大概誰かが大声で「俺、このゲームのルールを知ってる。セットアップを済ませたら教えてやるよ」と言うものです。この場合、以下のルールは無視し、この実質的勝者のインストラクションに従いましょう。
世界中どこでもそうなんだなあというか(笑)。じっさい、どれくらいこうなんだろうと思った。
個人的には、できる限り書いてあるルールにしたがおうと思う。ルールにへんなところがあってもそれにしたがう。インストを間違えることはよくあるけど。
もしもゲームにイマイチなところがあったら、ローカルルールを考えるより前にそのゲームを見限ってしまう。
「ルールというのはぜったいしたがうべきモノだから!」とか、どうせ他にもやるゲームはいっぱいあるしとか、そういうことよりも、ゲームは一種の芸術品だと思ってるというのが大きい。
そのかたちで刊行された以上、それそのものをやって評価するのがデザイナーに対する敬意みたいに感じていたりする。
これは、こんなサイト書いてるせいというのもある。
「本当はこうなんだけどこれはよくないから、自分たちのあいだではこうしてます」というインストを聞くことがある。
特にレガシーゲームだと多い。たぶん、いまのゲームと違ってルールが複雑だし、あいまいな表現が多いからそうせざるをえないという面があるんだと思う。
いまいちなところがあったときに、ローカルルールを作ってもそのゲームを遊びたいと思うことと、ルールを厳守しダメならゲームを見限ること。どちらがよりゲームを愛しているのかというと、これはわからないと思う。
レガシーゲームの場合はしかたない面も多い。
でもそうじゃない場合。
たとえばカタンで、ランダムじゃないセットアップを見ることがときどきある。プレイヤーの一人が、表向きに地形カードを配置していたりする。
まあカタンの場合、オリジナルの思想を理解していないカプコン版ルールがよくない面もあるわけだけど。
他だと、ドミニオンでセットアップがドラフトとか、てきとうにプレイヤーの一人がアレンジした王国カードセットを使ったりとか。
個人的にはああいうものは、完全ランダムが引き起こす変な状況を楽しみたいと思う。誰かの恣意が入らないようにしたいとも思う。プレイヤーとして。
もちろん、プレイしやすくするための工夫ならいくらでもしてかまわないだろう。
ゲーム会でよく見るチットを入れるためのトレイとか、カードホルダーとか。たしかに、ああいうものが便利なときもある。ああいう小道具それ自体で盛り上がれることだってあるわけだし。
(個人的には、コンポーネント以外のツールはあまり用意しない。ゲームそのものから受ける印象を知りたいから)
もっと簡単なことでは、他人のターンにシャッフルしておくとか。
でも、そうした工夫がルールを変えていないかどうかはチェックしたい。
山札をシャッフルするタイミングはそれで正しいか? シャッフルは山札が尽きたときなのか、それとも山札が必要になったときなのか?
たとえばサンファンで、次の山札にギルドホールが入っているかどうかというのは非常に重要な問題だ。
乱数が変わっていないか?
