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ボードゲーム
 ボードゲーム

 ボードゲームの紹介です。もちろんドイツ製が中心。
 ゲームのデータは公式ではなく、執筆者の主観です。てらしまはけっこう考えるスタイルのようなので、特にプレイ時間は長めになっています。でもメンツによって違うわね。

to.jpgボードゲーム記事一覧

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2006/01/13 20:30

ドラゴンランド
 ボードゲーム

2003.11.24 てらしま
ドラゴンランド
Ravwnsburger
Reiner Knizia
3-4人(最適4人)
45分

 真骨頂はルールや設定にはないのだが、まずは紹介から。
 ドラゴンの国が天変地異に見舞われ、危機に瀕している。それでドラゴンの王から依頼を受けた、人間、ドワーフ、魔法使い、エルフたちは、卵を救うために大噴火間近の火山地帯にやってきた。
 というストーリーがついている。なんかいいかげんにファンタジーな、いいかげんな設定だ。このゲームの気軽さにはふさわしい。
 ドラゴンは、巣である山の頂上に宝石をためこんでいる。卵を救い出すついでに宝石を集める火事場泥棒が本当の目的。卵と3色の宝石をどれだけたくさん集めたかを競うのである。
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 4つの種族はそれぞれ、3色のコマを1つずつ持っている。コマの色は宝石の色に対応している。緑のコマなら緑の宝石しかとれないわけだ。ゲーム終了時の得点計算では、基本的に宝石か卵1個で1点なのだが、卵と3色の宝石の組み合わせは10点になる。要するに全色均等に集めていかなければまともな得点にはならない。十数個あるドラゴンの巣には卵と宝石の他にイベントタイルが裏向きに置かれていて、それでいろいろいいことが起こる。
 コマの移動をサイコロでやるので、双六(バックギャモンじゃなく、一般的な)みたいなもの。まあ双六よりは全然考える部分が多いが、ゲームの気軽さは変わらない。
 で、ドラゴンの卵を全部救い出したらゲーム終了。簡単なルールだし、獲得した宝石はついたての裏に隠しているので、あまり真剣に考えずにプレイできる。勝利得点を隠すというのは、知らないふりをすることを正当化するための処置なのだ。
 乱数を使う場面が多いのだが、わりとそれより戦略の方が重要だったりして、けっこうきれいにまとまったゲームだと思う。登場するリソースは少なく、自分に与えられた時間をいかに効率よく勝利点に変換していくか、という部分に焦点を絞ったゲームである。
 であるのだが、そんな話はともかく。このゲームの真の主役は別にある。
 それが、その名も『運命の塔』だ。
 ゲームを始める前には、まず厚紙製のこれを組み立てなければならない。名前の通り塔の形をしていて、中には斜めの仕切りがついている。穴の空いた塔の屋上からダイスを投げ入れると、中でガラガラと転がって下から出てくるしくみになっている。
 要するに、ダイスを振るための装置である。
 これが、なんかいいのだ。
 普通にダイスを振ればいいはずなのだ。他のゲームはそうしているんだし、それで特に問題があるわけではない。ゲーム的にはまったく必要のない装置ではないか。それなのに、なぜかこのゲームには『運命の塔』がついてくる。ダイスを振る、ただそれだけの装置が、定価の何割を占めていることだろう。
 まったくの無駄、贅沢品、嗜好品なのだ。しかし人間にはゆとりが必要だというではないか。
 クニツィアのゲームがおもしろいのは、ゲームもよく作りこんであるが、その上にどこか、こういう遊びが入っているところ。例えば、ラーのラー駒や指輪物語のサウロン駒。
 そうしたクニツィアらしさの極めつけはチグリス・ユーフラテスだと思う。得点を秘密にしたいなら、普通ならカードを使う。しかし、そこをあえて木製のチットを使い、隠すためにはついたてを用意した。タイルをランダムで引くためには布の袋を用意した。2つの木製駒を合体させて使うモニュメント駒などは、ただ見ているだけでも楽しい。
 そういうこだわりが、クニツィアのゲームにはある。カードではなく厚紙のタイルを使う。プラスチックや木製のチットが箱の中にザラザラと入っている。よくあるぺらぺらの紙束なんか、絶対に使わない。
 理由はたぶん「その方が楽しいから」だろう。そのため、箱から出して飾っておきたくなるような美しさを持っている。
 箱を開けるときにはいつも、なんとなく気分が踊るものだが、クニツィアのゲームではそれが特に強い。開けてからも「早くプレイしたい」という気持ちがどんどん強まる。
 人間は本能的に、こういう立体物に弱いんだと思う。
 ボードゲームと気どってみたって、要するに遊びである。人生には必ずしも必要のない、もともとが嗜好品なのだ。ならば、そこでけちけちしたってしかたないじゃないか。
 そこで、運命の塔だ。これがあるだけで、なんとなくダイスを落としてみたくなる。それだけでもう、このゲームは成功しているのである。気がつくと、カタンに運命の塔を使っていたりする。
 たばこを吸うのと同じ理由でダイスを振ることができる。運命の塔とはそういう装置なのである。
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2006/01/13 20:30

