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遊星ゲームズ
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1970/01/01 09:00

空色勾玉
 読書

空色勾玉
荻原規子 徳間書店BFT

2005.5.29 てらしま

amazon
 いわれてるほどハイファンタジーって感じでもなく、ましてや、装丁とルビの量から想像するほど児童文学ではない。
 じゃあなにかって……少女マンガ?
 荒唐無稽なことがあたりまえのように起こり、主人公は少女で、かっこいい男の子が次々といいよってきて、いろいろあるんだけど話を牽引するのはあくまで主人公の色恋であって、あいや、そういうものを批判しているわけでは決してなく、むしろどちらかというと好きなわけだが。
 評判もわかる。おもしろかった。
 ただまあ、少しナイーブすぎですぐ泣く主人公は、デビュー作らしい未完成さを表していると思う。だいたい人が泣く場面というのは、若い作家が書いてしまうことが多い気がしてるんだが、これはよくないと思う。ひとたび泣いてしまったらもうキャラクターはキャラクターでなくなってしまう。子供が泣くのは自分の主張を通すためではなく、ただこちらを見てほしいからだろう。だから、泣くキャラクターに読者は必ずしも共感できない。
 意地でもキャラクターを立たせることの意味を知っているベテランの小説では、キャラクターは泣かない。もっとも、そういうベテランはもう泣くほどの感性が枯れているのかもしれないが。
 それにしても、おもしろかったのである。考えてみれば筋自体にはいろいろ問題があるわけだが、それでもしっかりと引きこむ力がある。二律背反や危機が訪れ、それが意外とあっさり解決したと思ったらすぐに次の危機がある。それをくりかえすうちいつのまにか読み切っている。まさに、昔のよくできた少女マンガの世界だ。
 日本の神話の世界の話である。
 神は本当にいて、奇跡は本当にあって、魔法もあって、人間はそういう世界を当然として生きている。主人公はそんな神の一人である月代王(つきしろのおおきみ)に憧れる村娘。ほんとに不老不死の光の神の軍団と、死を司る闇の軍団が戦争をしていて、主人公は闇の巫女である「水の乙女」でありながら光に憧れてみたり。いろいろと複雑な事情の運命の人に出会ってみたり。
 というか、半分くらいまで読んでやっとそういう話が判明するわけで、これはやはり欠陥があるというべきだが、読めるんだからしかたないってものじゃないか。
 ベテランの小説ではないと書いたが、そうでなければできないこともある。つぎつぎと状況を動かすこのエネルギーがそうだ。たしかに主人公は泣くし、わたしは泣く主人公は好きではないのだが、しかしこいつは最終的に泣くことに頼らない。だからまだ許せる。むしろそういう感情を正面からぶつけるパワーには利点もあるわけだ。
 これはデビュー作なのであり、大いに先を期待させるものなのである。もちろんこれに続く『白鳥異伝』と『薄紅天女』も読むよ。


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1970/01/01 09:00

白鳥異伝
 読書

白鳥異伝
荻原規子 徳間書店BFT

2005.6.7 てらしま

amazon空色勾玉』もそうだけど、名作というつもりはないし傑作ともとてもいえない。作品の出来という点だけから見れば、明らかに評価の方が高すぎる。
 でもまあ、おもしろくないわけではない。
 前作で、一つでも大きな力を持っているっぽかった勾玉が、たくさん登場する。それを紐にとおして連ねるともっと大きな力になるんだよーという話だ。
「という話だ」とはいうものの、これがまたなかなかそういう話にならないんである。主人公の生い立ちからはじまって、例によっていろいろひどいできごとが起こって、とにかくまあ細かくいろんなことが書かれていく。それで、なるほどこういう話だったのかと判明して物語がはじまるのが、200ページも読んでからなのである。
 それまでに登場したキャラクターはあっけなく忘れ去られ、気づいてみると、それまでとはぜんぜん違う話がはじまっているんである。
 なんというか、小説作法の基本みたいなものをあっさり無視した小説だ。段落の途中で、当然のように視点が変わったりもするし。最後にとうとう現れた強大な敵は(そういう話ではないにせよ)もうとっくに忘れていたような奴だし。
 作法から外れたからいけないというものでもないし、おもしろければいいのだ。たしかにわたしはおもしろいとも思った。しかし、さすがにだ。完成度が高いとはとてもいえない。
 やけにくわしく描写したかと思えば、すごく重要な場面は書き飛ばす。主人公は、それまでさんざん悩んできたことを、たった数行で開きなおる。それで克服したはずなのに、数ページも読むとまたたいして変わらない問題がもちあがる。
 このキャラクターは本当に必要だったのかとか、こいつ全然出てこなくなったけどそれでいいのかとか、いろいろ疑問が多いのだ。
 ほんとに、それでえーんかと思う。この話に、どうして肩入れすることができようか。
 と思うのだが、しかしなぜかそれが、できないでもないのだ。でなければこんなに読まれていないだろう。
 とりあえず、二律背反とか破滅の運命とか、そういうのがあると気になるということだろうか。あのほら、CLAMPのマンガとかなんて、そればっかだし。
 とりあえず、100ページ以上もかけて構築してきた世界をあっけなく壊してみせたりする、この思い切りがいい。しかもそれがただの導入だったりする。気の利いた話なら村が燃えている場面から始めるだろうが、そうはせず、突然破滅が訪れるからびっくりする。
 そのくせ話の大筋に関わる場面は書かれなかったりするあたりは問題だと思うけど。
 そうやって目まぐるしく展開する話に、キャラクターが追いつかない。これも問題。あ、ここは体よく話の要請にしたがったなと、わかってしまう瞬間が何度もある。
 うーん、書いていると欠点ばかりが出てきてしまう。それほど欠点だらけの話なのである。前作だってそうだった。でもこうして続編を読んでいるんだし、おもしろくないわけじゃないのだ。しかしデビュー作を読んで期待したものの、続編で欠陥が広がってるあたりは不安だなあ。って10年以上も前の小説にいまさらなんだけど。


