2003.10.31 てらしま
芸が板についてきたという感じか。これまでの久藤冬貴では一番完成度が高いと思うし、この人らしい話だと思う。でも最初に読んだときのような驚きはなくなったかなあ。
早い場面転換で、リズムのいいスラップスティックをやる。相変わらずのそういうスタイルだ。それが、今回はかなり違和感なく読めるようになった。キャラクターも徹底してらしさを崩さず、安心して読める。
疲れる心情描写は簡潔にこなし、あとはセリフを中心に出来事を描写していく。一人称ゆえ文章が簡潔になり、すばやく主人公の心情を描いてしまうことができるんじゃないかと思う。
一人称の小説にはあまりおもしろいものがないなあと思っていたのだが、この使い方は納得できるのだ。
このスタイルは、ありそうだが完成度の高いものはあまり知らない。
一人称だとどうしても、主人公の心理をどんどん深いところまで掘り下げていってしまいがちだが、この人はそれをやらないでいられる。大事件にも動じないお気楽さをもった人物を主人公にすえていることが正解なのだろう。
そういう意味で、私にとっては好きな作家の一人になっている。こうなるともう、しばらくは「ハズレ」がないんじゃないかと思う。
キャラクターの行動原理が徹底して揺るがない。そこが一番いいところだ。とにかく「こいつはこいつが好き」と決まっている以上、すべての行動でそれを基準におく。この人はまだデビュー4作目なのだが、プロフェッショナルの仕事だなあと思ってしまう。
まあそのあたりは、なんとなく、作家以外の人間の力、つまり編集の力というものを感じないでもないのではあるが。
だがやはり、プロの仕事には安心できる分、驚きがない。このシリーズではこの安定感を保ってほしいが、もし別のものを書くなら、今度はなんか変なことをやってほしいなあと思ったりもする。
2003.11.2 てらしま
あいかわらず、てきとーでいい。
登場人物も全員てきとーだし、ストーリーもすごい。いったいなにを捨てればこんなものを書けるようになるんだろう。
父親が悪の秘密結社の幹部。中学生の娘は正義の味方「スイート・パティシエール」の一員にスカウトされ、「ピンク・ミルフィーユ」となって、
まあそんな話。やりすぎなくらいいいかげんな世界とキャラクターが特徴の作家だが、今回は特にすごい。
デビュー作『赤城山卓球場に歌声は響く』からすると、最近は多少、まともになってきたのかなあと思っていたが、またもとに戻ったようだ。
もちろん、キワモノが好きな読者としては、この調子でどんどん突っ走ってほしいものなのである。少し落ちついた感のあった近刊よりも、「やっぱりこうでなきゃあ」という気分だ。
正義の味方「スイート・パティシエール」というネーミングのいいかげんさがいい。『赤城山~』もそうだったが、けっして設定に盛り上がってしまわない、むしろ、あえていい加減な名前を使うことで、世界観を深読みする楽しみ方を切りすてている。
その分、突き抜けて破天荒なキャラクターたちの行動だけに焦点を絞る。
その描写も、なんというか……。一線を越えてしまっているのだ。
そこまでするのかーというところに、登場人物たちは平気で踏みこむ。ときどき読んでいる方が恥ずかしくなってしまうのだが、そんなところも含めて楽しいのである。
正義のヒーロー戦隊の話なのに、チーム名はスイート・パティシエールだし、必殺技もいいかげんだし、そっちの話はあまりしない。あくまで主題は悪の幹部である父親との関係なのであって、他の要素はくわしく書いてもしょうがない。そういう捨て方の潔さがいい。
とはいえ、シリーズの1作目ということもあり、いろいろと伏線は張られているようだ。それが意外に真面目そうな伏線なのだが、そこはそれ、いつものいいかげんな話ではぐらかして続くのだろうと思っている。
それにしてもだ。「死ぬほど食べていただくわ」が決めゼリフのヒーローチームが、説明不要のパロディとして成立してしまう、日本のヒーロー文化って、すごい地平にいるんじゃなかろうか……。
2003.11.3 てらしま
既刊の評
マリア様がみてるシリーズ
マリア様がみてる レイニーブルー
マリア様がみてる パラソルをさして
マリア様がみてる 子羊たちの休暇
マリア様がみてる 真夏の一ページ
マリア様がみてる 涼風さつさつ
そもそも入手に手間どった。近くの本屋にいっても見事に売り切れてるし。それも、その日は三軒も回ったのにさ。
