ボードゲームの紹介です。もちろんドイツ製が中心。
ゲームのデータは公式ではなく、執筆者の主観です。てらしまはけっこう考えるスタイルのようなので、特にプレイ時間は長めになっています。でもメンツによって違うわね。
トレーディングカードゲームのデッキ構築のおもしろさをボードゲームに取り込もうとする試みはたくさんあって。もちろん、いわゆるデッキ構築ゲームもそうだといえるかもしれない。というか、ゲームデザイナーの中にだって、マジック:ザ・ギャザリングが大好きな人がたくさんいる。
TCGの影響が明白なゲームというのは実際ある。この『スマッシュアップ』もまさにそれ。
箱の中には、構築済みデッキが8個入っている。これを2つ選んで組み合わせ、自分のデッキにする。
いわゆる最近の言葉でいう「デッキ構築ゲーム」ではない。ゲーム中にデッキ内容が変わらないから。あくまでゲーム開始前に完成品のデッキを作る。つまりこれ、本当にTCGのデッキ構築を簡単にしたものなのだ。
ゲーム自体はひどく簡単。
テーブルの中央に敵の「秘密基地」がいくつかある。そこに、手札から自分の「戦闘員」を送り込む。配置された戦闘員の戦闘力の合計が、秘密基地の耐久力を上回ったら、陥落する。そのときもっとも大きな戦闘力を配置していたプレイヤーに何点、2位に何点、という風に得点が入る。
手番にやることは、戦闘員カード1枚と使い捨てのアクションカード1枚をプレイする。カードにはコストもなにもなく、無料でプレイできる。
手番終了時に2枚引く。
それだけだ。あとはカードのテキストを読め。
予想できるとおりてきとうなゲームなのだけど。これ、たしかにTCG的なおもしろさがある。ハーフデッキを2個組み合わせるルールとあわさると、これでじつはとても利にかなっているという気もしてくる。
たとえば「恐竜」という陣営がある。特徴は、戦闘員の強さとそれをサポートするアクション。他の陣営より一回り大きい戦闘員に加え「巨大化」も備えている。ありていにいうなら、マジックの緑だ。
「忍者」は戦闘員の性能は低めだが、他のプレイヤーの戦闘員を暗殺したりといった妨害に長けている。「ゾンビ」はその名のとおり、墓地から戻ってくる。「魔法使い」は手札を増やしたりプレイ回数を増やしたりする。
マジック:ザ・ギャザリングのスタンダードなデッキは、だいたい2色で組む(いやそんな時代の方が少なかっただろうけど、まあ少なくとも、カード資産があまりないプレイヤーにとってはやりやすい構築方法だといえるだろう)。典型的なのは、緑の大型クリーチャーと赤の火力を組み合わせた「ステロイド」だ。
ハーフデッキ2個を組み合わせるというのは、それを表現している。大型クリーチャーがいる陣営と火力(除去)のある陣営を組み合わせれば、ステロイドデッキの完成だ。
そういう楽しみが、たしかにある。
ポイントは、カードのプレイコストが無料ということ。TCGのように土地をタップしてマナを出して云々という手続きがいっさい必要ない。つまりカードの色拘束やコストを考慮する必要がない。
ふつうは、これをやると問題になる場合がある。カードプレイに拘束がないということは、すべてのカードが同列に評価されてしまうということだ。ある状況では強いが別の状況では使えない、というゲーム的なジレンマを、その部分ではオミットしてしまう。強いカードは誰がいつ使っても強い、という状況になりやすい。
このゲームではじっさい、強いカードは明らかに強い。戦闘力2の戦闘員よりも、戦闘力3の戦闘員は一意に強い。でもそれは、枚数が決まっている。ハーフデッキが構築済みだからだ。
ふつうによくあるゲームをデザインするなら、共通の山札からドローとするだろう。もしそうだったら、単純に強いカードを引いたプレイヤーが勝つ運ゲーになる。あるいは最近流行のドラフトでもいいけど、それでも同じだろう。
コストでなくてもいいのだけど、状況により性能が上下する仕組みがもう少しないと、ゲームが成立しづらい。そういう意味で、ゲームルールが不足しているといってもいい。
でもそこに、ハーフデッキを2個組み合わせるというルールが足されることで、成立してしまうんである。ふつうならありえないくらいルールを省くことができてしまっている。
そんなわけで、でたらめなゲームだとは誰もが思うだろうけれど、でも考えてみれば、これで理屈がうまくつながっているような。じっさい、思ったよりずっとおもしろかった。
ちょっと気に入ったのでまた遊びたい。TCGに近いからといってTCGプレイヤーに薦めやすいのかといったらわからないけど、どうなんだろう。
ちょこ -2015/01/06 23:59
6人って書いてあったので買ってしまいましたが、このゲーム4人までですよね?
