ボードゲームの紹介です。もちろんドイツ製が中心。
ゲームのデータは公式ではなく、執筆者の主観です。てらしまはけっこう考えるスタイルのようなので、特にプレイ時間は長めになっています。でもメンツによって違うわね。
プレイ回数まだ2回。しかもオークションゲームなので、まだぜんぜんわかってない可能性が高いわけだけど。
オークションゲームです。どれくらいオークションかというと
「5種類のオークション」
と書いてあったりする。
とにかくひたすらオークションだ。
時計回りで親が回ってきて、親はなんかよくわからない現代絵画を出品する。絵画カードにはオークションの種類が書かれている。
ちなみにその種類。こういうのは全部書いちゃうのがわかりやすい気がしているので全部書くと、
オークションにはオークショニアも参加していい。
フィックスプライス以外のオークションでは、誰も入札者がいなければオークショニアが無料で手に入れることになる。フィックスプライスの場合はオークショニアがそのお金を銀行に支払う。
所持金は非公開で、オークションの支払い分のお金は人から人に移動する。そして、所持金はそのまま勝利得点でもある。
この人から人に支払われるオークションというのが、実はわたし、どうしていいのかよくわからない。
たとえば、トップと目されるプレイヤーがいい商品を出品した場合。
他のプレーヤーとしては、トップにお金を与えたくない。なにしろお金はそのまま勝利得点だ。しかし、絵はシーズン終了時にお金に変換されるわけで、値をつけなければオークショニアが無料で手に入れるというルールがある以上、ビッドしないわけにはいかない。
そうして誰かがビッドしてしまうのだから、自分もビッドしなければならない。基本的には、買ったほうが得なわけで。
そうして、つまり、うまくやられてしまうとトップを逆転できない。
またたとえば、誰かがうっかり「100万ドル!」と口走ってしまった場合。
普通のオークションならそのプレイヤーが大損するだけですむけど、100万ドルが人に渡ってしまうとなると、これはもう困る。
誰もが、あらゆる瞬間にキングメイカーになれるゲームだったりする。オークションというのは往々にして無駄に熱くなるので、そういうことが現実的に起こりうる。
オークションしかしないだけに、そういう構造がきわだっている気がする。
さて、画家は5人いる。そのうちの誰か一人の、5枚目の絵が出た時点で(この絵は出品されない)シーズン終了。
このシーズン、もっとも多く絵が売れた画家の絵は1枚3万ドル、2位は2万ドル、3位は1万ドルで売れる(ていうか売らなければならない)。
4位以下は値がつかない。ただ捨てる。
第2シーズン以降は、3位以内に入った画家の絵には、過去のシーズンについた価値が加算されたりもする。
そんなシーズンを4回やって、一番お金を持っているプレイヤーの勝利と。
場面によってオークションの意味が変わる、そのあたりの展開はおもしろい。下家と協力するためにフィックスプライスとか、疑心暗鬼を煽って値を高騰させたいからシールドとか。
フィックスプライスの値づけかたに、いろいろな戦略とメッセージをこめることができたりして、そのあたりも楽しい。
しかしやはり、人から人にいくオークション。
オークションゲームは普通、プレイヤーが勝手にバランス調整してしまう。デザイナーはある程度いいかげんにデザインしてしまってもかまわない (ほんとは違うだろうけど) 。
しかし、支払ったお金が人にいくとなるとそうでもなくなる。
このゲームの場合、値がつかなければ自分で買えるルールのせいで、オークショニアは出品した時点ですでに得をしていることになる。ただでもらえるならそれが一番いいんだし。
そして、その出品物が高ければ高いほど、オークショニアの得も大きい。
つまりけっきょく
「カードの引き運しだいじゃね?」
ということになりかねない。
このゲームにはなにしろ、ダブルオークションの存在がある。
なにしろ2枚売るわけだから、普通の2倍の値がつく。単純に高いカードなのだ。となれば、ダブルオークションをたくさん出したプレイヤーは単純に強いんじゃないか。
というわけで、最終的にはダブルオークションの引き勝負ということになる気がしているわけだけど。
