ボードゲームの紹介です。もちろんドイツ製が中心。
ゲームのデータは公式ではなく、執筆者の主観です。てらしまはけっこう考えるスタイルのようなので、特にプレイ時間は長めになっています。でもメンツによって違うわね。
別名『苦しい動物園』。
いやーだって、競りなんですよ。ほぼ全部、公開情報の競りなんですよ。
いちおうついたてがあるし、持ち金は隠しているわけではあるけど。でも隠しているのは持ち金だけ。それくらいは憶えていても不思議はない。というか憶える。計算すればわかる。
気軽なゲームと思ってはいけない。プレイ時間60分と書いたけど、たぶんたいていは、もっとかかってる。ゲーム内容もカツカツだし、かなりきついゲームだ。
競りの対象は、動物園のタイルだ。カルカソンヌみたいに道をつなげて置き、自分の動物園を広げていく。
タイルは長方形。縦にも横にも置ける。道さえつながっていれば、ずらして置いてもいい。このあたりは、箱庭ゲームとしてちゃんと楽しい。
タイルには動物の絵と、星印が描かれている。
星印は(たぶん)その動物の人気度をあらわしている。
各動物について、1番人気の動物園と2番人気の動物園に客がくるというしくみだ。
……さあ、そろそろあやしくなってきた。
そう、この構造は、やはりカツカツな(そして見るからに)競りゲーで有名な、メディチと同じものなのである。
なにが『楽しい動物園』かと。
このタイトルは、絶対ネタだと思う。
競り落としたタイルを配置すると、その場で客がくる。各動物について、1位の動物園には、その動物と同じ色の客コマが2個。2位には1個。順位が入れ替わるたびに、客コマも移動する。
客コマ以外にも得点手段がある。木がたくさん植えられていると、木コマがもらえる。ループした道を造ると、ベンチコマがもらえる。
1ラウンドに5枚ずつのタイルを競り、合計5ラウンドやる。各ラウンド終了時に、タイルを配置した結果自分の動物園に置いたコマの数に応じ得点が入る。
1ラウンド目なら「コマの数×1点」。びっくりするほど簡単だ。
2ラウンド目なら「コマの数×2点」。以下そんな感じで、5ラウンド目には5倍まで増える。
この得点計算のシンプルさ。デタラメさ。必要以上にシンプルなルール。
なんというか、よくある「子供だまし」のゲームと同じ匂いがする。
ところが……これ、意外にも好バランスなんである。
いかにもてきとうなのに。これであってるんである。
なんかくやしい。
もちろん、シンプルなのはいいことだ。それで楽しめるバランスになってるんなら、いうことはない。ゲームデザインとしてはもちろん、ほめるべき。
意外にも(失礼)、いいゲームだ。いやほんとに。
しかし……、この「いかにもファミリー向け」みたいなボードと、コマと、ルールが。……汚れてしまったボドゲオタには、皮肉にしか見えない。
なんだか腹立たしい。おもしろいことが。
じっさい、競りゲー好きにはけっこうおすすめできると思う。
いうまでもないけど、メディチは傑作だ。シンプルなルールに、競りゲーのおもしろさが凝縮されている。でも、じつはもう過去のゲームだという気もする。シンプルなだけに、もう解が見つかりかけているゲームではないかと思う。
だから、昔メディチに夢中になったことがあるなら、いまあえてもう一度やる必要はないのではないかと思っている。
(もちろん、久しぶりにやれば、やっぱり傑作だ。おもしろかったりするわけだけど)
メディチだけではない。競りゲームには傑作も多いけど、じつのところ、すでに寿命が尽きかけているものもけっこうある。そういう気がしているんである。
「インタラクションが強すぎる」ために、必ずキングメイカーが生まれるゲームになっていたり、それ以前に展開が制御できないゲームになったり。
競りはお金をたくさん持っているほうが有利だから、1ラウンド目の差が最後まで縮まらないゲームになったり。
競りゲームは、けっこう寿命が尽きやすい。
で、話は戻ってこのゲーム。そうした過去のゲームの反省が、ちゃんと活かされているように思う。
競り合う対象にバリエーションを持たせることで、ゲームの寿命を延ばした。各自の動物園の事情によりタイルの価値が変動するから、展開に幅が生まれた。それと同時に、タイル配置で箱庭ゲーム的な楽しさを組み込んだ。