拡張を入れれば6人で遊べるということでしょうか
てらしま -2015/01/07 21:27
4人までですね。記事修正します。
ご指摘ありがとうございます。
『街コロ』のグランディング。街コロもすごいなと思ったのだけど、これはもっとすごい。
江戸時代の商人になって、全国各地にある名物茶器を売買するゲームだ。茶器の需要がボードに表されていて、手に入れた茶器はそこに示された値段で売れる。売られた茶器は値段が下がり、売られなければ上がる。そのあたりはよくあるといえばある。
特徴は、その茶器の入手方法。
茶器はカードなのだけど、これがいくつかの山札として積まれている。この山札にはそれぞれ「東海道」「南海道」などと名前がついている。買い付けのために旅をするのである。
で、行き先を決めたら、その山札を手元に持ってくる。全員が山札を持ったら、合図と同時にそれを見る。一斉に。じつはアクションゲームなのだ。
一斉に山札をサーチして、買いたいものを何枚でもとる。もういいと思ったら、山札を戻して番号札をとる。この後の売却フェイズでは、この番号札の順番に売る。売られた商品は値段が下がるので、早い順番をとらないとせっかくの商品の値段が下がってしまうかもしれない。速さも大事だ。
全員が買い付けを終えたら、売却フェイズ。番号札の順番に売っていく。
売却が終わったら需要が動く。残っている商品は値段が上がり、新たな商品が需要ボードに追加される。そしてまた次のラウンド。
規定の金額を稼いだら、そのプレイヤーの勝利だ。
山札をサーチすることをゲームにしたアクションというのは、いわれてみればすごくおもしろい。それに、自然だ。なぜ思いつかなかったのか。
あと、楽しい。これが大事だろう。
どちらかといえば軽量級の、ハードコアゲーマー以外にも訴求するゲームだ。こういう市場を取り込もうとする上で、楽しさというのはとても重要だろう。
少し極論をいえば、ゲームの展開やジレンマを楽しめるのはハードコアゲーマーだけ。カジュアルゲーマーにも訴えるためにはまず、ただ参加しているだけで楽しい要素が必要だ。
同じグランディングの『街コロ』は、サイコロをふる楽しさがあった。サイコロはやっぱり楽しいし、ちゃんとそれを強調する作りになっていた。そして今回のすきものでは、山札のサーチという、これまた楽しいアクションを取り入れた。
たくさんの数を売るための方法はいくつかあるだろうけど、そのうちの一つかもしれないのが、カジュアルゲーマーに訴求するものを作ることだ。重量級のゲームでも苦にしないハードコアゲーマーは桁外れの数を買うが、人数が少ない。日本に数百人とか、その程度じゃないだろうか。だから、ハードコアゲーマー以外のカジュアルゲーマーにも買ってもらう必要がある。
そのために考えられる対策は、軽く楽しいゲームにすることだろう。事実、多くの人がやっている。だがじつはそこには矛盾があって。エヴァンジェリストとなって勝手にゲームを宣伝してくれるハードコアゲーマーがまず受け入れないと、カジュアルゲーマーはゲームの存在に気づくことができないのである。
そんな話は『「ヒットする」のゲームデザイン』という本に書いてあったのだけど。まあ必ずそうだとはいえないだろうが、そうかもしれないと思う。
つまり。軽さや楽しさを基調にしつつも、ハードコアゲーマーが受け入れられるゲーム性もちゃんとある、そういうものがいい。ということになるんじゃないか。それに、コアなゲーマーだって、楽しいものは楽しいのだ。
(「ゲーム性」というのはすっかり炎上マーケティング用語になっているのだけど、まあここではあまり気にしないように)
もちろん方法はこれだけではないだろうけど、考えられる方法の一つとはいえるんじゃないか。
そんな条件を、ちゃんと満たしているという気がするんである。それも『街コロ』に続いて。なんとも、感心する。
あと、なんというか、現実的なコンポーネントで作られている。あくまで一般的なカードとか、サイコロとか、厚紙製チットとか。
楽しさを演出する簡単な方法は、豪華なコンポーネント。大きな立体物を使うことだ。でもそれはコストがかかるし、ボードゲームのインフラがない日本ではけっこう大変だと思う。街コロとすきものは、そうした方法に頼らずに楽しさを演出できている。
これをやるためには、斬新な発想や理論が必要なはずなのだ。完成品を見れば自然に見えるのだけど、そうじゃない。自然なものこそ難しい。
かなりすごいゲームじゃないかと思うのだ。
グランディングのゲームは次も注目したい。
てらしま -2013/02/14 22:51
と思っていたらtwitterで教えていただいたんですが、同じシステムのゲームがあるそうです。
邦題がないようだけど『プレステル建築ゲーム』でいいのかな。
なるほど。やってみたい。
BGGにルールブックもありました。
得点のとりかたなどは違うようですが、山札サーチするあたりの手順はたしかに同じですね。
冒険者たちがダンジョンに潜って財宝を集めるゲームなんだけど、これがひどい。
まず、ゲーム終了条件は冒険者たちが全員死ぬこと。全員死んだ時点でもっとも多くの財宝を持っていたプレイヤーの勝利だ。いろいろな能力を持った冒険者が登場するのだけど、けっきょく最後には死んでしまう。悲しい。
プレイヤーはひとりの冒険者を担当するのだけど、その決め方がまたひどい。ここがゲームの肝だ。
人数分の冒険者が場にいる。最初のプレイヤーはそこから、ひとりを選ぶ。次のプレイヤーは、場に残った冒険者を選んでもいいのだけど、他のプレイヤーが持っている冒険者を選んでもいい。
他のプレイヤーが持っている冒険者を選んで獲得したら、そこに1個以上の「自惚れトークン」をつけなければならない。
「自惚れトークン」である。
ちなみにこの訳はゲームフィールドによるもの。この言葉がとてもいい(笑)。原語は boasting なので、大言とかほら吹きとかそんなニュアンスだろう。
自惚れはもちろん、悪い効果なのだ。つくと弱くなる。でも、多少自惚れてもそっちのほうが強いと思ったら、他のプレイヤーから奪う。
人気のある強そうな冒険者はひっぱりだこになる。そしてどんどん自惚れていくというわけだ。
一種のオークション的なシステムになっている。強い冒険者ほど人気があるから、弱くなる。理屈上、最終的には横並びになるはずだ。
テーマはバカだけどすごくいい。バカだけど。
自惚れトークンには6種類ある。