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1970/01/01 09:00

マリア様がみてる 薔薇のミルフィーユ
 読書

マリア様がみてる 薔薇のミルフィーユ
今野緒雪 集英社コバルト文庫

2005.7.8 てらしま

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マリア様がみてるシリーズ マリア様がみてる レイニーブルー マリア様がみてる パラソルをさして マリア様がみてる 子羊たちの休暇 マリア様がみてる 真夏の一ページ マリア様がみてる 涼風さつさつ マリア様がみてる レディ、GO! マリア様がみてる バラエティギフト マリア様がみてる チャオ ソレッラ! マリア様がみてる 特別でないただの一日 マリア様がみてる イン・ライブラリーマリア様がみてる 妹オーディション

 近ごろわたし、読書のペースが落ちている。これはもう、考えると愕然としてしまうくらい読んでいない。
 だからこのページも更新できてないわけで、しかも積ん読は増えており、そのうち買ったことを忘れてしまう本があったりとかして、弊害がある。
 どう弊害があるかというとだ。気がつくと棚に同じ本が2冊あるとか。ちょっと調べものをしようと思って捜しても見つからず、よーく考えてみれば買ってないじゃんとか。
 原因はいろいろある。遊びが増えたとか、別の趣味の方が忙しいとか、ワールドカップが近くてテレビを見なきゃならない時間が多いとか、F1の新レギュレーションが斬新すぎとか、パソコンのメモリ不足とか暑いとかいろいろだ。
 でも本は増える。不思議なことに。
 本を買うことと読むことは別の欲求からくる行動なのである。つまり、なぜ人は本を読むかといえば、それは本棚の未読率をこれ以上上げないためなのである。
 このさい、小説じゃなくてマンガのレビューでも書こうか。と思うと、わたしの好きなマンガというのはどうも偏っているらしく、もう何年も新刊が出ないとか、打ち切りになっちゃったとかそんなのばっかり。やっぱり完結したときに書きたいよなと思ってると何年待たされるかわからないんだし、それ以上に、マンガというのは完結したことが話題にならない媒体だ。たいていは、一番勢いを持っていておもしろい時期に爆発的に話題になる。そのあとは勢いを失っていき、読者も減っていき、完結したころには、話題は別のマンガに移っている。もちろんファンである我々は読んでいるが、全盛期ほどおもしろかったわけではない(場合が多い)ので、なんか終わったことに満足してしまってレビューを書こう!という勢いが出てこない。
 では打ち切りになったマンガではどうか。『満腹ボクサー徳川。』というわたしの大好きなマンガがあったのだけど、打ち切りっぽく終わってしまった。マンガがこうやって終わると、ファンとしては「またいつか再開する」という期待を捨てられないから、完結したかのようにレビューを書いてしまうのもなんだかなあと思ってしまう。それに、なにしろ処理されないまま残っている話なので、論じようがないというところもある。
 そもそもマンガのレビューって、あまり意味がない気もする。小説と違い、読者は表紙絵で買うものを選べるのだし、読むのにさほど時間はかからない。その気になれば、買わなくてもマンガ喫茶で読めばいい。わざわざレビューを参考にする必要はないじゃないか。実際、わたしはネットでマンガの批評を捜したことがほとんどないのである。
 いやまあ、小説以外なら読んだなそういえば。でもここに書くような本じゃなかったし。経済学の本だの、20年前の衛星通信の本だの30年前の囲碁の本だのをレビューしても意味がないじゃないか。よほどの名著ならともかく。
 で、こうして小説を読んでいない時期があると、やはり読みたくなってはくる。だが、身体が読むことに備えられない。こういうときは小説を読んで満足する感覚が恋しくなってるわけなので、そこで「もしハズレを引いちゃったら」と思うとなかなか手が出なくなってしまう。本を毎日読んでいるときというのは読むことそれ自体が楽しいわけなのだが、そこから離れてしまうと、そのことを忘れてしまうのである。だからなんとなく身構えてしまうのだ。リンゴを食べるときに、ぼけたリンゴの空しさを思い出して身構えてしまうのと同じだ。
 でつまり、マリみてである。このページにとっては、重要なシリーズなのである。とりあえず出れば読むので、ページ更新のチャンスを与えてくれるから。身構えるまでもなく30分で読み終えることがわかってるし。
 だが。いまわたしは、困っているのである。なにを書けというのか。
 なんというか、これは「本気」の巻ではない。そりゃあ別におもしろくないわけではないけど、なんとなく、話を書くより新刊を出すことの方が目的だったんじゃないかと感じてしまわないでもない。まあ話は少し進んでるわけだけど。
 というわけで、なにもこの一冊でレビュー書く必要もないのかなあなんてことを思ったり思わなかったり。まあでも書いたな。


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1970/01/01 09:00

Yuseiki

.Yuseiki(遊星機)

  • 作者 てらしま
  • バージョン 0.1
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