6面ダイス2個と12面ダイス1個では分布が違う。10面ダイス2個は20面ダイス1個の代わりにならないけど、100面ダイスの代わりにはなる。
そういうことは、もう考えるのがクセになってしまっているので、気づいたらいつもいってると思う。
ローカルルールというより遊びかたの問題だけど。ゲームを遊んでいるのか、遊ぶためのツールがゲームなのかという態度の差という気がする。
もちろん、あるていどいいかげんにやったほうがいい場もあるし、それならそれにしたがうべきだろうけど。その場合、同時に勝利へのこだわりも捨てる前提が必要だなあとか。
最近そういう場面を見る機会が多かった。じつはちょっと新鮮だった。それでこんなことを考えた。じっさい、ルールはどれくらい厳密に守られてるんだろう。
なかた -2009/06/24 13:57
プレイヤー人口が多くて交流も容易だとルールはできるだけ共通化したくなる。となればルールブックにできるだけ従うのは正しいののだけれど。
でもいっぽう、ゲームなんてハウスルールの塊だ、ってのもまた正しいと思う。よいゲームだからこそ(仲間うちでの)バランスを調整したくてルールを修正する。修正されることでゲームの「寿命」が伸びる。そのルールが口伝されてさらに歪んで、なんて感じで。ほんとうに古いレガシーゲームなんてそうやってミームを変化させつつ育ってきたのだとも思う。
でも最近のゲームは昔に比べて流通の速度も消費の速度も速いから、「ルールブック通りにやる」必然は高い、と思っていたのだけれど。でもほんとうに消費が速いならべつにゲンミツにルールブック通りでなくたっていいのだよなあ。
そのへんMagic : the Gatheringのトーナメントプレイをやったことあるかどうか、ってのは態度を決める重要な分水嶺かもしれない。なにしろあれは、「正しいルールを守らないと圧力」がとても高いので。
てらしま -2009/06/24 22:09
どうもですー。
意外とルールを変えて遊んでいるのを見て、たしかにそれでもいいのかなあというか、むしろたしかにそうなるほうが自然なのかなあと思ったりしていました。
逆にハウスルールがボードゲームの寿命を短くする場合もありえるので、そっちが心配になることもあります。
「このカードは強すぎる!」という話が出るときは、そのカードこそがゲームの肝である場合がけっこうある気がする。
個人的に、「ルールを変えようといいだしたのが誰なのか」をつい観察してしまいます。これはわたしの悪いクセかもしれないけど。
けがわ -2009/06/25 03:14
基本的にはルールを変えるのは好きではないです。簡単にバリアントを作ったりするのはデザイナーに失礼かなと思ってしまいます。そう言いながらもバリアントでプレイしているゲームってそれなりにありますね。カルテル、ドメモ、トップバナナ、新しいところでは、バベルの塔あたりは必ずバリアントでやっています。
まつざわ -2009/06/29 21:43
先日はどうもです、検索でたどり着いたので記念書き込みがてら。
もしもゲームにイマイチなところがあったら、ローカルルールを考えるより前にそのゲームを見限ってしまう。
もったいない精神にもとづくDIY、という可能性も捨て切れません。
とくにお金の無い学生さんとか。
てらしま -2009/06/30 19:17
どうもですー>けがわさん、まつざわ氏
わたしはほとんどルール変えないんですが、たしかに、ハウスルール聞いてやってみるとそのほうがおもしろいときってありますよね。「これは禁止しよう!」とかじゃなくて、もっと建設的なハウスルールだったら、やってみるべきなのかも。
もったいない精神というのはたしかにありますねえ。ゲーム会いけば、やったことないゲームがたくさんあるのがあたりまえーみたいに、つい思うんですが、そうじゃなくて、少ないゲームをくりかえし遊んでる人たちだってもちろんいますね。ハウスルールみたいなものは、そういうコミュニティのほうから生まれてきてるのかもしれません。
PHPはもともとがテンプレートエンジンみたいなモノで、別にわざわざテンプレートエンジンを使う必要なんかない気もする。
でもやっぱり使うと便利なときもある(かえって不便なときもある)。
じゃあテンプレートエンジンに必要な機能ってなんだろう。
まあそういうことだよな。
テンプレートエンジンを使わない場合、単純なincludeとかでテンプレートファイルを呼び出せばいい。もちろん、テンプレートを分けないよりは何千倍もいい。
PHPそのものなら、if文でもなんでもつかえる。テンプレートエンジンの機能はすでに実現されているわけで、つまりincludeがあればテンプレートエンジンは必要ないんである。
テンプレートエンジン記法のほうが読みやすい、PHPネイティブだとif文の{}とかがすごく見づらい、という意見もあるかもしれない。これには解決法があって。
<? if($hoge) { ?>
<?= $hoge ?>
<? } ?>
なんてのはかなり見づらくなるわけだけど、でもこれを
<? if($hoge) : ?>
<?= $hoge ?>
<? endif ?>
こう書きかえれば、だいぶ読みやすくなる。じっさい、このためにこんな記法が残ってる。
こんなのでも、JSPのうんたらタグとかよりは書きやすい気がするし(わたしが慣れてないだけ)。というか、テンプレートエンジンごとの独自記法なんていちいち憶えられないし、これでいいような気もする。
ただ一点、問題がある。
この方法だと、グローバル変数を使うことになってしまうんである。グローバル変数はもちろん大問題だ(世界中のすべての人にこう思ってほしい……)。
テンプレートエンジンを使う場合と使わない場合、なにが違うかといえばこれだ。
表示用変数の名前を制限するとか、コーディング規約的なやりかたで縛るという方法はあるだろう。規約を守る体制があるなら、それでもいいだろう。つまり、規約は守られないので、なにか強制力のある仕組みが必要なのである。
というわけで、PHPのテンプレートエンジンに必要な機能があるとすれば。
「グローバルでない、表示専用のスコープを提供すること」
なんじゃないか。
そういったことをふまえて、ネイティブPHPの機能を最大限に活用したテンプレートエンジンを書いてみよう……。
class EasiestTemplate
{
public function show($____file)
{
extract((array)$this);
include $____file;
}
}
8行で実現!