つまり、
「俺ならあんなダンジョン、朝飯抜きでジャグリングしながらでも潜れるぜ」
とかそういう。酒場で大口を叩いていたら引っ込みがつかなくなったのだろうか。
冒険者は、クラス(職業)と武器の2枚がセットになっていて。この組み合わせ次第で、強さにだいぶ差が生まれる。とても強かったり使い物にならなかったりする。
でもその差は、自惚れで埋めろと。
せっかく強い冒険者がいても、そういうのは大人気になるから有頂天になって、どんどん自惚れてしまう。二日酔いで片手縛りでジャグリングしながらダンジョンに潜ることになったりする。
この冒険者の選び方が、ガントレット・オブ・フールズのほとんどすべてなのだけど。
さて、各プレイヤーが担当する冒険者を決めたら、いよいよダンジョンに入る。イベントカードをめくって、たいていはモンスターが出るから戦う。倒したら財宝が手に入り、攻撃を防御できなかったらヒットポイントが減る。
ここではもう、プレイヤー間のインタラクションもほとんどない。協力もしない。ほとんどソロプレイだ。クラスや武器の能力を使うかどうかという選択はあるが、それも大したことはない。
全員が死んだらゲーム終了。一番多く財宝を持っていたプレイヤーの勝利。
ヴァッカリーノといえばもちろんドミニオンなんだけど。じつはこの人けっこうバカだよねというのがわかってきた。ネファリアスとかガントレット・オブ・フールズとか、こっちが本性だろと思う。
ゲームデザイナーとしての特徴はなんといっても「毎回違うゲーム」という部分。必ずゲーム開始時のランダムが入っている。このゲームもそうだ。冒険者はクラスと武器1枚ずつの組み合わせで表されるのだけど、クラスも武器も何十枚も入っている。でもゲームで使うのは、プレイヤー人数分だけ。組み合わせ数はすごく多い。
この方式の利点はリプレイ欲求が高いこと。でもそのためには1回のプレイが楽しくないといけないし、短く軽い方がいい。そのあたりも徹底しているのがこの人のいいところだ。ドミニオンにしろキングダムビルダーにしろ、開始時のランダムのために多様性を確保するための要素数は残すが、残りはできるかぎり簡単にしている。
ガントレット・オブ・フールズも、そんなことに特化したゲームだ。ルール自体の量が少ないというわけでもないが、とにかく直感的でわかりやすい。収束性が悪い場合が若干あるが、たいていは早く終わる。
だいたい2回やらないとゲームになった気がしないから2回はやる。ふつうに2回目をやろうと思えるし、そういえるゲームだ。
バカゲーは好きだし、受けがいいから卓も立ちやすいのだけど。バカだけに調整が甘いことが多くて、収束性が悪くゲームが長くなるなんてことがよくある。本当は、バカゲーはネタの新鮮さが残っているうちに短く終わってほしいのだけど。
こういう短時間で完成度の高いバカゲーは貴重だ。意外と、適度なものは少ない。
けっこうお気に入り。
話題のゲーム。これはじっさい、かなりおもしろい。文句なく、とはいわないが、傑作だ。
似たゲームを挙げるなら『エクリプス』だ。ワーカープレイスメントの流れなんだけどちょっと違うゲームシステムが同じ。プレイヤーボードを使った拡大再生産の仕組みも、種族の個性をプレイヤーボードで表しているところも同じ。直接の関係はないのだろうけど『エクリプス』の完成版という印象がある。
テーマはいわゆるファンタジー。魔女とか巨人とか、いろいろな種族が登場する。
「ハーフリング」なんてのもいる。これはD&Dで「ホビット」が権利上の問題で使えなかったため代わりに使われていた種族名。それが登場するような、つまり指輪物語を源流とし、アメリカのRPGで形作られていったいわゆるファンタジー世界、がテーマということになる。
そんないろいろな種族が、それぞれに土地を開拓して大地に広がっていく。そんな話。
←これが盤面。地図だ。7種類の地形がある。
そして、種族。14種類入っている。種族はそれぞれ得意な地形というものを持っていて、その地形にしか開拓地を作れない。
では得意でない地形はどうするかというと、スコップで開拓して得意な地形に変える。
ぜんぜん関係ないのだけど『宇宙戦艦ヤマト』というアニメを思い出す。敵のガミラス星人は放射能に汚染された環境でしか生きられない。本星が滅亡しようとしているガミラス星人は、地球を新たな居住地と見定め放射能爆弾を使って放射能まみれにする。
もちろん地球人は放射能の中では生きられない。そんなわけで、地球人とガミラス星人は相容れない存在として全面戦争するしかない。
いやこれはまったくの余談で。このテラミスティカではそんな戦争になることはなく、むしろ協力しあうのだけど。
プレイヤーボードは7枚。両面仕様になっていて、全部で14種族だ。
ボードの右上にある地形のリングの、一番上にあるのが得意地形。「ハーフリング」の場合は、茶色の土地だ。これはボードと駒の色でもある。
ハーフリングは茶色の土地にしか開拓地を建てられない。地形を変更しなければならないのだけど、そのために必要なコストもここでわかるようになっている。地形のリングで、対象の地形から得意地形までの間にあるスコップの数だけスコップを支払わなければならないというわけだ。
スコップは労働者を支払うことで作れる。最初は労働者コマ3個で1スコップだが、この効率を上げることもできる。
さて、開拓とか拡大再生産とかの例に漏れず、このゲームにもいろいろな資源が登場して、それらを生産したり変換したりする。このゲームに登場する資源は4種だ。
労働者コマは、開拓地を建てることで増える。プレイヤーボードから開拓地コマをとり、ボード上に置く。そうすると、プレイヤーボードでいままで開拓地コマが置かれていた場所に労働者コマが増えるアイコンが書かれている。このへんもエクリプスと同じ感じ。
お金とパワーは、開拓地を交易場にパワーアップすると増える。ただしこれをやると開拓地がプレイヤーボードに戻ってきてしまう。労働者の生産力は減ってしまうのだ。とはいえお金も大事。このへんの兼ね合いも考えないといけない。
パワーというのは特殊な資源だ。パワーを得ると、プレイヤーボード左上のパワーチャート上でパワーコマが動く。Ⅰのマスにパワーコマがあれば、それをⅡのエリアに移動する。Ⅰのエリアにコマがなければ、ⅡのエリアからⅢのエリアに移動する。パワーはⅢのエリアに置かれて初めてアクティブになる。パワーを使うと、パワーコマはⅢのエリアからⅠのエリアに戻る。というわけだ。
