ボードゲームの紹介です。もちろんドイツ製が中心。
ゲームのデータは公式ではなく、執筆者の主観です。てらしまはけっこう考えるスタイルのようなので、特にプレイ時間は長めになっています。でもメンツによって違うわね。
すばらしいといっていいのじゃないか。ダイスを振ることの楽しさもある。戦略開発の楽しさもある。それにテンポがいい。おもしろいです。
プレイヤーは商人。商店を開いたり、首都イスファハンに向かうキャラバンに商品を届けたり建物を建てたりして、得点を稼ぐ。
ルールブックを読みなおしてはじめて気づいたけど、このボードはイスファハンではなく、周辺の街らしい。繁栄を謳歌してるイスファハンと取引して自分たちも稼ごうという近郊の街のお話だったらしい。
とりあえずラウンドのスタートプレイヤーは、ダイスを9個振る。
そしてこれを出た目で分け「タワーボード」に置く(→なんか写真は12個あるけど、普通は9個)。
一番高い目は一番上の段だけど、他は下から順。
プレイヤーのターンでは、このダイスのグループを一つ選び、とる。ダイスが置かれているエリアにはそれぞれ固有のアクションが設定されている。ここで、このターンにおこなうアクションを選ぶわけだ。
ちなみに、上から
となっている。
あと、選んだエリアに関係なく、下の二つの行動が選択できる。
行政官というのはイスファハンからきた人で、この人がふらふら歩いてきて商店の前でとまると、そこにある商品がキャラバンに送られる。
あと手番のあとに建物を建てられる。これはもう見慣れた感じの、それぞれのアクションを強化する、プエルトリコ風の建物だ。
こんなことを7ラウンド(1週間)やると得点計算。盤面に置かれた商品とキャラバンに送られた商品から得点が入る。盤面の商品はリセットされるけど、キャラバンはリセットされない。
3週間でゲーム終了である。
なんといってもテンポがいい。けっこういろんなことをやっている気がするわりに、さくさく進む。
でもだからといって考えないわけではないし、得点戦略を選択する意思が必要なゲームになってもいる。
得点戦略にはおもに2種類。盤面の商店に商品を置くか、キャラバンに送るかだ。
この2つがまた、ロジックがまるで違う。盤面に置くならダイスの数だけど、商品をキャラバンに送るためのアクションである行政官の移動の場合は、数ではなく目。そもそもここから違うわけで、特化した作戦を選ぶと違うゲームになってしまう。
いつどちらを選ぶのか、よく考えなければならない。
ところがこれが、よく考えなければならないんだけど、けっきょくダイス目次第だったりもする。なにしろダイスを9個振るのだ。しかも、目ごとにグループ分けするこの使いかたは、だいぶ変動が激しい。
運ゲーといえばまちがいなく運ゲーなのだ。しかもけっこう運が強い。
しかし、そのわりに、不条理感はそれほどないとも感じる。
たぶんこれは 「乱数はあっても結果を決める乱数ではないから」 ではないかと思う。
このゲームでは、乱数で決まるのは行動の結果ではなく、そのラウンドの環境だ。いわば「席決め」と似たようなもの。プレイヤーは、乱数の結果を見てから自分の行動を選択できるのである。
次のラウンドの環境がわからないため「今後の展開」を予想しきることはできないが「この選択の結果」はわかっている。自分の行動に責任をもつことができる。
もちろん、乱数をどこにもってこようが、数学的には大差ないかもしれない。だがプレーヤーの感じ方が違うんじゃないか。「ソロプレイ感」と同じようなもので、おそらく「運ゲー感」というものがあり、これに関連する要素に「ダイスを振るタイミング」があるのかもしれない。
などということを思ったり。
このあたりは、よく考えてみると、カタンと同じなのじゃないかと思う。
やっぱり、ゲームに乱数はあったほうがいい。単純にダイスを振るのは楽しいし。しかし「運ゲー感」が強すぎてはいけない。
難しい問題だ。
そのあたりの解決法として、イスファハンではカタンと同じものが採用されているのではないか。デザイナーの意図はともかくとして。