トーレス
 ボードゲーム

2003.12.23 てらしま
トーレス
FX
W.Kramer/M.Kiesling
2-4人(4人)
1.5時間

 箱を空けると、大きな袋に塔の部品がどっさり。まずこれにびっくりする。
 塔の部品はいくつも積み重ねられるようになっている。これを使って、城を高く、大きくしていくゲームだ。
 基本的には、ルールは単純だ。プレイヤーはそれぞれ、騎士コマを持っている。自分の騎士が置かれた城の大きさにしたがって得点が入っていくのだが、この得点の計算方法がいい。単純に「騎士がいる高さ×城の面積」という得点がもらえるのだ。
 同じ城から複数のプレーヤーが得点を得るのだが、とにかく他人より高いところにいれば高い得点が得られるわけで、これはわかりやすいし、単純でいい計算方法だと思った。
「バカと煙は高いところが」とかいうが、それはつまり人間はすべからく高いところが好きなのだという意味でもある。その本能にしたがっていけば得点につながる、いいルールではないか。
 他人のコマがあるところには移動できないし、2段以上高いところにも移動できないというわけで、なかなか簡単にはいかない。でかい城を必死で造っても他人が便乗しにきたりして、やはり簡単ではない。限られた時間と資源でいかに他人よりも多くの得点を稼ぐかというこういうタイプのゲームは、実はあまり得意ではないが嫌いでもない。考えるのは楽しい。
 しかし、「高さ×面積」というこのルールは単純すぎて、それだけではゲームにならなかったのだと思う。
 なんとなく自作ゲームを作ってみようかなーと考えている今日このごろなのだが、そういうことを考えていると、ゲームをプレイするときの見方が変わってしまう。デザイナーの気持ちというか、思考過程がわかってしまうときがあるのだ。
 ルールが単純すぎると、すぐに煮詰まってしまってゲームにならない。ゲームに多様性を持たせるため、ゲームデザイナーがまず考えることは、イベントカードである。つまりイベントカードの存在は、一つのルールの範囲内でゲームをデザインできなった場合の「逃げ」ともいえる。
 トーレスにもイベントカードが存在する。それも、「斜めに移動できる」とか「2段高いところに移動できる」とか、そんな微妙なカードばかり。
 どこか、無理矢理作ったという感をぬぐえないのである。
 ほとんど使い道のないカードもあれば、恐ろしく強いカードもある。基本的には得点を計算し、次の手を読みながらプレイできるゲームだけに、カードの引きが大きく勝敗を分けてしまう。というより、真剣にプレイしたらほとんどのゲームで、強いカードを引いたプレイヤーが勝ってしまうと思う(ちなみに、もう一つの問題のせいで、手番が最初のプレイヤーが勝つこともまずないと思う)。
 積み重ねられる塔のコマはよくできている。得点計算方法もいい。でも、それなのにイベントカードにたよらなければならなかったとすれば、その前にゲームルールを根本から考えなおしてほしかった。
 けっきょく私の総合評価は「イマイチ」だ。塔を重ねるのは楽しいし、なにしろかけ算ゆえ派手な得点の動きも楽しい。でも、真剣に考えても勝てないゲームは、個人的にあまり好きじゃない。
 しかし、例によって「上級ルール」が用意されており、それを使えばカード運に左右される部分はなくなる。でもまだ問題がある。どう考えても手番が遅い方が有利なのである。
 このゲームの前年、同じ作者コンビが作った『ティカル』では(ゲームシステムも似ているので比べてしまう)、上級になると手番を競りで買うというウルトラCで、見事にこの問題を解決して見せた。しかし二番煎じが嫌だったのか、トーレスでは、上級ルールを使っても欠点が埋まりきらない。むしろ、不利な手番のプレイヤーが運に頼って逆転を狙うことができなくなってしまうので、欠点は広がっていると思う。残念。
 とはいえ、一見の価値は充分にある。立体的に発展していく盤面というアイデアには素晴らしいものがあった。私にとっては、まさに見たこともないゲームだった。そのあたりはさすがクラマーというところ。しかし、リソースの種類を絞りこみ、小さくまとめすぎてゲームが煮詰まってしまうあたりもクラマーらしい。
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2006/01/13 20:30

