2005.1.10 てらしま
近所に駐車場があって小説もちゃんと置いている本屋がなく、そのせいでチェックを怠っていた。しかも1年も。気がつけば、乾くるみが3冊も出ていたのである。まあチェックしていたとしても、うちの近所の本屋じゃあ入荷していなかった可能性が大なんだけど。
そのうちで、とりあえず手に入りやすかったノベルスがこの本である。あと二冊はハードカバーで、近所の本屋にもなく、しかも1冊はアマゾンでも在庫がないとさ。いや困った。
林真紅郎という名の、まあ名探偵が活躍する、まあミステリーの短編集である。
五編のミステリーはどれも、小気味いいひねりを利かせた本格パズラーばかり……なんてはずはない。ひねくれた、というか、ミステリーというジャンルそのものをネタにしたというか逆手にとった、しょーもない話ばかりだ。
乾くるみを知っている読者なら、当然そう予想している。
それでもだ。やはり、本のタイトルに名探偵の名前があり、カバーで本格推理とか煽られているとちょっとそういうものに身構えてしまう。
これは読者の本能である。相手は乾くるみだとわかっているのにだ。今までさんざんひどい目に遭わされてきたのに「今度こそ乾くるみも名探偵に転んだか」と、ついつい考えてしまうわけである。
もちろん、それを裏切ってほしいと本心では思いながらページをめくるわけではあるが。
まだ読んでいない人にあまり予断を入れてはいけないが、とりあえずカバーの背表紙部分に書かれている言葉はすべて本当である。
わたしは、少なくとも五編のうち二編は楽しかった。
とはいえ、やはり短編である。いつもの乾くるみほどとんでもない話になるわけではない。長編ならばもっとすごいことになるだろうのに、この長さではそこまでいけない。
加えて、長編ならばフォローできる部分が、ちょっと書ききれない。乾くるみのよさは「さすがにそこまでやったら(人として)どうかと思う」領域に踏みこんだ上で納得させてしまうところなのだが、短編では踏みこむ幅も小さいし、納得させるところに文量も割けないのである。
それでもわたしのようなミステリー読みでない読者にとってはおもしろいのだが、なんというか、ここまでいったらネタバレかもしれないのだが、本気のミステリー読みならば迷わず「駄作」と断じてしまうだろう。
ちなみに楽しかった二編というのは、三つ目の「陽炎のように」と四つ目の「過去からきた暗号」である。逆にいちばんつまらないのが最初の「いちばん奥の個室」だ。そのせいで、この連作短編がなにをやりたいのかがつかめなくて困った。実際、この一編だけを読んだら駄作というしかないだろうと思う。
これから読む人は、一つ目の話であきらめずに我慢して次まで進んでほしいと思う。大丈夫。ちゃんと、本を投げて罵倒したくなる瞬間がある。
ちょっと残念なのはだ。ひょっとして、これくらいならば乾くるみでなくても書けるのではないか、という気がしてしまうのだ(書こうと思う奴がいるかどうかはまた別問題だが)。やはり短編ゆえ魔空空間への踏み込みが足りないところが、ファンとしては多少物足りない。
2005.1.15 てらしま
野村美月の最高傑作は『赤城山卓球場に歌声は響く』である。現在のところ、それは間違いのないところだ。
そして、『赤城山~』はデビュー作でもある。生涯最高傑作が新人賞をとってデビュー、という作家はけっこういると思う。これは考えてみればあたりまえのこと。数ある応募作の中からおもしろい作品を選ぶのだから、それが誰かの生涯最高傑作である可能性は高いはずだ。
野村美月も、それに近い。
近い、と書いたのは、まだまだ可能性を感じているからである。例えばこの『うさ恋。』のウサギ娘の、見事なウサギっぷりはどうだろうか。この登場人物には間違いなく、デビューのころにはなかった技術が投じられていると感じるのだ。
