ボードゲームの紹介です。もちろんドイツ製が中心。
ゲームのデータは公式ではなく、執筆者の主観です。てらしまはけっこう考えるスタイルのようなので、特にプレイ時間は長めになっています。でもメンツによって違うわね。
ローゼンベルク。これがすごくいい。新鮮なシステムと完成度の高さ。この感覚は久しぶりだ。
全員共通の15枚の職人カードを持っているのだけど、各ラウンドで使うのは5枚だけ。まず最初に、15枚から5枚を選び伏せる。
次にスタートプレイヤーから順番に、1枚ずつ使っていく。カードには資源を獲得するとか、資源を使って建物を建てるとか、いろいろ書いてある。
でこのとき。他のプレイヤーは、伏せた5枚の中にいま使われたのと同じカードがあったら、公開して相乗りする。しなければならない。
カードには効果が2個ずつ書いてあって、誰も相乗りしてこなければ両方とも使えるのだけど、誰かが相乗りしてきたら1つしか使えない。
各ラウンドでは、これを各プレイヤー3回ずつやる。5枚伏せたのだけど3回しか使えない。つまり、あとの2枚は他のプレイヤーに相乗りしなければ使えない。
このルールがとてもいい。計画を立てなければならないけど計画どおりにはいかない。
相乗りは義務で、権利ではない。他のプレイヤーが出したカードと同じものを手札に持っていたら、これはもう自動的に公開しなければならない。つまり職人は仕事があれば勝手に働いてしまう。資源を使って建物を建てるのだから、建てるアクションよりも先に資源が欲しいのだ。しかし、他のプレイヤーが建設アクションを使ってしまったら、勝手に反応して相乗りしてしまう。このままならなさは独特だ。
このゲーム、とにかく職人たちは、仕事があれば勝手に働く。この思想は資源システムにも反映されている。
資源は→のようなダイヤルで示されている。これ最初は見づらいけど、すぐに慣れる。要するに資源コマの横に書かれている数字が持っている数だ。
資源の中でもガラスとレンガは高級な資源で、直接手に入れることはできない。どうやって手に入れるかというと、他の資源を消費して手に入れる。そこでこのダイヤル。たとえば上のダイヤルの1のマスに資源がなくなる(=ダイヤル上のすべての資源を1個ずつ持っている)と、ダイヤルが1マス右に回る。これはゲーム中どのタイミングでも、自動的に回ることになっている。そうすると、各資源が1個ずつ減り、ガラスが1個増える。ダイヤルに書かれている数字を見ればわかるが、ガラスは数字の並びが逆になっているのだ。
つまり、ガラス職人は必要な資源ができたら勝手にガラスを作りはじめる。レンガも同じだ。
そんな感じで、とにかく職人たちは勝手に働く。そんな彼らをうまく乗りこなして、建物を建て得点を稼ぐのが目的のゲームだ。
デジタルゲームの話だけど、ドラクエは4が好きだ。それも最初のファミコン版。
ドラクエは4からAIによる自動戦闘が導入されたのだけど、ファミコン版4だけは他と違い「めいれいさせろ」コマンドがない。仲間たちはAIで勝手に動き、コマンド入力することができない。このAIがバカで、ザラキが効かない敵にザラキを連発するクリフトなどは有名だ。ああいう、仲間が勝手に動くゲームが好きだ。楽だし、なによりAIのキャラクター性から物語を感じられる。
もちろん、思いどおりにいかないことはプレイヤーのストレスだ。クリフトの頭の悪さには多くのプレイヤーが不満をいい、後のシリーズでは「めいれいさせろ」コマンドが追加された。個人的には、あれはないほうがいいと思っている。そりゃ「めいれいさせろ」があればそのほうが効率的に動けるし、強いんだから使ってしまう。けれど、そうじゃないのだ。思いどおりに動かないことこそがおもしろさだったのだ。自分にとっては。
プレイヤーはストレスに不満をいうものだけど。それを全部聞くことが果たして正しいのか。そんなことをちょっと考えてしまう。まあドラクエほどのシリーズでは聞かないわけにもいかないだろうけど。
ちなみに後のシリーズでは、命令させろ以外を使ったほうが有利な局面(ターンの途中でダメージを受けた仲間を回復するなど)が用意されていたりして、せっかく作ったシステムを無駄にしていなかったりもする。
ボードゲームでは、勝手に動くシステムというのは実現不可能だ。なにしろアナログだから、すべてのトークンをプレイヤーが手で動かさなければならない。しかし工夫次第で「自動感」を出すことならできなくもない。このへんはここ10年ほどのモダンなボードゲームの特徴的なところだと思っているのだけど、プレイヤーの操作が、プレイヤーの認識以上の影響を盤面に与える、そういうふうになっていればいい。洗練されたインタフェースは時に、そんな魔法を可能にする。
グラスロードの場合は、資源ダイヤルがそれ。資源をチットで示す方法で同じルールを採用したら、煩雑な印象のゲームになっていただろう。チットが5種類そろったら必ずそれを支払いガラスチットを1個獲得する? たぶん処理しきれず、忘れる。でもこのダイヤルなら、1クリック回すだけだ。