サーガ
 ボードゲーム

2005.8.14 てらしま
サーガ
Uberplay
W.Kramer, H-R.Rosner
2-4人(4人)
1時間

 6個の城があって、そこを攻めるために各プレイヤーは騎士たちの軍団を編成する。
 編成って、ようするに自分の前に騎士カードを並べていく。騎士には6色の色がついていて、一つの部隊に同じ色の騎士は1枚しか入れない。あと、部隊の先頭の騎士の色が攻撃する城の色になる。
 騎士たちは非常に血気盛んで、城を落とせる戦力が整ったとみるやすぐに攻撃を始めてしまう。主であるプレイヤーの命令など待たない。
 そうすると、城カードが攻撃部隊の上に移動する。城は占領され、以後この部隊は城の防衛部隊となるわけである。
 騎士カードの数字の合計がそのまま戦力で、攻撃部隊の戦力が城の防衛部隊の戦力を上回ればすぐに城はそちらに移る。まあ表現していることの意味はわかるのだが、動くのが兵士ではなく城というあたりは少し混乱するなあ。
 で、城にはいろいろと特殊能力がある。ゲーム中に効くものもあれば、終了時に勝利得点を加算するものもある。城を占領している期間が長いほど勝利得点は溜まっていき、終了時に城を持っている場合にも点が入る。というかこの終了時得点の方が普通はずっとでかい。
 終了条件は、誰かの手札が尽きたとき。騎士カードは毎ターン必ず出さなければならないのでいつかは終わるわけだが、防衛部隊が負けると手に帰ってくるのでいろいろ悪さはできる。
 そんな感じで、意外と単純なゲームである。騎士たちが城を攻め、占領すれば点が入る。要はそれだけだ。わかりやすい。
 しかし、どうしたら勝てるかというとこれはちょっとわかりづらい。わたしも始めはさっぱりだった。
 なにしろ、終了時に城を占領していることによる得点が大きい。途中経過はともかく、終了時に多くの城を持っていなければならない。ということはがむしゃらに攻めても意味がないわけで、いつゲームが終わるのか、というかいつ終わらせるのか、いかにそれに合わせて城を攻めるか、というタイミングを見計らいながらやらなきゃならないわけである。
 ちなみに、各プレイヤーに渡される初期手札は決まっている。城の防衛部隊の初期配置に乱数があるが、その後は一度もサイコロを振らない。運に頼れない、考えなきゃならないゲームなのだ。
 城の動きも、始めは目まぐるしいが、次第に落ちついてくる。城の防衛部隊は、所有者が変わるたびに強くなっていくわけで、それを攻略するために必要な戦力はどんどん大きくなっていく。その戦力を整えるために必要なターン数も長くなっていくわけで、つまりだんだんとテンポが落ちていくゲームなのである。
 ということは。中盤にさしかかったあたりで、すでに最終形を見極めながら戦わなければならないのである。
 そのあたりのことが、最初の数回はわからなかった。けっきょく最後に偶然城を持っていた人が勝つだけのゲームじゃないのかと感じたりもしたわけだが、考えてみればそうではないのである。
 つまり、これは城を攻めるゲームではないのである。そうではなくて、いかに自分が有利なタイミングでゲームを終わらせるかというゲームなのだ。
 それに気づかなかったから、始めはよくわからなかったのだ。
 こういう、ゲーム終了タイミングをコントロールしなきゃならないゲームはみんな同じだよね〜、なんてことを前に書いた気がするけど、このゲームをやってそうでもないと思った。タイミングを充分にコントロールでき、しかもそこに特化したこういうデザインならば、これはこれで楽しいじゃないか。
 もちろん、それをやるためには、ゲーム全体の流れに対する感覚とか得点感覚とかが必要で、習熟が必要だ。ルールは難しくないのだが、わたしのように、初回はまるでおもしろさがわからないということも多いだろう。
 でもなんとなくわかってみれば、いろんな城の効果と手札を見比べて戦略を立てる過程は楽しくなってくる。
 ちゃんと考えてやれば、ゲームを「詰ませる」こともできる。こういうゲームは、なにしろ盤面で起こっていることのすべてが自分の思考の結果なのである。他人の行動さえ、すべて考えてしまうことも可能なのだ。だから、勝ったときの充実感が大きい。実に考え甲斐がある。
 ちなみに、6つの城は裏表で別の効果が書かれているので、毎回違う初期配置で遊ぶことができる。何度もやってみたくなる、そんな工夫もいい。
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2006/01/13 20:30