ただ、なんだかいかにも最近のエロゲーにでも出てきそうなキャラクターばかりというあたりには、正直閉口してしまう。ヤングアダルト文庫の読者層を狙ったという感じが、やはり息苦しい。
野村美月の既刊を全部見まわしてみていうのだが、この『うさ恋。』がワーストである。
だが、それでもわたしは一息に読めた。もうなんだか、いわゆる「萌え」という言葉のためだけに書かれたような、いろいろと不憫な女性ばかりが登場する作品はまったく読めないわたしなのだが。この『うさ恋。』も、冷静にいってそういう部類に入るわけなのだが、だ。
ワーストだと書いたが、つまらないというわけではない。むしろおもしろいといってもいい。ただ、野村美月のファンはもっと高いものを求めているということである。
『うさ恋。』ならばあえて野村美月がやる必要はないのだ。
新人作家は新人の勢いを持っているうちは、いわゆる「ニッチ」をついた、真似のできない小説を書いているわけなのだが、ひとたびトップに踊り出てしまうと、もはやニッチでいられなくなってしまう。これは読者から見ると非常に残念なことだ。
しかし、作家にはさらに先がある、と思う。いろんな要請をはねつけて、あるいは消化して、なお独自のものを書きつづける人もいる。
その意味で、野村美月はこれからが注目の人であると思いたい。
2005.1.25 てらしま
現在の記憶を持ったまま、意識だけが過去にタイムスリップする。つまり人生をやりなおすというわけである。
なんのことはない。ケン・グリムウッドの有名な小説
『リプレイ』
だ。元ネタの存在を、この小説では隠そうともせず、本編の中にこの『リプレイ』が登場してしまったりする。
突然、電話がかかってくるところから話は始まる。電話の主は、一時間後に地震が起こることを予言してみせる。
電話の男は、自分が「リピーター」だという。もう何度も、同じ人生をくりかえしているのだというのだ。そして主人公を含め無作為に選ばれた9人を「ゲスト」として過去につれていくというのである。
乾くるみにしては珍しい、というべきだろう。まず最初に、異常なできごとが起こるのである。キャッチーなのだ。
なんというか、もはや全然ミステリーではなくなってしまった。
いや、文法は間違いなくミステリーの感じではある。たとえば登場人物たちが、性別や立場に関わらずやたらと理屈っぽいところとか、まきこまれた一人称の主人公がいつのまにか探偵として行動していたりとか。当面の謎に対して登場人物の誰かが長台詞で推理を披露し、その推理をいあわせた別の人物が論破する、という、ある種の小説では見なれたパターンで話が進んでいくわけである。
そういう感じではあるのだが、しかし、ミステリーではない。半分くらいまで読んでも、物語の目的、つまり解くべき謎が明確に示されないからだ。謎がないのでは探偵も推理も必要ない。真犯人がわかったカタルシスも生まれなさそうだ。
ではなにかというと、SFなのである。『リプレイ』だし。
が、そこは乾くるみ。20年も前のSFに書かれていたことをそのままなぞったりなど、するはずもない。
いつもの、読者を裏切る大転回は少し鳴りを潜めている。むろんあることはあるが、やはり、大きな謎があるからそれを裏切ることができるわけで、この小説にはそれがない以上、いつものようなとんでもない事態にはなりようがない。
それに、なにしろはじめっからとんでもないことが起こってしまっているのである。これはSFの難しさそのものなのだが、始めにすごいことが起こってしまうと、終幕のカタルシスを演出するためにはさらに大きな衝撃を用意しなければならない。極端な話、タイムスリップを認めてしまった以上、もはやここにゴジラが出てこようが地球が滅びようが、不思議ではなくなってしまうのだ。
そういう意味では、思ったよりもふつーの話だった。もっとも『リプレイ』を下敷きにして同じような話をやっておきながら(つまりパロディやオマージュのたぐいなのだが)、つまらなくはならず「ふつー」で留まることができたのはやはり作家の実力というものだろうか。
