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遊星ゲームズ
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1970/01/01 09:00

見方が変わるサッカーサイエンス
 読書

見方が変わるサッカーサイエンス
浅井武・布目寛幸 岩波科学ライブラリー

2003.5.30 てらしま

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参考
サッカー ファンタジスタの科学 浅井武監修 光文社新書
 2002年ワールドカップは世界のサッカーに変化を与えなかった、とする意見が多い。各国リーグの過密日程や質の低い審判などがその原因ということだ。たしかにそんな気もする。とはいえ、今になってワールドカップ直前の本を読むというのは少し興ざめなところがある。
 ワールドカップ前に書かれた本はワールドカップの熱気の中にある。祭りが終わってみると、あの時期にしか書けなかったと思う内容も多い。しかし当時は誰もそれに気づかなかったのだし、だからこそ祭りは祭りなのだ。
 この本はサッカーに関する科学についての本だ。大会以前でも以後でも同様に通用しなければ科学ではない。その意味で、これは「冷静な」部類に入る本である。それでも、サッカーの本を出版するのはサッカーが好きな人間だ。あのころの熱気が文章ににじみ出ていないはずもない。そのへんがおもしろいといえばおもしろいが、やはり出版直後に読めばよかったという気にはなってしまう。
 書かれている研究の内容としては前著『サッカー ファンタジスタの科学』とほとんど同じ。あれをもう少しまとめ、最近の成果をつけ加えた感じだった。だから基本的には『見方が変わるサッカーサイエンス』の方を読んだ方がいい。
 スポーツ科学に関する本は、日本では最近になってだいぶ出るようになったようだ。ということはまだ研究の歴史は浅く、この本にしても、まさにいま研究中ということがよくわかる。たとえば、中で紹介されている研究の一つにストイコビッチのインサイドキックの解析がある。ここでは日本の選手との蹴り方の違いについて考察されていておもしろい。
 となれば「他の選手ならどうなのだろう」とは当然思う。
 研究者たちもサッカーファンである。私と同じ興味を持ったのだろう。そこでこの続きとして、今度は別の一流選手のキックを解析しようということで、セネガル代表のディウフに協力してもらえたらしいのだが、しかしその解析はまだすんでいない、成果が出しだいホームページサッカーサイエンスラボラトリーで発表するなんて書かれている。このへんのライブ感覚を、同じサッカーファンとして楽しませてくれるのがうれしい。
 うれしいのだが、そのためには発行されるハシからリアルタイムで読んでいかなければならず、それにはそれなりのエネルギーが必要そうだ。


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1970/01/01 09:00

死のロングウォーク
 読書

死のロングウォーク
スティーブン・キング 沼尻素子訳 扶桑社ミステリー

2003.6.17 てらしま

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 読み終わってへこんだ。普通本を読んでへこむときはその本の出来が期待はずれだったときなんだけど、これはそうでもない。大袈裟にいやあ、人生の厳しさに絶望したのかもしれない。
 100人の少年が集まり、「ロングウォーク」なるスポーツに参加する。これはどういうスポーツかというと、100人が一斉に歩き始め、昼夜を問わず歩き続ける。それだけ。歩く速さが規定の時速4マイルを下回ったら「警告」を与えられ、4度目の警告を受けたら「切符をもらう」。つまり銃で撃ち殺される。最後の一人になるまで競技は続くのである。
『バトルロワイアル』のときに話題になったので(もちろん内容がそっくりだったから話題になったのだが)ずっと読もうと思っていた。
 今になってやっと読んで、本当にバトルロワイアルに似ていると思った。しかし、個人的には、バトルロワイアルよりおもしろかった。
 開始から15ページ目で、少年たちは歩き始める。それから長編一冊に渡って、ずっと歩いているのである。考えてみればそれだけの小説なのに、途中でやめたいと思わなかった。それだけですごい。
 日本でもアメリカでも、ベストセラー作家の小説には共通する特徴があると思う。「内容がなくても読ませる」ことだ。この本は実質的なキングのデビュー作らしいが、なるほどと思う。子供が歩くだけで長編一冊を書けてしまう才能は、確かにすごい。
 バトルロワイアルより気に入ったと書いたが、その理由は『死のロングウォーク』の方が世界観が厳しいからである。
 バトルロワイアルの欠点は、クラスメイトが死ぬことに次第に現実感がなくなっていき、麻痺してしまうところだ。『死のロングウォーク』では逆なのである。読み進むほど、他の少年の死に緊張感が増していく。次第に自分にも死が迫っていると、見た目にわかる。みんなで並んで歩くという設定の妙だ。
 殺し合いをしているわけではないのに、自分が歩き続けているせいで他の少年が死ぬ。自らの手で殺すわけではないから悪意はないのだが、結果は同じだ。この世界観は非常に厳しい。
 このゲームから登場人物が脱出したのかどうかは書けないが……。えらそうな表現をすれば、生き残ってもロングウォークは続くのである。とても絶望的な、しかしだからこそ勇気づけられる部分もあるようなないような。これみよがしに「がんばれ」と叫ぶ本よりはずっと説得力をもって訴える力があるのはたしかだ。


