ボードゲームの紹介です。もちろんドイツ製が中心。
ゲームのデータは公式ではなく、執筆者の主観です。てらしまはけっこう考えるスタイルのようなので、特にプレイ時間は長めになっています。でもメンツによって違うわね。
今年もノミネートが発表されたとのことで。
しょうじきな感想をいえば「ぱっとしないなあ」だ。
ドミニオンよりあとのボードゲームに漠然と感じていることなのだが。水準以上のレベルのものはとても多いのだけど「すげーこれ」と思うものがない。
そんなところが反映されてかどうか。差がない中からどうにか選んでて、そうすると外野からは予想できない結果になるなあ、というのは去年も感じたことだ。
こうなるともう本当にさっぱりわからないし、わたしが予想なんかしても無意味だ。
だからそんな話はおいておこう。
個人的に話したいのは、ノミネートされた作品のひとつ『キングダムビルダー』のことだ。
キングダムビルダーというのは『ドミニオン』のデザイナー、ドナルド・ヴァッカリーノが、ドミニオンの次に作ったゲームだ。
ゲームの内容紹介は省くけど。
先に書いておくとこのゲーム、わたしの評価は低い。去年の自分的クソゲーオブザイヤー候補作に挙げかけたくらい(実質挙げているという話もある)。
でもそれは個人の評価の話。おもしろいという人はいるし、それはそれでわかるところもある。
ところでこれ、わたしが期待したよりは話題になっていない。
あのドミニオンの、あのヴァッカリーノなのに。よかれ悪しかれ、もっと話題になってもいいのだが。
悪くないが語るほどのこともない佳作、ドミニオンほどプレイヤーの心に残らないゲームというのが多勢の評価だったのではないか。そう思っている。
いやじつは、ウェブを検索すればプレイレポートが多くあるんだから、かなり遊ばれてるほうなのだけど。でも「ドミニオンのデザイナー」という看板にわたしが感じていた強烈な輝きからみれば、少し物足りない。
そんなことを思っていた。
気の毒だとは思いつつも、ドミニオンと比べてしまっているのだ。
下世話な話ではある。
さて。しかし、そのキングダムビルダーが、ドイツ年間ゲーム大賞にノミネートされてしまった。
なんてこと。
このゲームの評価は低いと書いたけど。でも、評価しているところもある。それは、デッキ構築ゲームではないことだ。
考えてみればあたりまえで。
なにしろ、ドミニオンはまだ現役で拡張が作られ続けている。それなのに同じ作者が同じジャンルのゲームを作ってどうする。営業的な問題としても、作らないだろという気はする。
というわけでデッキ構築ゲームではないけれど、そのいっぽうで、ドミニオンからひきついだ要素もある。やっぱり同じデザイナーのゲームだなあと思うところ。
ドミニオンからデッキ構築を抜いてなにを残したか。そっちが重要だ。
ドミニオンがなぜヒットしたのか、それについてのデザイナーの分析が、キングダムビルダーには表現されているのではないか。ヴァッカリーノはドミニオンをこう見ているというものが。
もっとも大きな要素はもちろん「毎回違うゲーム」だろう。
ドミニオンは、あのランダムマーケットが最大の特徴だった。あれがあるから何度でも遊べ、話題が長続きしている。
あと、たとえばゲームがぶっ壊れてしまったとしても、プレイヤーが勝手にランダムマーケットのせいにしてくれるというのもあるような。おもしろければゲームのせい、つまらなければサプライのせい。ドミニオンの評価は低下しないのだ。
ランダムマーケット以外では、たとえば手札。
手札からカードをプレイして、同じ色の土地に自分のコマを置くのだけど。この手札が、たったの1枚しかない。大胆なルールだ。
これは明確に狙いがわかる気がする。 「プレイヤーの選択肢を減らす」だろう。
マップ上にコマを置くゲームなのだけど、なにしろマップは広い。選択肢が多すぎる。多すぎる選択肢はプレイヤーを悩ませ、プレイ時間を長くする。だからそれを減らすために、カードで制限している。
