ボードゲームの紹介です。もちろんドイツ製が中心。
ゲームのデータは公式ではなく、執筆者の主観です。てらしまはけっこう考えるスタイルのようなので、特にプレイ時間は長めになっています。でもメンツによって違うわね。
http://www.amazon.de/exec/obidos/ASIN/B00001NTXP
このゲームを買った人はみんな、このビジュアルにやられたんだと思う。これは飾っておきたくなる。
見た目だけではない。内容も、なにやらずいぶん評価されたゲームらしい。
ようするに4目並べなんだが。
ただし、もちろんふつうの4目並べではない。
ふつうはもちろん「自分の色の石を4個並べたら勝ち」だ。だがこれは違う。
で4目並べたプレイヤーの勝利なのだ。
「自分の色」というのはないわけで。とにかく4個目を置いたらその人の勝ち。
さらに。それだとすぐに終わってしまうので、もうひとつ変なルールがある。
つまり、自分ではコマを選べないのである。
で、4目並んだら、コマを置いたプレイヤーが「クアート!」と叫ぶ。そうしたら、そのプレイヤーの勝利。
叫ばないとゲームは終わらない。
とにかくすぐに終わるので、同じ相手と何度もくりかえすことになる。はじめのうちは「クアート!」といわれて「あっ」と気づくゲームばかりだ。
(わたしはまだその段階)
おそらくは、その段階を過ぎてからが勝負なんだろう。
わたしはまだそれほどやっていないわけだが。
しかし、答えの出しかたはもうわかっている。さすがにこれほど単純だと、コンピュータに計算させればすぐに解答が出るだろう。
というかこれくらいならば、手計算でもできると思う。「先手必勝」か「後手必勝」かという問題については、その気になればあっという間に解けてしまう。
冷徹に分析するなら、そういうゲームだ。
だが、たぶんこのゲームは、そういうものではないだろう。
たとえば、子供にやらせるにはいいような気がする。コマも大きいし、ルールもわかりやすいし。
ボードゲームの世界をまったく知らない人に、ちょっと興味を持ってもらうにもよさそうだ。なにしろ、見た目もいい。部屋に飾っておけば「なにこれ」といってもらえそうな気がする。
言語依存もない。「マニアっぽさ」もない。我々のようなオタクでない層にアピールできるゲームと思う。
もちろんそれは、シンプルさとおもしろさを兼ね備えているからこそのことだ。
いろいろな賞を受賞し、評価されているのはそういう意味だろうと思う。
どうでもいいが、記事書きづらいゲームだな(笑) あちこちで議論がありすぎて。
くわしいことはぐぐるとたくさん出てくるので、そっち読んだほうがいいと思う。
わたしまだプレイ数回なのでね。bswで何百回もプレイしてる人たちはいるので、戦略面とかはそちらに譲るとして。
さて、ぐぐってると紹介するのもアホらしくなってくるくらい話題のゲームなのだが。
(そしてこのサイトを比較的上位に見つけちゃって、無駄なSEO対策を後悔するんだが)
たしかに、間違いなくおもしろいです。
とりあえす自分のデッキと墓地と手札があって。
自分のデッキからカードを引いて、使ったら自分の墓地に捨てる。トレカゲースタイルの、そういうゲーム。
で、プエルトリコみたいに、場に特殊能力を持ったカードが10種類出ている。
それをお金で獲得して生産力を増やし、またお金を稼いで得点を買う。
お金はもちろん必要だけど、どこかで得点にシフトしないといけない。そういうロジック自体は、大変見慣れたボードゲームと同じ。
でも違うのは、獲得したカードが「デッキの中に入る」というところだ。
自分の前に並べておくとか、そういうことじゃない。カードを獲得したら、まず墓地に置く。デッキが尽きたらシャッフルしなおすので、獲得したカードはそのあとで使えるようになる。
「自分の場」という要素は省略されている。とにかく、全部デッキの中に混ざってしまう。お金カードも、アクションカードも全部だ。
得点カードも、獲得したらデッキに混ざる。
得点カードは、ゲーム中にはなんの価値もない。引いてもがっかりなんだが、しかし勝つためには得点が必要になる。
とそういうゲーム。
余分な要素を徹底的に排除してみせた、このデザインがまずすばらしい。極限まで熟考されたデザインだ。
自分のデッキと手札があるトレカゲースタイルで、余分な要素というのは場のこと。
ふつうなら、クリーチャーを召喚したり土地をセットしたりして、場にカードを並べる。しかしドミニオンは、そこを省略してしまった。