カタンはもはや神話だ。個人的に、ここ十数年のボードゲームというのはすべて「カタンはなぜおもしろいのか」という問題を解き明かすためにあったのではないかという気がしている。極論だし暴論だけど。
そんな数ある「カタン問題」のうち、少なくとも「乱数性」の部分について、イスファハンは解き明かしているのではないかという感じがある。
余談だけど、書いてて思うのだが、カタンと比較できるゲームというのはそれだけですごいような。
こんな箱に入ったパズルである。
『ご注意! 食べられません』
と書いてあったりもする。
正方形を5個並べてできる12種類のブロックを並べて、10×6のマスを埋めてみろという、実にシンプルなパズルだ。
まあわりと昔からよくある、ペントミノパズルというらしいのだが。子供のころやって、ぜんぜん解けなかった記憶がある。
それがチョコレートのかたちに……。たしかにビジュアルとしておもしろいけど、これ継ぎ目がまったく見えないんですよ。どこになにがはまっているのか、ぜんぜんわからん。ユーザインタフェースは低下してます(笑)。
難易度:ピュア(甘め)
とか書いてあるが、そんなことはない。というか、これを解く人は尊敬すべきだと思う。
手がかりや戦略がまったくなく、どうしたらいいのか考えようがない。惜しいところまでいったーと感じても、最後の1ピースのかたちが違っていたらもうダメなのだ。全部とはいわないが、半分くらいは入れなおさなければならないと思う。
これを解ける人というのは、天才か、すごい根気のある人か、強運の持ち主か、あるいはプログラマだろう。
要するに、パズルというより数学の問題だ。一度箱から出してしまったら、元に戻すのはかなり難しい。
まあいまどきは、ペントミノでぐぐるとけっこう出てくるからなんとかなるけど。
ちなみに、ペントミノじゃなくてヘクソミノ(正方形6個)版のブラックチョコレートパズルとかホワイトチョコレートパズルとかも出てます。
[2007.04.16 21:02]masamasa :
まずコーディング方法考えて
時間かかりそうだから効率的なアルゴリズム考えて
んで「難易度:ピュア」っつーんだから正当の場合の数が1じゃないんだろーな→いくつだろう?って思いました。
プログラム以外の納得できるやりかた(つまりはトライアンドエラーの効率的施行法)がきになります。
[2007.04.16 22:59]てらしま :
2339とおりらしい。ブラックは1とおりしかないそうな。
パターンを捜すという意味では、購入時の状態からちょっとずつ変えていくのがいいだろうなと思うけど。
人間らしいやり方としてはたぶん、試行錯誤して使えるパターンをいくつか見つけだすとかそんな感じはあるのかなあ。
宮殿が6個あり、そこには盗み出すべき宝が積まれている。
プレイヤーは盗賊団のリーダー。部下たちを宮殿に送りこみ、宝物を盗み出す。しかしこの宝、けっこうな大物らしく、どれも一人では運べないのである。宝には運び出すために必要な人数が書かれていて、それだけの人数を宮殿に集める必要がある。
宮殿には門番がいる。しかしこの門番、黒い色の奴以外は、実は盗賊団の一味なのだ。仲間の盗賊を導くために送りこまれているのである。
そうした舞台設定があり。
プレイヤーはカードを使って、自分の盗賊と門番を移動させる。自分の色の門番がいる宮殿には盗賊を送りこむことができるし、宝を運び出すこともできる。
門番が少ない宮殿ほど、盗賊を送りこむのはたやすい。具体的には、消費するカードの枚数が少なくてすむ。
ちなみにこのカード、要するに宮殿の色である。ある宮殿に盗賊を移動したければ、その宮殿の色のカードを規定枚数消費しなければならない。そして補充されるのはもちろん山札から、ランダムである。
基本的にはそんなゲーム。
ただし、これがなぜだかよくわからないのだが、自分の門番しかいない宮殿では盗みをはたらくことができない。
手番にすることは、カードを消費してコマを投入したり移動したりすること。その結果どこかの宮殿で規定人数を超えれば、宝物をゲットできる。
