ボードゲームの紹介です。もちろんドイツ製が中心。
ゲームのデータは公式ではなく、執筆者の主観です。てらしまはけっこう考えるスタイルのようなので、特にプレイ時間は長めになっています。でもメンツによって違うわね。
『王への請願』という、大変魅力的なゲームがあった。サイコロを振ってサイコロを増やしたり目を操作する能力を得たりというあのシステムは、非常に魅力があった。あえてサイコロですべてを解決してみせる、根性がかっこよかった。
でもあのゲームには問題があって。
目を操作したりとかそんな小細工をがんばっても、けっきょくツいてる奴が勝ってしまうんである。
サイコロ勝負だから。
それがわかってくると、もうサイコロの数を増やすことしかしなくなるんである。
目は自力で振ればいい。振らなきゃ負け。そう考えるようになってしまうんである。
だって、そうしないとツいてる奴に追いつけないし。
まあそれはサイコロをテーマに選んだ以上当然。むしろ運ゲーじゃないほうがおかしい。たぶんあのゲームはそういう姿勢で作られていた。
そのあたりも潔くて、かっこよかったのだ。
しかし、それだけでは終わらない可能性が、あのゲームにはあった。
どこか調整が足りない感じとか、よさを消さないようにあえて大雑把に作られているような感じとかが、そういう雰囲気を助長していた。
同じようなロジックを使って、なにか他のことができそう。
そこで、この天空の巨人だ。
いや、本当にそういう流れなのかどうかは作った人に訊かなきゃわからないけど。
プレイヤーからすると、ニーズどおりのゲームだったんである。必然的に登場したように思えたんである。
王への請願のように、ダイスでダイスをパワーアップするシステムを使うゲームだ。
でももっといろいろな要素が足されている。しっかりとチューンされたゲームになっている。
たとえば、サイコロは目の違うものが3種類ある。獲得カードのうち「開発カード」は色によって置く場所が決まっていて、最大6枚しか持てない。
カードは「開発カード」と「気球カード」の2種類があって、これは生産力を強化するものと勝利得点カードの区別。
「生産力を強化するか勝利得点をとるか」
「どこで勝利得点獲得にシフトするか」
というジレンマは、サンクトペテルブルグなどでおなじみのものだ。
ようするに、なにかすごくチューンされた、まともなゲームになっているんである。
気球を作るゲームだ。
左の写真のように、すごく長いボードをつかう。
ちなみに、一番上に見えているのがヒンデンブルグ号。
気球カードには勝利得点が書かれているので、たくさん作ると強い。ただ、気球を作るにはいろいろな技術力「開発カード」が必要になる。
開発カードも気球も、獲得方法は同じ。左上に書かれた色と数のダイスを使って、合計で右上に書かれた数字以上の目を出せばいい。
「白のダイス1個と赤のダイス1個で7以上」
とか。
ちなみに、振れるのは一回のみ。王への誓願のように振りなおしは一切ない。
で、開発カードには、ダイスが増えたりダイスの目を増やしたり、ダイスを変換したりといった能力が書いてある。
あと他の要素には「3枚使うと1ターン増えるボーナスチット」とかもあったりする。
別のゲームで見たことある感じのシステムが、いくつか盛りこまれているのがわかる。
いろいろな別のゲームのノウハウを使って、欠点を補ったのだ。王への請願は少し挑戦しすぎのゲームだったから、周辺を実績のある手法で固めてまとめたわけだ。
王への請願にあった、チューンされていない魅力のようなものはもう、まったくない。見事にまとめられている。
じっさい、かなりおもしろいゲームと思う。
……ただ、なんとなくどこか、正しすぎる大人のやりかたでまとめられちゃったかなーとか、思ってしまわないでもないけど。
原題に「Giganten」とあるけど、石油掘るゲームとはたぶん関係ないです。あれの続編だと思って買うのをやめた人がいるなら、それはもったいないです。
2008.07.02 19:50 さかい :
これはおもしろそうですね。
機会があればぜひプレイしたいです。
2008.07.02 23:29 てらしま :
おもしろいですよ。サイコロゲームはわりとウケがいいし、やれそうな機会には持ち歩くようにしようと思ってます。
2008.07.14 12:57 なかた :