このパワー。とてもいろいろな用途に使えて便利なのだけど、なにしろ高い。パワーを使うのか労働者を使うのかというのは、種族によっていろいろ考える。
もうひとつは、司祭。これは、交易地を神殿にパワーアップすると増える。司祭は労働者としても使える、労働者の上位互換だ。さらに、宗教チャートに送ることで信仰力を上げたり、スコップや船の技術開発に使ったりする。
さらに、神殿を建てると宗教タイルがもらえる。これはいろいろなものがあり選べるのだが、どれも強力だ。
建物を建てていくと、それはやがて「都市」になる。都市になるともらえる都市タイルは、強力な得点に加えなにか恩恵がついてくる。
交易地と神殿は、それぞれさらに強力な建物にパワーアップできる。
交易地からパワーアップする砦は、種族ごとに大きく性能が違う。神殿から成長する聖地は「都市」を作るときに恩恵がある。
特に砦は、種族ごとにまったく異なる。とにかく一直線に砦を建ててしまいたい種族もいるし、それよりも神殿を早く建てたい種族もいる。
建物をどう建てるかで生産される資源が変わってくる。種族ごとの戦略に合わせ、なにをいつ建てるかというのが大きなポイントになっている。
得意地形が違うため、種族同士は基本的に相容れない。でもだからといって全面的に殴りあうかというとそうでもなく、むしろ協力しあうゲームだ。そのあたりを表現しているのが、交易地のコスト。交易地は、他の種族の建物に隣接していると安く建てられる。
さらに、自分の建物の隣に他の種族の建物が建つとパワーがもらえる、というルールもある。
逆に、直接他の種族を攻撃する手段というのはない。ネガティブな要素が少なく、そういう意味でのストレスが少ない。気持ちよくプレイできるのだ。
わたしが特にいいなと思っているのはそのあたりだ。長時間かかるゲームなので、インタラクションが強すぎると辛いことになりやすい。いわゆるキングメイカー問題などが発生してしまうと、せっかくそれまでがんばった時間が無駄に感じられてしまう。
特に、プレイヤーを指定した「攻撃」があると苦しい印象が強くなる。
じっさい、そのあたりにエクリプスの弱点はあったように思う。あのゲームにも、お互いが得をする同盟というシステムがあったのだけど、それ以上に、いつどこから攻撃されるかわからないゲームだった。なにしろルール上可能なのだから。じっさいには同盟の利益が大きいから簡単に攻撃を受けるわけではないとしても、恐怖はいつでもあった。
このテラミスティカも、乱数の少ないゲームだ。キングメイカーなどは充分に発生しているのだろうけど。ただそれがわかりにくくなっている。強すぎるインタラクションを排除していることと、なによりネガティブなインタラクションが少ないことが大きい。
開拓して拡大再生産するゲームとしての特徴が強調されている。これはうまいなと思った。
とにかくインタラクションの塩加減がとてもいいのだ。
いっぽう弱点はというと、やはり複雑すぎることと重いことだろうか。
いわゆるドイツゲーム的な、要素を削ったエレガントさはない。むしろ要素を増やし、増やすことで調整しているゲームだ。最近は「ピュアユーロ」という言葉が使われているようなのだけど、ぜんぜんそういうゲームではない。
かといってアメリカ的なデタラメなゲームというわけでもなく、ワーカープレイスメントの流れに連なる遊びやすさはしっかりとあるのだけど。やはり多すぎるだろう。
まだ紹介していない要素として、ラウンドの得点タイルというものがある。全部で6ラウンドのゲームなのだが、各ラウンドにこのタイルがある。このラウンドは開拓地を建てたら2点とか、このラウンドはスコップを使うたびに2点とか。それがゲーム開始時に、ランダムに6ラウンド分並べられている。
テラミスティカは、このタイルを睨みながら得点をとっていくゲームでもある。
自分の種族の特性に合わせて手順を考え建物を建てていくのだけど、それだけではちょっとワンパターンになってしまうかもしれない。それだけではないのだ。ラウンドの得点タイルを睨み、手順を入れ替えたり遅らせたりすることで、より高い得点を目指す、といった要素が、じつはこのゲームの要だろう。
これが、弱点になってもいるかもしれない。そんな気もする。得点タイルの効果で開拓地を建てたら得点、というそのことに、理由がない。ただゲームのルールだからそうなるのだ。結局、勝利点という謎の数字を睨むゲームになっている。
無理やりなルールという感じはある。ファンタジーの世界観と、そのあたりは噛み合っていないともいえる。
そんなところは他にもあったりする。
ゲームに必要なものを追加していった結果なんじゃないかと思う。バランスを優先した結果なのだろうが、ひとつひとつのルールに、意味を付与できていない。
けっきょく、上に書いたことにつながる。多くのルールを追加することで成立しているゲームなのだ。
それは多くのゲームでやっているし、必要なことなのだけど。どこまでの追加なら許せるのかというのは、まあ、プレイヤーが所属する文化によるというところじゃないか。
このゲーム、ぎりぎりのライン付近にいるかもしれないという感じはある。おもしろいから許してるというところはある。
そんなところはあるものの。
好きな人はすごく好きだろう。わたしも好きだ。過剰さは楽しさでもあったりする。
リプレイしたい欲求が強く、クセになるところがある。
なんといっても、種族が14個もある。ひとつひとつの種族も1回では使いこなせない。「次は別の種族で」とか「この種族は本当はこう使うんじゃないか」とか、とにかくもう一度遊びたくさせてくれる。
対戦格闘ゲームのように「持ちキャラ」を決めて遊ぶといいんじゃないか、などと思っている。そういうやりこみにも耐えてしまう出来なんじゃないか。
いうまでもないんだけど、デッキ構築ゲームなんてどれをやったって大差ない。自分のデッキがあり、手番終了時に5枚引く。この仕組みが変わらない以上、すべてドミニオンクローンだといってしまってもいい。
そんな狭い狭い範囲の中に、ものすごく多数のゲームがひしめき合っている。そういう状況だ。
これだけ似たようなゲームばっかりやってるとですね。ほんの少しの差がゲームにどう影響するかという細かい考察が、できてしまう。