そして手札補充。そのターンなにもしていなければ、1枚多く補充することができたりもする。
すべての宝物がなくなったらゲーム終了。もちろん、一番多く盗み出した盗賊団の勝利である。
手札は毎ターン規定枚数が補充されるが、1ターンに使用できる枚数に上限はない。そして手札の補充枚数は、そのターンなにもしなければ1枚多い。つまり、できるだけなにもせずにカードをためてから動いたほうが有利である。
しかし、宝物のほうは、早く手に入れるほど運び出すコストが小さい。
そのあたりのバランスを見極めて、いいタイミングで効率よく動くことを目指すゲーム……ということに、理屈ではなるのだが。
このゲーム、インタラクションが非常に大きい。6個しかない宮殿で4人のプレイヤーのコマが動き回っているわけだし、一人の行動で盤面をがらりと変えることができてしまう。
宮殿の門番の人数が1人変わると「その宮殿に盗賊を一人送りこむためのコスト」がカード1枚増える。やってみればわかるけど、これは大変な違いなのだ。つまり、上家のちょっとした気まぐれで致命的なダメージを受けることがありうる。というか必ずある。
しかも、1ターンのアクションに制限がない。
いくら計画を立てていても、上家の行動で台無しになる。計画がほとんど無意味なのだ。
資源の産出量に差はないわけだし、基本的には、ミスをすればするほど勝利から遠くなっていくゲームだ。もっとも効率よく行動したプレイヤーが勝利する。
インタラクションが強いと書いたが、だからといって他人を邪魔できるわけではない。どこかの宮殿をブロックしても、トップのプレイヤーがその色を狙っているとは限らないし、その色のカードを持っているとも限らない。
それ以上にこのゲーム「行動しなければ1枚多く補充できる」のである。他人を攻撃するために行動するというのは、そのために使用するカードの枚数も含めて、非常に大きなロスになる。現実的に、なにかのついででなければ不可能だろう。
インタラクションは強いが、狙ってやっているわけではない。どんな行動をとっても、プレイヤーが意識できないところで、他人に非常に大きな影響があるのである。
結果的には、補充カードの色という乱数とインタラクションの強さが、相乗効果を生んで混沌を増している。他プレイヤーの選択を乱数と同等のものにしてしまっている。ルールを単純にしようとしたがための弊害だろうが、そのあたりは評価できない点だ。
だがまあ、なにしろ1ターンでいくら行動してもいいのだ。他人の行動はインタラクションではなく乱数なのだと割りきれば「この手札と盤面でもっとも効率のよい行動」をパズル的に考える(あるいは、盤面がさらに悪くなることを見こんでもまだ動かないほうがいいと考えるか)、そういう種類のゲームにはなるだろう。実際、それほど悪いゲームではないとは思う。
じつはいけてる街系ゲーム。
資金と勝利点を天秤にかけながらゲームを進めていく。最近では見慣れたスタイルだ。わりとめずらしいタイプのオークションがあったりと、多少複雑になってはいるものの、基本的はサンクトペテルブルグだと思えばいい。
最終的には勝利点を目的とするわけだが、その過程で、発展のために金がいる。だから序盤は金を稼ぐ手段を確保することに力を注ぐのだが、それが過剰になってはいけなくて、いいタイミングで勝利点のほうにシフトしていかなければならない。
余談になるが。
こうした街系スタイルを完成させたのが、サンクトペテルブルグというゲーム。と思っている。むろん珍しいシステムではないのだが、意識的に「リソースと得点」にテーマを絞ってシンプルにデザインされたという意味で、ゲームデザインにおける一つの思想を作り出したのではないか。実際、のちの作品に大きな影響を与えているように思う。
サンクトペテルブルグは非常にシンプルなゲームだった。また、非常に整然とまとめられたシステムがすばらしかった。
わたしはあれをこそ「オブジェクト指向」と呼びたいのだが、これまた例によって逆にわかりにくい言葉だ……。これまでの「手続き型」システムとは一線を画す。オブジェクトを定義し、そのオブジェクトの集合としてシステムが構成されている。のである。