しかも、選択肢の数に目標数があったのだろうと想像している。たぶん「多くても10を大きく超えないくらい」というところではないだろうか。
その目標数を達成するために手札の枚数を調整したら、1枚になったんじゃないか。そんな風に思う。いや本人じゃないから知らないけど。
手札を手番開始時ではなく終了時に引く、というところも、短時間化という目的について一貫している。他のプレイヤーの手番の間に考えておけという意味だ。これもドミニオンから引き継いでいる。
(『クォーリアーズ』という、かなり臆面もないドミニオンクローンがありまして……。あのゲームはどういうわけか手番開始時に引く。というのはまた別のお話)
手札を使う意味のもうひとつは、乱数。
乱数はもちろん必要だ。負けたプレイヤーが、人間として劣っているのではなくたまたま運が悪かっただけさと思いこむために。
そういうふうに、意図がいちいちなんかわかる気がするなと。
そして、そのすべてが正しく理に適っている。そう思う。
さすがはドミニオンのデザイナー。あるいは、デザイナーなんだからあたりまえかもしれない。
でもわたしの評価は低い。
それぞれの意味はわかるんだけど、おもしろさに寄与していない気がするというか。どこか魂がこもっていないというか。
やっぱり分析的すぎるのか。一番大事なプレイヤーの心を分析できなかったというところか。
いや、観念的な物言いはよくないから自分の考えを書いちゃうと。
プレイヤーはゲームに物語を求める。ゲームデザイナーはシステムだけではなく、ゲームの展開が形作る物語もデザインしている。
ドミニオンはランダムサプライでゲームが劇的に変わるのだけど、じつは物語のあらすじはあまり変わらない。銀貨などでお金を増やし、それで勝利点カードを購入する。勝利点カードがデッキに入ると動きが鈍り、他のプレイヤーはその間に追いつけるかもしれない。そうして、固定されたゲーム終了に向かう。
起承転結のうち主に承と転くらいは、サプライに現れたアクションカードで大きく変わるだろう。けど、最初と最後はそれほど変わらない(最近はけっこう変わるけど)。
キングダムビルダーは、あらすじからランダムにしてしまっている。それが悪いわけではないが、さすがにそれで物語を表現するのは難しかっただろう。
あと、手札だ。
ランダムに1枚引くというのは、均質な乱数だ。どのカードを引く確率も変わらない。予想ができない乱数になってしまう。そういう乱数は、運ゲー感を強める。
また、選択肢の数はマップ上にあるかもしれないが、プレイヤーがすることはカードのプレイだ。そこが1枚では選択がないように見えてしまう。構造上はマップで選択してるんだから問題ないのだが、プレイヤーの意識上もそうだろうか。
とかそのあたり。
というわけで、わたしはこのゲームを評価していないのだ。
でも、嫌いかというとそうでもなかったりするんだけど(笑)。だからだからこんな記事を書いているんだし。
じっさい、このゲームを好きな人はいる。わたしの友人にもいる。けっこう、評価が分かれている。
そんな愛すべきキングダムビルダー。
まだ遊んだことがない人がいるのなら、ぜひ遊んでみてほしい。せっかくのノミネートだし、デザイナー名も話題性あるし。
追記。
ヴァッカリーノがこのゲームについて話しているインタビュー記事がありました。
あとで捜そうかなーとか思ってたけど(いや先に捜せと)。
上に書いた憶測の中で違うのは、ドミニオンを元に作ったわけではないというところ。デッキゲームを作ろうとしていたというところ。
なるほどそういう経緯があるから、1枚なのに手札を使うのかなー。などと思ったのでした。
じっさい、1枚の手札というのはやはり歪んだルールだ。別に悪くはないけど、ベストじゃない感がある。