加えて、職人カードが勝手に相乗りしてしまうこのシステム。これは『レース・フォー・ザ・ギャラクシー』からの派生かもしれないと思うのだけど、最初に5枚をプロットするというルールの追加が非常におもしろい効果を生んでいる。なにしろプロットしなければならないのだから、計画性が必須だ。でもそれなのに、計画どおりに動いてくれない。計画性とランダムと読みが一箇所に集約されている、とてもきれいなシステムだ。これもやはり、ダイヤルほど鮮烈ではないものの、洗練されたインタフェースの一種といえる。プレイヤーは5枚を選んだだけだが、その結果は単純ではなく、相手に影響を与え、また相手の影響を受け順序が変わり、予想できない。プレイヤーの操作を超えた結果が発生しているのだ。
なにしろ計画どおりにいかない。ランダム性は強い。このことはプレイヤーにとってストレスだろう。ファミコン版ドラクエ4が好きでないという人がいたとして、同じ理由でこのゲームも苦手かもしれない。でもわりと、ボードゲーム好きはこういうストレスが好きなんじゃないかと思ったりもする。多くの一人用デジタルゲームと違い、相手がいるボードゲームでは思いどおりにいかないことが普通だ。そのストレスが好きなマゾヒストがボードゲーマーになるのだ……といったらいいすぎだろうけど。
それに。ままならないといっても、最終的には自分の責任なのだ。ランダムと書いているが、もしも他のプレイヤーの手を読み切ることができるならそれはもうランダムではない。けっきょく読み切ることなんてできないんだけど、それでも自分の選択の結果。「ああしておけばよかった」と思うことができる以上、ただのランダムとは決定的に違う。
欠点? もちろんこのランダムさは欠点だ。資源獲得の不安定さに加え、さらに場の建物カードがランダムにめくられるシステムになっていて、計画が立たなすぎる感じはじっさいある。ちょっとやりすぎかなと思うところもなくはない。とはいえそれも意図されたものだろうと思う。『アグリコラ』や『ル・アーブル』のような、すべてを計画できるゲームではなく、ランダムさも含め展開を楽しむゲームだ。
あとは、いきなり15枚ものカードを渡されてそこから5枚選べというハードルの高さとか。
もっと細かいところに踏みこむと、このバッティングシステム。潜在的にすごい差が生まれうるため緊張感があるのだけど、現実には、均されて大きな差にならなかったりする。それよりけっきょく建物の引き運のほうが少し大きく、やはり運ゲーだろとか。批判の緒になりうる部分はけっこうある気もする。
でも個人的には、これでいいと思う。うまくいかなくてももう一回やればいいのだ。意外と軽いし、とにかくプレイ感触がいい。だからもう一回といいやすい。
とても気に入っているゲームだ。ローゼンベルクのお仕事シリーズではダントツで一番好き。とてもいい。
機会があればいつでもやりたいゲームというのがあると思う。自分の場合は『ストーンエイジ』『ドラゴンイヤー』などがそれに当たるのだけど、グラスロードはそこに入るかもしれない。
ドイツ年間ゲーム大賞(SDJ)のエキスパート部門を受賞したゲーム。部下を引き連れて街を歩き回り、宝石を集める。
なんか思うのだけど、SDJにノミネートされたり受賞したりするゲームって、もはやひとつのジャンルのようになっていると思う。これが一般ユーザに一番支持されているわけではないし、マニアに一番支持されているわけでもない。その中間くらいで、軽いというよりルールが導入しやすく、コンポーネントが最高級に豪華、というような、厳しい条件に合致するものだけが対象となる。もちろんかつてはそれが主流だったのだろうけど、いまは乖離が顕著になっている。いってみれば、ガラパゴス進化だ。本賞もエキスパート部門も傾向は同じだ。
こう書くとネガティブな話のようだけど、そうでもない。そういうゲームを権威づけするという意味がある。
普通にゲーマーが自分が好きなものを選んでしまうとマニア寄りになりすぎるし、かといって一般受けしやすい軽いものをと思うと今度は軽くなりすぎる。二極化なんて話がでるのは、ユーザ側の意識がそう見えさせているんじゃないかと思う。同じような事情は当然供給側にも波及するだろうし。一般受けを狙って軽くなりすぎず、しかしあくまで重くなりすぎないゲーム、いわゆる「ドイツゲーム」という言葉がこれを指している部分もあると思うのだけど、このジャンルは、誰かが権威づけして守ろうとしなければ消えてしまうんじゃないか。
少なくとも、そういう傾向を意識した上で見るなら、価値のある賞といえるのではないか。たしかに、そうしたものがなくなってしまったら、そこはもう我々が好きなボードゲームではなくなってしまうのだから。
テラミスティカとかを喜んでやってる自分の嗜好とは別の話だけど。最近はそんなふうに考えていて。
急に国内の話になるのだけど。今度「ゲームマーケット大賞」という賞が新設されるらしい。これも有識者賞で、ゲームマーケットで販売されたゲームが対象になる。
自分がこの賞に期待しているのは、SDJと同じようなこと。市場に任せておいても守れない、でも守ったほうがいい文化への貢献だ。少し過激ないいかたをするなら、文化への積極的な干渉といってもいい。これは一般的なユーザが求めるものとは違うかもしれないけど、でも有識者賞というのはそういうことだろう。
もちろん最初からうまくはいかないだろうし、まだ方向性もはっきり決まっていないかもしれないけど。こういう賞って、業界内の人間関係賞になっちゃって有名無実化するケースが多いし、そうならないといいなあと思いつつ、でも期待しているのだ。
イスタンブールの話だった。
