タイトルに「Empires」と入っていると、とりあえず重そう。そして、おもしろそうだ。
これはまさに、そんな期待どおりの内容になっている。
ワーカープレイスメントだ。そして、いわゆる「エリアマジョリティ」などの要素も含まれている。
ワーカープレイスメントとエリアマジョリティ。このコンボである。重くないわけがない。
ちなみに、エリアマジョリティというのを説明しておくと。
地図上にコマを配置していく。得点計算時に、各エリアについて、配置しているコマの多寡を比べる。その結果「1位は○点、2位は△点」というように得点が加算される。そんなシステムだ。
あえてどちらかといえば、ゲーマー向けといえるだろう。囲碁のように盤面全体を見て、どこにコマを置くのか、どこで手を抜くのかと考える必要がある。
エリアマジョリティを採用したゲームには、忘れられない名作がいくつもある。代表的なゲームは、エルグランデ、王と枢機卿など。だろうか。
ところで、同じようにワーカープレイスメントとエリアマジョリティを組み合わせたゲームとしては「Age of EmpiresⅢ」が思い出される。そういえばあれも「Empires」だったりする。
なにかこう、タイトルにEmpiresを入れたらこんな感じという、不文律のようなモノを感じる。そしてそれはなぜか、我々ユーザにも共有されている気もする。
重くて、エリアマジョリティで、最近のトレンドでいえばワーカープレイスメントを採用していそう。なのだ。
しかし、ただのワーカープレイスメントではない。
ワーカープレイスメントは完成されすぎていて、素直に採用すると過去のゲームと同じになってしまう。そして、それで間違いなくおもしろい。そういうシステムだ。もちろん、だからこそ素直に採用する手もあるだろうけれど、あえて少し改変したくなるデザイナーの気持ちはよくわかる。
このゲームの場合は「AターンとBターン」と呼ばれるターンが交互にやってくることになった。
Aターンでは「アクションディスプレイ」と呼ばれるワーカー配置ボックスに、プレイヤーコマを配置していく。
もちろん、ボックスによって行動が決まっており、配置したボックスのアクションを実行する。
アクションは、名前だけ挙げると「発展」「領土」「都市」「帝国」「貿易」。それっぽい。なにか、ある種類のゲームに特有のわくわく感がある。
このAターンは、まあわりと一般的なワーカープレイスメントといえるだろう。
問題はBターン。
Bターンでは、Aターンでアクションディスプレイに配置したワーカーコマを「とりのぞく」ことでアクションを実行する。
つまり、Bターンでは配置しないのだ。Aターンで実行したアクションと同じものを実行することになる。
実行順序はプレイヤーの自由だ。ただし「そのコマより左に配置されているコマの数だけ資源を支払う」必要がある。Aターンでは、右からつめてコマを配置していく。だからBターンでは、Aターンで他のプレイヤーよりも後に実行したアクションほど有利、ということになる。
これはもう、ワーカープレイスメントではない。むしろ、どちらかといえばオークションに近い。次第に安くなるオークションなので「ダッチ・オークション」というべきだろうか(「オークションの代わりのシステム」を参照)。
Aターンはワーカープレイスメント。Bターンはオークション的なゲーム。ワーカープレイスメントとオークションが交互にやってくる、ということになる。
なんとまあ、よくばりなゲームである。
もちろん「発展タイル」「領土タイル」などといったものもある。それぞれ特殊効果があったり、毎ターン得点になったりといろいろある。
もちろん「戦争」もする。
ゲーム開始時、地図には地中海沿岸しかない。しかし、時代Ⅱ(3ターン目と4ターン目)に「航海術」が発明され、極東と新大陸のマップが追加される。などといったギミックもあったりする。
おもしろそうな要素をこれでもかと詰めこんだ、ボリュームたっぷりの力作だ。
一晩かけてじっくりと楽しむ、近ごろでは珍しいタイプのゲームではある。でもやっぱり、こういうのも楽しい。
なんだかんだといっても、こんなに確実に楽しめそうな映画もないかなあとか。