あとづけで考えるなら、手札を使わず手番開始時にサイコロを振るのが自然だったんだろうけど、もちろん長所と短所がある。
だけど1枚の手札というルールを選んだところに、このデザイナーの特徴が表れていたりするのかなあと、読んでて思ったのでした。いいか悪いかではなく。
新作じゃないけど。
食糧とか木とか石とかが出てくる、文明発展系のゲーム。こういうのがやたらと好きなタイプのゲーマーというのがいる。わたしがそうだ。
資源を手に入れて建物を造ったり、そこからさらに資源が出てきたりする。建物を増やすと人口も増える。
ただこのゲーム、ひと味違うところがある。
そこが、妙に気に入ったんである。
ゲームは競りが基本。といっても、かなり奇形の競りだ。
場にタイルが並べられ、好きなタイルの上にコインを積むことで入札する。
ただし、タイルには最低落札価格が設定されている。その額以上のコインを置かなければならない。
入札額が上回られたときのルールが独特だ。自分がつけた値段よりも高い額のコインを置かれたら、それまでおいてあったコインをそのまま、他のタイルの上に移動しなければならない。このとき、手元にコインが余っていても追加はできない。もちろん、すでに他のプレイヤーが値をつけているタイルに置くには、それよりも高い額でないと置けない。
つまり、競りといってもつり上げることはできず、最初に決めた額は動かせない。競りっぽくはあるけど、じつはもうほとんど競りじゃないという気もする。
そのあたりはやはり、いまどきのゲームだ。
競りは非常にいいシステムで、導入してしまえばゲームデザイン上のいろいろな問題が解消してしまう。プレイヤー間のインタラクションも、いわゆるゲームバランスも、競りがあればどうにかなる。
しかし欠点は、プレイ時間が長くなること。無邪気に競りを導入しても、いまどきの短気なプレイヤーには受けいれられないだろう。
だから最近は、そのままの「競り」というゲームは見なくなった。
もし競りを使うなら、短時間で終わる工夫が、どうしても必要だ。
そういうわけで、いろいろなゲームでさまざまな工夫がなされている。
最近だと『ホームステッダーズ』の競りが記憶に新しい。といってもあのシステムは『アメン・ラー』からの引用だ。数個の商品を同時に競ることで時間を短縮している。
『アメン・ラー』って、ドイツ年間ゲーム大賞受賞作の中では微妙なゲームだなと思っていたのだけど、こうして考えるとすごいところはある。競りゲームを終わらせた、あるいは、競りの未来のひとつを示した、という面が、あったかもしれない。
余談だった。
このペロポネソスも、同時に複数の賞品を扱う競りだ。そして、アメン・ラーシステムよりもさらに短い。
もはやほとんど競りじゃない。これほどまでの変形が、いまのゲームには必要なんである。
さて、そうして、競りでタイルを獲得する。
タイルは土地と建物の2種類がある。土地は資源を生み出すが勝利点があまりない。建物はいろいろな効果があったり高い勝利点がついていたりする。
そのタイルから毎ラウンド、収入がある。食糧とか木とか石とかが出る。
まあそのへんは一般的なやつだ。
食糧とか木とか石とかが登場すると、それだけでわくわくするのだけど。
資源は、建物を造るときに使う。
あと、ときどき起こる決算時に人口分の食糧が必要だ。人口分だけ食糧を支払い、足りなければそれだけ人口が減る。
問題はその先。
災害というのが5種類ある。これはゲーム中に必ず1回ずつ起こる。あとシステム的に、ゲーム中盤以降に集中して発生するようになっている。
食糧が減るとか、人が減るとか、建物が壊れるとか、いろいろ起こる。
これがけっこう、厳しい。
しかも、いつ起こるかわからない。
そして、このゲーム最大の特徴は、勝利点の計算方法だ。