こうして見せられてみるとたしかに、場はなくてもいい。パーマネントとソーサリーと、「ターゲットをとる」とかとらないとか、たしかに、「場」という要素があるせいで、多くの複雑なルールが生まれていた。
このゲームにあるのは、「アクション」と「購入」のみ。
「アクション」はアクションカードの効果を解決することで、基本的に1ターンに1回。
「購入」はお金カードを使ってカードを購入すること。これも1ターンに1回。
これまでの常識にとらわれず、熟考を重ね、必要な要素だけを抽出した結果だ。
トレカゲースタイルのこのシステムが、ここまでシンプルになりうるとは、おそらく誰も考えていなかった。
こうしてゲームとして提示されてしまうと、簡単なことに見える。むしろ、ずっと前から知っていたシステムとさえ思えてしまう。
あまりにもきれいにまとめられているがために、約束されていたシステムとさえ見えてしまう。
だが、もちろんそうではない。
発明はなんでもそうだ。こういうのを発見するのは簡単ではない。拍手である。
さてしかし、こうなると、アクションカードの出来がゲームを左右することになってしまうんである。
なにしろこのゲーム、「どのアクションカードを購入するか」という点にしかゲームとしての選択がない。
また、このシステムの上では、どんなアクションカードでも作れてしまう。Jester's CapがあってもHymn to Tourachがあっても、まったく不思議はなかった。
ドミニオンのデザイナーはここで、冒険をした。
たとえばそのひとつが、「村」というカードである。
このカードの効果は、
というもの。
通常、アクションは1回のみなので、このカードを使うことで2回に増えることになる。
身体にコンボデッキの血が流れている人なら、すぐにわかったと思う。
このカードだけならどうということはないのだ。
だが、横に「カードを3枚引く」というカードがあったらどうか。
それが「鍛冶屋」というカードである。
つまり。「村」「鍛冶屋」とプレイしたら、手札が3枚増えてアクションが1回残るんである。
ということは、ここでさらに「村」をプレイして……。
冒険と書いたのはこういうことだ。
アクションが連鎖する作りにしないことは、簡単にできるのだ。それなのにこのデザイナーは、あえて「村」というカードを作った。
デザイナーの立場に立って考えてみればいい。ゲームバランスをとる上で、こんなに厄介なカードがあるか? それでもあえて、「村」を採用したということになる。
理由はようするに、それが楽しそうだから。だろう。
じっさい、これほど多くのプレイヤーがハマってしまっているのは、「なんかいろいろできそう」なところが楽しいからだと思う。
で思い出したのは昔の格闘ゲーム。
ごめんなさいわからない例えで。
しかもここから先は、うっかり意味不明な専門用語が入ってしまったりします。意味わからない方のほうが多いと思いますが……てきとうにそんなもんだと思っていただければ。
ごぞんじのとおり、『ストリートファイターⅡ』は大ブームになった。それでその後、SNKとか他のメーカーがいろんな格闘ゲームを出したわけだが、やっぱり最先端をいっていたのは、いつもカプコンだった。
で数年後に『ヴァンパイア』が出て。格闘ゲームがもっとも輝いていたころの話だ。
このゲームで、どのキャラクターでも例外なく使えるコンボ
いわゆる「チェーンコンボ」というのが発明された。
これは大ヒットで、わかりやすい上に戦略の幅が大きく広がった。
さてその先。
チェーンコンボをさらに推し進めたコンボ「エリアルレイブ」が導入されたのが、『マーヴルスーパーヒーローズ』である。
(その前に、『X-MEN』が一部導入していた)
エリアルレイブというのはなにかというと、「相手を攻撃で吹っ飛ばして、ジャンプで追いかけて空中コンボ」というもの。
地上でチェーンコンボがつながり、ふっ飛ばしたあと空中で、もう一度チェーンコンボがつながる。
もちろん途中でキャンセルして必殺技につなげたり(このゲームにはもうひとつ、「すべての通常攻撃は必殺技でキャンセルできる」という非常識なルールがある)、ダッシュや2段ジャンプが絡んだり、もうとにかくいろんなことができる。
これが、ドミニオンの「村」と同じだなと、思ったんである。
バランスをとらなければならないデザイナーとしては、こんなもの、ないほうが楽に決まっている。そりゃそうだ。
だが、あったほうが楽しいじゃないか?