16枚のタイルを組み合わせて作られた街を、手下を連れた商人が歩き回る。各タイルにはいろいろな効果があって。商品を獲得したり、それを売ってお金を得たりする。
目的は宝石を集めることなのだけど、宝石の獲得方法はいろいろある。商品を宝石に交換してくれるおじさんがいたり、お金で売ってくれるおじさんがいたりする。
特徴は、手下を連れた商人の動き方とアクションの実行方法。大きな商人コマの下に、小さな手下コマを4個積んだ状態でゲームは始まる。手番には、いまいるマスから2マスまで移動でき、移動先に手下コマを1個残すことで、そのマスのアクションを実行できる。移動してアクションを実行するたびに手下が減っていく。手下がいなくなったら、もうアクションを実行することができない。
ただし。移動先のマスに手下コマがすでにある場合は、そのコマを回収しながらアクションを実行できる。
つまり、一度やったアクションを数ターン後にもう一度やるのが効率的な動きということになる。3つくらいのアクションをずっとくりかえしているのが一番効率がいい。
このギミックがゲームの軸だ。ただ移動するだけで移動するだけではなく、計画的に動かなければならない。
タイルの並べ方で、いろいろなパターンのマップを作ることができる。
初期配置を見てどのルートにいくかを考える、ドミニオンの王国カードのようなシステムということもできる。やっぱりこのメカニクスはとても優秀だ。
推奨の配置方法が3つ用意されているのだけど、ランダムで配置してもかまわない。個人的には、ランダムが本領だろうと思う。もっとも、デッキゲームのサプライほど劇的に変わるわけでもないのだけど。
ゲームによって、たとえばお金を稼ぐことができるタイルとお金で宝石を買えるタイルが近くにあったら、この2つを軸に戦略を組むことができるだろう。とはいえ他のプレイヤーが近くにいると邪魔になる。このタイルを目指すプレイヤーが他にもいるなら、自分は別のことをやったほうがいいかもしれない。宝石が早いもの勝ちになっているから、そのあたりに、控えめなプレイヤー間インタラクションがある。
そういう作りもドミニオンと同じ。見た目より軽く、配置によってゲームが変わるから何度も遊びたくなる。この見た目で、じつはドミニオンのフォロワーだ。
ただ、そのことが欠点にもなっている。
もう絶対逆転できない状態に、わりとすぐになる。なにしろ、宝石はどんどん高くなっていく。放っておいたら買えなくなってしまうのだ。アイテムで生産力を高めたり、いろいろなことができるのだけど、そんなことより最初に一番安い宝石を獲得したプレイヤーがそのまま勝ってしまうゲームが、わりとある。
それと関連して、マップによっては、明らかに有利な戦略がある。これは1番手プレイヤーが必ず実行することができる。1番手プレイヤーは非常に有利だ。
そうした問題はもちろん作り手もわかっているのだろう。このゲーム、コンポーネントの中にサイコロがある。泥縄的なゲームデザインで、あまりきれいではない。あとそれ以上に、単純に乱数を足しても1番手優位は変わらないのだ。たしかに揺らぎは作れるけど。ゲームデザインが陥りがちな罠という感じがある。
そういうダサさがあって。大賞これでいいの? と最初は思ったのだけど、でもやってみたらおもしろいし、悪くはないと思う。もう少しうまくやれたんじゃないかと思うものの、嫌いじゃない。
あ、あと注意点。マニュアルにある最初のゲーム用のセットアップは、最悪レベルでつまらない。使わないか、練習用と割り切って使うくらいにしとくのがおすすめ。
これ最近けっこう気に入っている。みんなでパズルをやるゲームだ。なんかもう、ゲームなのかどうかも怪しいくらいパズル。
いちおう、勝利点を稼いでそれを競うゲームではあるのだけど、だんだん、パズルやってれば楽しいしそれでいいんじゃないかと思えてくる。
4種類のパズルが入っている。各ラウンドには、スタートプレイヤーから順番に、好きなパズルを選ぶ。他のプレイヤーが選んだパズルは選べない(用具が1セットしかないので)。全員が選んだら、いっせいにスタート。
誰か一人がパズルをクリアしたら、砂時計をひっくり返す。この砂時計が落ちきったら、パズルタイム終了だ。
ちょっとおもしろいのはこの後。パズルの答え合わせをして、回答が正しかったプレイヤーは、テーブルの中央にタイルを置くことができる。カルカソンヌのように、すでに置かれているタイルに隣接させて置く。そしてカルカソンヌのように、自分のコマをタイルの上に置くことができる。タイルにはパイプが書かれていて、このパイプの経路が閉じたらエリア完成。コマを置いていたプレイヤーに得点が入る。
もちろん、よりたくさんパズルを解いたプレイヤーが有利だ。なのだけど、そこにちょっとカルカソンヌ要素が入っていると。単純に正解なら1点ではないから、負けていても逆転の目がある気になれる。
でもそれも、パズルを楽しむための要素だろう。主役はあくまで、パズルだ。
これ、すごくいいと思うのだ。ゲームとしてではなく、パズルを遊ぶ仕掛けとして、とてもいい。
ゲーム部分であるカルカソンヌ要素は、ゲームとしては大したものではないのだ。でも、単純に正解1点では実現できない盛り上がりあがるし、パズルを解こうと思わせるモチベーションを煽ることができている。