ティカル
 ボードゲーム

2003.12.9 てらしま
ティカル
Ravensburger
M.Kiesling/W.Kramer
2-4人(4人)
3時間(上級5時間)

 まず、とにかくボードが美しい。うっそうとした森林が描かれたボードにタイルを置いていくことで、光が灯るように古代遺跡の全貌が明らかになっていく、この過程のビジュアルは芸術的だ。
 私はこれまで、ティカルほど美しいゲームを見たことがない。
 実はこのゲーム、私が初めて自分で買ったゲームである。なんといったって、ゲームを買って最初に見るのは箱。次はボードだ。この部分の見た目を、まず評価する。そういう意味で、私は幸運だった。
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 鬱蒼とした密林が広がるティカル遺跡に、4つの探検隊がやってきた。彼らが、いかに多くの財宝や遺跡を発見するかを競うという内容。先にも書いたが、始め、ボード上にはただ一面に広がる密林が描かれている。その上にタイルを置くことで、そこに道や遺跡が発見されていくのである。
 密林を探検して遺跡を発見していく、雰囲気が充分に出ている。眺めているだけで楽しくなってくるゲームだ。
 ルールの方は、比較的乱数が少ない、高度に戦略的なプレイが要求されるものだ。毎ターン、10AP(アクションポイント)を使って隊員を移動し、財宝を掘り、遺跡を発掘する。乱数要素はめくられるタイルだけだし、それもカウンティングが容易なので、常にある程度先を読んで行動する必要がある。
 ただでさえ頭を使い、疲れるゲームなのだが、さらに。このゲームには「上級ルール」が用意されているのである。
 この上級ルールが恐ろしい。これまでは時計回りに回っていた手番順が、今度は毎ラウンドの競りで決定されるのだ。しかも、競りに使うのは勝利得点。「勝利点を使って手番を買う」? なにかの冗談のようだ。
 上級ルールではさらに乱数要素が減り、ほとんどなくなってしまう。ほぼ完全にすべてを考えることができるようになってしまう。
 考えられるところは考えたくなってしまうのがプレイヤーというもの。いくらでこの手番を競り落としたとして、できることはなにか。その場合、敵はどんな行動をとるか。そういったことのすべてを考えてから入札価格を決定しなければゲームにならない。
 時間もかかり、恐ろしく疲れるのだが、これはとても楽しいのである。通常のルールに慣れてきたら、ぜひやってみてほしい。
 