それこそ「無限コンボ」や「即死コンボ」が、できそうな気がするくらいのほうが楽しい。
その代わり、そういう方針でゲームを作るには、本当に長時間のテストプレイが必要だと思う。しかも、あくまで「村」というカードを残すためには、そういう決意が必要だ。
ドミニオンのデザイナーはそれをやったんだと、感じるんである。
「カードが500枚!」も同じだ。ただ単純に、たくさんあったほうが楽しそうじゃないか。
25種類あるアクションカードから10種類だけを使う、というのは、ゲームが難しくなりすぎてしまわないための、これまたうまい解決策だったんじゃなかろうか。
でもこれだって、ゲームを成立させるためだけなら、25種類も用意する必要はなかった。
いろんなカードの相互作用で変なことがおきてしまうリスクを、あえて犯していることになる。
また格闘ゲームの話。
実は『マーヴルスーパーヒーローズ』には、無限コンボも即死コンボもあったんである。
当時、いまでは考えられないようなクオリティの攻略をしていたゲーメストという雑誌が、徹底的に攻略し、数々の無限コンボが開拓されていた。
ゲームセンターでは、暗黙の了解として「無限コンボ禁止」となっているところも多かった。だがそうでないゲームセンターでは、スパイダーマンから小足払いを一発喰らったら無限コンボがはじまって負け。本当にそんな世界だった。
開発チームはもちろん、そういう可能性もあるとわかっていたはずだ。しかしあえて、無限コンボができるかもしれない調整のまま世に送り出したんである。
システムでガチガチに固めたゲームもいいが、このゲームはそうじゃない。このゲームはとにかく楽しそうな方向を目指すと、そういう決意を、たしかに感じるゲームだった。
一発喰らっただけで負けてしまうというのは、ゲームとしては失敗かもしれない。
じっさい、ゲームセンターにいっていきなり即死をやられたら、もうやらないプレイヤーが多いだろう。
そんなこともあり、まあかなり稼動していたものの、ストリートファイターやヴァンパイアなどと比べたら、大ヒットゲームとはいかなかったようだが。
しかし、たしかに楽しかった。
で。
その後発売された同システムのゲーム『X-MEN VS ストリートファイター』は、無限コンボを持たないキャラクターが数人しかいないというとんでもない出来で……。
こういう挑戦にリスクがあることがよくわかったわけだが。
もっともドミニオンには、システム上無限コンボがない。そこはゲームとしての調整だったのだろう。
(使ったカードは即墓地にいくわけではなく、ターン中にデッキが一周しても、ターンが終わるまではデッキにシャッフルされない)
まあ、本当に即死コンボがあるようなゲームだったら、これほどの人気は獲得できないと思うし。あえて好きという人もいるだろうけど。
楽しさを優先したデザインだが、デッドラインよりは手前で、踏みとどまることができているんである。
ただし、そうした挑戦の弊害はもちろんあるはずだ。やっていくうちに見えてくると思う。
たとえば、これだけたくさんのカードの組みあわせがある以上、「誰も使わないカード」は発生するだろう。数回プレイした段階で、すでに怪しいカードがいくつかあるし。
即死とはいかないまでも、明らかに強いプレイが出てくるかもしれない。
組みあわせが多いとはいえ、インタラクションは弱いわけで。インタラクションが弱いということは、一つ戦略が開発されれば、邪魔されないから何度でも再現可能ということになる。
本当に本当の最強作戦が発見されてしまったら。その先はもう、先手が少し有利な引き運ゲーでしかなくなってしまった、そういう可能性も、ないとはいえない。※1
そういう意味では。
たとえばストーンエイジは(インタラクションが強いから)何年たっても遊べる可能性が高いが、ドミニオンは1年後に飽きられていても不思議はない。
とはいえ、ここまでわたしが把握している範囲では、まだまだ楽しめそうだ。よくぞここまで調整した、と思う。