ゲーミフィケーションを施すことで、繰り返し遊べるようにしたパズル集。というのが、実態に近い表現だろう。いいじゃんパズル楽しいし。
そう考えるとこれ、すごくおもしろいことをやっているのかもしれないと思う。
このゲーム、おもしろいと思うのだ。ここ1年ほど以内にやったゲーマーズゲームの中では一番感触がいいかもしれないくらい。ただちょっと、問題がいろいろあって……。
まあ、ネットで評判見てる人はわかると思うけど、悪い評判が多いゲームなのだ。じっさいの話、問題点はいくつもあって、ちょっと手放しで褒められる感じではない。
内容はワーカープレイスメント。ただしワーカーコマの代わりにサイコロを使う。振るわけじゃない。サイコロの目でワーカーのレベルを表す。仕事をすると熟練度が1段階上がって帰ってくる。ワーカーの働き先の効果で、熟練度1につき資源を1個獲得するなんてのがあったりする。2のワーカーは1のワーカーの2倍強い。ただし、6レベルになると引退してしまう。
ワーカーが引退するというあたりは『村の人生』っぽいか。ワーカープレイスメントってワーカー増やすと強いから、いろんなゲームがいろんな対策を入れてるんだけど。ワーカーに寿命があるというのもその一つだろう。ワーカー数の差で大差がつきにくいように、だと思う。
じっさい『村の人生』は、よくいえばバランスがとてもいい、悪くいえばなにをやっても変わらず差がつかないというところのあるゲームだった。
でもプラエトルは違う。場合によっては100点差とかつく。その理由が、このゲームへの好意的でない感想の一因。一言でいえばバランスが悪い。そのあたりは後で書くけど。
ワーカープレイスメントで資源を獲得して、その資源を使って建物タイルを建てる。建てた建物は自分の前ではなく街に建てる。他のプレイヤーも使えるのだ。自分の建物を使うには使用料がかからないが、他のプレイヤーの建物を使うとそのプレイヤーに使用料を支払わなければならない。
そのあたりは『ル・アーブル』と同じ。このシステムおもしろいんだけど、欠点は選択肢が多くなりすぎること。ル・アーブルは長時間ゲームなのだけど、そんなに複雑なことをしているわけではない。プレイ時間のほとんどはプレイヤーの長考だ。なにしろ、後半は手番のたびに数十個の選択肢を検索しなければならない。
プラエトルもそうなりそうなもんだけど、意外とそうでもない。ル・アーブルと違ってプレイヤーの前ではなく中央に並べられてるせいか、効果がシンプルで種類がそれほど多くないせいか。
このへんは比較的よくできてる。と思う。
最初に書いたけどこのゲーム、悪いところがいくつかある。はっきりいえば、調整に失敗したゲームだ。そのあたりは書かないわけにいかない。
まず、強すぎるタイルがある。「強制労働施設」だ。
このタイル、使うと、引退した労働者を働かせることができる。なにしろ引退した労働者はレベル6だ。とても強い。
強いからだと思うのだけど、使用料は3コイン。しかしそのコインは銀行ではなく所有者に支払われる。他の建物はたいてい1コインなのに。しかもこの建物、特別ルールで、各プレイヤーがラウンドに1回ずつ使える。ワーカープレイスメントだから、普通の建物は1回しか使えないのだけど、この建物はプレイヤー人数分使われる。単純に建物からの収入を比べると、ふつうの建物の10倍を超える。ちょっとどういうつもりで作られたのか考えたくなる、異常な強さだ。
そのあたりの、いわゆる「バランスの悪さ」が一つ。
もう一つはもっとたちが悪い。「収束性の悪さ」だ。収束性については先日も書いたけど。
具体的には「プルートス神殿」「メルクリウス神殿」の2つのタイル。持っている資源の数に応じ勝利点を得るという効果だ。
この効果、資源を消費せずに大量の得点を得ることができてしまう上、資源を使わない選好を生んでしまっている。
ゲームの終了条件はマーケットのタイルが売り切れることで、建物を建てなければゲームが終わらない。建物を建てるには資源を使うわけで、資源を使わないのはまずい。
建物を建てずに神殿を使い続ける展開が発生する。こうなるとゲームはなかなか終わらず差が開く一方。100点差のゲームは見たことがあるが、まだましな方だろう。構造上、数百点差になってもおかしくない。
どうしてこうなったと思うけど、まあ一言でいったらテストプレイ不足だろう(なんにでもいえてしまうマジックワードだからあまり使いたくないが)。
ただ、擁護したい面は大いにあって。
ゲームを作るとき「バランス」を良くするのは大事なことなのだけど、やりすぎるとよくない。プレイヤーがなにをしても差がつかないのでは、なにをしているのかわからない。ゲームをしているのかどうか定かでないものになってしまう。上に挙げた『村の人生』もそんなところがあるんだけど。
そうではなく、バランスよりもその行動を選んだ意味を重視する、そういうスタイルのゲームが好きだ。自分はプラエトルが好きなのだけど、それは、バランスが調整されていないからかもしれない。
なにより、遊んでいて楽しい。
終わらないというのは、現代のボードゲームシーンでは致命的な欠点だ。修正しないとちょっと遊びようがないというのがじっさいのところ。
とはいえ、魅力的なゲームなのだ。欠点があるから遊ばないのではもったいないと思う。欠点のない、小さくまとまったゲームばかりになったら、それはひどくつまらないだろうとも思う。