たとえばサンクトペテルブルグから「建物」をとりのぞこうと思えば、これは比較的簡単に実現できるだろう。逆に、たとえば「株券」というオブジェクトを導入してみてもいい。これも簡単にできるのである。
じつに大きな拡張性を秘めたゲームだったのである。それなのに拡張セットなどが作られていないあたりは潔いというべきだろう。
そう考えてみると、サンクトペテルブルグはただのゲームではなかった。「ある種のゲームシステムのフレームワーク」そのものとでもいうべきものだった。
そんなサンクトペテルブルグ・フレームワークを素直に使って、オークションを導入したシステムを作ってみたらどうだろう。
それが、アウグスブルグである。
そういう見方ができる。
基本はサンクトペテルブルグだ。毎ターン、金と勝利得点が、自分の場にあるリソースにしたがって産出される。この場のリソースは、サンクトペテルブルグでは「職人」「建物」「貴族」という3種のカードだったが、アウグスブルグでは「階級タイル」というもので示される。
この階級タイルが「財力」「身分」「役職」と3種ある。「財力」が高いほど毎ターンの収入が高く「身分」が高いほど毎ターンの得点が大きい。
このあたりはまさにサンクトペテルブルグだ。実際、そう思っていたほうがわかりやすいだろう。
しかし、ちょっとルールにわかりづらいところがある。それは、リソース変換の過程が一段階増えているため。
サンクトペテルブルグでは、金で直接、建物や職人を買った。
だがアウグスブルグでは、金で買えるのは「貸付証」と呼ばれるカード。これは5人いる貴族に金を貸したことを意味するカードで、それぞれの貴族に対する影響力の証でもある。
「貸付証」を手に入れることのできる枚数、つまり「金貸してくれ」といいよってくる貴族の人数は、3番目の階級「役職」で決まる。
この「貸付証」を使って、オークションをする。つまり
「貴族への借金をチャラにしてあげるかわりに市長にしてもらう」
とか、そんなことをやるゲームなのだが。
つまりそこで、一段階余計にリソース変換をおこなわなければならないのだ。しかも間にオークションを挟んで。
この流れが、はじめはわかりづらい。
プレイヤーは貴族ではなく金貸しなので、まず貴族に金を貸さなければ社会的地位も名誉も手に入れることはできない。舞台設定的にはそういう意味になる。
ゲームとしてはそれが、直接金を支払うのではなく一度カードに変換してから使う、というプロセスで表現される。
リソース変換の過程が増えたといっても、ただ増えたわけではない。このゲームに特有の変則オークション(というかビッディングといったほうが近いだろう)に「貸付証」カードを使うからだ。
このビッドシステム、意外とテンポよく、しかし悩ましい。これこそ、アウグスブルグのおもしろさの中核をなしている。
……ていうか、そうじゃないとサンクトペテルブルグそのものだし。
とりあえず、貸付証の枚数でビッドをおこなう。
このビッド、普通のオークションとは違い「ドロップしていない全員がフォロー(コール)するまで」続けられる。ポーカーと同じだ。一人になるまで回すのではなく、ビッドの段階では複数人が残る。
そして、残ったプレイヤー全員で、ビッドした枚数の貸付証を公開する。ここで、もっとも金額の高い(実際にはカードに書かれた数値の高い)カードを公開したプレイヤーが勝者となる。(「数値の合計」ではなく「もっとも強いカード」のみを見る)
そのプレイヤーは貸付証カードを破棄して、つまりそれだけの借金をチャラにする代わりに、貴族に口をきいてもらい社会的地位を高める。
ビッドを導入することでインタラクションを高め、サンクトペテルブルグ以上に「もりあがる」多様な展開を実現した。
というか、このビッドが、実に楽しいのだ。
むろん、ビッド以外の部分も練りこまれている。「教会を建てないと25点までしかいけない」などというルールは、強引にも見えるが秀逸だ。
プレイしていても、あらゆる面で「作りこまれている」という感覚がある。傑作である。