傑作といっていいのはまちがいない。
競りゲー。競りしかしない。しかし、「競り落とさないこと」に価値を持たせているところが他と違う。
競りで使うのは商品カード。で、競り落とすのも商品カードである。競り落としたカードも手札に入ってくる。
この商品カード、3枚同じ色を集めると得点にすることができる。手札の上限が7枚なので、得点にしていかないと無駄になってしまう。
手札のマネジメントに焦点をしぼった、わかりやすくてシンプルなシステムだ。
とりあえず、山から何枚かのカードがめくられる。このセットをまとめて、競りをする。
で、競り落としたら、代金として提示した商品カードを「市場」におく。あと、いま競り落としたカードの中から一枚を選んで、それも市場に置く。
一度競り落とした人は、もうそのラウンド中参加できない。また次の商品(1枚減る)がめくられて、残りの人たちで競りがはじまる。
最後の一人は、競りではなにももらえない。
全員が競りを終えたらラウンド終了。
このへんまではわりとふつうだ。だけど、この先が違うんである。
競りに使った商品カードは「市場」にいくと書いた。この市場のカードを、最後に競り落としたプレイヤーから順番に一色ずつもらえる。
一色ずつなので、まあふつうは、たくさんある色からもっていく。つまり、競りに負けてもそれはそれで利点があるんである。
競りというと重いイメージがあるが、これはそうでもない。最近の競りゲーはよく考えられているなと思う。
このゲームの場合、競りに使うのはそのまま得点にもなりうる商品カードだ。しかも手札はたったの7枚。また、一度競りに提示したカードは引っ込めることができないというルールがある。カードの追加はしてもいいが、引っ込めて別の組みあわせを出すということはできないんである。
手札の事情で、出すことのできるカードは限られてくる。得点にする予定のカードばかりというラウンドでは、ほとんど参加できなくなったりもする。
そして、競りに負けたほうがいいかもしれないこのルールだ。必然的に、競りの金額はそれほど高くならない。
すごいなと思ったのは、競り落とすときの額がすぐにだいたい決まったところに落ちついたところだ。初プレイでも、数ラウンドやればだいたい同じところに収束すると思う。
いつも適正金額が変動してわからないのが競りゲーなんだが。
なにしろ、手札には得点のもとがあるのだ。いきたくてもいけないし、「これ以上いったら損」というラインも明確にわかる。。あとたぶん、競りに降りたときになにが得られるかというのが「市場」に明示されているから、直感的に計算できるんだと思う。
競りゲーではよくあることだけど、熱くなっちゃってひどい高額の値をつけるプレイヤーが出てくると、ゲームが壊れる。競りにはなんだかそういう力があって、意地でも競り落としてやる、みたいな気になりがちなようだ。
だが、このゲームはそうならないのだ。だって、あまりにも明確に損だとわかるから。しかも、競りに参加しなくたって利益はあるわけだし。
ただし、まったく競らなくていいかというとそうでもない。よく調整されていて、競りで勝ったほうが若干得をするくらいのバランスになっている。
わりと短いし、シンプルだし、プレイ可能な人数の幅が広いしで、重宝しそうな気がしているゲーム。
コンセプトというか、やりたいことというか、デザイナーの気持ちはわかる気がする。
海に島がたくさんあって、その中のひとつが黄金島なのである。プレイヤーは海賊の船長になって、黄金島を捜す。
しかし、
「黄金島を見つけたら勝ち」
ではない。そのあたりが特徴だ。このゲームが目指したところも、そのあたりに表現されているのだろうと思う。
このゲームの勝利条件は、
「黄金島に上陸したプレイヤーの中でもっともたくさんの財宝を獲得する」
こと。「黄金島を捜す」というより、黄金島に置かなければ負けなのである。