 さて、しかし、こうなると考えてしまうことがある。
 2人でプレイする、乱数を振らない、情報が完全に公開されたゲームの場合、ゲーム開始時点ですでに勝敗は決している。もっともこれは2人のプレイヤーが互いに無限手先まで読み切れる神さまだった場合の話。現実には、チェスはまだ充分人間のプレイするゲームとして成り立っているし、スーパーコンピュータのディープブルーだって、けっきょくは人間の領域を超えられなかった。
 2人だったら、先手勝ち(神さま同士が対戦すれば必ず先手が勝つ)か後手勝ちか、引き分けかの3種類になる。これはゲームがデザインされた瞬間に決まっているものである。理系的な考え方をできる人間には、これは自明だ。
 ところで、3人以上でプレイするマルチゲームだったらどうなのだろう。
 これは難しい問題だ。もちろん、適切にデザインされていないゲームなら、「1番手勝ち」「3番手勝ち」「引き分け」ということもあるだろう。他人を妨害する手段がないゲームなら必ずそうなる。だが、なんらかの手段で他人を妨害することができる場合はどうなのだろう。
 2人の場合、相手を攻撃することはすなわち自分の勝利に直接つながる。しかし3人以上だと、自分が誰かを攻撃している間に他の誰かが得点を伸ばしてしまう。たとえ神さまがプレイヤーだとしても、マルチゲームを完全に解析することは不可能なのではないか。
 以前、そんなことを考えていたことがある。無限手先まで読み切り、最善の選択をし続ける人間同士がマルチゲームをやったらどうなるのだろう。
 いろいろ考えた末、出た答えは極めて簡単だった。
「勝利の可能性を失ったプレイヤーが勝者を決める」のである。
 今、あなたが勝利の可能性を失ったとする。残りのプレイヤー全員にはまだ勝利の可能性が残っている。ここで、あなたはどういう選択をするべきか。
 この問いに答えはない。すでに目的を失っているのだから、どんな行動をとったとしても責められるべきものではないのだ。理想的な解答はひょっとしたら「他のプレイヤー全員を刺し殺す」かもしれない。
 人の道を踏み外したくない場合は、やはりゲームを続けなければならないことになる。プレイヤー全員が無限手先までを読み切っているなら、答えは一つ。パスしようがなにをしようが、あなたの選択が勝者を決めてしまうのである。
 気づいてみれば簡単なこと。マルチゲームをやっているとよくあるシチュエーションではないか。
 長々とそんなことを書いたのは、ティカルがそういうゲームだからだ。特に上級ルールでは、必ずそういう展開になるといっていい。どの時点での誰の選択が勝者を決定したのか、明確にわかってしまうことも多い。
 これはマルチゲームの、というより多人数で人間同士が競い合う場合の宿命だ。とはいえ、負けている人間のせいで自分が負けたとなれば腹が立つ。ゲームは楽しむためにやっているのに、喧嘩になりかねない。
 本来ならマルチゲームすべてがそうなのだが、ティカルの場合は特に、そういうことを理解してプレイした方がいい。
 美しいボードで質の高いゲームをプレイすることの喜びというかなんというか、そういうものをじっくりと味わえる傑作である。なんだか最近は見なくなってしまった、大賞にふさわしい貫禄を持つドイツゲーム大賞受賞ゲームなんではないか。
to.jpgタイルリスト
 がないと上級ルールはプレイできないと思うんだけど、htmlだけじゃ6角形を書けませんや。上級をやるときは自分で準備しましょう。
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2006/01/13 20:30