問題点は、やはりはじめは流れが掴みづらいことと、加えてルールブックがわかりづらいこと。それに、文字しか書かれていないさまざまなタイルのわかりづらさ。
ドキュメントの整備されていないオブジェクト指向プログラムほど迷惑なものはないのだが……、というのはわたしの仕事の話だが……。
逆にいえば、これがサンクトペテルブルグ・フレームワークの欠点といえる。
システム自体はオブジェクト単位で切り分けられ、一見整然として見える。だが、オブジェクトはそれぞれが(ほとんど)独立して存在できるわけで、ということは、このゲームでいえば、階級タイルの種類分、3つのゲームを同時に進行しているようなものということができる。所有者は3ゲーム分のルールの解析をしなければならず、、またそれを流れに沿って整理しつつインストする必要がある。
……なんか、大聖堂でも同じことを書いた気がする。こういうつくりかたをされたゲームが増えているんだろうか。
でも、やってみればぜんぜんすぐにわかる、というあたりもいつものことなのだ。
見た目は地味だけど、確実におもしろいのです。たぶんはじめの印象より簡単だし、ゲーマーも充分満足できるだけのものを持ってるし。独特のビッドの独特の楽しさもあるし。傑作。
まあ多少、コンポーネントなどに不満はあるが、ゲーム自体はたしかに傑作だと思う。次の年間ゲーム大賞?などとちまたでは囁かれていたりもするゲーム。
まあなんというか、デザイナーの乾坤一擲の気迫が伝わってくるゲームだ。
見てのとおり、とても凝ったつくりのゲームだ。7800円である。
写真に写すのを忘れたけど(あと撮りかたがヘタクソだけど)、6個のパーツからなる木製の大聖堂があって、これが1ラウンドに一つずつ組み立てられていく。これが完成したら、つまり6ラウンドで終了というわけだ。
そこまでビジュアルにこだわっておきながら、なぜカードにはドイツ語の文章しか書かれていないのか、というあたりが激しく疑問。せっかくだからこのへんもアイコンにしてくれればよかったじゃないか。
いろいろな要素があって紹介が(おそらくインストも)面倒なのだが、はじめてしまえば、見た目よりは理解しやすい。
サンクトペテルブルグ風の金/得点トレードオフを基本とした街系ロジックと、簡易オークション的な?と、モルゲンランドのような「アクションに人を配置していく」要素と、電力会社の発電所みたいな職人カードとか、みたいないろいろを力いっぱい組み合わせた……、みたいなゲーム。
ってなにいってるかわかりませんが。
細かく説明はしないけど、とりあえずラウンドの進行を書いてみる。
で、この第3フェイズのアクションが全部で14(!)ある。全部書いちゃおうかな。
いやー大変です。なんかもう、思いつくかぎりのものをできるだけつめこんだぜーみたいなゲームです。
ひとつひとつは簡単だけど、やはり多い。
でも、これが意外と、見た目よりずっとわかりやすくプレイできるんである。
ラウンドを計画フェイズと実行フェイズに分けたことが効を奏している。このゲームでは、ほとんどあらゆる行動をラウンド前半に予約し後半で実行というプロセスをとる。これがいい。
そのへんがこのゲーム最大の特徴ということになるだろう。いろいろあるのに整理されていて、1ラウンドやればだいたいわかるようになってるのである。
上にも書いたけど、このシステムはモルゲンランドによく似ている。「インストはめんどくさいけどはじめてしまえばすぐわかる系」だというのも共通している。
それはたぶんこういうことだ。
「インターフェースと実装の関係」みたいな(←かえってわかりにくい)。
逆にいえば、ほかのプレイヤーは自分が選択していないアクションを把握する必要がないわけで、初プレイでも一つ一つ段階的に習熟していくことができる。だからこれほどの数のロジックを並立させることができている。
個人的に、モルゲンランドは非常に好きなゲーム。あのシステムのいいところがこうして陽の目をみたことがうれしい。
ただ、欠点もある。それは「例外処理」だ。