たいていのゲームには欠点があるけど、それがたまたま「収束性」だったときだけ評価を下げるのではフェアでないという気もしないでもない。
とりあえず「全員が同意したらいつでもやめる」と宣言してから遊ぶようにしている。
てらしま -2014/08/09 14:56
やっぱりいろいろ議論があるらしく、BGGで作者が修正版ルールを発表したらしいです。今日もプレイミスさんで和訳されていました。
記事にも書かれてるけど全部解決するわけじゃないです。でもだいぶ遊びやすくなりそうな気がするので是非採用してみたい。
【翻訳記事】「プラエト ル」のルール改定と選択ルール、および建物の強さとさまざまな戦術について - 今日もプレイミス
メビウス便できた、なんかタイトルを憶えられないゲーム。タイトルにXが入ってたなということだけは憶えてる。
いわゆるゴーアウト系、大貧民系なのだけど、少しだけひねりが入っていて、そしてそれがおもしろい。
順番に手札からカードを出していく。同じ数字が何枚もあれば、まとめて出してもいい。手札を最初になくしたプレイヤーの勝ち。
大貧民系と書いたけど、考えてみればそうでもない。前のプレイヤーが出した数字よりも大きい数字を出す必要はないし、枚数縛りもない。ただ、できるだけ多く、大きい数字を出したほうが有利ではある。そのへんが、大貧民と似た構造を作ってはいる。
ふつうの大貧民は、プレイしたカードをテーブルの中央に重ねていく。けどこのゲームは、自分の前に出す。各プレイヤーが、これまでなにをプレイしたかが一目瞭然になっている。そして、カードをプレイしたときに、直前に同じ枚数のカードをプレイしたプレイヤーがいたら、そのプレイヤーへの攻撃が発生する。
例えば。6を4枚プレイしたとき、直前にカードを4枚プレイしていてその数字が6より小さいプレイヤーがいれば、そのプレイヤーを攻撃することになる。攻撃したら、次のようなことが起こる。
枚数が同じときに攻撃が発生するので、1枚で出したカードはとても攻撃されやすい状態になる。また、数字が低くてもたくさん出せば攻撃されづらい。そのへんが大貧民に似た構造になっているのだけど、しかしそこにインタラクションが入っている。トップを叩こうかとか、あのカードがほしいとか、そういうプレイヤーの思惑が絡んでくる。そこがとてもいい。叩き合いなのに、枚数が一致しないと攻撃できないランダムがあるから、ギスギスしづらそうなところもいい。
あと、攻撃されたとき、そのカードを手札に戻す代わりに場に表向きに並んでいるカードから補充することができる。ということは、弱いカードが攻撃されるとより強いカードに替えることができる。特に場にいいカードがあるときは、それをあえて狙ったり、攻撃したいのにしづらくなったりする。そのあたりの、状況が変化していく感じも非常におもしろい。
なにしろ手札が多いほうが攻撃しやすく防御しやすいわけで、攻撃を受けると手札が増えるわけだから、逆転が起こりやすい構造もある。
個人的にはけっこう絶賛だ。こういうテーマのないシンプルなカードゲームは「イマイチ……」か「最高!」のどちらかになる。大多数は前者で、たまに現れる後者はだいたいすごいゲームだ。作り手側からすれば博打だろう。アブルクセンは、わたしにとっては久しぶりに当たった後者だ。
と思っていたら、そういえば作者がクラマー&キースリングなんだよな。やっぱりすごい。
いわゆるドイツ流ボードゲームを形成しているものの一部は、ゲームは無駄を省いたシンプルなものでなければならないという一種の美意識だろう。良し悪しはともかくじっさいの話として、この美学がボードゲーム文化の一部を形成しているわけで、なくてはならないものだ。
しかし、世界にはそうじゃないゲームだってたくさんあった。もっと冗長で、そのぶんフレーバーの表現に長けた、ルールが多くカードやテキストがたくさん登場するようなゲーム、ドイツ的に対し「アメリカ的」と表現されてきたようなゲームだ(この言葉は完璧に適切とはいえないのだけど)。
特に最近。ドイツ流の流れからも複雑なゲームが増え、いろいろ混じってよくわからなくなっている。ドイツゲームの流れから現れたのは確かなんだけど各国の文化をとりいれた、純粋なドイツゲームではないボードゲームが増えている。
いわゆるアメリカ的ともまた違う。ヨーロッパの他の国だったりするし。むしろドイツゲームっぽいシンプルさを元にしているんだけど、そこにごちゃごちゃといろんなものがくっついた、美しいとはちょっといえないかもしれないキメラゲームだ。
例えば、テラミスティカもそうかもしれない。ドミニオンからつづくTCG逆輸入の流れもそうだろう。
もはやシンプルさは至上ではない。というより、シンプルでいいものも当然あるのだけど、特に重めのゲームを好む連中にとってはそれでは物足りない。
こうなると美学もぶれてきて。なにがいいのかよくわからなくなってくる。でもおもしろいならしかたないわけで。
なにがいいたいかというと、ネイションズの話だ。
文明を選び、プレイヤーボードを受け取る。そこに建物を建てたり人物(アドバイザー)が登場したりする。時代が流れていき、それにともない建物も人物も移り変わる。
建物などはすべてカードで表現される。場に置かれたカードを買い、プレイヤーボードに置く。プレイヤーボードに置ける枚数は決まっているし、時代が進むにつれ登場するカードが強くなるから、自然と移り変わっていくことになる。