エボ
 ボードゲーム

2004.10.20 てらしま
エボ
Euro,Descartes
P.Keyaets
3-5人(4-5人)
2時間

 恐竜が進化しながら生存競争していくゲーム。なんかそういうの好き。
 ラウンド開始時に進化パーツの競りをする。そして舞台である島に繁殖したり敵と戦ったりして得点を増やしていく。だんだん接近してくる隕石がついに地球に到達したらゲーム終了、という、バカゲーだ。
 進化のしかたは、パラソル、毛皮、角、足、尻尾、あと遺伝子とイベントカードの7種類。
 ラウンドごとに気温が変化し、毛皮は寒いときに適応しやすく、パラソルは暑いときに適応しやすい。角は戦闘に激しく強くなる。足は移動できる歩数が増える。尻尾は、各ラウンドの手番が早くなる。遺伝子は競りのときに支払う金額が安くなる。
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 おもしろいのは、自分の恐竜を絵で表すことができるできるところだ。つまり写真のように進化していくのである。見ればわかると思うが、足をたくさん買えばたくさん足のある恐竜になるし、毛皮をたくさん買うと毛だらけの恐竜になるのだ。
 まあバカゲーなので、ゲームとしていいかというと微妙だが、そんなところに期待はしていない。
 基本的に、差がつき始めると逆転できなくなるゲームだが、隕石はけっこうすぐに接近してくるのでさほどだるくはない。それでいいのだと思う。なかなか終わらないバカゲーほど苦痛なものはないのだが、このゲーム、そのあたりはクリアしている。バカゲーはしょせんバカゲー。ゲームバランスをしっかり調整してあるのでなければ、ゲーム全体を通して飽きさせないつくりになっていなければならない。常に新たな(笑える)状況を登場させるか、でなければ一発ネタの余韻が醒めないうちに終わってしまうしかない。
 このゲームの場合は「一発ネタモノ」なのだが、飽きないうちに終わってくれる。バカゲーとしては優秀な方といえる。
 競りゲーなのでバランスがとれそうなものだが、実はそうでもない。競りゲーの欠点は、トップに立ったプレイヤーがさらに競りに高く張れてしまうというところ。このゲームのように勝利点を直接競りに使うゲームの場合、トッププレイヤーは「ここまでなら張ってもトップを維持できるライン」を計算でき、下位のプレイヤーはそれを超えてビッドしなければならないが、それをやったプレイヤーは負けが決定してしまう。しかも、それでトッププレイヤーをたたき落とせるわけではない。つまり、詰んでしまうのである。
『メディチ』などはそのせいで大きくゲーム性を崩してしまっている。エボではその上、競りで支払う金額を下げる「寄生虫」という要素があり、そのせいで(トップはたいていこれを持っているので)、中盤以降での逆転が非常に難しいゲームになってしまっているのだ。
 と、ゲームとしては大きな問題点もあるのだが、バランスという意味では許容範囲内だ。1番手必勝とかそういうことではないのだし、序盤から考えていけば対策のしようはある。運に頼って逆転を狙う場面も(少ないが)なくはない。
 まあでも、自分の恐竜が視覚的に進化していくのを眺めて笑うゲームかな。それでいいじゃん。悪くないと思う。わたしはこういう進化系ゲーム、好きだし。
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2006/01/13 20:30

クク(カンビオ)
 ボードゲーム

2004.11.15 てらしま
クク(カンビオ)
グランペールプロジェクト
作者不詳
2〜38人(マニュアルによれば、最適は6〜12人)
?分

 とりあえず、全員に1枚ずつカードが配られる。1枚である。
 プレイヤーは自分のカードを見て、そのカードが全体でもっとも弱いカードであるかどうかを考える。というのはこのゲーム、もっとも弱いカードを持っていたプレイヤーは負けとなるが、そうでなければ、いくら強くても関係ないのである。
 さて、カードには15から−4までの数字が書かれており、これは数字が大きい方が強い。−3だの−2だのを渡されてしまったら、これはもうピンチである。
 ちなみに、−3は「ライオン」、−2は「お面」、−1は「バケツ」なのだが、この意味はよくわからない。
 反時計回りに手番が進んでいき、自分の番が回ってきたら、下家とカードを「チェンジ」するかそのまま「ホールド」するかのいずれかを選択できる。交換を要求されたら、基本的には、いわれるままに応じなければならない。
 で、これを一周やって、最後にディーラーが山札を相手に同様のプレイをおこない、全員のカードを公開する。そこでもっとも弱いカードを持っていたプレイヤーが、そのディールの敗者となる。
 ただし、ちょっとした特殊効果を持つカードがある。まあ全部書こうか。
 