タイルの配置というわかりやすいルールの中に、とても多くの要素がつめこまれている。
タイル1枚に盛りこまれた情報量はじつは多いのだけど、なにしろテーマが動物園だ。親しみやすい絵のおかげで、とりあえず抵抗感なくゲームに入れてしまう。
非常にロジカルに、よくできているゲームと思う。
……で? 『楽しい動物園』ってゲームがロジカルになんだって? やっぱり皮肉にしか見えないわけだけど。
サイコロを振って、文明を発展させる。
文明を発展させるゲームといえば、建物を建てたり技術を進歩させたりいろいろやって拡大再生産!みたいなイメージがあるが、このゲームもまさにそういう内容だ。
そういうゲームは重そうというイメージもある。でもそこは違う。本当に30分で終わるんである。
やっぱりサイコロを振るのは楽しいんだと思う。なんとなくまたやりたくなるゲーム。
箱は小さいけど、ずしりと重い。それは、木製のペグボードが入っているから。
おおなんか豪華……と思うけど、じつはこれがそうでもない(笑)
各プレイヤーに配られるのは、ペグボードとペグと、プレイヤーシートと鉛筆。
プレイヤーシートである。
TRPGとかゲームブックとかで使うような、アレだ。
木製ペグボードの豪華さと紙……。このアンバランス感は、たぶん誰でも感じるだろう。ペグボードじゃなくていいから、普通のボードとチットでプレイしたいと思う。
コンポーネントでゲームに興味を持つプレイヤーは多い。せっかくちゃんと軽いゲームになっているのに、少し残念なところではある。
でも、プレイヤーシートには利点もある。ルールが全部、プレイヤーシートに印刷されているんである。
ルールブック自体には、あまり細かいことが書いていない。読んだときは「これだけ?」と思った。細かいことは全部、このプレイヤーシートに書いてあったのだ。
簡単な基本をおさえてしまえば、あとはプレイヤーシートを見ながらプレイできる。これは大きい。
そして、なによりこれ、完全日本語版なのである。
こういうゲームはどうしても、言語依存が強くなる。獲得した建物や進歩の特殊能力とか、そういうのはどこかに文章で説明しなければならない。日本語のプレイシートがなければ、ずっとめんどうなゲームになっていただろうと思う。
それに……。
ペグボードには「Roll Through the Ages」と書いてあるのだけど。プレイヤーシートでは少しちがって「Roll Through the Ages 青銅の時代」とあるんである。
プレイヤーシートにしか書いてないルールがあるわけだから。プレイヤーシートを変えれば、違うゲームになるはずなのである。
そういう今後の展開も、ありうるわけだなあというか、そういうふうに作ってあるのかもしれない。
とりあえずダイスを振る。
振れるダイスの数は、持っている「都市」の数。もちろん、都市はそのうち増えたりもする。
ダイスは2回まで振りなおすことができる。ただし、「ドクロ」の目は振りなおせない。
ダイスには、食料とか人とか、資源とかの絵が描かれている。出た目にしたがって、なにかが生産される。
資源を獲得したら、ペグボード上のペグを進める。
人を獲得したら、プレイヤーシートのチェックボックスに人数分のチェックをつけることができる。都市にチェックをつければダイスが増えるし、モニュメントにチェックをつければ得点になる。
毎ターン、都市の数だけの食料が消費されていく。食料が足りないと、飢饉が起こって得点がマイナスされる。
資源を売るとお金になり、お金で「進歩」を買うことができる。これには、いろいろな特殊能力が書いてある。プレイヤーシートに日本語で書いてあるから、そこから選べばいい。
だいたいそういう流れだ。やっていることはオーソドックスである。
偉いのは、生産を全部ダイスに集約してみせたところ。おかげでゲームの流れはシンプル。
日本語プレイヤーシートのこともあり、とても導入が楽だ。これも、箱からうける印象と違って。
ダイスを使うだけあって、かなりの運ゲーである。あえてそれを許容しているデザインだと思う。
というかたぶん、運ゲーであることをあえて強調しているふしもある。