なにしろロジックが多く存在することは間違いないわけで、それはけっきょく処理しなければならない。ロジック一つ一つについて「こういうときはどうなんだろう」みたいな話は必ず出てくる。
いかに把握しやすいといっても、ルールブック中で解読しなければならないページが多いことに変わりはない。このゲームでも、あちこちでルールの誤解が多発しているようだ。
という感じで、実は欠点もけっこうあったりする。でも見た目どおりの傑作なのはたしか。おもしろいです。
しかしさて。どうなんでしょう。賞とるかなあ。なーんか、意外と評価低くてゲーマーから「なんで〜」といわれそうな予感もあるなあ。
個人的には、大聖堂とモルゲンランドを比較すればモルゲンランドに軍配を上げる。個人的には、もしも大聖堂が賞をとるのなら、モルゲンランドはそれ以上のゲームだったことになると思っている。
実際は、モルゲンランドの評価は「ドイツ年間ゲーム大賞非ノミネート」「ドイツゲーム賞9位」というものだったわけだが……。
[2007.02.26 11:49]nasika :
はじめまして。
大聖堂については仰るとおりの印象を私も持っていて、読んでいて非常に共感しました。確かに「なんで~」と言ってしまう予感はしますね。
モルゲンランドを遊んでみたくなりました。
[2007.02.28 23:06]てらしま :
はじめまして。コメントありがとうございます。
レス遅くなりました。大聖堂いいですよね。
ただ、モルゲンランドについてはあまり期待しないほうがいいかもしれません。評価が分かれてるゲームのようなので(^^;
海賊が船を襲うゲーム。というのはタイトルを見りゃわかる。まさにそういう内容のゲームでもある。
マニュアル冒頭の紹介文より。
波止場に財宝を積んだ船が入ってきました。海賊たちは仲間を集めて船を襲撃します。
……波止場で襲うのかー。
とかはまあともかく。
グループのリーダーはどの船を襲うか決めます。そして宝を獲得します。もちろん、協力してくれた仲間たちにはその報酬を支払わなければなりません。報酬が高いメンバーを集めすぎると、襲った船から得た以上の報酬を支払うことになるかもしれません。
紹介文だけでゲームのルールを半分くらいあらわしている。単純で理解しやすいルールと、どちらが先か知らないがルールにマッチした舞台設定。いいゲームである。
海賊なんだから船を襲って財宝を手に入れるのはあたりまえだが、そこに「報酬を支払わなければなりません」という要素をつけ加えたところが、なんといってもこのゲームの特徴だ。
『海賊組合』というタイトルは邦題の意訳みたいだが、ゲームをあらわした、とてもいいタイトルになってるんじゃないかと思う。
海賊コマは一人5個ずつ持っている。手番には、自分の海賊コマを他の人の海賊コマの上に移動することができる。こうすることで、その海賊とチームを組むことになる。
このチームは、船を襲うまでは解散しない。他のチームと合併することはあっても、分割は起こらない。大きくなる一方なのである。
一番上の海賊コマの所有者がそのチームのリーダー。どの船を襲うかなどはリーダーが決める。もちろん、他のチームを吸収することも選べる(他のチームに重ねる)。
というか、他の海賊コマが上に乗ってきたらそれだけであっというまにリーダーがすげ変わるわけだけど。
ちなみに、重ねられたコマを確認することはできない。一番上のリーダーコマ以外は記憶しておかなけばならないという、記憶ゲーム的な要素もある。
で、船を襲う。船に積まれた金貨はリーダーが全部うけとり、その後、襲撃に参加した海賊たちに報酬を払う。これは赤字になることもある。
あと、金貨のほかに財宝タイルというのもある。これは4種類あって、それぞれ、ゲーム終了時に一番多く持っていた人に所定の得点が入る。財宝はリーダーとサブリーダー(というか上から2番目の人)しかとれないから、この財宝が目当てなら、赤字で襲撃することもある。
15隻登場する船を全部沈めたらゲーム終了。一番多くの金貨を稼いだ人の勝利。
手番にすることはコマを一個動かすか船を襲うかだけ。だがかけひきもジレンマもあるし、とくに大きな欠点が見つからない良作だ。