15 クク 他人の手番中に、突然「クク!」と宣言できる。そうすると交換はそこでストップし、全員の手札を公開させてディールを終わらせる。15は一番強いので、つまりこれを宣言してしまえば普通負けない。
14 人間 チェンジを要求されたら、要求したプレイヤーを失格にする。
13 馬 チェンジを要求されたら、そのチェンジの対象を一つ下家に変更できる。
12 猫 チェンジを要求されたら、要求したプレイヤーが持っているカードをもともと持っていたプレイヤーが失格になる。
11 家 馬と同じ
−4 道化師 交換で道化師を受けとったプレイヤーは失格になる。ホールドすれば最弱なのでもちろんチェンジ
 
「失格」というのは、そのディールの敗者と同じ扱いになる。要するに、チェンジにはリスクがあるのだ。
 ちなみに、名前がついているカードは、ここにあげた特殊効果を持つものとマイナスのカードだけ。かなり長い歴史を持つというこのゲーム、いろいろな紆余曲折を経てきたようだが、最終的には、ゲームをくり返す上で言葉が必要な部分に自然に言葉があてられたのだろう。
 そういう、歴史を感じさせるようなそうでもないような、妙に雰囲気を持っているゲームだ。
 単純なゲームである。しかも、プレイヤーにはそれほどすることがあるわけでもない。
 配られるカードはたった一枚。できることは、チェンジするかしないか。それだけ。
 一度やればすぐにわかるが、例えばだ。
 
 配られてきたカードは「ライオン」→もちろんチェンジ→人間に撃たれて失格
 
 なんてことはしょっちゅう起こる。この場合は選択肢すらなく負けているのだ。
 そんなゲームなのである。こんなゲームがおもしろいか?
 いや、わたしはけっこう好きである。
 その理由は、上にも書いた「歴史を感じさせる」ようなところにあるのかもしれないが、よくわからない。でもなにか、妙にうきうきさせるなにかを、このカードは持っている。
 歴史のあるゲームにはよくあるのだが、このゲームも、チップを配って、それを奪い合うという形式になっている(チップはついてこない)。
 もちろん、昔は金を賭けてやっていたという意味である。
 博打は短いゲームをくり返し遊ぶもので、そのためには、プレイヤーを熱くさせるなにかが備わっていなければならない。でなければ、負けたプレイヤーはすぐに席を立ってしまい、ゲームが続かない。
 実際は正しい選択肢などなかったにも関わらず「あのときああすればよかった」と思わせるところがなければ、ゲームは長生きしないと思う。それこそ破産しても続けてしまう中毒性のある博打ゲームというのは、人間の本能を刺激するなにかを、誰も知らない黄金律で持っている、奇跡的なゲームのことだ。
 このゲームにはそれが備わっているということだろう。
 進化論と同じ議論である。利己的遺伝子が意志を持っているわけではないのと同じように、このゲームも、始めに天才ゲームデザイナーがすべて計算ずくでデザインしたというわけではないだろう。なにがおもしろいのかはわからないが、ともかくこれで博打をやるとおもしろい。無数にあるさまざまなゲームの中で、このゲームは偶然、なにかを持っていたから生き残ったのだ。
 新作ゲームをやっても決して感じられない「意図されていない楽しさ」というようなものがある、そんなゲームなのである。  話は違うが、そういやあ、カタンのおもしろさもそういうものだったんじゃないかなあ。
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2006/01/13 20:30