$template = new EasiestTemplate();
$template->hoge = 'piyo';
$template->show('foo.tpl.php');
これでも、なんかそれっぽい書きかたにはなる。
(PHPは、定義していないpublic変数を外から作られても文句をいわない)
うーん、ほんとにこれでいいなあ……。
余計なことしないし、パフォーマンスの問題もないし、なにより学習の必要がない。これが理想的なテンプレートエンジンだ! という人がいてもいいと思う。
てらしま -2009/06/22 01:51
よくきく「PHPなんてただのテンプレートエンジンで、言語じゃない」っていうのはぜったい信じちゃダメと思う。そんなこといってる人は本物の技術を知らないと思う。上のはそういう意味じゃないです。
サイコロを振って、文明を発展させる。
文明を発展させるゲームといえば、建物を建てたり技術を進歩させたりいろいろやって拡大再生産!みたいなイメージがあるが、このゲームもまさにそういう内容だ。
そういうゲームは重そうというイメージもある。でもそこは違う。本当に30分で終わるんである。
やっぱりサイコロを振るのは楽しいんだと思う。なんとなくまたやりたくなるゲーム。
箱は小さいけど、ずしりと重い。それは、木製のペグボードが入っているから。
おおなんか豪華……と思うけど、じつはこれがそうでもない(笑)
各プレイヤーに配られるのは、ペグボードとペグと、プレイヤーシートと鉛筆。
プレイヤーシートである。
TRPGとかゲームブックとかで使うような、アレだ。
木製ペグボードの豪華さと紙……。このアンバランス感は、たぶん誰でも感じるだろう。ペグボードじゃなくていいから、普通のボードとチットでプレイしたいと思う。
コンポーネントでゲームに興味を持つプレイヤーは多い。せっかくちゃんと軽いゲームになっているのに、少し残念なところではある。
でも、プレイヤーシートには利点もある。ルールが全部、プレイヤーシートに印刷されているんである。
ルールブック自体には、あまり細かいことが書いていない。読んだときは「これだけ?」と思った。細かいことは全部、このプレイヤーシートに書いてあったのだ。
簡単な基本をおさえてしまえば、あとはプレイヤーシートを見ながらプレイできる。これは大きい。
そして、なによりこれ、完全日本語版なのである。
こういうゲームはどうしても、言語依存が強くなる。獲得した建物や進歩の特殊能力とか、そういうのはどこかに文章で説明しなければならない。日本語のプレイシートがなければ、ずっとめんどうなゲームになっていただろうと思う。
それに……。
ペグボードには「Roll Through the Ages」と書いてあるのだけど。プレイヤーシートでは少しちがって「Roll Through the Ages 青銅の時代」とあるんである。
プレイヤーシートにしか書いてないルールがあるわけだから。プレイヤーシートを変えれば、違うゲームになるはずなのである。
そういう今後の展開も、ありうるわけだなあというか、そういうふうに作ってあるのかもしれない。
とりあえずダイスを振る。
振れるダイスの数は、持っている「都市」の数。もちろん、都市はそのうち増えたりもする。
ダイスは2回まで振りなおすことができる。ただし、「ドクロ」の目は振りなおせない。
ダイスには、食料とか人とか、資源とかの絵が描かれている。出た目にしたがって、なにかが生産される。
資源を獲得したら、ペグボード上のペグを進める。
人を獲得したら、プレイヤーシートのチェックボックスに人数分のチェックをつけることができる。都市にチェックをつければダイスが増えるし、モニュメントにチェックをつければ得点になる。
毎ターン、都市の数だけの食料が消費されていく。食料が足りないと、飢饉が起こって得点がマイナスされる。
資源を売るとお金になり、お金で「進歩」を買うことができる。これには、いろいろな特殊能力が書いてある。プレイヤーシートに日本語で書いてあるから、そこから選べばいい。
だいたいそういう流れだ。やっていることはオーソドックスである。
偉いのは、生産を全部ダイスに集約してみせたところ。おかげでゲームの流れはシンプル。