ちなみにこれ、「偶然上陸した島が黄金島だった」でもいい。情報収集をせず、他プレイヤーの行動から推定するというルートを、あえて確保してあるデザインだ。
とりあえず、12枚ある島カードから1枚がボード脇に伏せられる。このカードに書かれているのが、黄金島である。
この黄金島を捜すため、海賊たちは港町で情報収集し、出航して島に上陸し、財宝をあさる。
情報というのは、島カードで表現されている。黄金島以外の情報カードははじめ、山札として置かれている。ゲームが進行するとこれが引かれていき、さらにプレイヤーからプレイヤーにぐるぐると移動する。
この流通している島カードは、黄金島ではない。だから、全部見れば黄金島を特定できるというわけだ。
Whiteさん宅でゲームするときは、『スルース』が定番のひとつ扱いされていたりする。黄金島の「伏せられた一枚を推理する」というあたりは、あのゲームを思い起こさせる。
スルースはいいゲームだ。しかし、じっさいのところ、あのシステムには欠点がある。
スルースでも黄金島と同じように、解答ではないカードをプレイヤーが持っている。欠点というのは、その情報をもっているのがゲームを通じてそのプレイヤーだけであるというところだ。
「青いダイヤカードを何枚もっていますか」というような質問に、プレイヤーは正直に答えなければならない。そこで一度でもウソをつくと、ゲームが成立しない。
まあ、ルールとしてプレイヤーが正直であることを前提とすること自体は、しかたないだろう。しかし、プレイヤーは人間なのである。人間である以上、ミスは必ず起こる。スルースのゲームシステムでは、一度のミスも許容できない。
ミスをするとゲームバランスが崩れるとか、そういう話ではない。ルールの前提が崩れてしまうから、ゲームにならないのだ。
プレイヤー全員に、集中力が求められるゲームなのである。
じっさいのところ、ボードゲームプレイヤー全員がそうした集中力を備えているわけではない。
というより、ゲームに求めているものは人によって違う。ほしいのは単純な楽しさであって集中ではない、というプレイヤーも多いのだ。スルースは考えることが多すぎて、ゲーム中は誰もが無口になってしまい、盛り上がらないという面もある。
だから、はじめて会った人とスルースをプレイすることはちょっと厳しいかもしれないと思う。
困ったことに、スルースはおもしろい。だから、ああいうシステムを使った別のゲームを作れないかと思う。
黄金島は、そういう試みのひとつと思える。
海を航海して宝を捜すためにリソースをマネジメントしなければならないわけだが、そうした行動の一環として、情報収集のためのアクションがある。情報そのものをリソースと同列に扱っているわけである。
試みとしておもしろいと思う。
ただゲーム自体は、充分に練られていない。余分な要素が多すぎるし、まとまっていない。
ロストシティ……ではあるんだが、やはり2人と4人とでは印象がだいぶ違う気はする。
とりあえずやって思うのは、すごく最近っぽいゲームだなということだ。
30分で終わるし、運ゲーだし。
(内容に対して不必要に大きいボードとかも)
このゲームだけの話ではないけど。
どうせ30分で終わるのだから、逆転できなくなってしまってもかまわないんである。差が開きはじめたら開く一方というゲームでも,、すぐ終わるなら「もう一回」といえる。
そういうゲームは飽きも早いのではないかと思うけど、そうしたら、次のゲームを買えばいいのだ。ゲームは毎月たくさん出るし、どうせゲーム会では、ひとつのゲームを何度もやりこんだりしない……。
という作りのゲームが、増えている。
必要なのはとにかく「早く終わること」。考えこんでしまうと時間がかかるから、「考えてもしかたのない作りにすること」も必要だ。つまり、30分で終わる運ゲーである。
三国志より三国無双という話だ。
こういう流れは別に日本だけの話じゃないし、ましてゆとり教育のせいでもない。