解くべき謎が示されないと書いたが、少なくともSFファンにとってはそうではない。『リプレイ』を知っているからである。
わたしは『リプレイ』を読んでいたし、話の筋もだいたい憶えている。そういう立場からは、この物語には始めから目的が示されている。『リピート』というタイトルから、すでに『リプレイ』を想定しているわけで、そういう視点で読み始めれば、どうしたって『リプレイ』とどう違うのだろうという読み方になる。
どう『リプレイ』から離れていくのか、というところが、物語最大の謎になるのである。おそらくはそのつもりで書かれているだろうとも思う。
そういう読み方で読んだ結果の、感想が「ふつー」だったわけである。もしも『リプレイ』と大して変わらない内容だったら「駄作」といっているだろう。ようするに、一応おもしろくはあったのだ。
人間に対する悪意というか、性悪説というか、そういうものに裏付けられた乾くるみの世界は健在だ。あいかわらずの、ひどい読後感(念のため補足するが、誉めているのである)もある。
だが、なんだろうな。「ミステリーの皮をかぶったSF」を書いてきた人が、今度はその皮を脱いでみた、そうしたらセンス・オブ・ワンダーが感じられなくなってしまった、という感じが少し、あるのだ。なんか残念。
2005.1.30 てらしま
あー、まあ、なんというか、なんだろうなあ。乾くるみが書いたラブストーリーである。うん。
もうほんとに、恥ずかしいくらいのラブストーリーなのである。でもねえ、だからって素直に共感できるか? なにしろ作者が作者だ。「なんか隠してるでしょ」と思いながら読むに決まってるし、当然、なんかあるわけなのだ。
一応あらすじ。
『大学四年の僕(たっくん)が彼女(マユ)に出会ったのは代打出場の合コンの席。
やがてふたりはつき合うようになり、夏休み、クリスマス、学生時代最後の年をともに過ごした。
マユのために東京の大企業を蹴って地元静岡の会社に就職したたっくん。ところがいきなり東京勤務を命じられてしまう。
週末だけの長距離恋愛になってしまい、いつしかふたりに隙間が生じていって……。』
まったく、これだけ読んだらアホかと思う。いや、失礼。
とりあえず三回読まされた。
このラブストーリーに素直に感動する純真な読者もいるかもしれないのであまり書きたくないのだが、なにしろオビに「驚愕の仕掛け」とか「2度読まれることをお勧めします」とかすでに書かれちゃってるしね。
読み返すことを強要する作りになっている、そういう種類の小説なのである。
例によって、読み返しているうちに無性に腹が立ってきて本を投げつけたりするわけなのだが。
とはいえ大筋はラブストーリーで、それもしっかりと細部までが書きこまれている。最後のほろ苦い感じのあたりでは感動する人も……正直苦手分野なのでわからないが、いてもおかしくないかもしれない。まあこの作家の本性は、やけに書きこまれたベッドシーンにあるし、さらにはそこにある、実にしょーもないギミックにあるわけなのだが。
ネタバレを書けないので(すでにスレスレかもしれんが)あまり続けないことにしよう。
ほめていないように見えるかもしれないが、わたしはもちろん嫌いじゃない。それにひょっとしたら、これは「乾くるみの代表作!」かもしれないのである。否定することなど、わたしにできようはずもない。
というのはこの作家、今まで「代表作」というべき作品がなかった。たぶん一番魂を込めて書かれたのは『匣の中』だと思うが、あれは竹本健二の『匣の中の失楽』を読んでから読めと書いてある小説で、それを一人の作家の代表作であるとするわけにいかない。では他にわたしがもっとも衝撃を受けたものはというと『マリオネット症候群』なのだが、うーん、あれはなあ。「てへっ」だしなあ。わたしはそれでもいいけど。