てきとーなストーリーに気軽なシステムではあっても、ちゃんと考えなければ勝てないというのはどんなゲームも同じ。
自分がリーダーとして、このチームで船を襲ったとき、どれだけの収益があるか。または、大きな収益につながるチームに自分のコマを参加させることができるか。もちろんそうした判断のためには、積まれたコマを全部憶えておいたほうがいい。考えただけ勝利に近づけるというのもいいゲームの条件だろうし、そこもこのゲームならクリアしている。
いちおう、欠点もないわけではない。
コマを移動するだけでリーダーはころころ変わるし、ゲームを決定的に左右しているはずのチーム編成が、一つの選択で容易に激変してしまう。これは、考えてみれば、ゲームデザインに失敗するパターンの一つなのである。
いわゆるインタラクションが強すぎてプレイヤーの把握できる範囲を超えてしまい、そのせいで誰かが、気づかぬうちに、致命的にゲームを壊すミスチョイスをしてしまうことになる。結果、終盤にたどりつく前に逆転不可能な大差がついてしまう。
たぶん、どこかに、インタラクションの閾値のようなものがあり、それを超えると、プレイヤーがコントロールすることができなくなってしまうのではないかと思う。それがどのあたりなのかはわからないが、というかそもそもインタラクションをどんな関数であらわすのかというのもわからないけど、なんとなく感じているところとしては「選択一つで順位が2つ変わってしまう」あたりになるとやばいという気がしている。それまでいろいろと積み上げてきた結果大きく順位が入れ替わるのならばかまわないが、一度の選択だけで最下位がトップに変わってしまうゲームは厳しい。なぜなら、ゲームをはじめてプレイするときは当然よくわかっていないわけで、そういう危険な選択をしてしまうことも充分にありえるわけだから。
「インタラクションが弱い」というのが典型的な否定意見であるにもかかわらず、インタラクションをあえて弱く設定したゲームが増えている(そういう気がしている)のは、そうしたほうが、初心者がゲームをぶち壊してしまうケースを減らせるからだろう。それだけ、ゲームが評価されるために使われる期間が短くなっているのだろうと思う。また実際、たとえばゲーム会でゲームをやるとすれば、まず確実に初プレイの人が混じっているわけでもある。同じメンバーでゲームをやりこむ機会というのは、まずほとんどありえないといっていい。
とそんな話は余談なのでまたなんかの機会に。
このゲームは、そうした「閾値を超えたインタラクションを持つゲーム」である可能性が高い。欠点を挙げるならそこだろう。
システムを見ただけでは、はっきりいって典型的なそういうゲームに見える。
実はまだ2回しかプレイしていないけど、この2回のうち一度は、大差のゲームになったのだ。たぶん、このときはそういうパターンのゲームだった。誰かがミスをして、そのミスチョイスが勝者を決めたのだろう(ただし誰もそれを認識していなかった)。
だが、そんな印象はそれほどなかったように思う。おもしろさを決めるのは印象で、これはあらゆるいろんな理屈より上に置いてかまわないと思う。理屈を書いといてなんだけど(ぉ
もっとやりこまなければわからないところもあるが、とりあえずいいゲームだと感じている。
インストを受けてもどんなゲームなのか掴みづらいと思う。ルールを把握すること自体はさほど大変でもないが、説明を受けたところで、プレイヤーが一体なにをすればいいのかがイメージできない。
まあ郵便網を作ればよさそうなのだが、むやみに長く作ってもあまり得はない。それどころか、考えて行動しないと「いっさいなんの価値もない行動」がとれてしまうのである(これはもう、他人に影響すらほとんどしない、単なる停滞だ)。
普通、最近のゲームは親切にできていて、プレイヤーの行動は必ず、わずかずつでも進歩につながる。得点が伸びるとか生産力が伸びるとか。
しかし郵便馬車は、そんな親切なゲームではない。明確な目的に添った計画と状況分析が必要なゲームなのである。