このへんの時代が移り変わる感じは、スモールワールド(ヒストリーオブザワールド)みたいな感じ。マップはないけど。
人数×40分というわけで、この表記はテラミスティカより長い。まあそんなに複雑なことをやっているわけでもないんだけど、選択肢が多くて悩む。プレイ時間の長さはほとんどが長考によるもの。そういうゲームだ。
やることはだいたい2つ(他にもあるけど)。
カードを買うにはコインが必要。ワーカーを配置したり移動したりするには鉄が必要だ。カードを買うだけでは効果がなく、そこにワーカーを配置しなければならない。
また、各ラウンドの終了時に、ワーカーの人数に応じて食料を支払う必要がある。
というわけで、コイン、鉄、食料の3つの資源のやりくりが、まずすべきことになる。
これ大事なことなのでもう一度書くけど、この3つの資源のやりくりが必要だ。おおむね3つ全部が必要。なので、序盤にまずこの資源の確保を考えて動かないと簡単に詰む。
で、これとは別に「文化」というものがある。これが主な勝利点源だ。
さらに、安定度と兵力というのもある。
安定度が高いと、各ラウンド終了時に起こるイベントでなにかいいことが起きる。低いと悪いことが起きる。
兵力は「戦争」カードで他のプレイヤーに被害を与えることができるのと、「紛争」で資源がもらえたりする。あと植民地を征服するのにも使う。
他にも、ワンダーの建設というのもある。
3つのリソースをマネジメントしながら、生産が安定してきたらワーカーを増やし拡大再生産、というような流れになる。
いろいろな種類のカードが登場するわけなのだけど。ひととおり紹介すると。
ここまでが、プレイヤーボードに置くカード。あとは、買ったらすぐに効果が出る使い捨てのカード。
だいたいありそうなものが全部ある感じ。
こんな大量のカードが、場にどばっと並べられている。種類別に分かれているということもなく、全部混ざっている。3列に並べられていて、下段のカードは1コイン、中段は2コイン、上段は3コインで買えると。
手番がきたら、前述したとおり、コインを使ってこのカードを買うか、鉄を支払ってワーカーを建物に配置するかをやる。あとワンダーの建設のために建材を買うというアクションもある。
全員がパスをしたらラウンド終了。
ラウンド終了時に、誰かが戦争を起こしていたら戦争の処理をする。
その後、ラウンド開始時に公開されていたイベントが起こる。イベントはだいたい、安定度が高い人が得をするか、低い人が損をする。
ワーカーを増やしていたらそれに応じて食料を支払う。
2ラウンドに1度、時代が変わる。時代の変わり目には文化レベルで勝利点が入る。自分より後ろのプレイヤーの人数だけ得点。
で次のラウンド。
ラウンド開始時には、ワーカーを増やしたければ増やしていい。増やさない場合は、好きな資源を何個かもらえる。
4時代8ラウンドが過ぎたら、ゲーム終了だ。プレイヤーボードに置かれたカードの得点(建物はワーカーが置かれていれば得点)を足して、最終的な得点が一番高いプレイヤーの勝利。
とにかく大事なのは、序盤に間違えないことだ。必要なのは、コイン、鉄、食料の資源生産であって、文化ではない。
これけっこう罠で。生産力の確保に失敗すると、戦争でさらに資源を減らされたりそのせいでワーカーを養えなかったりと悪循環に陥り、簡単に勝利争いから脱落する。まあ拡大再生産ゲームによくある罠なのだけど、このゲームの場合は特にハマりやすそうな気がする。
あとワーカーを増やすリスクがけっこう大きい。単純に増やせばいいわけでもない。この種のゲームではわりと、ワーカー増加が単純に正義ということも多いのだけど、これはそうでもない。そのへんはいいところでもあるが、ハマりやすい要因にもなっているかもしれない。
そういう罠がいくつかあって、初回プレイの人たちで卓を囲むと大差がつくと思う。
でもそのあたりがわかっていれば、今度はそれほど差がつかないようになっている。要素が多いわりに、得点手段がとても少ない。だいたい、文化レベルによる得点しかない。
ゲーム終了時に持っているカードが得点になるけど、これはけっきょく大きな差にはならない。それ以外は主に、各時代の終わりの文化レベル順位による得点だけ。他にもあるのだけど、それは戦争で資源を失いすぎて資源を支払えずに減点とか、イベントカードで条件を満たしたら1点とか、そういう一時的なものばかりだ。
これだけ大量のカードがあるのだから、コンボとかあるのかと思うけど。そういうゲームではない。
兵力を上げても安定度を上げても、けっきょくは文化レベルが上がったり下がったりする。いろいろあるけど最終的な出力先はだいたい文化レベルだったりする。
文化レベル順位での得点は、4人プレイなら最大で3点しか入らない。いくら生産力に差があっても、それしか差が開かない。それに、4回しかない。
そういえば、テラミスティカも似たような構成だった。いろいろと難しい手順を踏むのだけど、最終的な得点は支配地域の広さの順位と教団トラックの順位。多くの要素を経て最終的になにかの順位に帰着させる、この手法はひとつの方程式なのかもしれない。
ていうか別に新しい話でもなく、エルグランデなどのエリアマジョリティがまさにそれだ。ドイツゲームの伝統的な手法のアレンジともいえる。