「鍛冶屋」の購入コストは4コインと6コインでどう違うのかなんて、きっと作り手の気まぐれ次第で、本来どっちだっていいことだ。普通なら省みられもしないだろう差なんだけど、でもその違いを、じっさいにゲームをプレイして比較することができてしまう。
そういう細かい考察が、それはそれで楽しくなってきたりもする。
この『めだかボックスカードゲーム 学園お花畑化計画』は、そんなデッキ構築ゲームのひとつ『アセンション』に近いゲームだ。アセンションとはいろいろなところが共通していて、いろいろなところが違う。そのひとつひとつを、可視化することができてしまうんである。
このゲーム、総体としては、意外と楽しめる。なんだろう、ボードゲームマニアは手を出さなかったり、いわゆる「ノットフォーミー」だったりすることが多いゲームだろうし、自分もそれを想像していたのだけど。
その前に上の「鍛冶屋」の例でもう少し話をすると。
「鍛冶屋」が4コストである場合と6コストである場合には、それぞれ少し違うゲーム性があるはずだ。どちらがおもしろいのかという話ではない。結果的にどちらのほうがおもしろいということはあるだろうが、それは結果でしかない。
ゲームデザイナーのさじ加減次第でどちらにもなりうるが、答えを導き出す方法はたぶんない。人間が制御できるような複雑さではないというべきだろう。どちらになるかは時の運とでもいうべきで、ゲームデザイナーがたまたま4コストにした、あるいは調整の結果たまたま4コストになったのだ。そんな風に思う。
鍛冶屋は何コストがいいか。村は何コストであるべきか。そういう調整を、ゲームデザイナーはする。さらにその場合、研究所は何コストであるべきだろうか、礼拝堂は何コストであるべきだろうか。
そういう、非常に多数のパラメータを引数にとり「おもしろさ」を返す評価関数がある。その関数が「ゲームシステム」と呼ばれるものだ。
さてその多次元空間の中で、鍛冶屋を4コストと仮定したとする。そうすると、少しだけ空間が狭くなる。それでも空間は広大すぎるから、さらに「村」を3コストと仮定する。またさらに空間が狭まる。そうして、仮定に仮定を重ねてゲームの空間を狭めていき、ひとまずの「おもしろさの極大点」を探りあてる。いわゆる「調整」と呼ばれているゲームデザイン工程というのは、そういう作業だ。
そのとき、たとえばたまたま、鍛冶屋を6コストと仮定したとする。それはそれで、その場合の極大点を探りあてることは可能だ。それはそれで正解なのだ。
鍛冶屋は4コストであっても6コストであってもかまわない。それぞれの場合で最善に近づくための努力をすることができ、その結果がある。本当の最善がどこにあるのかは誰にもわからないが、ある仮定のもとでの極大点に近づけることはできる。
我々が遊ぶのは、そうして作り上げられたゲームだ。それを、おもしろいとかつまらないとか、勝手な言葉で評価する。
ただ、鍛冶屋のコストがどうであろうと、ゲームシステムが同じなら同じゲームである。これはプレイヤーの良心として、ゲームデザイナーへのリスペクトとしてそう思うんである。どこまで違えば違うのか、という話は人によりいろいろあるだろうけれど。
デッキ構築ゲームを遊ぶというのは、そういう細かすぎる過程を分析することだ。それは「こうであったかもしれないドミニオン」であり、歴史のIFを想像する架空戦記小説のような楽しみだといってもいい。
原作を読んだこともないのに、めだかボックスカードゲームを買って遊んだ。これはそういう話のひとつだ。
ゲームはアセンションに似ている。つまり、ドミニオンとの違いは、場に並ぶカードが10種固定ではなく山札からめくられる。誰かが1枚買えば、空いたスペースにはすぐに補充される。
もう一つ、コインだけだったドミニオンとは違い、戦闘力という数字がある。コインで買うことができるカードと、戦闘力で買うことのできるカードがでたらめに混ざって場に出てくる。そのため、コインが出るカードがデッキに多くなると、戦闘力のほうはむしろ出づらくなっていくということになる。
めだかボックスカードゲームでもそのあたりはまったく同じ。ここまで同じである以上、アセンションを下敷きにしたゲームといっていいのだろう。
ただ、大きく違うところもある。アセンションと違うのは、パーマネントがほぼないところだ。
パーマネント、というのはマジック:ザ・ギャザリングの用語だが、要するに場に出して残るカードのこと。もちろん、ドミニオンにそんなものはない。ないことがドミニオンの大きな特徴の一つでもあった。
アセンションというゲームは、じつは、そのマジックのトッププレイヤーたちが集まって作ったゲームだ。だからということではないだろうが、パーマネントがある。
しかしこのめだかボックスカードゲームでは、原点回帰してパーマネントを削った。おかげで、アセンションとは結構違うゲームになっている。
また、アセンションにはなかった要素として「一括処理」という選択が追加されている。手番開始時にこれを宣言すると、場に並んでいるカードをすべて流して新たにすることができる。これは大きな変更なのだが(アセンションを遊べばわかると思います)、プレイヤーのストレスを減らす意味でとてもよく機能している。
他にもいろいろ違っている。ドミニオンでいう「銀貨」にあたる共通カードがなく、それもランダムマーケットに入っているとか。いつでも買うことができる切り札的なカード「めだかカード」というのが追加されているとか。手札を何枚か次のターンに持ち越せるとか。
徹底してプレイヤーのストレスを減らす方針が感じられる。ボードゲームマニアだけではなく原作ファンにも遊んでほしいということだろうか。そういう意志が感じられるゲームだ。
ただルールを追加するだけではなく、意志を持ってデザインされている。追加はあるが、その代わり削るところは削る。そういう感じがいい。想像していたよりもずっといいゲームだった。
そもそもかなり期待を下げて遊んだわけなのだけど、それほど怖がる必要もなかったのかもしれない。
もちろんガチガチに思考して楽しむゲームではない。ランダム性はとても高いし、雑な展開も多い。また、なんだかんだといってもデッキゲームの亜種にすぎず、ゲームデザインの面で他のゲームと比べるようなものではないのだけど。
個人的にアセンションの評価が高くないということもあって(笑)、思ったよりずいぶんいいと感じたのだ。
魔法使いになって、3年間に渡り術を競い合う。ゲームは、特殊効果テキストがたくさんある系だ。いちおうドラフトゲー?