ダイス目の中に「ドクロ」というのがある。これは特別な目で、振りなおすことができない。そして、ドクロの数に応じて「災い」が起こる。
その代わり、ドクロからは資源2個が出る。他の目で資源1個というのがあるので、それと比べれば非常に強い。
とそういうものなんだが。このドクロの災いが問題だ。
数に応じて、起こることがちがうんだが。
ドクロ1個の場合は、なにもおこらない。
ドクロ2個なら、「干魃」。自分がマイナス2点。
そして、ドクロ3個の場合……、「疫病」が起こる。この効果は「対戦相手全員がマイナス3点」なのである。
なぜ対戦相手? とはみんな思うが、そう書いてあるんだからしかたない。このドクロ3個を出したときは、自分自身は資源を6個生産した上、対戦相手を攻撃もできることになる。
(ちなみに、ドクロ4個とドクロ5個以上はちゃんと自分が痛い)
疫病、強いんである。
もちろん、それが出るかどうかは運次第だ。ダイスがテーマのゲームなんだから、これくらいの運はあって当然。というデザインなのかなあと思う。
じっさい、ダイス目次第でかなりの差がつく。それが不快だといわれてしまえば、しかたない。だけど、この運次第っぷりが楽しいという気もする。
やっぱり、サイコロを振ることには単純な楽しさがある。
運だけというわけでもなくて。ちゃんと文明系ゲームらしいプレイ感はある。進歩の選びかたとか、次はこんな作戦でやってみようとか、考えるところもある。作戦の選びかたで勝率を上げることは可能だ。
それでいながら、ちゃんと本当に30分で終わる。これはデザイナーがんばったと思う。
生産をすべてサイコロに集約することで、ゲームの流れをシンプルにすると同時に運の影響を強めた。運が強いと、プレイヤーの判断にいいわけが用意されるから(笑)、結果的に考慮時間が短くなる。
また、インタラクションが薄いデザインも、プレイ時間短縮に効果がある。このゲーム、もちろんインタラクションはそれなりにあるのだけど、自分のプレイヤーシートだけを睨んでいてもプレイできてしまう。他人を気にする必要が小さければ、もちろんそれだけプレイ時間短縮につながる。
なにげにいろいろ考えられている気がするデザインだ。
短時間ゲームが求められる場合というのは多い。けれど、勝敗を重視しないパーティーゲームには特有の問題があり、好まない人もいる。
そこで。というわけでもないが。
若干ゲーマー指向よりの気軽なゲームという意味で、……ドミニオンに飽きてきたときなどにいいんじゃないか。
運ゲーだとかなんだとか、いろいろいいながら、けっこうやりそうな気もしている。
シャハトのゲームはおもしろい。このゲームも本当におもしろい。プレイした人の感想はだいたい好意的だ。
だが、やる機会はあるんだろうか……。
というのは、やっぱり、ドミニオンだのアグリコラだのと比べると華がないから。
コンポーネントはいろいろ凝ってるし、それで気を惹くことはできるのだけど。でも、これだけおもしろいゲームがたくさんある中で、あえてこのゲームが遊ばれる理由には弱いというような気もする。
ボード上に、宝石が落ちている。主人公たちは冒険者となり、その宝石を拾い集める。
この設定はもちろん抽象化されたもので、本当に道ばたに落ちてるわけじゃないんだろうけど。
拾った宝石は、ほしがっている人のところに届けると得点になる。
とりあえず、宝石を掘るための道具が必要だ。ツルハシとか、ハンマーとか。あと、荷車とかロバとか。そういうものは、街で買う。
あと必要なのは、誰がどの宝石をほしがっているかという情報(契約書)。これは、道具を売ってるのとは別の街で情報収集する。
あとは、銀山で銀を掘ったり、道ばたで宝石を拾ったり。港町で必要な宝石を調達したり。
注目すべきはこのコンポーネント。
街には道具カードや契約書カードがあるわけだけど、そのカード置き場がこれ→。
わかるだろうか。
なんか木の置き場があって。これは、真ん中のレールの両側が傾斜しているかたちをしている。両側にカードをおくんである。
カードには見てのとおりの絵が描いてある。
これで、いかにも本のページをめくっているようなカード置き場になっている。
ゲーム的にいって、この小道具がぜひ必要というわけではない。