……ただし、プレイ回数が足りないと書いたのはこのあたりだ。なにしろ、わたしはまだダブルオークションのオークショニアになれたことが一度もない……。
あとたとえば、絵画カードを全部使いきるような展開が普通なら、ダブルオークションはむしろ損なわけで。
(その場合、絵が売れなかったプレイヤーが多くいるわけだから、むしろ差が広がっている気もするけど……)
ここまでインタラクションが強いゲームは、最近のトレンドではもはや作られないという気はするわけだけど。
考えてみれば同じオークションなのに、オークションの種類によって意味がまったく変わってしまう、そういうあたりはとても興味深い。
オークションしかしないだけに、オークションというシステムの意味をいろいろ考えてしまうゲームだ。
あのー、Googleでね。「ソロプレイ感」を検索して1位になるエントリが、このサイトにあるんです。これはもう、ひとえにはてなのおかげで、そりゃありがたいんだけど、このはてなの強すぎっぷりはいいのかねーと思ったりもするんです。
っていうかなにあのはてなスターって。なんだこのアイコンと思って押しちゃったら、星がついて消えないんだけど。しかも自分のエントリ関係のところにorz
わたしにとっちゃ、はてなの事情なんて他人事なんですよ。アイコンの意味なんて知ってるわけないんですよ。
どうやらみんな嫌がってるみたいだけど、あれはほんとにひどいサービスだなあ。そういって裁判したら勝てるんじゃないかなあ。
とまあそれはともかく。
そんなエントリを書いた人が使う言葉じゃないんだけど「ソロプレイ感」満載のゲームが、このルーンバウンドなのです。
有名だしファンも多いゲームだしなので、あまり説明してもしかたないけど。
どういうゲームかというと、ドラゴンクエストだと思えばいい。というか、すごく素直にTRPGをボードゲームにしたゲームである。
成功ロールをする場面がたくさんあったり、ダイスでモンスターと戦ったり、街ではがねのつるぎを買ったりする。
そういうゲームを作ろうといわれて、ものすごく素直にそういう風にデザインした感じのシステムだ。
もちろん、ほんとはしっかりといろいろ考えられてる。誰でも作れるわけじゃない。でも、見たことあるというより慣れ親しんだ感のあるシステムばかりなので、そういう印象を抱いてしまうのだ。
基本的に、きりきりにチューンされたシステムとは対極にあるゲームだ。
ルールにあいまいなところが多かったり。よく考えてみるとこれハマリじゃね?(笑)とか、差がつきはじめたらすぐに逆転不可能になったりとかする。
近ごろのドイツゲームになれている感覚からは、別世界のゲームだ。
でもまあ、なにしろ、いわゆる前世代の「枯れた」技術ばかりを使って作られたゲームだ。とりあえずおもしろくないわけがない。
最初に「ドラゴンクエスト」と書いたのはまさにそのとおりの意味で、あまりプレイヤー間のインタラクションはない。というかほとんどない。
いちおう「他のプレイヤーを攻撃する」という、まさにそのものずばりな攻撃手段があるのだけど、これがまたドラゴンクエストなので、トップのプレイヤーというのは一番レベルが上がってる人なのである。普通に攻撃しても勝てないし、自分が負けたときのリスクはでかいし、そもそも攻撃するためにターンを使うコストが大きい。
というか。
逆に、トップのプレイヤーが2位以下のプレイヤーを攻撃する価値ならあるなーという、どう考えても差が開く一方という、まあそういう観点から見れば、やはり別世界のゲームなのだ。
そういうわけで。普通は、一人一人がドラゴンを倒すために冒険する。
でもこれが、普通に楽しいんである。
だって、そりゃそうじゃないか。ドラゴンクエストがつまらないという人なんて、まずいないんだから。
動物園経営ゲーム。かつ、コロレットのシステムを応用したゲームでもある。非常にわかりやすい名前である。
各自にボードが渡されている。このボードが自分の動物園。
動物園にはそれぞれ3つの、檻がある。その檻に動物を入れるのが目的だ。
で、この動物を動物園につれてくるために、コロレットのロジックが使われているのだ。
なにしろコロレットは傑作ゲームだ。だから、そのシステムを使ったこのゲームだっておもしろいだろう。というのは、必ずしも本当ではない。というか普通は、そういうゲームはつまらなくなる。