ボードゲームの世界はけっこう公正で、『大聖堂』や『ストーンエイジ』もちゃんと評価されている。そうして棲みわけるならそれでいいとも思うわけだが。
こんな書きかたをしているけど、こうした30分の運ゲーは、たしかに新しいゲームだとは思う。「これでいいんだ」としてみることでしか生まれてこない種類のゲームも多いと思うのだ。
個人的な好みは別の問題だが。
これもそっち系のゲームかなあと思う。
手札の引きが悪いと本当になにもできないし、逆転を狙おうと思ったころにはもう終盤だし。
ルールの説明が大変わかりづらくて、なかなか正しいルールにいきつかなかった。しかしわかってみれば、なるほどと思わせるルールである。
なにがなるほどかというと、「なるほど、談合はこうして生まれるのか」というところ。
ようするに、工事の入札をする。一番安い金額を提示したプレイヤーが、受注するんである。受注すればもちろん、その金悪をもらえる。同額だった場合は、その金額を提示した全員が受注できる。
受注したら、自社が所有している技術者たちを現場に送りこむ。技術者にはいろいろな種類があって、また工事によって要求される技術者の種類と枚数が違う。必要な技術者がいなければ入札はパスするしかないので、技術者はたくさん抱えていたほうがいい。
ところが、じつは罠があったりする。
ときどき、山札から「決算日」というのが現れる。これが起こると、その時点での空き要員の数に応じて、お金を支払わなければならないんである。
しかも、このマイナスが強烈に大きかったりする。
工事を受注するためには技術者を抱えていなければならないが、抱えすぎると決算日で大変なダメージを喰らってしまうかもしれない。運まかせではあるけど、シンプルにジレンマを実現してるなと思う。
受注することには、お金をもらうことと技術者を稼動させて決算日のダメージを減らすことの、二重の価値がある。けっこう、赤字でも受注したくなったりするし、競争していると簡単にそうなる。
しかしこのルール、同額の場合は全員が受注するんである。
ようするに、全員が最高金額を入札し続ければ、みんな幸せになれてしまうんである。
まあルールに「談合していい」とは書いてないので、相談してはいけないと思うけど。
工事が終わって、技術者たちが帰ってきたところで決算日がきてしまったら、これはもうどうしようもない。いろいろ考えてみたところで、その不運で受けるマイナス得点を覆すことなどとても無理だろう。
そのあたりはまあ、気軽な運ゲーだ。
でも、この技術者カードをそれぞれ「JAVA技術者」「.NET技術者」などと読みかえると、なんかこういう会社ありそうな気もしてくる……。
「大聖堂」系のゲームというとわかりやすいだろう。ただ、あれよりは要素が整理されている。
とりあえず盤面を見ると、ああこういうゲームかと思う。
「狩場」「森」「石切り場」などのリソース生産エリアや「建物タイル」「文明カード」などの得点系エリアなどが、盤に描かれている。それに、プレイヤーの能力をあらわす「道具タイル」とか「食料チャート」とか、そんなものもある。
プレイヤーはまず、自分が持っているコマ(人型をしている)を、順番に盤面に配置していく。
全員が配置し終えたら、配置した場所に応じたアクションをおこなう。「森」なら木材を獲得できるとか、「家」に二人配置して子供を生むとか。畑を耕して毎ラウンドの食糧生産力を強化するとか、資源を支払って建物タイルや文明カードを獲得し、勝利得点を稼ぐとか。
ドイツのゲームを追ってきてるプレイヤーの人たちは、だいぶ、こういうゲームに慣れている。なんかもう、盤面を見ただけでどういうゲームかわかる感じがある。
ルールブックのページ数は少なくないが、これが非常に自然に理解できてしまうんである。
ここまで自然だとなんだか、妙な気分になる。なんでこのゲーム、いままでなかったのか? というか、あったに違いないと思うのに、具体的なタイトルが思いつかない。