昨日持ってきていただいたのでプレイ。感触は確かに王への請願とはまるで違いますね。いわば「ただ面白いだけの手順」になってしまう王への請願と違って、リスクとリターンを考えながら行動を選択していくところの動きはゲーム的。
ただ、王への請願にあった中途過程でのレース感はごっそりなくなっていて、そのへんは残念というか。いや、終盤とか天空の巨人の方がロジカルな競争が発生してゲーマー向きではあるんだけど、でも王への請願の「楽しさ」の魅力には届いてないというか。
でもダイスの種類の概念は魅力的ですよね。ここだけでも王への請願へフィードバックさせたゲームとか出ないかしら。
2008.07.14 23:31 てらしま :
途中の開発競争は調整されてておもしろいけど、勝利点獲得の方法とか終了条件とかが、もっとでたらめでもよかったような気はしました。ダイスゲームらしく。
「最終決戦、ヒンデンブルグ号の開発!」とか? やればよかったのに。
けっこう傑作かもしれない。おもしろい。似た雰囲気のものを挙げれば勝利への道だが、ルール自体はさらにシンプルに洗練されている。
とりあえず、何十個か入っている円形の木製チットを一列に並べる。5色あるんだけど、これがでたらめな順序で並べられる。
同じ5色のコマが、この列の上を進んでいく。コマは必ず、自分と同じ色のチットの上に乗る。コマを一歩進めると、次のその色のチットの上まで進むんである。
プレイヤーは毎ターン、5個のコマのどれかをひとつ、一回進める。
そうすると、移動先の前後のチットのうち片方をとれる。チットを集めるのが目的だ。
でも、このチットが何点になるのかはまだ確定していない。
得点が決まるのは、コマがゴールしたとき。一番最初にゴールしたコマの色は4点になる。2番が3点、3番が2点、4番が1点、最下位は0点だ。
と、そういうゲームである。簡単だ。
システムとして緻密に作りこまれているというタイプのゲームではない。たぶん、だれかがふと、天才的なひらめきで作ったゲームだ。
システム上「これをやったらあれができない……」みたいなジレンマを用意してあるわけではない。そういう「強い」システムを持つゲームじゃない。
でも、悩ましくないわけじゃない。システムがジレンマを用意しなくても、勝手にいろいろな状況が出てくるんである。
なにしろ盤面はランダムに並べられているのだ。選択の余地もない局面もあるし、他人の次の手を読んだりいろいろしなければならない局面もある。
エレガントなゲームだ。
初期配置には激しい乱数があるが、その後は完全に公開情報のみ。だから、ゴールまでの戦略を立ててプレイできる。そのあたりが楽しい。
もちろん、他人の意図があるから簡単にはいかない。協調したり、多少は邪魔したりというあたりもある。そのあたりのバランスも、なんだか見事だ。
これほどシンプルなシステムが、これほどうまくできているというのは、これはもう人の手が作ったものじゃないと思う。
もちろんゲームデザイナーはいつもこういうのを捜しているんだろうし、すっと考えているから見つけられたのだろうけど。もともとどこかにあったんじゃないかと思えてしまう。
見つけたもの勝ちである。こういうゲームにはもう、見事といってしまおう。
これはゲームなのか?(笑)
3人の旅行者がヨーロッパ地図の上にいる。彼らを、目的地のいずれかに届ければ得点だ。
移動方法は、スコットランドヤードだと思えばいい。手持ちの交通手段チットを支払うと、該当の交通手段で移動させることができる。自動車は道路が多いが遅い、汽車は自動車と大差ないが自動車では通れない経路がたまにある。というあたりまでは、特になんの変哲もない。
変なのは、あと二つの移動手段「飛行機」と「船」だ。
なんか写真にも写ってるけど、これが飛行機。棒が1本入っていて、この飛行機棒で届く範囲の空港まで移動できる。
船のほうはどうかというと、なにやら鎖が入っているんである。陸地にかからないように港から港まで船鎖が届けば、そこまで移動できるわけだ。
このあたりの小道具はたしかにわくわくする。しかし、まあ、それだけのことかな……。
リソース(交通手段カード)の生産量は一定で、移動しようがしまいが毎ターンもらえる。目的地も盤上のコマも共有している。となれば当然だが、あまり差がつかない。