前述したように建物などに勝利点がついているのだけど、その勝利点がそのままもらえるとは限らない。勝利点の上限は「人口×3点」なのだ。
いくら立派な建物がたくさん建っていても、人口が3なら、勝利点は9点にしかならない。
これ、決して極端な話ではなく。悪いタイミングで災害が起きて食糧が減ったりすると、決算で人口が極端に減ってしまったりする。終わってみたら3人しか残ってないなどということが、本当に起こる。
災害のタイミングは、ある程度読めるとはいえランダム。決算のタイミングもランダム。そこがすごいというか。悪いタイミングが重なると、本当にひどいことになる。
この厳しさがしかし、なんとも、わたしは好きだ。
小さいメーカーならではという感じがある。
いまどき競りゲーム?というところもそうだし、ともすれば「バランス悪い」といわれてしまいそうな厳しさもそう。日本でいえばゲームマーケットの同人フロアにありそうな気がする(あってほしい)ゲームだ。
この Irongames というメーカー、特にそんなところがあって最近気に入っている。『PAX』も『ペルガメムノン』もそんな感じの、自由なデザインが楽しかった。
服飾業界のメーカーとなり、服を売って稼ぐ。
デザインを手に入れて、必要な材料を買い、作る。作ったらファッションショーに出品する。ファッションショーで高い評価を得るほど、そのコレクションは高く売れる。
ゲームシステムは、いわゆるワーカープレイスメントだ。ワーカーコマをボード上のアクションに置き、それを実行する。個人的には久しぶりに遊んだ感のある、素直なワーカープレイスメントなのだ。
アクションはだいたい次のようなものがある。
基本的にはデザインを手に入れて、必要な材料を買ってきて服を作る。しかし、それだけではなかなか利益が出ない。そこで、外注契約、施設、社員の能力をつかう。
これ、3種類あるのがおもしろいのだけど、要するに特殊能力を持ったカードだ。種類が違うのは、少しづつ用途が違うから。
外注契約は1シーズン(3ヶ月)しか効果が続かない使い捨て。施設は建設にお金がかかり、毎月の維持費もかかる。人は建設費がかからないが、維持費はかかる。
はじめは、服を作ってショーに出展しても赤字だ。だから、銀行で借金したりもする。しかし、いろいろな効果を積み重ねていくと、だんだんと黒字になっていく。拡大再生産の楽しさがある。
ワーカープレイスメントと拡大再生産というわけで、なんかこう、こういう素直なゲームやるとやっぱり楽しかったりする。
ゲームルールはきれいに整理されているとはいいがたい。聞くところによると、旧版はもっと遊びづらかったらしい。タイルの特殊効果がポーランド語のテキストで書かれていたとか。
わたしが遊んだ新版では、効果はすべてアイコンや図になっていた。とはいえやっぱり、もともとテキストだったものを図に置きかえるのは無理がある。整理整頓されたアイコンとはいいがたく、わかりにくいところがわりとあったりする。旧版の話を聞いて、なるほどと思った。
他にも、細かいルール面や調整でそれはどうなんだろうというところが少し出てきたりもする。
とはいえ、なにしろ枠組みは素直なワーカープレイスメントである。全体の把握自体は難しくない。
ワーカープレイスメントは、じつはこういうゲームに向いているのではないか。そんなことを考えた。
まとめきれていない、完成度の低いコンセプトをまとめてしまう、そういうプロジェクトに向いているのではないか。ワーカープレイスメントのような、強力なフレームワークはそういう風に使うのではないか。
完成度の低さからくる魅力のようなものも、ある。スーパーな職人が作る見事なゲームデザインよりも、若手の熱気にあふれる、しかし完成度をみれば高いとはいえない、そういうゲームのほうが、売れてしまったりする。
もちろん諸刃の剣というか、狙ってやるようなことではないと思うけど。そういう熱は、ともすればゲームを破壊してしまう。でも、強力なフレームワークはそれを防ぐために有効なんじゃないか。