現に『コロレット・アマゾナス』という、なにがしたいのかわからないゲームもあったわけだし。
でもズーロレットは、さすが大賞をとったゲームだ。
もっとも、コロレットよりおもしろいかというと疑問ではあるんだけど。
「場に出すかとるか」というシンプルな選択のみで、インタラクションも戦略性も運もすべてを表現してしまった、あれは実際かなりすごいものだった。いまやってもぜんぜん飽きない。
ズーロレットの場合は、そのコロレットロジックをリソース生産部分に使った。その後の得点ロジックはだいぶ違うものになっているが、やはり、生産ロジックの印象が強い。
ボードを使うようになって、リソース生産から得点までの間にステップがひとつ増えた。それが、動物の配置と、お金を使った動物の移動だ。動物園には大きい檻と小さい檻があるので、どの動物をどの檻に入れるかを考えなければならなくなっている。
あと、オスとメスを同じ檻に入れると子供を産んだり、他の動物園から動物を買ってこれたり、お金を払って屠殺できたりもする。
ようするに、コロレットに「リソースの配置」という次元をつけくわえ、リソース取得後の管理の要素を足したのだ。
これは「ひかえめな修正」といっていい。プエルトリコのような、リソースの特殊効果や拡大再生産を予想していたのだけど、そういったダイナミックな要素はほとんどない。
その意味では、あくまでもコロレットのバリアントという域を出ないようにしたデザインである。
ということは。
すごく悪いいいかたをすれば、いたずらに複雑さを増して、オリジナルの持っていたシンプルなエレガントさを損なっている。
まあ、そういってしまうほどつまらないゲームじゃないけど。
たとえばプエルトリコの場合、手番順の強すぎる効果を逆に活かした「実行フェイズ選択」というロジックを、リソース生産部分に採用した。ズーロレットは、そこにコロレットロジックをつかったという位置づけになる。
両者に共通するのは、プレイヤー間のインタラクションをここに限定して表現していることだ。生産よりあとの、リソースを勝利得点に変換するロジックの中には、インタラクションを持たせていない。また、ここで単純な時計回りを廃することで、障害になりがちな手番順の問題を解決している。
いっぽうの得点ロジックは、コロレットの「等差級数」型ではなく「檻が全部埋まったらX点、あとひとつで埋まるところまできたらY点」というもの。つまり、固定得点を獲得するための条件を、満たすことを目指す……なんていったらいいんだろう。「クエスト」型?
リソースによるリソースの生産、つまり再生産はないため、基本的に、終盤に近づいてもゲームが派手にならない。
どんどん得点が増えていくのではなく、逆に盤上に残された得点が減っていくのである。
この得点ロジックの差異ために、ゲームの印象はだいぶ変わっている。本質はさほど違わない可能性もあるとはいえ。
さて、ここで考えるべきは、前提として採用した生産ロジックとこの得点ロジックが、本当に理想的な組みあわせなのだろうかというところだ。あるいは、理想的な組みあわせを捜した結果としてのシステムになっているだろうか。
わたしは、そこが疑問だと感じている。
もっとも、単体で見ればふつうにおもしろいゲームだ。ふつうにもっとやりたいと思っているんだけど。
つまり、コロレットロジックにはもっと大きな可能性があったはずじゃないのかなあというようなことを、なんとなく感じてしまうのだ。
……まあ、家族向けっぽく動物園で、ちゃんと短時間で終わって、「特殊効果つき建物」みたいなマニア向けっぽさのない、大賞向きのゲームにはなってるけどさ。そういうゆがみを感じると少しやるせなくなるっていうのが本音。
悪そうなこと書いてるけど、おもしろいんですよ。
[2007.09.10 23:39]てらしま :
あー書いてて思ったけど、こないだはいろいろな新要素に化かされてた気がする。今度はもっとふつうにコロレットのつもりでプレイしてみよう。
日本の、能登地方に伝わるという伝統ゲームである。「保存会」なんてのもあるし、大会もある。シンプルだが考えるところもあり、これがおもしろい。