でようやく後日、四軒目で手に入れたわけなんだが、もはやこうなると、まともにレビューを書く意欲というものが減退してくる。アニメ化も決まったしね、少女文庫なのに男どもが喜んで読んでるしさ、そりゃあ好きなシリーズだから人に勧めたこともあったが、こう流行ってしまうと、元来がひねくれ者の心根としてはなんとなく、やだなあと思ってしまったりもする。
ブームのためか、刊行ペースがかなり速くなった。近刊がどこか微妙だったのは、そのあたりのことも関係してるのかもと思えてしまう。やっぱり人気出ちゃうとダメだねとか、いってみたくなる。
よく考えてみれば、毎回コンスタントに高い完成度を維持してきたシリーズじゃないわけだし、そもそも完成度だけの作品だったらこれほど熱狂的なファンはつかない。
スポーツと同じだと思う。今やってるワールドカップバレーでいえば、今回の日本はおもしろい選手が多くて楽しいと思うのだが、その中で、人気が出そうな選手といえば断然、栗原なのだ。
この人、見てるとなんだかミスも多いのだが、プレイに華がある。すごいことをやると、たしかにすごい。バレーボールバカという感じの顔もいい。完成した完璧な選手と同時に、そういう選手にも人気が集まるのは、一つの法則といっていい。
サッカーでいえばバッジョ。野球なら松坂。つまりファンは試合結果以上に、その選手に感じる可能性を見ている。
そういう意味も含めた、マリみての魅力であったはずなのだ。
だから、いまいちだった回はミスなのかもしれないが、それで魅力が減退するわけではない。まして、人気が出たからつまらなくなったとか、そんなことも関係ない。受けとる側の心境が変わっただけのこと。
屈折したファン心理という奴だろう。私はマリみてだけでなく、今野緒雪の本を全部持っている。だから自分は特別だと思いたいのだが、もちろんそんなものは関係ないし、そもそも特別な読者ってなにさ。
私もそういうものにつかまっているわけである。第三者から見れば、そんな根性こそ「やだなあ」だろう。
しかしまあ、最大のクライマックスであった『パラソルをさして』以後、四冊も使って再構築を試みてきた世界観も、だいぶ落ちついてきた。正真正銘の新レギュラーとしては、実はシリーズ初であった可南子も、この巻でようやくマリみて人の一員となれた感じである。
久しぶりに安心して、最後まで普通に楽しめた。
今回のネタは体育祭。この作者もひねくれ者だと思う。次は学園祭だろうと読者がみんな思っているところで、あえてそこを外してくる。このあたりも、ファンタジスタの条件の一つだ。
これはよかった気がする。
『パラソルをさして』で、主人公の祐巳が抱えていた最大の問題を解決してしまったとき、キャラクターたちが織りなす世界観は一度カタストロフをむかえた。そもそも、あれでシリーズを終わりにしてもよかったはずだ。
だが続いた。続いた以上、そこから、おそらく主人公が妹を作る学園祭に向けて、もう一度いちから作りなおす必要があった。というか、そうしてもらわないと読者として納得できる展開にはならない気がした。
今回の話で、どうやらその準備は整ったんではないか。新たな世界観が見えてきたと思う。
その世界の中で、「次こそはあの話」という期待がまだ持続している。新しい世界での「重い方の話」はどんなものになるのか、早く見たいと思っている。
よく裏切られるが、すごいことをやるとたしかにすごい、マリみてのポテンシャルを読者は知っているのである。
2003.11.29 てらしま
読んだ本のうち、面白かったものを紹介しています。
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2003.11.29
Bad! Daddy2 五月祭にパパは踊る
野村美月 ファミ通文庫
既刊の評
Bad! Daddy1 パパに内緒で正義の味方
『Bad! Daddy』を翻訳すると「パパのカバ!」(1巻より引用)になる。この言葉は非常によくこのシリーズを表しているような気がするので書いておきたかった。
「バカ」ではなく、なぜ「カバ」なのか。
文字の大きさが示すとおり、このセリフは1巻の一つの山場で登場する。そうすることで、娘の父親への複雑な感情を端的に表してしまえていたんじゃないかと思う。