ワーカープレイスメントの亜種はもう腐るほどあるわけなのだけど。じっさいのところは、素直なそのまんまのワーカープレイスメントというのは意外と、思うほど多くない。ワーカープレイスメントだといわれているゲームであっても、じつはけっこうアレンジされていて、やっていることは違ったりする。
そういうのを見ていて、ちょっと思うことがある。
ベテランのゲーム職人が、誇りと技術力をもって本気で練り上げ洗練していくと、ワーカープレイスメントじゃなくなってしまうんじゃないか。
本気の完成度っていうのはそういう面があるんじゃないか。
だって、本当にそのゲームにもっともふさわしいシステムが、既存のものとまったく同じだなんてことがあるだろうか。
これは、最近のデッキゲームムーブメントにもいえることなのだろうけど。
逆に、そこまで磨き上げられていないのならば、むしろ既存の強力な枠組みに乗せられたことが結果的に正解になったりするんじゃないか。
(これはデザイナーじゃなく、ユーザの視点からの話だ。デザイナーはそんなこと考えていない。作りたいから作るだけだろう)
プレタポルテはおもしろい。でも、どこか整理されていない感がある。決して破綻しているわけではないのだけど。
素直なワーカープレイスメントのおもしろさと、ルールの微妙な乱雑さを許容しても作ってしまった熱量。それが素直におもしろい。そんな風に感じた。
ゲルツのおなじみロンデル作品。
とりあえず比べたくなるのは『古代』なのだけど。とはいえ、共通点はロンデルくらいのもので、他はだいぶ違う。
大航海時代の話だ。リスボンからスタートして、喜望峰を回りインド洋を抜けて長崎までいく。船を造り、途中の各地に植民地を作り、そこから収入を得る。
ロンデルというのは、このゲームで使われているアクション選択システムのことだ。
丸い円形にアクションが並んでいる。「航海」とか「造船」とか「植民地」とか、そういうアクションだ。その上に、自分のコマを置くことでアクションをおこなう。
次のターンには別のアクションを選ぶわけなのだけど、このときルールがあって、プレイヤーのコマは時計回りに3歩まで動かせる。
これだけのことだ。ようは同じアクションを何度も連発できないようになっているということなんだけど。でも、そのことをじつに簡潔に表現されている。このシステムがとてもいい。ゲルツという人は、デビュー作『古代』以来こればっかり作っている。
なので、そのフレームワーク部分は、古代をやったことがあれば説明不要。そういうゲームだ。
あとは、その各アクションに組みこまれたゲームの実装部分がどうなっているかという話。
古代と大きく違うのは、戦争がないところだ。大航海時代の話であり、戦争の時代の話ではないから。
やることは大きく分けて2つ。自国に工場やら教会やらを建てることと、航海を進めて植民地を作ること。
船を進めて未開の土地を見つければ「探検家コマ」が手に入る。他に、お金を使って植民地を建造したり、工場を建てたり、教会や造船所を建てたりする。
で、それらが最終的に得点になる。そのとき使うのが、→のプレイヤーボード。
これはなにかというと、たとえば植民地が1個何点なのかを表している。なんと身も蓋もない。
植民地(緑)は最初、1個1点だ。それが「恩恵」アクションをやることで倍率が上がっていく。
左から、植民地、工場、探検家コマ、造船所、教会となっている。それぞれに、対応するコマが1個何点なのかを示している。
じつのところ、植民地や未開の海の探検というのは、得点手段のひとつでしかない。航海しなくても工場と教会だけで勝てたりもする。
おおむね、なにをやってもお金と勝利点が入るようになっている。意外となにをやっていてもどうにかなる。こういう調整、最近流行りだろうか?