もともとは、碁盤の上で将棋みたいな駒を使ってやるらしいのだけど、このグランペール版はカードになっている。
カードは下の8種類32枚。
つまり将棋の駒なんだけど、そのものではできない。カードゲーム版ではない本物では、大きさが同じで裏が白い専用の駒を使うらしい。
まあ伝統ゲームなんだし、簡単だし、普及活動への賛同という観点からもルールを全部書いてみよう。
プレイ人数は4人で、コントラクトブリッジのように向かい合ったプレイヤー同士が仲間である。
親はまず1枚伏せて出し、次に表で攻撃札を出す。
次のプレイヤーは、前のプレイヤーの攻撃札と同じカードを表で出して受け、次に攻撃札を出す。あえてパスしてもいい。受けることができなかったらパスするしかない。
3人がパスをして自分のところに戻ってきたら、その攻撃は受けず、1枚を伏せてまた次の攻撃札を出す。
誰か一人が手札を使いきったらそのディールは終了。手札がなくなったプレイヤーが最後に出したカードの得点が、そのチームに与えられる。
ただし「王」は王だけに特別なカード。攻撃札が「し」「香」以外ならなんでも受けることができるかわりに、基本的に攻撃札として出すことができない。「王」で攻撃してもいいのは下の場合のみ。
そうして、先に150点をとったチームの勝利。
加えて、配られた時点で勝負が決まってしまう「手役」というのもある。といってもこれは簡単なもの。
ルールはこんなもの。非常にシンプルである。
32枚のカードは全部配られてるので、誰がなにをもっているのか、考えることができる。
味方のどちらかが手札を使いきればそれでいいわけだから、敵の持っていない札で攻撃しつづければいい。そのために、どういう手順で攻撃していけばいいか、計画をたてて行動する。
一般的なトリックテイキングゲームの形式とは違うけど、仲間と敵の手札を考えながらディールをくりかえす感じは、コントラクトブリッジと同じものだ。
個人的に、このシステムは他に応用できる気がしている。ここにちょっと特殊効果つきのカードをつけたすとかやれば、すぐに傑作カードゲームが作れる気がするのだがどうだろう。
実際のところの、残念なところはある。プレイ人数が4人限定だというところだ。
15分ほどの気軽なゲームなのだが、実際にゲームをするために集まったとき、4人というのは、他にやるゲームがいくらでもある人数なのだ。
たとえばククや6ニムト!、ハイパーロボットなどの多人数ゲームなら、人数が集まりすぎてしまったとき「卓を分割する前に一度」とか、そういう使いかたができる。逆にサンファンなど3人でもできるゲームなら、人数が集まる前にといえる。
これはゲームそのものの問題ではなくて、ゲームがプレイされる環境によるもの。軽いゲームは、4人未満か6人以上でないとプレイされる機会が少ないのだ。
特に4人というのは、もっとも多くのゲームがある人数であり、厳しい。
このへんは残念なことだが、しかたのないところだ。
伝統ゲームである。
一般的に、古いからといって伝統をむやみに守ればいいかというと、そういうことを考えるのは必ずしもボードゲーマーの領分じゃない。でも、おもしろいんならもちろん守ったほうがいい。
ボードゲーマーはわりとそういうところが素直だ。たとえば、やはり伝統ゲームであるクク(カンビオ)は、もうどのゲーム会にいっても常備されている。ときどき投扇興を持ってくるやつがいたりする。
おもしろいものをいつも捜していて、おもしろければ素直に歓迎する、ボードゲーマーのそういうところは、わたしはわりと好きだったりする。
まあとりあえず、なにはともあれ百聞はうんたらである。これを見てくれ。
ちょっとスゴくないすか。
舞台はたぶんどこかの海。海底火山がぼんぼん噴火して、溶岩がふきだして島が誕生しようとしているのである。
そんないかにも危険な島に、なにが悲しくてか、住みつこうとする人たちのお話なのである。
とりあえず、六角形が3個くっついたかたちのタイルがたくさんある。
このあたり、このデザイナーらしいというか『アッティカ』の人っぽい感じだが。
このタイル、3マスのうちひとつは必ず火山で、残りの2マスがなんとか人の住めそうな地形。
つまり
「火山が噴火して溶岩が流れ出して地形が隆起したー」