ボードにはドイツの地図。その横には、6枚表向きになった地名カード。手番プレイヤーはまず、その6枚か裏向きの山から地名カードを一枚とり、手札に加える。
次に、手札から一枚を自分の前に「郵便網」としてプレイする。これは地図上で一筆書きになるようにプレイしなければならない。一筆書きにプレイできなければ、その郵便網は開通に失敗して、すべて破棄されてしまう。
さてその次。郵便網が3枚以上のとき「完成した」と宣言することができる。完成すると、その都市に家を置くことができる。ただし全部ではない。地図は地域ごとに色分けされており、家を置くことができるのは「郵便網の中の一色の地域の都市すべて」か「郵便網の中にあるすべての色の地域に一つずつ」のいずれか。
で、この完成をおこなったときに得点の条件を満たしていれば、得点が入る。条件はいろいろある。
他にもいくつかあるけど。ちなみに、各都市にはプレイヤー全員分の家が置ける。
この「得点」というのが曲者で、これは重ねられた得点チップを上から順にとっていくかたちになっている。得点方法はいろいろあるが、すべて、一番最初にその方法で得点した人の得点がもっとも高い。
つまり競争なのである。
加えて「公人の助け」というのを1ターンに一回ずつ受けられる。カードを2枚とれるとか、2枚プレイできるとか。
感覚としては「拡大再生産」でも「限られた資源の奪い合い」でもない。「スプリント勝負」だ。
弱めでもインタラクションがあるから単なるタイムアタックではないが、まあ競馬くらいの感じか。
なにしろ得点はすべて場に配置されており、その他にはない。これらをいそいでかき集めるわけなのだが、そのために必要なノウハウというのが、よく考えなければわかりづらいのだ。
考えれば効率のいい順序が見えてくるのだが、考えなければ無駄ばかりになってしまう。スプリントなので、無駄は即、敗北につながる。経験者が絶対的に有利である。
たとえばわたしがアフリカ系トップアスリートの身体を手に入れたとして。それですぐにアサファ・パウエルと100メートル勝負をやれるわけがないのである。走りかたを知らないのだから。
似たような面子で繰り返し遊ぶ場合、戦略開発の技術競争になる。
もっとも効率のよい方法を知っているかどうか。それが失敗したときに次善の策をいくつ知っているか。先行逃げ切りのパターンを持っているか、ローペースのレースで勝ちきる方法があるかどうか。
終盤に追い上げるパターンを狙うとしても、そのための布石は確実に打っておかなればならない。どの方法でもミスは敗北だし、無駄な行動は敗北だ。1ターン目から、ゲーム終了までの計画を意識して行動しなければならない。
そういうゲームである。
まあ運も大きいので、あるていど戦略が確定してきたら「奇跡のようにうまくいってしまったプレイヤー」が勝つというパターンが多くなりそうな気もするけど。
基本的には、さすがは賞をとったゲームだ。おもしろい。いろんなゲームからシステムを流用していながら、ゲーム性それ自体は独特のものになっている。
そのあたりは、『プエルトリコ』のKaren & Andreas Seyfurthらしいという気もする。どこかごちゃごちゃした感じの寄せ集めみたいなシステムながら、実は無駄がなく、なぜかプレイ感は斬新でバランスもいい。
ただ、普通の遊びかたができないゲームだとも思う。
なにしろこれは技術開発が必要なゲームだ。1歩目を踏み違えたらもう負けているかもしれない世界なのだから、ゲーム内の思考だけでは足りないではないか。走りかたを知る必要がある。
数人で数回遊び、ゲームの流れがわかったら議論をすべきだと思う。そして最速の方法を捜しだし、そのパターンに勝ちうる方法をいくつかピックアップする。戦略チャートでも作り、またプレイして修正する。そうして戦略の完成度を上げていくというような、特殊な遊びかたがいいんじゃないかと思う。
『原始スープ』とか『フィレンツェの匠』とか、ああいうのと同じだ。プレイ時間も短いし「そういうゲーム」に見えないというのは問題かもしれないが。
というわけで戦略チャートを作ろうとずっと思ってるんだけど、まあそのうちだな。