こうなると。けっきょく文化レベルを比べるだけなのに、こんなにいろいろなルールが必要なのか? という疑問が、ふつふつと湧いてきたりはする。汚いゲームだなと思ったのだけど、これはそのあたり。
「汚い」ところは他にもいろいろあって。例えば兵力。
このゲーム、兵力の用途がとても広い。紛争カードを使えば資源になるし、戦争で得点(他プレイヤーの減点)にもなる。植民地という便利な生産カードを手に入れることもできる。イベントカードの中には兵力を比べるものもあり、そこでも有利だ。つまりほぼすべてに効く。
こういうの、たぶん調整の結果そうなったのかなあと思うのだけど。けっきょく兵力ってなんなんだ? という意味では、意味のぼやけた万能のパラメータになっている。調整をしすぎたゲームがよくそうなる。
あとイベントカード。イベントカードはゲームに変化をもたらすために常に有効だけど、黒魔術なわけで。
とにかくそんな感じで、整理する気はないだろう。システム的なよさとかではない、じつは雑多でてきとうなゲームだ。
たとえばニュークリアウォーとか、ダイナマイトナースとか、あのあたりの、昔のカード次第のバカパーティゲームとなにか違うのか? といわれたら、じつは大差ないような……気もしてくる。
いろいろ書いてるけど。けっきょくのところ、なぜ汚いと思うのか。ドイツボードゲーム的美意識と食い違うのだ。ある種のシンプルさを土台にしてはいるのだが、それを台無しにするレベルでごちゃごちゃと付け足されている。そぎ落とすという思想はたぶんない。
で、じゃあおもしろくないの? という話だ。
いやおもしろいですよ(怒)。
完璧とはいわないけど。歴史テーマも、拡大再生産も、リソースマネジメントも、もちろん嫌いじゃないし。
これ、最近特に思うのだけど。テラミスティカにしろネイションズにしろなんにしろ、最近ゲーマーズゲームと呼ばれるような長時間ゲームって、これまでの美学では計れないものになりつつあるんだと思う。
要素が多いからツッコミどころを捜せばいくらでも見つかるんだけど、整理してみたら大したことじゃなかったりするんだけど、でも総体として遊んだらおもしろいじゃんと。
昔のアメリカ重ゲーだってそうだったといえばそのとおり。ただ、いまのゲーマーズゲームはドイツゲームの美学が浸透した後に生まれてきたのだ。収束性とかインタラクションとか、インタフェース部分の作りとか、いろいろなものがドイツゲームの歴史を引き継いでいる。そうするとやはりまとまりが違う。少し前の重ゲーよりも、格段に遊びやすくなっている。これはこれで、いまこの時代でしか作れないゲームなのだ。
それをどう受け取ったらいいのか、わからなくなってきたところがあると思う。というか自分にはちょっとある。
一人専用ゲーム。1匹から始まる羊をどんどん増やしていき、1000匹の群れを作ることができたらクリア、というゲームだ。
そんなテーマからはちょっと『クッキークリッカー』を連想する。
このゲーム、とても好きなのだ。やっててなんか楽しい。
ソロプレイといえば、サンダーストーンもかなりやった。じつはけっこう好きかもしれない。
山札があり、そこからカードを引く。手札は5枚。手番にはそこから1枚を使い、補充する。
山札が尽き、残った手札のカードも全部使ったら、捨て札のカードをシャッフルして山札を作り直す。これを3周やる。
このあたり、デッキゲーっぽくもある。なんだかんだといっても、デッキゲー的な操作は理由なく楽しいんだと思う。
タイムリミットまでに1000匹の群れを作れたら勝利。作れなければ敗北だ。
もちろん羊が増えるカードがあるのだけど、それに加え、羊が減る災害も入っている。それに苦しめられながら、羊を増やしていく。
手札からカードを廃棄(ゲームから取り除く)できるカードがあったりもする。山札は3周するから、廃棄してしまえば次からは出てこない。
ちなみに。最初の手札がすべて災害カードだと、なにもできずに終わってしまうなんてこともある。そんなところも楽しめるのは一人用ならではだ。
1000匹の達成はもちろんそれなりに難しいのだけど、慣れれば簡単になる。そうなったら次は、1000匹では終わらないスコアアタックモードがある。何匹まで増やせるかの戦いだ。
でもこれも上限があって。場には7枚しか並ばないし、ひとつの群れの大きさは1000匹が上限だ。7000匹でカンストしてしまう。
パーフェクトを出すのも、じつはそんなに難しくない。1000匹が達成できたならあと1歩だ。もちろん100%できるわけではないけど、慣れると数回に1回くらいは出るようになる。
このへんは残念なところ。ちょっとシンプルすぎて、必要な手順が確定してしまっている。手順がわかってしまえば、それを辿るのも難しくない。ぜひ続編か拡張がほしいところだ。羊を増やすためのルートが多様になったり使うカードがランダムになったりすると、リプレイ性上がっていいなあと思う。
そんな問題があって、すぐに遊び尽くして飽きてしまう面はあるのだけど。とはいえ好きなゲームなので、なんとかまだ遊べないか考えたりしている。
自分がやっていたのは、手札を5枚でなく4枚にする独自上級ルールだ。これだけでけっこう難しくなる。
しかし先日、このモードでも7000匹を達成してしまった。次は3枚かなあ。と思っている。3枚モードはほとんど究極の上級ルールといっていい。とんでもなく難しい。