というのを表している。
写真みればわかると思うけど、なんか積みかさなって高くなっていくんである。そんなあたりを表現するために作られた、このブ厚くて変なかたちのタイルなのである。
ルールはわりとシンプル。手番の最初にタイルをめくり、てきとうに置く。島を広げてもいいし、重ねて高くしてもいい。
で、家を置く。この家の置きかたのルールが実によくできている。
の4種類の置きかたができる。
神殿や塔には神の加護があるけど、普通の家はあたりまえのように溶岩につぶされてしまう。どうしてそこまでしてこんな危ない島に住みたいのか?というあたりは大変疑問。
勝利条件もまたよくできている。
いきなりゲーム終了するパターンを設定したあたりは、アッティカからひきつがれている部分。デザイナーの意図を感じる。
勝利条件を複数にすることで、どちらのルートを選ぶかという選択肢が生まれるわけである。
シンプルなルールの中に、多少ムリヤリにでもゲーム性をつめこもうとするデザイン思想に、この方法が合致しているのだろう。
ただし、システムはアッティカよりも洗練されていると思う。アッティカはけっきょく、賢明にやればサドンデス勝利は起こらない感じになってしまっていたけど、タルバはそこが微妙なラインになっている気がする(プレイ回数が少ないためまだわからないけど)。
というか、ふつうにこのタイルの変なかたちで「アッティカの人か?」と思ったけど。
ていうかそんなことより、見た目がまず美しいし楽しいじゃないか。だから、この変なタイルを重ねたりつなげたりする過程が、普通に楽しいのである。
ゲームのエレガントさという点でもアッティカを超えてると思うし、これはかなりいけてるゲームだ。
乱数が少ないところが欠点といえば欠点かも。まあ長所ともいえるかもしれないけど。
プレイ感として『ティカル』に似てるようなそうでもないようなところがあり、本気で考えたときのキツさも、あれほどじゃないにしろそんな感じになりそうなところがある。
特にサドンデス終了しないときに(だと思う)けど、終盤が大変そうだ。タイルのカウンティングとかしはじめるとほんとに大変なゲームになりそう。
ピラニアだらけの川の中州に、ペドロ氏がとりのこされています。なんじゃそりゃ。
川に落ちるとピラニアに喰われるので、石で足場を作ってその上を歩くのです。
各プレイヤーには12枚のカードが渡されている。「北に1歩」「西に3歩」といった感じで、4方向に1〜3歩のカードである。
あと石。これがもう本当に石だ。
で、みんなでカードを1枚伏せて出す。
いっせいに表がえす。
スタートプレイヤーから時計回りに、出したカードの方向・歩数にしたがいペドロを歩かせる。
いいかげんなゲームである。
ペドロが水の上にきたら、石で足場を作ってやらなければならない。もしもこのとき、手もとの石が足りなかったら、そのラウンドはその人の負け。ピラニアを受けとらなければならない。
誰かがピラニアを喰らってラウンドが終わると、各自残りの手札にしたがって石を補充する。歩数が少ないカードが残っているほど補充できる石が多くなる。
で、ピラニアを2個受けとってしまった人が負け。じつは勝者ではなく敗者を決めるゲーム。
なんといってもこのゲームの特徴は、石だろう。なにしろ本当に石である。ホームセンターにいけば売ってるやつである。
大きさもまったくバラバラだし、ちょっと汚れてたりなんかもするようだ。
ペドロは石の上を進むので、ペドロコマはちゃんと石をまたげるかたちになっていたりもする。
普通に考えるなら、石ではなくてタイルのはずだ。いつもの、木のコマでもいいだろう。しかし、やはりこのゲームの場合は、石で大正解と思う。川の上に並んだ、大きさもまちまちで危なっかしい石というこの風景は、なくてはならないものだった。これがゲームの気軽さをあらわしてもいるし、石の話題だけでしばらくは盛りあがれるわけである。
システム自体は、よくある読みあいやジレンマらしきものを「感じさせる」もの。実は計算が1歩狂っただけで大ダメージなんだし、そんなものを読みきれるはずもないのだが、いちおう自分の選択の結果ではあるので適度に悔しがることはできる。
別にそれほど悪い意味で使うわけではないのだけど、いってみれば「子供だまし」のシステムだ。いや実際に騙すのはゲームを買うドイツの親なんだろうけど。