展開も淡々としていて、序盤だろうが終盤だろうが、やることに差はない。
特につまらないとは思わないけど、どこがおもしろいといって特別いうべきこともない。
ボードもあまりに地味だし。
デザイナーはクラマーなわけだから、あえてそうしたんだろうと思うけど……。
ヨーロッパの地名を憶えるための教育ゲームだろうかなあ。
ちょっとがっかりだ。小道具がいろいろあって楽しそうだったんだけど。
インドかセイロンか中国のマップを、タイルの並べかたで選ぶんだが、まあともかくそのあたりでお茶を買いつけてヨーロッパに売る。テーマ的にはよくある、強かったころのヨーロッパが当時の発展途上国を開発する話。
マップ上を、茶箱を持った買いつけ人コマが歩き回る。そしてお茶箱タイルを手に入れるんだが、これがなぜか、タイルには箱半分しか描かれていない。
タイルには、茶箱を対角線で切った三角が描かれている。2枚並べると、四角になって茶箱が完成するんである。
半分の茶箱が2つ描かれているタイルや、3つ描かれているタイルもある。
船に積んで出荷するときは、タイルを並べて、茶箱を完成させてみせなければならない。並べたとき「蓋が閉じていない」茶箱があってはならない。
買いつけ人を街の近くに移動させると、船への積みこみができる。たくさん積みこむほど得点が高い。
枝葉を除いたコア部分は、とても素直なシステムだ。茶箱タイルの組みあわせを考えるあたりにちょっとパズル的な要素が入っているけど、そこを除けばまあ、テーマから普通に考えた感じのシステムといえるだろう。
しかし、往々にして、そういう無作為なシステムのままではゲームにならない。
たとえば、普通に作ったらだいたいは1番手プレイヤーが有利になる。広い盤面をプレイヤーコマが歩き回るだけではプレイヤー同士が出会わないため、インタラクションが足りない。拡大再生産を組みこめば逆転が難しくなるし、安易にダイスを使えばスゴロクになってしまう。
基本的に、ゲームは直感では作れない。作りこまなければゲームにならないのだ。そのあたりを解決するための、さまざまな工夫をしてきたのがドイツゲームである。
ダイスをどこに使うかとか、手番順を単純な時計回りではなくしたりとか、プレイヤーのひとつの選択に複数の意味をもたせたりとか、とにかくいろんな試行錯誤をしてきた。
その中にはもちろん、それほど効果のなかった試行もあったわけで。
ダージリンはちょっとがっかりだった。その理由は、典型的な「手番順の問題」を解決していないシステムだからだ。
ルールブックを読んだだけで、とりあえず1番手が有利なのは読みとれてしまう。
茶箱を組み合わせなければならないとしたところは、任意のタイミングで出荷できなくすることで手番順の効果を薄めるための工夫だと思われるけど、なにしろそれはみんな同じ。やはり1番手が有利なのだ。
「パズル要素を入れてみる」というのは『フィレンツェの匠』などでも試行されているが、ゲームの上ではあまり効果がなかった要素のひとつだと思う。ゲームを攻略するための手順がひとつ増えるだけで、ゲームそのものに影響するわけではない。
このゲーム、他にもいくつか小道具が用意されている。ひとつひとつはけっこうおもしろくて、その中でも「積み出し口」による物価システムは秀逸だ。
(各商品2個ずつのコマが並んでいて、出荷をするときにその商品のコマを一番上に移動させる。その商品のコマ2つのあいだにはさまれたコマの数が、その商品の価格になる)
しかし、手番順の効果というのはじつは恐ろしく強い。生半可な工夫では、1番手の有利は覆らない。そこに目をあて、得点トラックとは別に手番順トラックを用意してしまったドラゴンイヤーなんてゲームさえある。
このゲームの場合、むしろいろいろな追加システムが1番手の有利を助長している節もある。
過去に多数のゲームが採用しているような「得点の低いプレイヤーから順にプレイ」とか、そんな感じにするだけでもかなり違ったんじゃないかなあと思うのに。
どうも縁がなかったんだけど、ようやく店に並んでるのを見つけた。ものは見てのとおり。ボルトとナットなのです。
この重量感。旋盤の跡。工芸品として普通にいいなあ。
ボルトの中が実は空洞になっていて、中に小さなナットが閉じこめられている、というこの状況設定もおもしろい。
……で、どうするのこれ?