期待どおり、よかったです。しかしそれはわかってるという気もする。京都アニメーションだし。
でもなんか、どこか物足りないような感じもないではない。せっかく映画なのに「消失」の話はいつもの世界をいつもどおりに描けない、というところはあるだろうか。
あと、ハルヒの1期はアイドルアニメだったと思うのだけど、2期は少し毛色を変えていた。もう少しだけSFネタに注力して、キャラクター描写を少し抑えていた。
「SFは人間を描けない」とか「SFは文学としてのレベルが低い」とか、これはどういうわけかSFの内部の人たちの言葉なんだけど(笑)。
そんな意見には断固反対だ。むしろ逆に「人間を描けるのはSFだけだ!」と極論をぶってみたくなる。
でもまあ、世界が大きく動いちゃうからキャラクターを描くヒマがなくなっちゃうところはあるのかもなあ。
その2期の映画、という感覚が強い。
京都アニメーション一流の、強いフェティシズムみたいなものは期待ほど表現されていなかったかもしれない。
でもそれは、あの京都アニメーションの映画! という、過剰な期待という気もする。テレビ版が、すでにかなりすごかったのだ。
アニメ版ハルヒのすごいところは、アニメーションとしてのデフォルメされた演出をほとんど使わないところだ。と思っている。
書き文字も出ないし、心象風景の描写もない。じつは淡々と、目に見えるものだけを描いている。そのかわり、その描きこみっぷりと見せかたがすごい(そうじゃないときもあったけど)。
そうした点で、映画版の演出には若干、個人的に不満があったりもするのだが。いちおうネタバレはしないのでそのへんにしておこう。
とか、いろいろ少し考えたけど。おもしろかったです。
ヒロインを失った主人公が、半狂乱になって駆けずり回るあたりの表現とか。画面の色が違って感じられた。そのあたりはさすがだ。
いちおうくわしくは書かないが、長門が手を上げて風が吹く場面もよかった。
外国の勘違い漢字ゲームでは、わたしのお気に入りはドラゴンイヤー。というのは関係ない話だが。
日本ブームの影響か、そういうゲームがしばしば出てくる。ゲームの内容はいいのだけど、びっくりするくらい意味不明の漢字が、ただのデザインとして使われていたりする。まあそれはそれで楽しくなるけど。
このサムライ・カードゲームも、わりとそんなところはある(笑)。
けど、なにしろクニツィアだ。このデザイナーの多作っぷりにはもうあきれたくなるけど、それだけたくさん作れるということは、ハズレが少ないということを意味する。
少なくとも信用できる。
そんなクニツィアの近作の中でも、傑作のひとつだ。日本語版も出ている。
テーブルに「村カード」というものが置かれている。村カードには●、▲、■の3種のマークが書かれている。
とりあえず各プレイヤーは「武力カード」を手札から出し、村カードの横に置く。
ちなみに、武力カードの裏にはむやみに漢字で「侍」と描かれていたりする。
武力カードには●▲■と数字が書かれている。となりの、同じ記号が描かれた村に対して、数字分の力を及ぼすことができる。という意味だ。
プレイヤーが武力カードを出した結果、村が囲まれたら、村が占領されたことになる。その村に対してもっとも大きな力を及ぼしているプレイヤーが、村に描かれているマークの得点マーカーを獲得する。
あと、武力カードの中に「侍」というのがある。これは、ようするにすべての村に力を及ぼすことができるオールマイティ。これのつかいかたももちろん重要だ。
得点マーカーは3種類ある。これはクニツィアお得意の手法だ。
チグリス・ユーフラテスをはじめ、個人的に憶えているものだとドラゴンランドとか。
3種類か4種類の得点マーカーで、ゲーム終了時に「持っている中で一番少ないものの数が得点」とか。「基本は1個1点だが全種類のセットだと10点」とか。そういう、単純な数ではない方法で得点になる。得点の計算方法はもちろんゲームによって違うわけだけど。とにかく、得点がひとつではなく、数種類の得点マーカーの組みあわせで決まるんである。
数種類の得点マーカーを集めなければならないようになっている。こうしたしかけを、クニツィアのゲームではしょっちゅう見る。