ドラフトゲーって、日本ではなにやら妙に流行ってるけど、ああいうのではなく。あれらは世界の七不思議フォロワーなんだけど、これはもっと、本家のマジック:ザ・ギャザリングのドラフトに近い。
なにが違うかというと要するに、ゲーム開始時に、そのゲームで使う全部のカードをドラフトする。最初に、ゲーム終了までの計画が決まってしまうんである。
まず、9枚のカードをドラフトする。いわゆるドラフトといったら最近は、世界の七不思議流のドラフトだ。
9枚のカードから1枚を選んで自分のものにする。残りを下家に渡す。これを9回くりかえすと、9枚のカードが手元に残る。
さて、その9枚を、3枚ずつ3つに分ける。これはそれぞれ、1年目開始時(ゲーム開始時)、2年目開始時、3年目開始時に手札に入る。
えーつまり、本当にゲーム開始から終了までの計画を最初にたてなければならないんである。
これ、初プレイでうまくいくはずがない。どういうゲームなのかもわかっていない段階から、ゲーム全体の計画を立てさせられるのだ。
このゲームは、少なくとも2回は遊んでほしい。初回のゲームがつまらなかったのでなければ……。
ゲームが始まったら、基本部分の流れはシンプルだ。
ラウンドの開始時に、プレイヤー人数+1個のサイコロを振る。サイコロにはいろいろな効果がアイコンで示されている。○○の資源を獲得するとか、勝利点を○点得るとか。
それを、ラウンドのスタートプレイヤーから順番に1個ずつ選んでいく。全員が1個選んだら、またスタートプレイヤーから手番をやる。ここで、選んだサイコロの効果をもらえる。
ここで、手元の資源を支払って手札のカードをプレイすることもできる。プレイしたカードは自分の前に置かれる。即時に効果があるカードもあるし、毎ラウンド効果があったり、特定の条件をトリガーにして発動するカードもある。
選んだサイコロによっては、資源を支払って勝利点を得ることもできる。
これだけ。これだけだ。
あとはもう、カードの特殊効果が山ほどあると。
おもしろいのは、季節の移り変わりがあるところ。季節によって使うサイコロが違う。青、緑、黄、赤の4色のサイコロがあって、それぞれ出る資源が違うのだ。
青の季節では水の魔力が出やすく、地の魔力は出ない。
また、季節によって資源と勝利点の交換レートも変わっていく。その季節にありふれた資源は安く、出ない資源はより高い勝利点に変換することができる。
そんな季節の移り変わりを考えながらプレイしていかなければならない。ゲームのタイトルにもなっている。
ところでこの邦題『十二季節の魔法使い』って、けっこういいセンスだ。ゲームには1年を表す円形のボードが登場し、円の外周にはたしかに12個のマスがある。でもそれは季節じゃなく月だろう。ファンタジー世界とはいえ、ゲームでも3ヶ月で1季節じゃないか……。
と思っていたのだけど、考えてみれば、3年間会わせれば12季節だ。これ、こんなことを考えさせた時点で成功だと思う。タイトルに「季節」という言葉は必要だし、「十二季節」となっていることでストーリーに興味が湧いてくる。
原題は Seasons 。このまま『季節』ではゲームタイトルにならないから考えたのだろう。いい邦題だと思った。
ゲームとしての完成度はというと、驚くほど低い。
よくあるレビュー記事で使われる言葉でいえば「ダウンタイムが長い」「言語依存が強い」「見通しが悪い」「ダイス」などなど、多くの酷評用語があてはまる。
とにかく、カードの特殊効果が山ほどあるゲームだ。これを買うような人はわかってて買うだろうと思うけど、こういうの、嫌いな人はたくさんいるだろう。
凝ったコンポーネントのわりに、カードやボードのデザインもよくない。絵はとてもいいのだけど、ゲームのインタフェースとしては、いいたいことがいろいろある。カードの中で一番目がいく場所である左上に、ゲーム終了時だけ見ればいい勝利点が書かれているっていうのはどうなのかとか。資源チットの色、赤が風、黄が火、っていうのは逆じゃないのかとか。そもそも特殊ダイスの内容を4季節分把握するのは難しいよねとか。
きりがないくらいいろいろある。
でも、それはそういうものとして、特殊効果テキストゲームが好きなんだといってしまえば楽しめる。いわゆるコンボもあるし、それをドラフトで組み立てる過程もおもしろい。
マジック:ザ・ギャザリングなどのTCGの手法を採り入れるというのは、ボードゲームにとって、長年くりかえされている大きなテーマの一つだ。『世界の七不思議』でドラフトが注目されたのも、そうした流れの一部。そして『十二季節の魔法使い』は、ドラフトの解釈を少し変えてみた。
よりTCG的に、カード間のシナジーやコンボを構築する楽しみを意識した作りになっている。たしかにそのためには、ドラフトはゲーム中ではなくゲーム開始時になければならないのだ。初プレイではゲームにならないという弊害があるのだけど、その分、構築の自由度が強調されている。
そういうものとして、嫌いじゃない。ゲームとして客観的に評価するなら、ぜんぜん褒められないけど……。
マストフォローのトリックテイキング。ただし、色が変わる。たいていそんな風に紹介するんだけど。
マストフォローだけど途中で色が変わる。この言葉の異常さが、だんだんおもしろくなってくる。
最近よくやっているゲームだ。
色の3原色という言葉がある。もちろん、赤、青、黄だ。そして、それらを混ぜると別の色になる。赤と青を混ぜると紫になる。青と黄を混ぜれば緑、黄と赤を混ぜればオレンジだ。