かなり安定度が高いゲームだ。やった人はだいたいおもしろいというだろう。
でも、ちょっと思うのは、けっきょくなにをやってもどうにかなるってのはどうなんだろうというあたり。
だからこそ、初プレイで2時間近くかかってもたいていの人がおもしろいといってくれるだろうと思うのだけど。
このゲーム、航海を一度もせずに工場を建て続けても、航海をやり続けても僅差で終わる。大差がついて脱落するということが少ないのだ。
それってどこか、ゲームに遊ばされてる感があったりしないだろうか。
いやふつうなら「バランスがいい」と褒めるところなのだろうけど。バランスというのは、ゲームのユーザが使う中でもかなり身勝手な言葉のひとつで。その内実にはいろいろあるだろう。
みたいなことをちょっと感じたりもするのだけど。最近の流行って気もする。
おもしろさは間違いない。そこはやっぱり、同じシステムを作り続けた熟練度なんだろうか。やっぱりロンデルがいい。
この安定感は、近ごろやったゲームの中で群を抜いている。
いま世界中で数多く登場してるデッキゲーム。ペルガメムノンは、その中でもかなりの異端だ。
各プレイヤーはデッキを持っていて、そこから手札を引く。このゲームでは、手札は兵士とモンスターだ。手札を使って、場に並んでいるカードを購入する。
ちなみに、コインではなくて「カリスマ」。より高いカリスマがあれば、より強い兵士やモンスターを従えることができる。
用語こそ違えど、そのへんはまさに一般的なデッキゲーム。なのだけど。ヘンなのはここからだ。
手番がきたら、上記の購入かまたは「攻撃」をする。
これがもう、ふつうに他のプレイヤーを指定して攻撃するという、時代に逆行した攻撃だ。
両軍は1枚ずつのカードを出して戦う。各カードには、攻撃方法と攻撃力と、各攻撃に対する防御力が書かれている。剣を防ぐには兜、槍を防ぐには胸当て、弓を防ぐには盾という感じになっている。これが全部カードに書いてあるので、カード1枚の情報量はけっこう多い。
防御に成功したら反撃ということで、今度は防御側がカードを出したりする。
そんな戦闘の結果、勝ったほうは、負けたほうが戦闘に使ったカードを奪い自分のものとする。
じつに素直な殴り合い。勝者は得る。敗者は失う。
人間の本能に即した殴り合いではあるのだけど、でも、近代ボードゲームの多くが否定してきたメカニクスでもある。
こんなものがデッキゲームで成立するのか。そう思うのは当然だろう。
しかも。戦闘に勝つと、そのプレイヤーの手番がくる。
1ラウンド中に同じ相手を2回攻撃することはできないのだけど、それにしても、戦闘に勝ち続けると何度も手番をやれる。ひどい。
なんでドミニオンが直接攻撃を採用しなかったのかとか、考えたことないのかと。ドミニオンではじまったところのデッキゲームムーブメントの中でも、直接攻撃を採用して成功した例はひとつもないだろう。
……といいたいところなのだが、このゲーム。たぶんそのあたりのことをわかった上で作られている。あえて殴り合いのゲームにしたんじゃないかと、少し思わせるところがある。
戦闘に負けるとカードが奪われるのだけど、そのとき失うのは、戦闘で負けたカードだ。戦闘に負けるのだから弱いカードなんである。
デッキゲームで、弱いカードをとりのぞく効果(「圧縮」などと呼ばれる)がいかに強いかは、ドミニオンを見てもわかるとおり。
つまり、負ければたしかにカードを失うのだけど、じつはそれは損失ばかりでもない。
というようなところで、正当化できそうな感じがするんである。
じっさいにそうかというと怪しいんだけど……。
なんといってもテーマがいい。
このゲーム、初期デッキがプレイヤーによって違う。
例えば、ハンニバルが率いるカルタゴデッキとか、クセルクセスが率いるペルシャデッキとか。アガメムノンが率いるギリシャデッキには、やたらと攻撃力の高いヘラクレスなんてカードが入っていたりする。
そしてなぜか、中央のサプライにはモンスターが並ぶ。ミノタウロスとか、メデューサとか、スフィンクスとか。
いや時代の違う人たちがてきとうに混じってるし、モンスターとか関係ないし。なんともいいかげんだ。でもそこがいい。