……なかったのかなあ。
全部同じルールのゲームをやったことあっても不思議はない、とさえ思えるんだが。
というわけで、いちいち納得できるルールばかり。しっかりと洗練されているし、完成度も高そうだし、文句のつけようがないという感じである。
これはもう、ある種のゲームの歴史の中での、ひとつのランドマークといっていいんではなかろうか。
たとえば、乱暴だが
という感じに流れてきた進化系統樹があったとして。その集大成といってしまってもいいと思う。
それまでのさまざまなゲームの要素から、エッセンスだけを抜き出してまとめたのがサンクトペテルブルグ。
大聖堂は、サンクトペテルブルグがまとめあげたフレームワークに「アクションにコマを配置」システムを組みこみ、その上でどれだけのことができるのかという実験場。
大聖堂で再発見されたおもしろさのエッセンスを、再抽出したのがストーンエイジ。みたいな。
もちろん、デザイナーがなにを考えているのかなんてわからない。
けれどまあ、プレイヤーの視点から見て、そういう流れがあったからこのルールが理解しやすいと感じるのだと思う。
とりあえずわたしが思いつくのがモルゲンランドなんだが、もっと前のゲームにもたくさんあったと思う(いまみたいな方向に洗練されてはいなかったかもしれないが)。人を盤面に配置し、配置された位置に応じたアクションをおこなうというシステムだ。
このシステムは、やっぱり優れている。とストーンエイジやって思った。
多くのゲームでは、ゲームが進むにつれプレイヤーの生産力は高まっていく。なぜそういうゲームが多いかというと、楽しいから。
だがこれは、プレイヤーのもつリソースが指数関数で増えていってしまうことを意味する。
これはじつは、マルチゲームとしてはよくない。差がつきはじめたら、その差も広がる一方だからだ。マルチゲームでは、終盤までプレイヤー全員に接戦をさせることが求められているので、差が広がりすぎてしまうのは困る。
単純に考えると、得点がターン数の自乗に比例するなら、1ターン遅れたプレイヤーとトップとの差はターン数の1乗に比例することになる。逆転は難しい。
拡大再生産は楽しいんだが、デザイナーにとっては、じゃじゃ馬なのだ。
しかしこのシステムでは、エレガントな方法でアクションに制限をかけている。
共通の盤面に示されたアクションにコマを配置することで、拡大再生産のインフラ投資を実行できる人数に、制限がかけられている。
自分がインフラ投資をしているとき、他のプレイヤーはリソース生産や勝利得点の獲得をしている。自分が得点を稼ぎにいけば、他人がインフラ投資をする。両立ができない。
けっきょく最速の成長はできないし、プレイヤー間の格差はある程度、均されることになる。
ここには「他人が置きたいアクションに自分が置く」というインタラクションが発生している。
直接攻撃ではないが効果があり、自分にも恩恵がある、マルチゲームとして適度な感じのインタラクションと思う。
それに、インタラクションでバランスがとられるというのは、マルチゲームらしくていい。
でこれ、たとえばサンクトペテルブルグの通過はダブロン金貨だが、ストーンエイジにおける通貨は労働力。というか人数だ。
人の数はそれほど増えないし、貨幣のように蓄積しない。
道具を作ったり畑を耕したりすることで、一人あたりの生産力を強化したりといったことはできるわけだが、アクションを実行できる回数は人数ではっきりと制限されている。
なるほどたしかに石器時代だと思う。テーマにふさわしいシステムというよりも、このシステムにふさわしいテーマだなと思う。
変なところや独特のシステムはない。システムの完成度を評価すべきゲーム。
2008.09.04 00:31 てらしま :
戦略面を書いてなかったので追記。大傑作だろうと思っているのだけど、戦略が開発されていったあとのことは不安もあるんである。