そんなことをテーマにしたゲーム。
ルールは一般的なトリックテイキングを下敷きにしている。ゲームはトリックをくりかえすことで進行する。前回トリックをとったプレイヤーがまず手札からカードを1枚プレイしてリードし、次のプレイヤーは、手札からリードと同じ色のカードをプレイしてフォローしなければならない。
そんな感じで、まあトリックテイキングを知っている相手だと専門用語を並べて説明したほうがわかりやすい。
そうでなければ、とりあえず「ウィンドウズに入ってるハーツって知ってる?」から始める。
めんどくさいからここではくわしく説明しないけど。
さてこのゲームの特徴は、色を混ぜられるところ。
たとえばリードの色がオレンジなら、オレンジをプレイすればフォローできる。そこは普通のトリックテイキングだ。
それに加えてこのゲームでは、赤と黄の2枚を「混ぜて」オレンジとしてプレイできる。
色を混ぜると、数字は2枚の合計になる。
オレンジで最強のカードは9で、それは1枚しかない。普通のトリックテイキングなら、そのトリックはとれるはずだ。でもこのゲームでは、トリックをとれないかもしれない。赤の5と黄の5を混ぜたら10ができてしまうからだ。
これが「ミックス」のルール。
もうひとつ。リードの色が原色なら、そこに別の原色を混ぜることでトリックの色を変えることができる。
例えばリードが赤だったら、自分の手札から黄を出して色を変え、手札からオレンジを出す。そんなことができてしまう。
これが「ぼかす」ルール。
そんな2つのルールのせいで、普通ではありえないことが起こってしまう。
普通ならとれるはずのトリックがとれない。普通のトリックテイキングでは「このトリックをとって、次はこれをリードして……」などと計算するのだけど、そんな計算はほとんど成り立たない。
プレイ感はだいぶ別モノになっている。
ギリギリと考えて沈黙の中でプレイする、というイメージが、トリックテイキングにはある。でもこのゲームは違う。9を出してトリックをとる計画が混色で崩され「ぎゃーなにしやがる!」という、わいわい楽しめるところのあるゲームになっている。
あと、ビッドのルールもある。ナポレオンやブリッジのように「何トリックとるか」ではなく「何色でトリックをとるか」というビッドになっている。ビッドした各色で、最低1回のトリックをとればいい。
「トリックをとらない」なんてビッドもある。ヌルビッドと呼ばれている。手札が弱すぎるときは、ヌルビッドでその場をしのぐことができる。
このビッドのルールもいい。
一般的にボードゲームを遊ぶ集まりでは、トリックテイキングは少しきついかもしれない。そんな気がする。ルールの説明はそれほどでもないが、セオリーなどの理解がないとゲームにならなかったりするあたりが難しい。
そして、ルールとセオリーを知った上でさらにビッドしなければならないというゲームも多い。
コントラクトブリッジとなるとさらにきつい。ビッディングシステムを記憶してパートナーとやりとりしなければならない。それはもう、気軽にボードゲームを遊びたいプレイヤーの許容量を超えているだろう。
そんな敷居の高さが、トリックテイキングには少しある。ゲームが、ルールだけでは成立しない難しさだ。
まあ、いわゆるボードゲームにアレンジされたトリックテイキングゲームにはいろいろと工夫が凝らされていて、たいていは遊びやすくなっているから平気なのだけど。
パラは、そんなトリックテイキングのセオリーをぶちこわすゲームだ。トリックテイキング特有の説明しづらさみたいなものは少しあるものの、まあ、やればわかる。
考えて計画して遊ぶ、知的ゲームという面は薄れているかもしれない。でもそのぶん、いきなり変なことが起こる乱数の楽しさがある。
トランプを使ったトリックテイキングゲームのプレイヤーが、もしこれを「改悪だ」といったら、たしかにそういう意見があっていいと思うだろう。
でも、いわゆるボードゲームを遊びにきたプレイヤーと遊ぶには、これくらいがちょうどいい。
かなり気に入ってる。
宇宙版シヴィライゼーションという感じのゲーム。探検すると6角形のタイルがめくられ、そこに描かれた星系に殖民する。軍事技術を開発して、宇宙船を建造し他の文明と戦争する。こういうテーマのボードゲームはわりとある。どういうわけか、宇宙といえば探検と開発のフロンティアゲームばかりだ。その中でもこのゲームは、フェティッシュなテーマの再現性という点で完成度が高い。
コンピュータゲームでは「4Xゲーム」なんて言葉があるらしい。探検(explore)、拡張(expand)、開発(exploit)、殲滅(exterminate)で、Xが4つというわけだ。このエクリプスもまさにそういうゲーム。とはいえ、激しい戦争はあっても「殲滅」まではしない。
かなりの重量級ゲームだ。箱には「人数×30分」とあるが、だいたい人数×1時間ほどかかる。
値段も高い。現在ホビージャパンから流通しているもので、12,000円ほどもする。その金額にたがわず、内容物もとても量が多く、豪華だ。
重量級ゲームということで、ルールは多い。でも、ゲーム内容は意外と整理されている。ゲームを始めてしまえばすんなりと理解できる。
探検、殖民、植民地からの収入、技術開発、戦争と、そういう種類のゲームにありそうなすべての要素があるのだけど、だいたいのことは、ワーカープレイスメントに近い統一されたインタフェースで実行できる。スマートなシステムだ。わかりやすい。