日本語プレイヤーシートのこともあり、とても導入が楽だ。これも、箱からうける印象と違って。
ダイスを使うだけあって、かなりの運ゲーである。あえてそれを許容しているデザインだと思う。
というかたぶん、運ゲーであることをあえて強調しているふしもある。
ダイス目の中に「ドクロ」というのがある。これは特別な目で、振りなおすことができない。そして、ドクロの数に応じて「災い」が起こる。
その代わり、ドクロからは資源2個が出る。他の目で資源1個というのがあるので、それと比べれば非常に強い。
とそういうものなんだが。このドクロの災いが問題だ。
数に応じて、起こることがちがうんだが。
ドクロ1個の場合は、なにもおこらない。
ドクロ2個なら、「干魃」。自分がマイナス2点。
そして、ドクロ3個の場合……、「疫病」が起こる。この効果は「対戦相手全員がマイナス3点」なのである。
なぜ対戦相手? とはみんな思うが、そう書いてあるんだからしかたない。このドクロ3個を出したときは、自分自身は資源を6個生産した上、対戦相手を攻撃もできることになる。
(ちなみに、ドクロ4個とドクロ5個以上はちゃんと自分が痛い)
疫病、強いんである。
もちろん、それが出るかどうかは運次第だ。ダイスがテーマのゲームなんだから、これくらいの運はあって当然。というデザインなのかなあと思う。
じっさい、ダイス目次第でかなりの差がつく。それが不快だといわれてしまえば、しかたない。だけど、この運次第っぷりが楽しいという気もする。
やっぱり、サイコロを振ることには単純な楽しさがある。
運だけというわけでもなくて。ちゃんと文明系ゲームらしいプレイ感はある。進歩の選びかたとか、次はこんな作戦でやってみようとか、考えるところもある。作戦の選びかたで勝率を上げることは可能だ。
それでいながら、ちゃんと本当に30分で終わる。これはデザイナーがんばったと思う。
生産をすべてサイコロに集約することで、ゲームの流れをシンプルにすると同時に運の影響を強めた。運が強いと、プレイヤーの判断にいいわけが用意されるから(笑)、結果的に考慮時間が短くなる。
また、インタラクションが薄いデザインも、プレイ時間短縮に効果がある。このゲーム、もちろんインタラクションはそれなりにあるのだけど、自分のプレイヤーシートだけを睨んでいてもプレイできてしまう。他人を気にする必要が小さければ、もちろんそれだけプレイ時間短縮につながる。
なにげにいろいろ考えられている気がするデザインだ。
短時間ゲームが求められる場合というのは多い。けれど、勝敗を重視しないパーティーゲームには特有の問題があり、好まない人もいる。
そこで。というわけでもないが。
若干ゲーマー指向よりの気軽なゲームという意味で、……ドミニオンに飽きてきたときなどにいいんじゃないか。
運ゲーだとかなんだとか、いろいろいいながら、けっこうやりそうな気もしている。
読みかえしてみるとやっぱり、書き足りないなあと思うことは出てきます。「必勝法はない」といいわけを書いてある(笑)ものの、これは書かないとウソだったなあということもあります。
なので、ここで少しだけ補足します。
これが一番大きいです。書かなきゃウソでした。
わたしはおもに4人でプレイしている。特に庭園系の作戦の評価が高そうな記述になっているのはそのため。
単純にゲーム終了までの速さなら、ステロイドのほうが少し優位ということがわかっている。
ただプレイヤーが多い場合、庭園が2人以上になると3山枯らされてしまうから、ステロイドではまにあわなくなる場合がけっこうある。
(山を枯らすときの判断は難しいので、プログラムでの検証が充分でないという面はあるけど)
それに、プレイヤー人数が多いほど盗賊が強くなる。盗賊が複数いる場では、ステロイドが厳しくなるかもしれない。
庭園は魔女にも強く、弱点があまりない。
というようなことを総合的に判断すると、4人の場合は庭園を警戒しないわけにいかない。という意味がありました。
そのへん微妙なので、これも書き足りてない。まあふつうに強いのはあくまでお金だと。
しかしじっさいは、わたしの想像以上に2人でやる機会が多い様子ですか。特にBSWプレイヤーの方々はそうみたい?