ラッツィア
 ボードゲーム

2004.3.21 てらしま
ラッツィア
Ravensburger
Stefan Dorra
3-8人(5-8人)
40分

 1992年ゲーム大賞ノミネート。けっこう好きなゲームだ。
 6色の賭場があり、博打打ちと警官たちがしのぎを削っている。プレイヤーは配られた手札の中からギャンブラーか警官(カードに色がついており、どこの賭場にいくかも同時に決まる)を裏向きに出し、同時に開ける。警官は同じ賭場に博打打ちがいれば、賭場に置かれた金を押収できる。賭場に博打打ちしかいなければ、博打打ちが金をとる。
 6つの賭場それぞれについて、この金のとり合いを解決していく。似たようなゲームといえば『貴族の務め』があるが、配られる手札がランダムという部分が違う。
『貴族の務め』では、相手の手札がすべて知れている。また、賭場(じゃないが)も2つしかなかったから、もっと純粋な駆け引きだったわけではある。
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 このゲームは、『貴族の務め』の2年後に発売されたゲームだ。貴族に飽きてきて、もっと大人数で長く楽しめるゲームを求めていたころ、だったんじゃないかと想像する。ルールはかなり似ているから、二番煎じといえばそのとおりなのだが、より深くなっている改良版といえるのじゃないか。
 手札の引きに乱数があるのは賛否両論かもしれないが、このゲームの場合、均等な引きならもちろん選択肢が増えるからいいし、偏ったらそれはそれで戦略がある。運はあるが戦略でカバーできる、いいバランスのゲームだと思うのだ。やはり、どこかに運のせいにできる部分がないと疲れるし。
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2006/01/13 20:30

エルフェンランド
 ボードゲーム

2004.3.21 てらしま
エルフェンランド
Amigo
Alan R. Moon
2-6人(4-6人?)
1.5時間

 丸くて転がってしまうコマが不評だけど、1998年ドイツゲーム大賞受賞作品。
 マップ上にはいろいろな地形のルートで街が結ばれている。でまず、そのルート上に移動手段タイルを順番に置いていく。移動手段はドラゴンとかユニコーンとかイノシシとかがあるのだが、それぞれの乗り物には得意な地形や不得手な地形があるので、考えながら置かなければならない。しかもそのあとの移動フェイズでは、手札から該当する乗り物カードを出さなければならなかったりもするので、運の要素もけっこうある。というか、タイルと手札で2重にある。
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 4ラウンドでいかにたくさんの街を訪れることができるかを競うのが目的。20の街にそれぞれ彼女がいて、何人の女性に会いにいけるかを競うのだという解釈が一般的。
 実際、運のいい人が勝つのは間違いないのだ。タイルの配置が終わればあとは他人との関わりもなく、それぞれに手札を使って移動するだけ。慣れればみんな賢明な移動を考えられるようになるので、あとはタイルと手札の引き次第になるような気はする。
 一応、各プレイヤーに1枚ずつ、妨害タイルなるものを渡されている。ルート上にこれを置くと、そこを通るのに必要なカードの枚数が1枚増えるのだ。これが非常に強力で、このために通過がほぼ不可能になってしまうことが多い。
 見かけよりもずっと要素が少なく、目的も明確。わかりやすくていいのではあるのだが、これは、強力な妨害を受けると確実に勝利から遠ざかってしまうということを意味する。だから妨害を受けにくいように駆け引きしながら、時には他人と助け合ってルートを確保していくというようなゲームだ。
 ただ実は、そんな駆け引きなどせず我が道を邁進していた人が、妨害も受けず勝ってしまうことが多い。
 目的が明確、妨害手段もはっきりした効果を顕すため、一度の妨害で何点の勝利ポイントが引かれたかわかってしまう。つまり、ゲームに使用されるリソースが少なすぎて、何度もやると飽きてきそうな感じではある。
 でもまあ、とりあえず、ドラゴンやらユニコーンやらの背に乗って世界を回るのは楽しい。カードやボードの絵もきれい。雰囲気がいいゲームである。
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ボードゲームを