「2ページだけ見えていて、右にも左にもめくれる」という機能を実現するためには必要なのかもしれないが。そしてこれは、ストレスを感じない程度に適度な記憶力を要求するという意味で、とてもいい味を出してもいるのだが。意外にも。
でも、ぜひ必要かといえば、やっぱりいらない。他の方法でもよかったはずである。しょせんただのカード置き場で、ゲーム的にそれほど大きな意味をもつというわけではない。
過剰なコンポーネントである。
しかし。
これをボード上に置いてみると。そしてめくってみると、なんとも楽しいんである。
考えすぎで空回り気味になってしまった小道具なら、たくさん見てきている。いろんなゲームに手を出すタイプのボードゲーマーならたぶん、わたしよりももっと多くのトンデモを見ているだろう。
この「本型カード置き場」も、そういうモノじゃないかと思っていた。
でもそうでもなかった。
小道具一個だけを見てはいけない。このボードに、上にカード載せた状態ではじめて完成するんである。
なにげにいい。
なによりボードが美しく、その上を歩き回っているだけでなんか楽しい。本をめくるのも楽しい。
「プレイするのが楽しい」というのは一番重要なことだと思うけど、デザインするほうとしては一番難しいところでもあるだろう。
ヴァルドラは、その難関をクリアしている。
システムの面からみれば「すばらしい!」とはいいがたいゲームのほうが、大きな人気を集めることがある。
たとえば、アグリコラとか、レース・フォー・ザ・ギャラクシーとか。ファンの方にはもうしわけないけど、ああいうものは、ゲームとしていいデザインとはいえない。
でもそれが悪いわけじゃない。むしろ欠点があるくらいのほうが、人気を集めやすいんじゃないかと思うこともある。
カードを必要以上にたくさん使い、いろんなことができる代わりにバランスは調整しきれていない、というくらいの、ああいうデザインには、特有の楽しさと自由感がある。見事に調整されたデザインより、何度もプレイしていろんなことを試したくさせる魔力がある。
シャハトがやっているのは逆。無駄のない職人の仕事だ。
技術力があるからルールが洗練される。バランスもきっちり調整される。
しかし、そういう仕事には華がない。
たぶん職人でもそういうことは考えていて。だからこのゲームみたいな小道具を考えてみたりするんだと思う。
ゲームとしては蛇足に近いんだが、それがおもしろさを引き出すこともある。ヴァルドラではちゃんと成功している。
……のだけど、やっぱり、職人芸なのである。
ゲームバランスはボードの中にきっちり収まっている。コンポーネントに凝ってみたりはしても、システムに余分な部分はあまり残っていない。
たとえば拡張セットを作る余地はないだろう。デザイナーが意図していないゲーム展開もあまりないだろう。
ボードゲームとして安心できるけど。
でもこういうデザインでは、超話題のゲームにはなれないかもしれない。
個人的には、あたりまえにクオリティ高いものを作る職人にあこがれるような気質があって。こういうのすごく好きである。
「あーボードゲームだなー」と思う。すばらしい。
kamata -2009/06/10 11:35
すげえ!この『本』のコンポーネントは、本当に素晴らしいですね。これだけで遊ぶ気になれる。
似た機能は過去にTCGでも、小型カードファイルを利用して再現したりしてましたが、やはりこういう卓上に置けるホルダー器具の方が遊びやすいし、しっくり来る。
以前からダイソーの名刺ケース・ファイルやカードホルダーなどの小物で何かゲームを作れないか考えていたんですが、これはいいヒントになった気がします。機会があればぜひ遊んでみたい。
てらしま -2009/06/22 02:15
ふと思ったけど。もしこの小道具を先に思いついてたら「街の図書館で古文書を調べて遺跡を発掘」とか、そういうネタになるのが自然なような。採掘道具とか契約書とか、あんまり本と関係ないですね。
小道具は後から考えたのか、それともいろんな紆余曲折の末いまのデザインになったということなのか、ちょっと知りたい。
けがわ -2009/06/22 18:12
ヴァルドラに俄然興味を持ちました。話題性が無くても華がなくてもしっかりしたゲームの方に好感を持ちます。シャハトの気の利いた小道具。うーん、遊んでみたい。