現代流のゲームデザインとしては、こうした複雑なテーマにはワーカープレイスメントがふさわしい。それだけではなく、エクリプスのワーカープレイスメントはかなり工夫が凝らされている。発展と、ワーカー(アクション)の増加と、維持コストの上昇がプレイヤーボード上にわかりやすく表示される。このプレイヤーボードは見事。
……その代わり、プレイヤーボード上に木製チット40個を並べる準備が必要なのだが(笑)。
特徴的なのは、宇宙船だ。多くの科学技術が登場するのだが、その大部分が宇宙船に搭載するためのパワーアップパーツ。推進機関とか、ビーム砲とか、シールドとか。
技術を開発したら、それを作ることができる。作ったら、それを宇宙船に搭載する。宇宙船の主な用途はもちろん戦闘で、兵器を満載している。
プレイヤーボードには、4つの宇宙船が描かれている。戦闘機、巡洋艦、戦艦、防御用の要塞だ。
戦闘機は搭載できる部品が少ないが安価に生産できる。戦艦は巨大で部品もたくさん積めるが、非常に高価。要塞は安価だが移動できない、防御専用のユニット。
ゲームの主役はこの宇宙船たちだ。
そうして宇宙船をカスタマイズしたら、もちろん、宇宙船を建造する。
宇宙船は宇宙を移動し、宇宙に登場した原住民……宇宙種族や他のプレイヤーの星を攻撃する。
最近のボードゲームは闘争がない、なんて話もあるけど、このゲームは気持ちいいくらい潔く、プレイヤー同士が直接殴りあう。
そのへんはゲームとしてどうなんだと思うところもある……。でもこういうゲームなんだからこうでないと、とも思う。
いわゆるキングメーカー問題なんて平気で起きるだろう。それ以上に、優位に立った文明に戦闘でも負けたら、逆転なんて不可能だろう。
でもそれでいいんじゃないか。だってこのゲームでやりたいことは、宇宙戦を作って戦うことだ。
ちなみに、他のプレイヤーと同盟するルールがあって、同盟すると生産力が上がるというルールがある。そのあたりさすがに、平和的な発展を少しだけ推奨するルールになってはいる。
もう一つの主役は、というか主役そのものだが、プレイヤーボードに描かれた宇宙種族だ。
プレイヤーボードは両面仕様になっていて、表面は人類、裏面は特殊な能力を持った宇宙種族、となっている。初めてプレイするときはスタンダードな能力の人類が推奨されている。
その裏面の宇宙種族。これがなんとも、いい。
たとえば、古代文明の生き残りのような文明がある。この文明、タイルをめくったときに現れる原住民種族の仲間なんである。
ふつうは原住民を倒さないと星系に入植できないのだが、この文明だけは倒さなくても入植できる。
この文明、ドラコというのだけど、これがおもしろい。
ドラコが原住民のいる星系に入植すると、原住民はそこに残ったままになる。なにしろ仲間なのだから。ところで原住民は財宝を持っている。倒せば財宝が手に入るのである。
ドラコは序盤、すごい勢いで拡大する。なにしろ原住民を倒す必要がないのだから、そのぶん発展も速い。だけど、ドラコの版図には財宝が置かれた星系がたくさん残っているということになる。ゲーム終盤、ドラコは、財宝を狙う他の文明に攻撃されることになる。
これ、人類や他の文明に征服される側なのだ。
地球の文明でいえば、アステカ文明とかそういうの。そういう、宇宙文明の盛衰の物語がデザインされているのだ。
ほかには、銀河帝国っぽい文明がある。この文明は、ゲーム開始時の資源がびっくりするほど多い。他の文明の数倍もある。その代わり発展しづらいデメリットもあって、影響力を失いつつある老朽化した大帝国という感じがよく出ている。
または、戦闘が得意な文明は、宇宙船の能力がびっくりするほど高い。
テーマと物語がゲーム上に再現されている、なんといってもこの感じが、とてもいい。
ゲームとしての問題点はけっこうあって。
やっぱり3人以上のゲームにとって、直接攻撃はいろいろな問題がある。同盟ルールで攻撃しづらくなっているとはいえ、それは保障されたものではない。このゲームの戦闘は本当に相手を倒してしまう。それまでに大量の資源を投入して建造した宇宙船が壊されてしまうのだから、負けた側が大損失なのは間違いない。序盤に大きな戦闘があったら、ゲームから脱落するプレイヤーが生まれてしまうだろう。長時間かかるゲームなのに。
あと、ゲームが少し長すぎる。9ラウンドあるのだけど、あまり戦わずに進めていると、7ラウンドくらいでだいたい発展しきってしまう。最後の2ラウンドはそれこそ、戦争くらいしかすることがない。6ラウンドくらいでいいんじゃないかという気がしてくる。
これはたぶん、もっと序盤から戦争するゲームなのではないか。そんな気がする。同盟のルールなどもあるが、そんなの使わず殴りたいときは殴るゲームなのかもしれない。そうして足を引っ張り合い発展の速さが遅くなる前提だから、少し長めの9ラウンドなんじゃないかと思ったりもする。
よくも悪くも、アメリカゲーム的なのだ。
日本人は、というかわたしの場合、こういうゲームだと、直接攻撃を避けたり手加減したりしてしまうのだけど。アメリカ人が作るゲームを見ていると、彼らはふつうに殴りあって、ゲームから脱落するプレイヤーがいても気にしないんじゃないかと思う。
……なんて話をゲーム後にしていたら、このゲーム、アメリカのゲームではない。フランス製だったりする。デザイナーのターコカリオは、フィンランドの人だ。こういうのが好きな人は世界中にいるんだろう。