そんなこんなで、どうもとらえどころがないという感じがいままで続いてしまった、と思う。読めば確実におもしろいのだが、カバーを眺めてもそのおもしろさがまったく伝わらない。「それでもいいから読め」といったところで、どの作品を勧めるべきなのかというところで困る。そんな作家だった。
で、ここに『イニシエーション・ラブ』なのである。なにしろ恋愛ものというのはむやみに万人ウケする。『匣の中』や『マリオネット症候群』のように突き抜けてはいないものの、これはこれで、芸風を確立した安心感がある。
というわけでひとまずほっとしたというか。でもわたし自身は、もっとエグい奴の方が好きなんだけど。
2005.4.10 てらしま
マリア様がみてるシリーズ マリア様がみてる レイニーブルー マリア様がみてる パラソルをさして マリア様がみてる 子羊たちの休暇 マリア様がみてる 真夏の一ページ マリア様がみてる 涼風さつさつ マリア様がみてる レディ、GO! マリア様がみてる バラエティギフト マリア様がみてる チャオ ソレッラ! マリア様がみてる 特別でないただの一日 マリア様がみてる イン・ライブラリー
おー、戻ってきた戻ってきた。なにがって、つまり作品の勢いがである。
なにしろ「妹オーディション」である。こういう、どこかズレたぶっとびかたがよかったんじゃないかそういえば。
そもそもシリーズ執筆のきっかけは酒の席でのバカ話らしいし。「おにいさまへ…みたいなのをもっと軽くやったらー」という、ネタがあったから、つきぬけた世界観を実現できていたんじゃないか。
「ロザリオを渡す」とか、なんとも仰々しいしかけも、こんな世界だから自然に存在できていたわけで。
そういえば、ということである。もうすっかり忘れていたけど、ネタ小説っていうかバカ話っていうか、そういうムダな勢いがあるところがよかったのだ。
まあ、少なくともわたしは、そうでなければ読まなかった気がする。いまになって思えば。
バカ話は好きだ。
でも、そんなバカ話が、いつのまにかマジメな人間関係の話になってしまっていた。むろんそれだってなければだめなんだけど。『パラソルをさして』のあと、元どおりにぶっ飛んだ話をやろうとしても、なかなかできずにいたような感じがあった。
一番描くのが難しいのはギャグマンガだという。毎回ギャグを考えるというのはとても難しいことで、だからマンガ雑誌では、ページあたりの報酬はギャグマンガのほうが高いらしい(少なくとも昔はそうだったようだ。いまはどうなったのか知らないけど)。
だからギャグ漫画家というのはつらい商売なのだと、そういう話を聞いたことがある。でもそれはギャグマンガに限ったことではない。こういうシリーズだってそうだろう。特に、今野緒雪のようなひねくれた人が書くシリーズでは。
それでつまり『マリみて』はすでに枯れかけていた。バレンタインの宝探しとか、そういうぶっとんだネタがなくなってきていた。というか、読者も含めて、思いつけなくなっていた。
さて『妹オーディション』である。久しぶりの、オリジナルイベントなのである。修学旅行とか、学園祭とか、そんなあたりまえのイベントではもうだめだった。やっぱり生徒会主催のこういう変なイベントをやれなければ、おもしろくならない。
すでに、一巻一ヶ月というペースは崩している。つまり読者が期待するほど話が進まないわけだが、それにもだいぶ慣れてきたわけで。
バッティングフォームを変えてスランプに陥っていたというやつか。つまり。ホームラン狙いをやめてアベレージヒッターになろうとしたら、かえって打てなくなってしまっていた。
「妹オーディション」というネタ一発で、読者も小説も本来のバッティングを思い出したという印象である。
今後の方向性は意外なほどはっきりと示された。というかやはり、それしかないという方向に固まった。そうすると、このあとはクリスマスに正月にバレンタインにと続くわけだから。スランプ脱出の予感は持てる。