てらしま -2009/06/23 08:31
けがわさんどうもです。
じっさい、やってることはけっこう地味におつかいゲームです。効率いい手筋を考えなきゃいけないです。シャハトっぽい(笑)
こういうの好きな方にはおすすめですよ。
ボード上に人の絵がたくさん並んでいる。サイコロを振ってそこに配置し、なにか効果を得る。というあたりは、王への請願を髣髴とさせる。
春夏秋冬と季節であらわされるフェイズが進んでいくあたりは、ヴァレンシュタインあたりを思い出させる。
でも考えてみれば、どちらもそれほど似ていないわけだが。
プレイヤーは、王に国境地方を任された知事。それぞれ別の地方の知事なので、それぞれに領土を持っている。
毎年冬に、国境の向こうからいろんなものが攻めてくる。いろんなものというのは、ゴブリンとかゾンビとか、ドラゴンとか。
そんな冬に備えて兵力を蓄えつつ、いろんなものを建てて領土を発展させようという話。
春夏秋には、生産フェイズがある。そして冬に、戦争フェイズがあるんである。
生産フェイズでは、「王の助言者」という人たちに頼んでなにかを生産する。それが、ボードに描かれている人たち。
つまり、生産してるんじゃなくて王様からもらってるんだと思う。側近に耳打ちされたから、じゃああの地方に資源を送ろう! という王様なんだと思う。
王の助言者の人たちは多忙なのか、会えるかどうかはサイコロ次第。
サイコロは3個振り、助言者のマスに置く。書かれている数字ちょうどの組みあわせで置かなければいけないので、すべて思いどおりというわけにはいかない。
基本的に自分の領土を発展させる箱庭系のゲームだけど、この助言者への配置にはインタラクションがある。他の人が置いたマスにはもう置けない。
各々の領土は離れているけど、王のいる都はひとつだし助言者の人もひとりずつしかいないんである。
そのあたり「インタラクションが強くないけどある」くらいのゲームの舞台設定(いいわけ)としては、けっこう自然かもなあとも思うわけだが。
助言者の人たちはなにか資源をくれるので、それを使って、特殊効果のある建物を建てたりする。
で戦争フェイズ。王様は気まぐれで兵士を送ってくる。サイコロ1個分の兵士が、とりあえずくる。
それに私兵を加えて、ゴブリンだのゾンビだのと戦う。
サイコロ1個って、1が出るか6が出るかでだいぶ違う。
ルールはいろいろと多い。でもめんどくさいところはないし、明確でわかりやすいのでプレイしやすい。かなり練られたものじゃないかと感じる。
システム面以外でも、舞台設定や言葉の選びかたなど、いろいろな面でよくできていると感じた。
上に書いた舞台設定のこともそうだが。
フェイズ進行に「春夏秋冬」という言葉を与えたというだけでも、だいぶわかりやすくなっている。ふつうに「3回の生産フェイズのあと戦争フェイズ」などという説明だったら、絶対に「2回だったっけ?」という話が出てくるだろう。
わざわざ寒い冬に攻めてくる敵というのも、考えてみればよくわからないけど。冬はなんか暗いイメージだし、敵がくるといわれればイメージとして納得できる。
あと、別にファンタジーである必要はまったくないのだが、「ゴブリン」とか「ゾンビ」とかいわれればどう考えたって敵だ。
直感的にそういうことが理解できて、かつそのとおりのシステムになっている。
もちろん、整理されているところはしっかりされている。コアとなるダイス配置部分は特に。けどそれ以外の部分で、無駄がないかといえばあると思う。
でもそれらが、それほど気にならない。直感から外れず、納得できるからではないかと思うのである。
ルールをそぎ落として抽象化が進んだゲームは好きだけど。こうして手作業で作りこまれたものもいい。
プレイヤーには、ロジックから理解する人と雰囲気から入る人がいる。キングスバーグはまず雰囲気から入り、そこから理解しやすい種類のゲームだ。
近年のゲームの技術力はすごい。少し前のものと比べると、ルールがものすごく洗練されている。でもその中に、いろんなおもしろさが組み込まれている。
でもそれは、抽象化が進んでいることも意味する。『ケルト』って、どのへんがケルトなんだろう?