まあ知恵の輪なので、これが全部バラバラになって、中の小さなナットもとりだせるわけなのです。
ひらめきや試行錯誤というより、じつは一つ一つ理詰めと推理で解ける。ちゃんと考えた結果でしか解けないから、疲れてたり眠かったりすると厳しい。
解法の美しさに感動はしないけど、考えて解いたから満足できるパズルだった。
日本のおもちゃメーカーならぜったいにやらないだろう、黒いボードである。ゲームの内容から一般的な日本人が想像する世界はパステルカラーのはずだ。パステルカラーにして、桜瀬琥姫がイラストを描いてつくりなおすべき。
ボードに、あやしげな大鍋が10個並んでいる。そこになにかほうりこんで煮ると、なにか別のものができあがってくるわけです。
やることはシンプルだ。調合のレシピをつくったり、他人のレシピで調合したり。で調合するたびに得点が入る。
このゲーム、なんだかきれいにまとまった好ゲームの予感がある。でもよくわからない。なにしろ、なにをしたら高得点をとれるのか、さっぱりわからないのだ。
プレイヤーがやることは、レシピをつくることと他人のレシピで調合すること。
調合するときは他人のレシピしか使えない。そのかわり、調合に使った材料の半分をレシピの権利者がもらえる。
で、そのレシピ。
「レシピ作るぜ」というときは、ボード上の大鍋に、材料の素材を置く。そうすると、
「青2個と赤1個で、黄色1個と灰色1個になる」
みたいなレシピができあがる。その大鍋は、以後この調合専用の鍋になってしまう。
そして、その大鍋の上に1個得点チットを置く。
このあたりが、このゲームわりきっちゃってるなというところなんだけど。
1点から10点まで、1枚ずつの得点チットが用意されている。この中から一個、好きなやつを選んでしまっていいのである。
……このルールはなんかすごいなと思った。
つまり、材料が1個だけの超簡単なレシピに、いきなり10点をつけてしまってもいいんである。ところがこれが、なかなかそうもいかないわけだけど。
なにしろ、レシピを使って調合することができるのは他人だけなのだ。
調合で得点できるのももちろん他人。レシピをつくったときにも同じ得点が入るということになっていたりもするけど、これは1回だけだし。
というわけで、あまりに安易で高得点なレシピをつくってしまうと、他人ばかりが得をする結果になってしまう。
でも、自分のレシピを使ってもらうことができれば、材料をもらえる。ということは、あまり難しすぎるレシピもよくない。
そんなあたりが悩ましいゲームである。
オークションゲームと同じ、プレイヤーがバランス調整をするゲームなのだ。
というわけでそれなりに悩ましくレシピがつくられていき、そのうち10個の大鍋はほとんど埋まる。
さあ調合して得点を稼ぐぞ、というところで。
そこで、はたと気がついたりするのだ。
他人と比べてもいいレシピを作った自信はあるのに、みんながこのレシピで調合してくれると思ったのに、
「黄色が流通してない!」
なんてことが起こる。
レシピをつかったときは権利者に材料の半分を渡すわけだが、どの色の材料を渡すかは調合した人が決める。
もちろん、できるだけ価値の低そうな材料を渡すことになる。
青の価値が低いとなったら、つまり、レシピの権利者は調合のたびに青をうけとることになってしまう。
結果、各プレイヤーの手元にある材料はどんどん偏っていく。その材料を使いたくても、レシピの組み合わせがそろわなければ使えない。そんなわけで、材料の流通はどんどん鈍くなっていく。調合したくても必要な材料がそろわないという状態に陥ってしまう。
そのあたりがなんとも、どうにもわからないところだ。
いまのところ、じつは、なにをしたら勝てるのか皆目見当がついていない。
とはいえ、なにしろこれはプレイヤーがバランス調整をするゲームだ。同じプレーヤーで何度も遊び、相場の感覚などがだんだん洗練されていったら、どうなるかわからない。