(ちなみに。本当の究極シェフィは手札2枚だ。これでもすごい幸運があれば7000匹を達成できるが、パーフェクトソルジャー用だろう)
そんな風に気軽にちょっとルールを変えて遊べるのは、1人用ゲームのいいところかもしれない。相手がいるとなかなかできない。そんな遊び方する人が何人いるのか知らないけど…・・・。
公式の上級ルールが発表されるといいなあとは思うけど。それまではこの勝手ルールで遊んでいると思う。
ボードゲームの問題に、タダで遊べてしまうというものがある。ゲーム会にいけば、誰かがゲームを持ってくる。買わなくても遊べてしまう。
例えば東京には、100人規模のオープンなゲーム会がいくつかある。ということは、極端な話をすれば、ゲームは100人につき1個でいい。これはユーザにとってはけっこうなことだけど、ショップやメーカーにはおもしろくないかもしれない。
そこで、ソロプレイ専用ゲームだ。商業的にとてもよかったりするんじゃないか。
あと、シェフィの話題は平日にtwitterに流れてくるし。これ強い。自分もけっこう流してるけど。
種族の選び方を書いてこなかったのだけど。じっさいの話、種族選びはものすごく大事だ。
ただ思うんだけど、そういう遊び方されてないんじゃないかなあ。たいていは、好きな種族を選んで遊んでると思う。そしてそれでいい気がする。
とはいえルールブックには、スタートプレイヤーから順に種族を選べと書いてあるわけで。今回は、種族の選び方を書きたい。
いきなり他力本願ですが(笑)。こちらに種族選びのことが少し書いてある。1ラウンド目になにをすべきかという記事なので、それに合わせて選ぶという切り口からの話。
じっさい種族選びって、将来の計画を全部立ててからやるのはけっこうきつい。1ラウンド目の動きを元にするっていうのは、ひとつの基準としてわかりやすくていい気がする。
あと今回の話とは関係ないけど、1ラウンド目に開拓地を建てろっていうのはじっさい、多くの場合で正義だ。
こういう他の人の攻略記事を読むの楽しい。読んでて思うのだけど、これわたしの口からは出てこない話だなーと思う。このゲーム、複雑すぎて、人によっていろいろな捉え方がある。
わたしがここに書いてる攻略記事にも、当然、反論があるだろう。いろんな人の話を読みたいと思ったりもする。
そしてけっきょく、読んで鵜呑みにするよりは自分の経験から実感できた方法のほうが有効だったりする気もする。……いろいろ書いといてアレだけど。
得点タイルの得点はかなり馬鹿にならない。というか勝負を決める要素の数割はこれだ。その中でも特に、大量に得点できる場合については見逃さないようにしたい。
一番わかりやすいのは、鋤で2VPになる奴。これが4ラウンド目にある場合、有利な種族はなにか。ハーフリングに決まっている。この場合はわかりやすく1番手プレイヤーがハーフリングをとる。
ただし他にも乗れる種族はある。ダークリング、スウォームリング、アルケミストあたりだ。前後の得点タイルの流れによっては、ハーフリングよりいいこともあるだろう。
そういう極端なケースを逃さないというのが、まず大事。
大量得点というのはつまり同じ行動をたくさんやる機会という意味で、主に後半の話になる。だいたい4ラウンド目以降だ。鋤以外だと、開拓地2VPや交易地3VPで大量得点ラウンドを作れる。
開拓地で大量得点を作れるのは、主に開拓系の能力を持った種族と、最終ラウンド近くのドワーフやファキアあたり。
交易地の場合は、開拓地をたくさん建てたあとでそれをまとめて交易地にするケース。4~5ラウンド目にそれをやる種族はわりとある。あと、最終ラウンドのエンジニアあたりはけっこういける。
砦/聖域の5点も充分大きい。
ただ、これだけで選べるほどでもなかったりする。けっきょく2回しか機会ないし。砦/聖域のタイミングを基準にすると考えやすいのだけど、それだけで種族を選んでしまうのは危険かも。
街も似たようなもの。
教団ボーナスで鋤が出るときは、教団が得意な種族を選びやすい。教団は計画が立てづらいのだけど、うまくはまると強い。
基本的に開拓系種族のほうが安定しているので、種族はそちらから選ばれる。と思う。だから、番手が遅めのとき対抗する手段として教団系を選ぶという面がある。
あと上述のリンク先の話で、1ラウンド目に開拓地を建てられない場合。1ラウンド目の教団ボーナスで鋤を取りにいくというのは回避策のひとつで、それも種族選びの基準のひとつになりうる。
特に番手が遅いとき。他のプレイヤーがとった種族から色が遠いものを選ぶ。これだけでも、けっこう有利になれたりする。
他に決め手が思いつかなければ、これだけで選んでしまってもそれなりにいける。
最初にも書いたけど。じっさいのところそうなんじゃないかなあ。
種族をガチンコで選ぶような遊び方はふつうしてないし、全種族の研究なんてしてるのはごく一部の人だけだ。それよりも、好きな種族を使って楽しく遊べばいいと思ったりする。
ガチゲーをやるとしても、現実的な話でいえば、3個くらいの得意種族を持っていればだいたいのゲームに対応できる。全部研究する必要なんてない。当然得意種族のほうが高得点をとれるだろうし。
そんなわけで、ここまで書いた攻略を否定するようなこといってるけど。そんなもんでしょう。やりたい種族を選ぼう。