抽象化すればルールがシンプルになるが、そのぶん雰囲気が失われる危険がある。たとえば、いわゆる「初心者」にとって、どちらが理解しやすいのかというのはわからないんじゃないかと思う。
30分を超えるゲームを敬遠してしまうということは、もちろんある。わたしもある。でも本当は「時間がかかるから」「ルールが多いから」というのは関係ない。
「ロジック派」と「雰囲気派」とを比べると、雰囲気派のほうが多い。個人的な経験上からいえば。それならむしろ、ほとんどアブストラクトゲームみたいになってるゲームよりも、キングスバーグみたいなもののほうが導入しやすいかもしれないんじゃないか。
もちろん場合によるけど。
斬新なところはどこにもないし、ルールがすごく洗練されているということもない。でもおもしろい。傑作なんじゃないか。
意外と傑作。「知られざる」ってやつ? もっとも、こんな狭い世界で知られざるもなにもないような気も。
まず、石切り場でピラミッドの材料を手に入れる。6箇所の石切り場に、自分の色のカードを配置していく。
ちなみに、裏向きに配置である。配置が終わったら表にして、配置したカードの数字の合計を比べる。上位の人は石をもらえる。
それぞれの石切り場には、おけるカードの上限枚数とか、1位になったら何個の石を切り出せるかとか描かれている。「その場所で1位になったらもらえる特殊効果」なんてものが書かれていたりもする。
ただし、カードを全部置いていいわけでもない。
あまったカードは石を運ぶ人になる。石をたくさん切り出しても、ピラミッドまで運べなければ意味がない。使うことができる石は、余ったカードの数字の合計分までなのである。
このルールがまたおもしろい。
まあようするに、カードを伏せたオークションだ。
カード枚数で敵のやる気度はわかるが、じっさいのところは開けてみなければわからない。3枚も置いてるけどブラフだったり、するかもしれない。
この形式のオークションで思い出すのはやっぱり、モルゲンランドだ。
(他にもあったと思うけど、所有していて好きなゲームだと思い出しやすい)
ブラフだったり本気だったり、一箇所に本気出しすぎてダメだったり、欲をかいて全部失敗したりする。
こういうのけっこう好きなんだけど、悩んじゃって時間かかるから近ごろは流行らないかもなあ。
さて、石を手に入れたら、今度はピラミッドを作る。
ピラミッドは4個あるけど、みんなでいっしょに作る。今度は「どのピラミッドに石を置くか」を選ぶことになる。
各ピラミッドで、各段で何個石を置いているかによって得点が入る。1位に何点、2位に何点というのが、各段に書いてある。
もちろん、だいたいは上の段ほど得点が高いし、下の段が埋まってからでないと上の段に積めない。
石は置けるんだけど、置いちゃうと踏み台にされる……というおなじみのジレンマがある。
特殊効果の中に「一度に2個置く」なんてのがあったりもする。
これ、資材獲得とピラミッド建設は別のゲームといってもいいと思う。
もちろん関係ないわけでもないが、やってることはぜんぜん違う。「一粒で二度おいしい」みたいな?
もっとも、リソース獲得にオークションを使う建築ゲームなどはけっこうあるわけだが。そこを、独立したゲームといいたくなるところまで膨れ上がらせてしまったのが、このゲームだ。
そしてそれがおもしろい。
それほど有名なゲームではないようだが、やった人の評価は高い。
まあ、そういうものに対する評価は話半分に聞いたほうがいいけど。「知られざる○○!」という評価では、点数高くなるに決まってるから。
もちろんこの記事だってそう(笑)。
たとえばの話。
同年のアッティカ、アメンラー、コロレットなどと比べて、このゲームが特に優れているかといえば、そんなことはない。やっぱり有名ゲームはすごい。
冷静な見方でいえば、そういうものだろう。
特殊能力のルールはもう少し整理できた可能性があるとか。まったく違う2フェイズがあるというのは、やはりゲームとしてまとまっていないといういいかたもできる。
でも、じゃあおもしろくないかといえば、決してそうではない。おもしろい。
個人的な好み度でいえばけっこう上位である。
……それにしても、こんなタイトルぐぐれないよ。いまどきカタカナ2文字ではさすがに厳しい。北島マヤとか出てくるに決まってるじゃないか。
これけっこう好き。シャハトである。
王と枢機卿のように、手札をプレイしてその色の地形に商館を建てていく。マップには道が描かれていて、商館はその道でつながるように建てる。
マップの中央には、でかい黄金都市がある。
交易ルートを延ばしていって、黄金都市に商館を建てるのが目的だ。
「カードをプレイ」して「建物を建てる」というこのスタイル、この人はずいぶん使いたおしている。かなり枯れた(完成した)技術だ。