でじっさいのところどうなのかというと、とても怪しい。成立してるのかしてないのか、きわどいところにいるゲームだ。
デッキゲーにあえて直接攻撃を入れて、しかもそこに特化してみた、意欲的な実験作……と思っている。のだけど、どうなんだろうこれ。
ダウンタイムは長いし。攻撃を受け続ければ、手番が1度も回ってこないままゲームが終わる場合さえありうるし。かなりめちゃくちゃなバランスとはいえる。
でもなんか、けっこう嫌いじゃない。
大きな欠点があるだろうけど、いちおうエクスキューズがあるし、あとそれで埋めきれない部分はテーマでなんとか補っている。って感じなのか。
この危うさがいい。
かなりのミュータントだ。デッキゲームムーブメントの中からしか生まれてこなかっただろう、ヘンなゲームのひとつである。
ただ、いわゆる「ドミニオンクローン」ではない。それだけはたしかだ。
意欲作というか、気概を感じるというか。こういうの嫌いじゃない。
あなたは魔法使いの一人となり、王国一の魔法使いを目指します。
魔力の源となるマナを調合し、使い魔を召喚しましょう。大きな魔力を手にすれば、巨大なトロルさえ操ることができます。 より強い使い魔を操り、ライバルたちよりも大きな名声を手にした魔法使いは、王国一の大魔法使いとして後世まで語り継がれることになるでしょう。 |
『トロルマスター』では、短いプレイ時間の中で、毎回違う戦略と、他のプレイヤーとの駆け引き、運などが体験できます。
この国の魔法使いの象徴といえば、使い魔です。大小さまざまな使い魔が召喚され、魔法使いに使役されています。中でも巨大なトロルや珍しいユニコーンなどは、偉大な魔法使いのステータスです。
箱には22種類の使い魔カードが入っていますが、1回のゲームではそのうち10種類しか使いません。そのため、毎回違う展開が楽しめます。
10種類の使い魔カードを選ぶためのランダマイザが、WEB上に用意されています。
ルールブックの誤記について
ルールブックの誤りと記述漏れについて、ご指摘をいただいた箇所を修正しています。上記からダウンロードできるPDF版は、誤りが修正されています。
FAQは随時追加します。
カタカナ2文字とかね。さっぱり検索できないし。
いろんなかたちのタイルがある。これを、自分のボードに全部置ききったら勝ち。たいへんわかりやすい。
手番がきたらサイコロを3個振る。この3個を自由に使って、アクションをやる。タイルに数字が書かれているので、合計でその数字ちょうどになるようにサイコロをつかえば、そのタイルを配置できる。
たとえば、3の目と6の目をつかって、9のタイルを置く。
自分のボードは狭いので、タイルは積み重ねないと置ききれない。でも下に隙間ができるような重ねかたはできないというわけで、パズル的な要素もある。
厚さ3mmの厚いタイルを積み重ねていく過程は、視覚的にも単純に楽しいわけだけど。
5、10、1、11の目は特別で、この数字が書かれたタイルはない。その代わり、場からチットを獲得することができる。5は「ストッパー」1枚、10は2枚。1はボーナスチップ1枚、11で2枚だ。
手番にストッパーを1枚つかうと、相手プレイヤーのボードに積まれたタイルを破壊できる(その場合も、タイルの数字ぶんのサイコロをつかう)。ストッパーを一度に2枚つかえば、破壊した上さらに、同じ数字のタイルを自分のボードに乗せることができる。
ボーナスチットは、使用することでサイコロの目に+1できる。これも強い。
このチットのルールが意外といい。
ゲーム終盤になると手持ちのタイルがなくなっていくので、サイコロの出目に「ハズレ」が増える。チットをとれるこのルールがないと、することがなくなってしまう、というのがひとつ。もうひとつは、これによって自然に、終盤になるほどストッパーが使われ、逆転が発生しやすいというところ。
タイルを置く序盤から、ストッパーで攻撃しあう終盤へ。ゲームの起承転結がすっきりと表現されている。
なにげにスマートなルールだ。
タイルの構成もおもしろい。