もちろんクニツィアは、我々には想像もできないほどの職人だ。そのゲームデザインは多様で、これひとつではない。簡単にいいあわらせるものではない部分も大きいだろう。
だが、信じがたいほどの多作を実現するためにはそれなりの、ゲームシステムの共通化、部品化みたいなものがあるはず。そういうライブラリが、デザイナーの頭の中にはあるはずではないだろうか。
などということを、思わないでもない。
この得点計算方法だけでも、じつはゲームになっているんじゃないか。というようなことも、ときどき思う。それほど、この手法は優秀だ。少なくとも、ゲームデザインの難しいところのいくつかを、これが解決しているのだろう。
余談だけど。
日本のボードゲームはまだ、ドイツやアメリカのゲームに追いついていない。現状はけっこう、背中が遠いと思う。ならばまず、こうした手法を真似してとりいれてみたらいいんじゃないかと思う。
もちろん、とりいれるのは手法だけにすべきだ。ゲームを丸ごとコピーとか、充分な考慮なしに乱雑なルールを足しただけとか、そういうのでは経験値にならないだろうと思うけど。
話を戻すと。
サムライ・カードゲームの得点計算方法は、こうだ。
「いずれかの種類の得点マーカーの所有数を支配(単独1位)しなければ、敗北」
「支配に使った以外の得点マーカーが得点となる」
これまたじつにジレンマ。
4人でプレイした場合、なにしろ得点マーカーは3種しかない。多くても3人しか生き残れない。しかし、あまり生き残りに固執すると、肝心の得点が伸びない。
世間には「クニツィアジレンマ」という言葉があるらしいのだけど。
予想以上に抽象的な内容だが、よくツボをおさえた、さすがの好ゲーム。
見てきましたよ。
アヴァロンはみんな大好きなすごい映画だし。これはアヴァロンとつながってるという話で。CM見たらなんかおもしろそうだったし。
もちろんそれなりに、ある種の予感はあったわけだけれど。
感想。
なんつっても役者がいい。
3人のヒロインはみんな、なんつーか、ゲーム顔? というか。すごいきれいで、きれいすぎてCGに溶けこんでる。この世のものと思えない、というかCGに見える。
もちろんそのように撮ってあるわけで、そういうところはさすが押井守映画というしかない。
日本人女優の顔は、アクの強いハリウッド女優よりもCGに映える。という気がする。
そういう部分には期待していたし、じっさい予想以上の映像だった。黒木メイサも、菊地凛子も、佐伯日菜子もかなりいい。
アヴァロンのときほど手間をかけまくった感はないものの。やっぱり技術の向上があったせいか、画面の統一感的な部分は、アサルトガールズも負けてない。
CGのモンスターは、それなりに重量感がありつつ、しかしやっぱりコンピュータゲームのモンスターという感じがよく出ている。そこがいいわけで。
服装といいなんといい、現実感はないんだけど。それはゲーム内の世界だからだ。むしろ、この非現実をちゃんと演出で作ってるのがえらい。
CGを現実に近づけるというより、現実のほうをCGに近づけるというような。でもそれでいて、ハリウッド映画やファイナルファンタジーのようにきれいすぎる世界ではない。
アヴァロンを見たとき、あの映像には衝撃を受けた。そういう、画面全体を本当に演出してる感じが、押井守だなあと思う。これはじっさい、押井守にしか作れない世界という感じはすごくある。
音楽も、川井憲次はあいかわらずいいし。
……。
……それで?
まあね。たぶんストーリーとかなんとかは、はじめから捨てて作られてるんだろうけどね。
映画になってねーなというのがしょうじきなところ。
しかしまあ「これはひどい」といったりするのも含めて楽しんでたりはするのかな。
つくってみた。1日1回、王国カードセットがランダムで選ばれます。
トップページの上のほうにも設置されてます。
アルファ版なので、今後大幅な仕様変更などありえますが。というかいろいろと、なおしたほうがいいところが多いですが。↓など。
http://yusei-game.com/tool/dominionSetMaker/
ブログパーツ的な? 感じでどこかに貼れるようにするつもりだったけど、このサイト(自作)以外のブログをやっていないのでよくわかりません(笑)。