主人公は、変人で悪の秘密結社幹部の父親に愛情を抱きながらも、あまりの変人ぶりに振り回されて困る。そういう話だから、いきなり「バカ」ではなく「カバ」だったわけである。
この2巻ではもうカバは登場せず、主人公は素直に「パパのバカ!」という。つまり、カバを使わなければならない段階はもう過ぎたわけだが、基本的なストーリーは変わらない。父親の行動に振り回され、一方で怪人(怪獣)が現れ、主人公はヒーローに変身して戦い、最後は愛の「パパパンチ」で解決。
新キャラクターが2人も登場したのに、流れはまったく同じなのだ。
この調子だと、いろいろと残されている謎についても同じ扱いになるんだろうか。それでいいのだろうかとも思うが、逆に、ごちゃごちゃといろいろな要素が盛りこまれてもテーマがぶれないという安心感がある。
そういえば内容の紹介をし忘れたが、まあ説明するほどの話でもなかった。1巻の続きだ。
あいかわらずの、どこまでも異常な世界観は、読んでるうちに慣れる。いつのまにか、これが普通という気になっているから不思議だ。
登場人物の行動原理が極端に単純化されているだけで、実はさほど異常でもないんじゃないかとも思った。それに気づくと、野村美月がなぜ面白いのかわかるようなそうでもないような。
2004.1.10 てらしま
既刊の評
マリア様がみてるシリーズ
マリア様がみてる レイニーブルー
マリア様がみてる パラソルをさして
マリア様がみてる 子羊たちの休暇
マリア様がみてる 真夏の一ページ
マリア様がみてる 涼風さつさつ
マリア様がみてる レディ、GO!
まあ、ほとんど雑誌で読んでたわけだけど。しかたないだろ、買わないと。
過去のいろいろな時点を舞台にした、番外編短編集。人気が出たせいか最近、雑誌コバルトの方で、しょっちゅう短編が載っていた。それを集めてみたわけである。
もちろん俺はファンだし、概ねおもしろい。
この人、デビューはノベル大賞だし、もともと短い方がおもしろかった人のようだ。以前書いていた『夢の宮』シリーズは、正直マリみてほどおもしろくないのだが、その中でいいものを拾うと、やはり短編集のような形式の巻になる。そういえばそういう人だった。
マリみてにしても、世界観を広げ、シリーズの魅力を形作ってきたのはやはり短編だった。
このシリーズが成功している要因の一つは、こうした番外編で、あえて主人公以外の脇役を使ってきたところだとも思う。そうすることで、リリアン女学院という舞台自体に読者を引きつけ、舞台の中心にいる主人公たちを別の角度から見ることができる。女子校という異常な世界にどっぷりとつかりながら、ねちねちと心情を掘り下げた重いシリーズになってしまわないのは、常に外側からの視点が補給されているからだ。
しかも今回は、脇役中の脇役たちの話ばかり。存在だけ確認されていた先生の青春時代とか。初めて登場した誰かのクラスメイト、ならまだいいが、高校を見物にきた中学生の話まである。
ようするにどーでもいい話なのだが、だからといってこれを切り捨てるのは忍びない。短編の中にも充分おもしろい登場人物がいるのだ。
むしろ、登場人物を「当たり」と「はずれ」にわけるなら、短編の方が当たりが多い。それ一つで充分おもしろい番外短編の中に、一瞬だけ輝くキャラクターが何人もいて、実は彼女たちがマリみての世界を形成している。
シリーズのレギュラーの中には、ときどき、違和感のある描写をされてしまう登場人物がいる。「こいつ、こんな奴だっけ?」と思って既巻を読み返すと確かにそんな奴と書いてあるのだが、印象が残っていない。「~が好き」とか、ただ書かれただけで活かされていない設定が、よくある。
そもそも、どんな奴かわからないまま卒業してしまった(いまだにわからない)旧薔薇さまたちの例もあるし、実は、あまりに立っていないキャラクターが多いのだ。
立っていない、というより、これは始めから造形に失敗しているんじゃないかと思うこともある。どのキャラクターがとはいわんけど。
もちろんその一方で、主人公をはじめ成功しているキャラクターはとても成功しているわけだし、これで補って余りあるのではある。
つまり、けっきょく、長編でたくさんの要素をコントロールし続けるのが好きなタイプじゃないんだろうなと思うのだ。そういう人が、たぶん苦しんで長編を書いてきたから、この独特のおもしろさを獲得できたんじゃないか。そんなことを考えた。ともかくこういう短編集が一番安心できる。