いまはBSWいってないけど、数年前はときどきいっていて、そのころはたしかに、外人とサンファン2人プレイをやる機会が多かった。
ちなみにわたしのサンファンの勝率は、4人と2人が大差ないみたいな感じだったのを憶えてますが(笑)。
2人だと、庭園プレイヤーがゲームを終わらせづらい。盗賊を使う意味もまったくない。だいぶ事情が変わる。
まあ庭園に限らず。プレイヤー人数による違いは、もっと考察すべきだったかなあと思います。
リアル中心にやってると、どっか微妙に、BSWプレイヤーと話が噛みあわないと感じることがある。ていうかドミニオンの場合、カード名の訳が違ってたし。
BSWはリアルと違い、同じ相手と何度もくりかえし遊ぶ場ではない。相手ははじめてあう人で、顔も見えないし会話も(リアルよりは)少ないから、どんな戦略観を持っている人かわからない。
たとえばサンファンで「ここで監督はないよね」というのはこちらの考えかただ。カタンで「トップと交換するの?」とか。たとえそれが常識と思われても、海の向こうでは常識じゃない。
だからあそこで求められるのは、できるだけ多くの相手に通用する戦略。と思う。
あの戦略に対してこの戦略が強いからどうだとか、そういうメタゲームはあまり効かないという面がある。
こういう環境の違いは、作戦の選びかたに影響してくる。
マジック・ザ・ギャザリングの大会で、予選は青パーミッションだったのに決勝は赤バーンを使う、みたいなことと同じ。ごめんわからない例えをした。
BSWで強いからリアルで勝てるとは限らないし、リアルの戦略がBSWで通じるとは限らない。というのは、以前やっていたときに感じたこと。
ドミニオンレシピは、リアルでのプレイについて書いたものなのです。
(ただしドミニオンは、BSWとリアルの差が比較的小さいゲームかもしれない。というような気もする)
もちろんほかにもありますが、ひとつひとつのレシピについては、やっているうちに変わるのが当然なので補足しないです。「ははは全然違うよコレ」くらいに思っていただければいいんじゃないかと。
シャハトのゲームはおもしろい。このゲームも本当におもしろい。プレイした人の感想はだいたい好意的だ。
だが、やる機会はあるんだろうか……。
というのは、やっぱり、ドミニオンだのアグリコラだのと比べると華がないから。
コンポーネントはいろいろ凝ってるし、それで気を惹くことはできるのだけど。でも、これだけおもしろいゲームがたくさんある中で、あえてこのゲームが遊ばれる理由には弱いというような気もする。
ボード上に、宝石が落ちている。主人公たちは冒険者となり、その宝石を拾い集める。
この設定はもちろん抽象化されたもので、本当に道ばたに落ちてるわけじゃないんだろうけど。
拾った宝石は、ほしがっている人のところに届けると得点になる。
とりあえず、宝石を掘るための道具が必要だ。ツルハシとか、ハンマーとか。あと、荷車とかロバとか。そういうものは、街で買う。
あと必要なのは、誰がどの宝石をほしがっているかという情報(契約書)。これは、道具を売ってるのとは別の街で情報収集する。
あとは、銀山で銀を掘ったり、道ばたで宝石を拾ったり。港町で必要な宝石を調達したり。
注目すべきはこのコンポーネント。
街には道具カードや契約書カードがあるわけだけど、そのカード置き場がこれ→。
わかるだろうか。
なんか木の置き場があって。これは、真ん中のレールの両側が傾斜しているかたちをしている。両側にカードをおくんである。
カードには見てのとおりの絵が描いてある。
これで、いかにも本のページをめくっているようなカード置き場になっている。
ゲーム的にいって、この小道具がぜひ必要というわけではない。
「2ページだけ見えていて、右にも左にもめくれる」という機能を実現するためには必要なのかもしれないが。そしてこれは、ストレスを感じない程度に適度な記憶力を要求するという意味で、とてもいい味を出してもいるのだが。意外にも。
でも、ぜひ必要かといえば、やっぱりいらない。他の方法でもよかったはずである。しょせんただのカード置き場で、ゲーム的にそれほど大きな意味をもつというわけではない。