このゲームも、なんだか安心して遊べる。過去の作品を知っているせいかもしれないが、ルール読んだだけでもうおもしろいだろうなと思った。
同じ色のカードを2枚プレイすると、その色の地形に商館が建つ。
また、同じ色2枚の組みあわせは別の色1枚分として扱えるという「ジョーカールール」がある。過去のゲームにもあったものだが、これがいい。
このカードは、入札で手に入れる。
入札といったって、簡単なものだ。
ラウンド開始時に、2枚ずつの組みあわせが人数分作られる。スタートプレイヤーから順番に、自分がほしい組みあわせの上に手(手のかたちのタイル)をおく。
他の人が手を置いているカードがほしいのなら、お金を払えば追い出せる。
そうやって、全員が1ラウンドに2枚、手札を手に入れる。
とここまでが、基本的なルールだ。
カードを手に入れる方法に工夫がこらされているものの、大筋は、じつに見たことあるシステムなのである。
しかし、コンポーネントにはもっといろんなものが入っているんである。商品カードとか、鍵とか。そもそも、入札につかうお金はどこから手に入るのか。
それらはみんな、ボードに書いてある。
ボード上の、商館を建てることのできる場所(村)に、アイコンが書かれている。そこに商館を建てたら、示されているものがもらえる。
アイコンにはなにも複雑なことはない。ただ単に、絵に示されているとおりのものをもらえるというだけだ。お金がある村とか、商品カードがある村とか。
いろんなものが入っているわりに、非常にわかりやすい。インストもしやすい。
「いろんな要素があるけどプレイしやすい」というのは、近年流行の、ワーカープレイスメントと呼ばれるシステムの特徴である。
しかし、ワーカープレイスメントにしかできないというわけではない。
むしろ、ワーカープレイスメントが必要なゲームというのは、処理が複雑すぎるためにああいう方法で整理しなければならなかったのだといえる。
システムをちゃんと整理してあれば、あえて使う必要はない。
なにかそういう、気概みたいなものを感じた。
得点手段はけっこういろいろ用意されている。商品、川沿いの商館、黄金都市外苑、黄金都市中心部、と、それぞれが特徴的な得点獲得ロジックになっている。
そして、そういうものの選択はすべて、手札と商館の配置だけで決まるのである。
カードのめくれかたなど、乱数はかなりある。これはむしろいい。個人的な好みでは、これくらいの乱数はあったほうがいい。
村から村につながる道のリンクっぷりが絶妙で、インタラクションは強いが強すぎない。
いろいろなものが、わたしの好みどおりに配置されたゲームという気がしている。
難点はやはり、地味なところかなあ。
黄金都市というテーマも目新しくないし、システムも見たことある。
枯れた技術を使っているから安心できるけど、でも世間には、新人賞を獲った小説ばかり読む種類の読書家もいる。新人賞作品はハズレのほうが圧倒的に多いけど、新しいものだから飽きないんだよな。
そのいっぽうで、宮部みゆきを読み続けてる人もいる。当然、どちらが正しいわけでもない。
まあ往々にして、話題になるのは新人賞作品のほうだけど。
カエサルとなり、新たな領土を獲得する。タイトルがタイトルだけに、サイコロがたくさん入っている。
サイコロをたくさん振って、出た目をボードに配置して、領土を獲得したり貴族を獲得したりする。
ワーカープレイスメントに近いような、そうでもないような感じがあるが、配置するものがサイコロ。という感じのゲームだ。
まず、サイコロを8個振る。それを、ボードに配置していく。
ボードには、建物が5つあって、場所によって配置ルールが違う。
「砦」は領土を獲得する。ここには、ゾロ目のサイコロを置く。いっぽう「元老員」では、ゾロ目ではなく連続した目が必要だ。
「市民広場」ではできるだけ小さな目がほしい。「神殿」で祈るには大きな目のほうがいい。
また、配置できなかったり判定に負けたりしたサイコロは「公衆便所」にいく。
配置が終わったら、各建物の結果を判定する。砦ならゾロ目をたくさん振ったプレイヤーから領土を獲得できるし、元老員ならできるだけ多くの連番を作ったプレイヤーが「元老員タイル」を獲得する。
このあたりの流れはワーカープレイスメントと同じである。ただ違うのは、配置するものがサイコロだということ。
ケイラス、大聖堂、アグリコラなどは、結果判定に乱数を使わない。ワーカープレイスメントといえば乱数性の低いゲームという感じがある。
でも、サイコロを使えないわけでもない。ワーカー配置後の判定でサイコロを使う、ストーンエイジのようなゲームもある。
で、今度は、ワーカー配置前にサイコロを振るゲーム。というわけじゃなかろうかと思う。