この手のゲームはたぶん、序盤から得点をとりにいかなければ勝てないのです。上でも挙げたモルゲンランドとかと一緒。
拡大再生産は楽しいから、ついそっちを選んでしまうが、勝つために必要なのは得点をとること。とにかく得点アクションの回数を増やさなければ話にならない。特にこのゲーム、序盤でも終盤でもとれる得点はあまり変わらないし。
となると、ひょっとしたら、インフラ投資の効率とかそんなことを考える必要はなくなってしまうかもしれない。むしろ、得点アクションを多くこなすために最小限の投資に抑えることのほうが重要だろう。
与えられた選択肢はいくつかあるけど、充分にバランス調整されているだけに「得点以外はどれでもいいや」となりかねない。
そのへんは不安材料なので、もっと回数やってみる必要があると思ってるところなのです。
2008.09.08 22:34 なかた :
盤上の拡大よりは文明カードの拡大の方が良いチョイスで、あとはサイコロ+ドラフトなあれをどう評価すればいいのだろうとか思ってます。
人数がどんだけ増えても配置は順繰りってあたりが悩ましい。
一度ストーンエイジやりこみの日でも設定しましょうか。俺もやりこみたい。
場にカードを一列に並べるというシンプルさながら、これはおもしろいです。友人宅でやったんだけど、おもしろかったから自分でも買った。
パレードの参加者は、不思議の国のアリスの登場人物たち。……に扮装した、仮装行列である。
参加者たちは偏屈で、しかも飽きっぽい。飽きてくると、きょろきょろと周囲を見まわしはじめる。そして、自分と同じ仮装をした人や自分より偉い人を見つけると、怒って帰ってしまう。
なにこの状況設定。
まあようするに、プレイヤーは一枚ずつ、パレードの最後尾にカード(参加者)を追加していく。
追加したとき、ルールにしたがって、怒って帰っちゃった参加者をチェックし、帰っちゃった参加者はそのプレイヤーがひきとる。このカードの数字がマイナス点になるんである。
なんといっても、一列! というところがいい。この場のシンプルさから、ゲームとしてのおもしろさを引き出している、良ゲーだ。
このゲーム、シンプルではあるんだが、それゆえにいろいろとデザイナーの苦労のあとが見えていたりもする。やはり一軸しかない場からゲームとしての展開の広がりを表現するのは大変だったのだろうなと想像してしまう。
たとえば「飽きてしまった参加者」は、「列の後ろから数えて、いま追加されたカードの数字以上の位置にあるカード」だ。
この飽きてしまった参加者に対し、「色が同じ」または「いま追加されたカード以下の数字」というチェックをする。
……日本語で説明してると、業務システムの詳細設計書みたいになっちゃっていやな気分になるけど(笑)
つまり、単純極まりないアクションにしては、けっこう複雑な処理をしなければならないようなところがある。いや、他のゲームと比べれば複雑というほどではないけど、ちょっと処理に恣意的な感じがあるためか、わりとインストがうまくいかなくてルールを誤解させてしまったりする。
そしてさらに、これでも足りなかったんだろう、最終得点計算時にもギミックが仕込んである。確かにこれだけじゃ、手札しだいではどうしようもなくマイナスが増えていきそうだし。
各色で一番多くその色を持っているプレイヤーは、その色のカード一枚がマイナス1点になる。
得点計算時にリソースの「色」を区別し、他プレイヤーと比較させるというのは、いろんなゲームで採用されているロジックだ。ゲームがシンプルすぎるときの常套手段といえるんじゃなかろうか。
そんな感じで、調整したんだろうなーと思うシステムになっている。
そして、ちゃんとそれが成功していると思う。あえて「一列」とした上でロジックを追加してゲームを成立させ、それが必要以上に複雑になっていないと思う。
日本のゲームでこのバランスを保っているものは数少ない。