わたしはまだ数回しかやっていないが、なんとなくその場の相場観みたいなものは出来上がっていたように思う。
しかしあれが適正なのかどうかはだれにもわからない。もっと高いべきなのかもしれないし、もっとぜんぜん安いほうがいいのかもしれない。
というよりも「相場がこれ以下ならこうなる」というような、しきい値みたいなものがあるかもしれないと思っている。その場の相場の感覚しだいで、まったく違うゲームになってしまう可能性もあるような気もする。
(しかし、相場といってもゲーム中には動かないわけで。しかも大鍋は10個しかない。たぶんそのあたりがこのゲームを難しくしている。レシピを作るときは未来の需要を見こさなければならないのかもしれない)
もしも、いまわたしがもっている相場観がまったく狂っているのだとしたら。これはもう、わたしはこのゲームのことをなにも知らないことになる。ひょっとしたらすごい名作なのかもしれないし、ぜんぜん糞ゲーかもしれない。
あるいは、けっきょくプレイヤーたちの損得の綱引きで、相場はどこかにおちつくのかもしれない。
そうしてみると、プレイ回数数回でこんな記事書いてるのがまちがってるわけだけど。
とりあえず、もう少し煮詰めてみたいゲームだ。鍋だけに。
わたしこれ好き。すごいいろんなことやってみたい。けどまあ、「要素多すぎ」とか、「いろいろ複雑すぎ」とか、いう人がいるのなら、そりゃーもうもっともだと思う。
いろいろ手順が修飾されているが、要するにやっていることはサンクトペテルブルグである。
整理してみればけっこう明確に、ある種の様式そのもののシステムが切り出せる。わたしが勝手に「街系」と呼んでるゲームだ。
ここで「街系」と呼んでみているのは、サンクトペテルブルグを代表とする、よく街の名前がタイトルについたゲーム群のこと。
別に街の名前であることが重要なわけではなくて、ああいう感じのデザイン方法というか、そういうものを共通して持っていればいい。
なんか獲得できるカードが数種類あって、たぶんそれは、典型的には「職人」「建物」「貴族」とかそういうようなもので。
それらのカードから、だいたい「お金」「勝利得点」とか、そのあたりのリソースを生産することができて。
ゲーム中リソースを運用するためにはお金が必要なんだけど、お金は勝利得点ではない。お金をとりすぎると得点が足りなくなるけど、お金を稼いで投資しないと得点の伸びが悪い。
そのあたりの、バランスとタイミングを見極めるのが重要な要素になっている。
だいたいそんなゲームだ。
別にサンクトペテルブルグをもちだすまでもない、ずっと昔のゲームにだって、そういう要素はあった。もちろんあったわけだけど、サンクトペテルブルグのえらいところは、余計な要素を極力省いてみせたことだ。
おかげで、ああいう種類のゲームのゲノムがずいぶん明らかになったという気がしている。
で、いまはそのサンクトペテルブルグ以後の時代なのだ。
サンクトペテルブルグがいったんまとめあげた街系ゲームは、それ以後、サンクトペテルブルグにルールを追加するかたちで再生産されている。
……と、まあ少なくともそういうとらえかたはできる。
このドラゴンイヤーも、サンクトペテルブルグの拡張という解釈が、ひどく素直にあてはまってしまうゲームなのだ。あるいは、サンクトフレームワーク上で実現されたシステムとでもいうべきか。タイトルは街の名前じゃないけど。
サンクトペテルブルグでは、3種類のカードを獲得できた。「職人」「建物」「貴族」である。
それが、このドラゴンイヤーでは9種類に増えている。実に9種類だ。なんともまあ。
サンクトペテルブルグを、そういうふうに拡張したんである。
いや、わたしの勝手な分類なんてどうでもいいわけだけど。
少なくとも、そう解釈しておけば、インストを受けるとき混乱しなくてすむかもしれない。なんの心構えもなく説明を受けるには、ちょっと複雑だと思う。
舞台は中国。
辰年にはさまざまな災厄が起こることになっていて、それは毎月、10ヶ月にわたって続く。
