルール説明の手間が省ける、特殊能力を意識せずに一度やってみる、くらいの意味ではないかと思います。
ディセントや惨劇Rooper あたりの親プレイヤー兼レフェリーなゲームも非対称ルールかな。
てらしま -2014/01/16 02:38
まあ言葉の定義はいろいろありそうですが、ここではこういう意味で使ってるくらいのところで。たしかに、例えば手番順があればみんな非対称といいはじめるとなんでも含めちゃうし、どこまでとなるとめんどうな話になるんですよね。
おっしゃっているのはルール自体が明らかに違うものという意味かと思います。スコットランドヤードあたりがボドゲだと有名ですかね。
アグリコラのファミリールールはそういう意図なんだろうと思いますが、重いし……。あれでアグリコラの楽しさがわかるのかどうか怪しい気はします(笑)。
max747 -2014/01/19 22:33
考察の方向性としては首肯するところですが、アグリコラについては最初から通常ルールでやってよいかどうかの判断が難しいところですね。
カードに書いてあることの意味が分からない、という状況も多々発生すると思いますので。
経験者によるフォローがあるという前提つきで、
1. 経験者からインストラクションを受けながらラウンド7(全体の半分)までプレイする
2. カードありで最初からやりなおす
がいいと思います。
てらしま -2014/01/20 15:28
どもです。
たしかに理想はそうですね。最初はカードの意味わからないだろうし、いきなりだとパンクしてしまいそうで難しいところです。
7ラウンドというのが、やりこんでる方のリアルな意見という感じがしました。インスト論でよく、わかりにくいゲームは1ラウンドやってみようというのがありますが、たしかにそうなんですよね。そこまでひとつのゲームにつきあってもらえるのかなど、それはそれで難しい面もありますが、手間を惜しんじゃいけないという話かもなと思います。
あ。あけましておめでとうございます。今年もいろいろやると思うのでよろしくお願いします。
コミケに来ていただいた方々ありがとうございました。なんか、前回の夏と比べると2倍くらい売れたような。
『テーブルゲームデザインの本』をコミケで売っていると毎回思うことですが、こちらが思う以上に、ボードゲーム作りへの関心の高さを感じます。
ていうかそれより、あの夏が暑すぎてやばかったのでその反動という気がしますね。
いちおう新年なので、今年の予定をざっと書いておこうかと。書いてしまうことで自分のやる気を出すという意味でもあります。
あとウェブでやりたいと考えてることもいくつかあるんですが、どうだろうなあ。やれるかなあ。
そんな感じです。今年も何卒よろしくお願いします。