タイルはそれぞれ2枚ずつある。一番大きいタイルは3×4の大きさで、数字も大きく12。ボードの半分以上を覆ってしまう大きさだ。これをうまく置けるかどうかが、ポイントのひとつになる。
基本的には、面積どおりの数字が書いてあるのだ。9なら、3×3。8は2×4。
ただひとつ、例外がある。それが、一番小さい1×1のタイルだ。このタイル、書かれている数字が7なのである。
サイコロは6の目までしかないのだから、7を置くためにはサイコロを2個つかわなければならない。もちろん1マスのタイルなんかいつでも置けるのだけど、その代わり、サイコロ2個をつかわなければならない。
この7のタイルの特殊さがしびれる。
序盤は大きいタイルを置いたほうが有利なのはもちろんで、12などを最初に置けたプレイヤーは有利になる。しかし、それが理想的にうまくいってしまうと、最後に残るのは7が2枚だ。ボーナスチットがなければ、あと2ラウンドかかってしまう。
その間に、うまくタイルを置けていないプレイヤーがストッパーでジャマをしてくる。タイルを置けていないということは、チットを持っていることが多いのだ。
そういうストーリーを用意してあるんである。ゲームシステムが用意した、起承転結だ。
5、10、1、11、そして7を特殊な扱いにしたこと。それが、ゲームデザインの仕事だ。
まあ、その面積のタイルが作れないという話もあるだろうけど。
じっさいのとこ、だいたいのプレイ感は「まあまあ」というところだろうなーと思う。テーマのないアブストラクトだし、コンポーネントに派手さもない。地味なゲームだ。
でもよくできてる。じつはわりと感心した。
なんかドイツ年間ゲーム大賞を獲ったということで。
だからってどんなすごいゲームかっつーとそんな印象でもないんだけど、まあしかし、さすがにちゃんと楽しめる。って感じ。
あとどうやらアメリカでは2006年に出ていたんだけど、ドイツで出回ったのは去年だったから今回の受賞、みたいな微妙なところがあったりもするらしい。
6色×6種類の形で、36種類のタイルが入っている。木のでかいタイルだ。この豪華さはいい。
これを袋から引いて、手札を作る。
手番がきたら、手札から何枚か選んで場に出す。このときの出しかたがいろいろある。
ひとつの列は必ず、同じかたちか同じ色で構成されていなければならない。同じかたちの列の中では、同じ色のタイルがあってはならない。同じ色の列の中では、同じかたちのタイルがあってはならない。
1列の枚数は最大6枚までということになる。
で、このタイルを置くたびに得点が入る。列の2枚目を置いたら2点、5枚目を置いたら5点だ。6枚目を置いた場合は特別に、さらに6点のボーナスがついて12点入る。
ちょっとめんどくさいのは、得点を記録する方法が用意されてないところ。箱に入っているのはタイルだけだ。得点はメモ用紙とペンでも用意して、自分で記録しないといけない。
タイルが全部なくなるまでこれをくりかえして、一番得点の高いプレイヤーの勝ち。
タイルは袋からランダムで引くので、列が長くなればなるほど、それを引ける確率は低い。理屈でいえば、5枚目よりも6枚目のほうが2倍難しい。そういう数学的にしっかりした作りになっている感がある。
あと、1枚のタイルでも色で使うか形で使うかという選択がつねにあり、また盤面の展開も刻一刻と変わっていく。
そう、たしかによくてきている。
大賞にふさわしいというほどすごい印象はあまりないにせよ……、まあ、毎年そんなすごいゲームが出るわけでもないし、いろんな意図がある賞だということはとっくにわかってるわけではある。
今回のドイツ年間ゲーム大賞は、エキスパートゲーム大賞を新設した。そちらを受賞したのは『世界の七不思議』だ。あれがエキスパート向けなのかと考えるといろいろあるが、世界の七不思議の受賞自体はわりと素直に納得している。
もしもエキスパートゲーム大賞がなかったら。たぶん世界の七不思議がドイツ年間ゲーム大賞だったんだろう。
クゥワークルはたしかにいいゲームだけど、毎年そんなすごいゲームが2本も出るわけではない、ってところなのかなあ。来年どうなるのかという感じ。