大変である。
災厄は、12枚並べられたイベントタイルというかたちで表現されている。
1ラウンド1ヶ月。12ラウンドで終了である。(はじめの1月と2月は平和)
9種類の人物タイルは、それらのイベントや各ターンのアクションに対応して効果を発揮する。
たとえば「飢饉」イベントを乗りきるためには、食料が必要だ。この食料を獲得するためには「農民」タイルが必要になる。とか。
「モンゴル人の襲来」イベントを乗りきるには「兵士」タイルが必要になるとか。
9種類全部を毎ラウンド使うのではなく、対応するイベントが発生するタイミングで必要になるわけだ。
そして、そのイベントが起きる順序は、ゲーム開始時にすでに全部見えている。
「3ヵ月後の疫病に備えて医者を雇わなきゃ」
「あーでもその前に、来月モンゴル人が攻めてくるんだけどどうしよう」
「っていうかこんなときに、皇帝が貢物を要求してる……」
とかそんなことを、盤上にあふれかえっているさまざまな要素について考える。
イベントに備えつつ、その合間をぬって、あるいはイベントを利用して得点を稼いでいかなければならない。
基本的に足りない時間とリソースをなんとかやりくりしていく。イメージはそんな感じ。
炎上プロジェクトのマネジメントみたいなもんか。
そう思ってみるとだ。
これほどの量のリソース、ふつう管理しきれないわけで。というか少なくとも、管理しきれるつもりでデザインしたとはあまり思えないわけで。
最近教えてもらった言葉だけど、「"マジックナンバーセブン"」とかいうらしい。人が一度に処理できる事柄の数は7個前後なんだそうだ。
(ふだんのゲームプレイにてらしてみると、わたしはたぶん4個くらいまでしか管理してない気もするけど……)
というか、マジックナンバーセブンの話が本当なら、現実的にゲームにつめこんでいい要素の数が限られてくる。個人差もあるだろうから、だいたい5個くらいまでが限度ということになるのじゃないか。
それはつまり。
5個くらいを超える要素を同時に管理しなければならないシステムがあった場合、そこにはそういう意図があるんじゃないか。と考えたくなる。
管理しきれないということを、デザインの意図として組みこんでいるんじゃないか。
問題が山積みで、なにをどうしたらいいんだかもうさっぱりで、徹夜続きでノイローゼ寸前で……。
そういうのを表現したかったのかもしれない。
「いろいろ複雑すぎ」なのも当然。解決しきれない問題の中での混乱こそが、このゲームのテーマとも思えてくる。
そうすると、ファーストプレイが一番、このゲームの趣旨を経験できるときなのかもしれない。
「全員ファーストプレイ」という状況で、ルールも数箇所間違えてるくらいの場でしか経験できないゲームというのも、あるかもしれない。わたしはやっちゃったのでもうムリだが。
まったくのところ。
エレガントなシステムとはいいがたい。でも、だからといってつまらないわけではない。
余分な要素がないかといえば、おそらくはかなりある。半分以下のサイズまで切りつめることができるだろうし、たしかにたいていは、そうすべきだろうと、わたしも思っている。
だが、そうして小さくまとめたドラゴンイヤーは、まだドラゴンイヤーだろうか。
なーんか大げさなこというと。
このゲームに、たとえば「美しさ」がないかといえば、どうだろう。
「美しいゲーム」の分類には誰も入れない。それはそうだ。
でも。「混乱」をゲームシステム上に表現するという目的のために、明らかに過剰な要素をあふれさせたこの手法にだ。ある種の美しさが、ないとはいいきれないような気も、少しする。
もっとも、よく見るゲームと似たようなもんだとわかってしまえば、管理しきれないというわけでもない。数回やれば、切りすてていい要素がわかるし、問題をまとめて整理することもできるようになるだろう。
というか、「なんとか管理できる」ラインにとどまっていなければ、ゲーマーは逆に離れていきそうな気もする。