けっこう、こんな感じのゲームは多いのだ。
システムをシンプルにするのだが、シンプルにしすぎるとたいてい、プレイヤーの選択の影響が大きくなりすぎてしまう。ひとつひとつの選択がゲーム全体に大きな影響を及ぼすため、他人のちょっとした気まぐれひとつで計画が狂ってしまうことになる。
結果、展開を読むことが不可能になってしまう。
「読み」が不可能である以上、プレイヤーには選択の基準がない。そうすると、ゲームとしては、ジャンケンと変わらないものになる。瞬間瞬間の一喜一憂にしか価値がなくなってしまう。
だが、こうしたことはあるていどしかたないのだ。
緻密にチューンされたゲームのほうがいいに決まっているが、システムが複雑になるほどプレイされる機会は減る。シンプルかつ深いゲームなら一番いいだろうけど、そんなものはそうそうない。
そこで、ゲームである以前にまずもりあがる「遊び」であることが求められる。つまり雰囲気だ。とくにこういうファミリー向けのゲームではそう。
水の上に並んだ石、というこの小道具は、その雰囲気を作りあげるためのものだ。評価すべき点はそこだと思う。
ずいぶんむかし、ドラゴンクエストのカードゲームで似たようなものがあった記憶がある。なんてゲームだったか忘れたけど。あーでも、あれにはバッティングの要素はなかったかな。
とりあえず、テーブルのまん中に山札がある。内容は10〜1と-1〜-5の15枚。
各プレイヤーにはそれとは別の、1〜15の15枚のカードが渡されている。
勘のいいゲーマーなら、この小道具でルールが全部わかってしまっても不思議はないけど(笑)。
山札が1枚めくられる。それを見て、プレイヤーたちは手札から1枚を裏向きに出す。
せーので表がえす。
場のカードがプラスの場合、そのトリックは一番高いカードを出した人の勝ち。場のカードをもらうことができる。
場がマイナスなら、一番低いカードの人がそれを引きとらなければならない。
15トリックやって、とったカードの合計点が最高の人の勝利だ。
わかりやすい。
ただし、ここにバッティングの要素が加えられている。
各トリックで、もし同じ数字を出した人がいたら、その人たちはいなかったことになる。勝つことも負けることもなくなってしまうのだ。
つまり、たとえば一番大きい数字の人が複数いたら、そのトリックの勝者は次に大きい数字を出した人になるのである。
「10」をとるために「15」を出してしまうと、これはきっとバッティングするのでよくないとか、いやしかしみんながそう考えるならここは15だとか、いろいろ悩む。
このへんは、バッティングが採用されたゲームならばなんでもそうだけど、これほどシンプルなものはなかなかないだろう。バッティングゲームとしては、かなり究極的にシンプルなゲームだといってもいい。さすがランドルフ。
ただまあ、たしかにいろいろ悩むのだけど、実はどれを出してもダメでしたーとか、そんなことばっかりだったりはするけど。
ゲームとして、ということでいうと。
考えるべき要素は実はほとんどない。
プレイヤーがいろいろと迷っているのは迷っているのであって、考えているのではない。
もし考えているのだとしたらそれは対戦相手たちの心を読んでいるということになるのだけど、そうなると活動しているのはミラーニューロンであって、これは論理的思考のための回路とは別のものになる。で、そうした思考が「14か13か」という細かい数字の問題を判断できるのかというとなんとなく疑問だ。
……専門家じゃないからよく知りませんが。
ともかく「わーっかぶったー」というストレスとか、すごく低い数字で10をとってしまったときの快感とか、そういうものを楽しむ、まあパーティーゲームだ。
超お手軽で、インストも1分で終わっちゃうくらいの勢い。ボードゲームに慣れていないプレイヤーにも簡単に受け入れてもらえるだろう。そういう意味で、いいゲームである。バッティングが嫌いな人はいるだろうけど。
ただ……。
あまりに単純で、ゲーマーにとっては「ゲームやっている」という気分にすらならないような感じが、ないでもない。他のゲームと並べられたとき、あえてハゲタカの餌食が選ばれることは少ないかもしれないなあ。