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1970/01/01 09:00

仰天・平成元年の空手チョップ
 読書

仰天・平成元年の空手チョップ
夢枕獏 集英社

2003.7.5 てらしま

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 実は死んでいなかった力道山。冷凍冬眠から平成元年に蘇り、前田日明と対決する!
 というのが謳い文句だが、それはウソ。真の見所は、前座で戦うアントニオ猪木とジャイアント馬場。
『グラップラー刃牙』の外伝で、一巻をかけて(それでも全然足りないが)アントニオ猪木vsジャイアント馬場をやっていたが、あれの元ネタはここにあったんだなあというのがわかった。というかたぶん、夢枕獏のファンであり友人でもあるらしい板垣恵介は、影響から逃れられなかったんだろう。なんかそういうところのある漫画家だと思う。
 私はそれほどプロレスファンというわけではないのだが、いろいろな創作物やノンフィクションを読んでいれば、その影響力の強さはうかがい知れる。双方のキャラクターもある程度イメージできるし、二人が新日と全日という二つの団体を率いてプロレス界を強力に牽引していたという歴史も知っている。つまり私のようにファンでない人間でさえそれだけのことを知っているわけで、二人のカリスマの存在の大きさというのは相当のモノだということがわかる。
 で、力道山だ。なにしろこの人は二人の先生なわけで、猪木と馬場以上のカリスマであるといっても過言ではない。そのはずなのだが、どうもどういう奴なのか、特徴が見えてこない。猪木と馬場というキャラクターが力道山を超えてしまったということなのか、それとも時代が古すぎて、思い出が色あせてしまったためなのか。
 平成元年から、リアルタイムで連載されていた小説である。驚いたことにこのころ、猪木も馬場も現役なのだ。現実の人物名を使って、現実の事件をも盛りこんで書かれた小説である。だから、現役選手の方がキャラクターが強くなってしまったのは仕方ないのかもしれない。
 ところでこの本、本文中に平気で作者が顔を出す。結末に迷っているだの、現実のプロレス界に起きた事件に衝撃を受けただのと、作者の連載エッセイみたいな部分もあり、しかもそれでこの小説自身について言及するものだから、作者がどんな考えでこの展開に決めたのかが手にとるようにわかるのだ。自分でいっているように「悪ノリ」である。この人、自分で書いたものを平気で誉める。普通はそれをやられると「痛い」ものだし、読者は引いてしまうと思うのに、まあそうでもないところがすごいような気もする。
 そう考えてみると夢枕獏というのは、漫画家でいえば島本和彦に近いか。そうだったのか。二人を比べるのはいろいろと無理もあるが、そのへんは私の引き出しの少なさです。
 もっとすごいと思うのは、ここに書かれている作者の思考過程が本物だとして、こんな書き方でしっかりとまとまった小説になってしまっているところだ。途中で何度も方針転換しているようなのだが、そのくせ、最後にはまるで始めからそう決まっていたかのようにきれいなフィニッシュを迎える(前座の試合の方が面白くなってしまったのはご愛敬だが)。
 本物のベストセラー作家というのはやっぱりすごい。というより、夢枕獏のプロレスへの愛がそうさせているのかもしれないが、それはそれで、この愛情の深さがすごい。ただ前田日明への愛情は、他の「プロレスの神話や伝説の中に入っておられる方がた」に比べるとあまり感じられなかったかな。相手が神さまじゃね。


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1970/01/01 09:00

マリア様がみてる 涼風さつさつ
 読書

マリア様がみてる 涼風さつさつ
今野緒雪 集英社コバルト文庫

2003.7.7 てらしま

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既刊の評
マリア様がみてるシリーズ
マリア様がみてる レイニーブルー
マリア様がみてる パラソルをさして
マリア様がみてる 子羊たちの休暇
マリア様がみてる 真夏の一ページ
 