混乱がなくなればもちろん、得点も伸びる。数回やって慣れたプレイヤーには大きなアドバンテージがあるハズ。
見るからに、いかにもゲーマーズゲームなのである。
そういうゲームが苦手な人もいる。いっぽう、そういうゲームが好きな人も多い。両者のバランスのあいだにゲームは作られる。
このゲームは、どう見たってゲーマー寄りに偏っている。
(もっとも、システムにエレガンスを求めるゲーマーもいるし、好みは人それぞれなわけだけど)
偏ったゲームだからこそ、ゲーマーズゲーム好きにとっては大変楽しい。しばらくパーティーゲーム寄りのものが多かった(わたしの主観)だけに、なんだかもう興奮してしまう。
「疫病と飢饉を無視してみたらどうだろう」
とか、
「坊主をたくさん集めてみたい!」
とか、とにかくいろんなことやってみたいのである。なにしろ要素が多すぎなだけに、いろんなことを試せる。
たぶん誰もがいうことなんだけど、たしかにそうなのでここでもいう。おもしろいけど運ゲーだ。
プレイヤーは吉村作治みたいな考古学者。ヨーロッパ中の大学を巡り歩いて遺跡に関する知識を集め、スコップを買ったり現地の案内人を雇ったりして準備を整えてから、地中海にいって遺跡を発掘する。
この遺跡の発掘が、けっこう運なのである。勝利ラインが50点そこそこのゲームなのに、引き運の結果だけで、10点や20点の差は平気で出る。
なにしろテーマがテーマだけに、運ゲーだからといって文句はあまりいえないわけだけど。
発掘の方法は、
というもの。遺跡の数だけ巾着袋がある。
巾着袋には得点の書かれた発掘品が入っているけど、ハズレのガラクタも入っている。というか、はじめからガラクタのほうが多い。
発掘にかける時間と、その遺跡に対する知識によって引ける枚数が変わったりもする。
そうして引いたもののうち、得点が書かれているタイルはもちろん獲得できる。
そして、
ガラクタは袋に戻す。
……。
次に同じ遺跡にやってきた人は、アタリを引ける確率が下がるんである。
引き運はどう考えても大きい。発掘品に書かれてる得点も、1点から7点と幅がある。
しかしまあ、その変動する確率を考慮したうえで、いつ発掘するのかとか考えることはできる。ヨーロッパで知識を蓄えてから発掘にいくのか、準備なんてそこそこにさっさと遺跡を荒らしにいくのか、わりとそれなりに考えながらプレイできたりはする。
発掘ゲームではあるけど、ヨーロッパの大学で過ごした日々も無駄にはならない。各遺跡について一番知識を持っているとゲーム終了時に5点もらえたり、学会で発表をくりかえして得点をもらったりという、別の得点手段も用意されている。
そのあたり、実に作りこまれている。
各遺跡に対応した5個の巾着袋が入っていたり、かける日数と知識点からタイルを引く枚数を決める「時計」とか、小道具も力作だ。
なによりやってて楽しいし、まちがいなくいいゲームなんだけど。
しかし。やはりゴッドハンドにはかなり勝てない。「1枚引いたら死海文書を見つけたよ〜」とかいわれると、大学で一所懸命に勉強してた人はがっかりだ。
そして、まあ4人もいれば一人くらいは、ツいてる奴がいるじゃん。
このゲーム、実は運ゲーにしない選択肢もあったと思う。「巾着袋から引く」部分を、たとえば『郵便馬車』みたいに決められた順序でタイルを積んでおくようにするとか。そうすれば「早い者勝ち」は残るし、ゲームは安定する。
または、発掘による得点の分散を小さくするとか、最低でも得点は入るようにするとか。
しかし、たぶんあえて今のかたちを採用したのだと思う。それはやっぱり、発掘の山師感を表現するためと、逆転の可能性を残すため。
「運ゲー」のそしりは受けるだろうが、たぶんそんなことはわかっている。それでも、ゲームのテーマと合致しているし、巾着袋からタイルを引くという行為そのものが楽しいと思えば文句がいえない。
「おもしろいけど運ゲー」それでなにが悪い?