過剰なコンポーネントである。
しかし。
これをボード上に置いてみると。そしてめくってみると、なんとも楽しいんである。
考えすぎで空回り気味になってしまった小道具なら、たくさん見てきている。いろんなゲームに手を出すタイプのボードゲーマーならたぶん、わたしよりももっと多くのトンデモを見ているだろう。
この「本型カード置き場」も、そういうモノじゃないかと思っていた。
でもそうでもなかった。
小道具一個だけを見てはいけない。このボードに、上にカード載せた状態ではじめて完成するんである。
なにげにいい。
なによりボードが美しく、その上を歩き回っているだけでなんか楽しい。本をめくるのも楽しい。
「プレイするのが楽しい」というのは一番重要なことだと思うけど、デザインするほうとしては一番難しいところでもあるだろう。
ヴァルドラは、その難関をクリアしている。
システムの面からみれば「すばらしい!」とはいいがたいゲームのほうが、大きな人気を集めることがある。
たとえば、アグリコラとか、レース・フォー・ザ・ギャラクシーとか。ファンの方にはもうしわけないけど、ああいうものは、ゲームとしていいデザインとはいえない。
でもそれが悪いわけじゃない。むしろ欠点があるくらいのほうが、人気を集めやすいんじゃないかと思うこともある。
カードを必要以上にたくさん使い、いろんなことができる代わりにバランスは調整しきれていない、というくらいの、ああいうデザインには、特有の楽しさと自由感がある。見事に調整されたデザインより、何度もプレイしていろんなことを試したくさせる魔力がある。
シャハトがやっているのは逆。無駄のない職人の仕事だ。
技術力があるからルールが洗練される。バランスもきっちり調整される。
しかし、そういう仕事には華がない。
たぶん職人でもそういうことは考えていて。だからこのゲームみたいな小道具を考えてみたりするんだと思う。
ゲームとしては蛇足に近いんだが、それがおもしろさを引き出すこともある。ヴァルドラではちゃんと成功している。
……のだけど、やっぱり、職人芸なのである。
ゲームバランスはボードの中にきっちり収まっている。コンポーネントに凝ってみたりはしても、システムに余分な部分はあまり残っていない。
たとえば拡張セットを作る余地はないだろう。デザイナーが意図していないゲーム展開もあまりないだろう。
ボードゲームとして安心できるけど。
でもこういうデザインでは、超話題のゲームにはなれないかもしれない。
個人的には、あたりまえにクオリティ高いものを作る職人にあこがれるような気質があって。こういうのすごく好きである。
「あーボードゲームだなー」と思う。すばらしい。
kamata -2009/06/10 11:35
すげえ!この『本』のコンポーネントは、本当に素晴らしいですね。これだけで遊ぶ気になれる。
似た機能は過去にTCGでも、小型カードファイルを利用して再現したりしてましたが、やはりこういう卓上に置けるホルダー器具の方が遊びやすいし、しっくり来る。
以前からダイソーの名刺ケース・ファイルやカードホルダーなどの小物で何かゲームを作れないか考えていたんですが、これはいいヒントになった気がします。機会があればぜひ遊んでみたい。
てらしま -2009/06/22 02:15
ふと思ったけど。もしこの小道具を先に思いついてたら「街の図書館で古文書を調べて遺跡を発掘」とか、そういうネタになるのが自然なような。採掘道具とか契約書とか、あんまり本と関係ないですね。
小道具は後から考えたのか、それともいろんな紆余曲折の末いまのデザインになったということなのか、ちょっと知りたい。
けがわ -2009/06/22 18:12
ヴァルドラに俄然興味を持ちました。話題性が無くても華がなくてもしっかりしたゲームの方に好感を持ちます。シャハトの気の利いた小道具。うーん、遊んでみたい。
てらしま -2009/06/23 08:31
けがわさんどうもです。
じっさい、やってることはけっこう地味におつかいゲームです。効率いい手筋を考えなきゃいけないです。シャハトっぽい(笑)
こういうの好きな方にはおすすめですよ。