 なんだろうこの物足りなさは?
 思わず知人の日記(T-ruth's Home)と同じことを書いてしまったが、まあそんな感じなのである。このシリーズに対しては期待が大きいだけにね、恋から冷めてしまったような気分だ。
 ひょっとしてと思う。このシリーズ、それぞれの巻で完結した話をやるという方式をやめてしまったのではないだろうか。だとしたら、ここにこんな書評を書いていることの方が間違っているのかもしれない。
 別に、完全に続きもののシリーズになるというならかまわない。そういう小説にだって面白いものはあるし、私の好きなものもある。でも、そうだとしても、好きなシリーズの一話を読んだという満足感はほしかったのだ。
 週刊の少年マンガ雑誌で、マンガを一つ読んだような気分なのである。
 少年マンガにも一週一週が面白い奴と単行本で読んだ方がいい奴とがあるが、最近のマリみては後者になりつつある感じだ。しかし、あとでまとめたものが改めて出版されるわけでもなし。半年ほど我慢してからまとめて読んだ方がいいのかもしれないが、そんな我慢ができるはずもない。
 少年マンガのインフレの法則と同じで、いつのまにか、我々読者は既刊以上のカタルシスを求めてしまっているのかもしれない。しかし、それはないものねだりだ。これは人間関係の物語なのだし、学校という閉じた世界である以上、少年マンガのように無限に拡がっていくことはできない。
 それに、『レイニーブルー』と『パラソルをさして』での盛り上がりは特別なものだった。このシリーズでは今のところ、主人公が変わらないかぎりは、あれ以上の話はありえない。
 ひどく不吉なものがいま、私の頭にちらついている。
『ドラゴンボール』で、孫悟空が天下一武道会でピッコロ大魔王を破った時。『グラップラー刃牙』で、最強トーナメントに決着がついてマンガのタイトルが変わった時。インフレを運命づけられた少年マンガでは、そういう瞬間がどこかにある。
パラソルをさして』がそういう瞬間だったのだとは思いたくない。これは少年マンガじゃないんだからと自分にいいきかせながら、しかし思いあたる事実もあるのだ。近頃のブームでは、かなりの数の男がこのシリーズを読んでいるようなのである。
 以前行ってみたカードゲームの店で、マリみてを「お守り」と称して卓の横に積んでいた連中がいた。私自身は、そういう無批判な盛り上がり方にはどうも乗り切れず、もうその店には行かなくなってしまった。
 でもそんな奴らがたしかにいる。彼らもきっと私と同じ、少年マンガで育った男なのだろう。そう思うと、不安が増してしまう。
 このシリーズには少年マンガに通ずるなにかがあるのではないか。だからこれほどの数の男性ファンを獲得することができたのではないか。
 無理のある推論だ。だが、いちファンの不安を煽るには充分な説得力がある。
 としたら、なんということ。インフレのバブルが崩壊することだってありえるではないか。
 そうして考えてみるとだ。
 以前は敵役だったキャラクターがいつのまにか仲間になっている、という構図は悪い傾向だ。次第に物語が学園の外に拡がってきているあたりも気になる。主人公の強さもかなりインフレしてきて、最近では向かうところ敵なしではないか。
 気になり始めるともう夜も眠れないのである。


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1970/01/01 09:00

タッチ、タッチ、ダウン
 読書

タッチ、タッチ、ダウン
山際淳司 角川文庫

2003.7.22 てらしま

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 山際淳司はいうまでもなくスポーツライターで、小説家じゃない。独特の、エピソードを積み上げてスポーツ選手の心情を切り出してみせる手法と感性豊かな視線は、小説を書いても活かされるかもしれないと、期待感のようなものを持ってはいたのだが、それなのにいままで『タッチ、タッチ、ダウン』を読まなかったのは、やはり「この人はスポーツライターだった」という腹が私にあったからだ。
 山際淳司が書いた小説を読んだことがないわけではない。短編小説集『ゴルファーは眠れない』は読んだ。そのときだって面白いと思った短編はいくつかあったのだが、どこか乗りきれなかった。あれを書いたのが小説家だったらもっと楽しめたかもしれない、などと理由もわからず思った。
 しかし、意識を自分で変えるなんてことができるほど私は強くもなく、この小説も、私は「スポーツライターが書いた小説」として読むしかない。
 勤めていた銀行を辞め、今はタクシー運転手をしながら、クラブチームでアメリカンフットボールをしている主人公。煮えきらない毎日を変えようと、「また本気で」アメフトをやろうと決意する。
 そんなストーリーにページをめくっていくうちに、「あれ?」と思った。小説としてではなく、スポーツノンフィクションを読んでいるのと同じ気持ちで、自然に入っていけたからだ。スポーツだけではなく、登場人物たちの日常の描かれ方がまるでいつものノンフィクションなのだ。普通のサラリーマンの生活でも、目が醒めるような切り口で描かれれば魅力的になる。そもそも、「普通のサラリーマン」なんてどこにもいないのだ、といつの間にか思わされている。
 偶然、逃走する掏摸の全力疾走を見ることになったことがきっかけで決意を固めた主人公は、『七人の侍』よろしくチームメイトを集め、今は米軍にいる往年の伝説的プレイヤーに対戦を申し込む。
 つまり、別に小説として目覚ましい物語があるわけではない。アメフトというマイナースポーツで、現役を退いたおじさんたちが試合をした。それだけの話だ。しかし、そのおじさんたちがアメフトを忘れられずに毎日サラリーマンをやっている、その様子がどうしようもなく面白い。
 登場人物の心情をストレートに書くことはせず、ただエピソードを重ねて外堀を固めるやり方は、ノンフィクションを書いているときとまったく同じだ。読んでいる方が自分を登場人物と重ねて考えてみなければならず、そのため、いつの間にか思い入れが強まっている。こういう小説はなかなかない。
 間違いなく、スポーツノンフィクションから飛び出てきた小説なのである。小説として希有なものでもある。まったく、この本が遺稿だというのだから残念なものだと、リアルタイムの読者ではなくても思う。


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