もっとも、ワーカーを配置していない以上、ワーカープレイスメントと呼ぶわけにはいかないだろうけど。プレイしている感覚もだいぶ違うし。
なにしろタイトルがタイトルだから。ということかどうか、サイコロへの依存を高めて運を強くしようとしたデザインなのかもしれない。
配置ルールに「誰かが全部のサイコロを配置したらその周で配置終了」というルールがある。つまり、いきなりゾロ目を出されて配置終了! という可能性があるんである。とにかくつねにサイコロの出目しだいで、計画どおりにはいかない。
以前ストーンエイジをやっていて「なんでこのワーカーはサイコロじゃないんだろう?」という話が出たことがある。
あのゲームは、配置したワーカーの数だけサイコロを振る。それなら、はじめからサイコロを配置するという方法もあったんではないかと思うのだ。そうしたほうがコンポーネントの種類が減るから、より洗練された印象になっていたんじゃないかとも思う。
それをやってみた。のかどうかは知らないが。
サイコロをたくさん振る楽しさと、配置の悩ましさを両立した、良作だと思う。
この方向性で、「先にサイコロを振るワーカープレイスメント」をより推し進めたゲームの可能性はまだある。と思えた。
あとこのタイトル。ドイツでは知らないが、日本語ではちょっと使い古されすぎていて、陳腐な言葉になってしまっているなあと思う。そこは損をしてるような気もする。
とはいえ、ほかに訳しようもないし、このゲームの責任ではない。原題「alea iacta est」はラテン語だが(もちろんメーカーはドイツ)、日本人にはあまりに馴染みがないわけで。
てきとうに地名や歴史上の人名をつけたよくあるタイトルよりも『賽は投げられた』のほうが、よりよくゲームをあらわしている。カエサルのゲームだということも一発でわかる。いいタイトルだと、本当はいいたいんだけど。
イタリアのいろんな都市に、建物を建てる。と同時に貴族とのコネを作って権力を得ようというゲーム。
……というのは例のよくあるやつなのであまり紹介にならないわけだけど。
だが、シャハトなのだ。
王と枢機卿とか、コロレットとか。この人はちょっとすごいゲームを作る。システムを煮詰めて、余分な要素をすべて排除したデザインをする人だ。こういうデザインのゲームを簡単に分類するのは適切ではない。
手札は3枚。この少なさがシャハト。
手札からカードをプレイして、カードの色の都市の塔にコマを積む。そうすると、都市に1枚置かれている(表向き)カードをもらえる。すぐにカードは補充される。
カードには貴族の顔も描かれている。この貴族の顔を3枚集めると得点になったりもする。
塔は各都市に2本建つ。
塔には複数のプレイヤーのコマが積み重なっていくわけだが、最終的にその塔の所有者となる人は一人。その塔に一番多くコマを積んでいる人のものになるんである。
ちなみに、同点の場合は「より上にコマを積んでいる人」が有利。悪意を感じるルールだ(笑)。
山札が尽きて、すべてのカードを使いきったらゲーム終了。
各塔の得点と、貴族の顔セットの得点を合計する。
ひどくシンプルなルールだ。
それでいて、塔と貴族の顔という二筋の得点経路を用意している。
それを両方ともカードに集約してしまった。けっきょく選択肢は「どのカードをプレイするか」だけ! この人っぽい。
なにしろ、手札はたったの3枚しかない。そして、プレイヤーにできることはカードをプレイすることだけ。
与えられた選択肢は、たったの3択である。しかし、それをどの順序でプレイするかによって、展開はまったく違ってしまう。
少ない選択肢で悩ませるあたりは、王と枢機卿を思わせる。こういうデザインはすなおにすごいと思う。職人の仕事だ。
ただ、若干、スリムにしすぎた感もないではない。
山札のカードは、けっきょくすべて使う。山が尽きたら補充がなくなり、手札がなくなるまで続く。なので、もし他人がとったカードを憶えていれば、終盤は確定完全情報ゲーム(運がなく、隠した情報もないゲーム)になってしまう。
ということは、ゲームの理屈でいって、ほぼ必ず、いわゆるキングメイカーが生まれるということになる。
そしてじっさい、そういう展開も多いように思う。
あと、たぶん1番手不利だよなーとか。
若干、そういう感じも、しないでもないんである。
しかし、これは理屈の上での話。じっさいにはそこまで他人の手札を憶えないだろう。
いちおう手札は非公開なので(憶えていればほぼ全部わかるはずだけど)、運のせいにする余地を残している。
なにしろ選択肢が少ないから、すぐに習得できる。長いゲームでもない。本当に意外と気軽にプレイできるのだけれど、悩むところはしっかりある。
すなおにすごいゲームだ。