ボードゲームの紹介です。もちろんドイツ製が中心。
ゲームのデータは公式ではなく、執筆者の主観です。てらしまはけっこう考えるスタイルのようなので、特にプレイ時間は長めになっています。でもメンツによって違うわね。
外国の勘違い漢字ゲームでは、わたしのお気に入りはドラゴンイヤー。というのは関係ない話だが。
日本ブームの影響か、そういうゲームがしばしば出てくる。ゲームの内容はいいのだけど、びっくりするくらい意味不明の漢字が、ただのデザインとして使われていたりする。まあそれはそれで楽しくなるけど。
このサムライ・カードゲームも、わりとそんなところはある(笑)。
けど、なにしろクニツィアだ。このデザイナーの多作っぷりにはもうあきれたくなるけど、それだけたくさん作れるということは、ハズレが少ないということを意味する。
少なくとも信用できる。
そんなクニツィアの近作の中でも、傑作のひとつだ。日本語版も出ている。
テーブルに「村カード」というものが置かれている。村カードには●、▲、■の3種のマークが書かれている。
とりあえず各プレイヤーは「武力カード」を手札から出し、村カードの横に置く。
ちなみに、武力カードの裏にはむやみに漢字で「侍」と描かれていたりする。
武力カードには●▲■と数字が書かれている。となりの、同じ記号が描かれた村に対して、数字分の力を及ぼすことができる。という意味だ。
プレイヤーが武力カードを出した結果、村が囲まれたら、村が占領されたことになる。その村に対してもっとも大きな力を及ぼしているプレイヤーが、村に描かれているマークの得点マーカーを獲得する。
あと、武力カードの中に「侍」というのがある。これは、ようするにすべての村に力を及ぼすことができるオールマイティ。これのつかいかたももちろん重要だ。
得点マーカーは3種類ある。これはクニツィアお得意の手法だ。
チグリス・ユーフラテスをはじめ、個人的に憶えているものだとドラゴンランドとか。
3種類か4種類の得点マーカーで、ゲーム終了時に「持っている中で一番少ないものの数が得点」とか。「基本は1個1点だが全種類のセットだと10点」とか。そういう、単純な数ではない方法で得点になる。得点の計算方法はもちろんゲームによって違うわけだけど。とにかく、得点がひとつではなく、数種類の得点マーカーの組みあわせで決まるんである。
数種類の得点マーカーを集めなければならないようになっている。こうしたしかけを、クニツィアのゲームではしょっちゅう見る。
もちろんクニツィアは、我々には想像もできないほどの職人だ。そのゲームデザインは多様で、これひとつではない。簡単にいいあわらせるものではない部分も大きいだろう。
だが、信じがたいほどの多作を実現するためにはそれなりの、ゲームシステムの共通化、部品化みたいなものがあるはず。そういうライブラリが、デザイナーの頭の中にはあるはずではないだろうか。
などということを、思わないでもない。
この得点計算方法だけでも、じつはゲームになっているんじゃないか。というようなことも、ときどき思う。それほど、この手法は優秀だ。少なくとも、ゲームデザインの難しいところのいくつかを、これが解決しているのだろう。
余談だけど。
日本のボードゲームはまだ、ドイツやアメリカのゲームに追いついていない。現状はけっこう、背中が遠いと思う。ならばまず、こうした手法を真似してとりいれてみたらいいんじゃないかと思う。
もちろん、とりいれるのは手法だけにすべきだ。ゲームを丸ごとコピーとか、充分な考慮なしに乱雑なルールを足しただけとか、そういうのでは経験値にならないだろうと思うけど。
話を戻すと。
サムライ・カードゲームの得点計算方法は、こうだ。
「いずれかの種類の得点マーカーの所有数を支配(単独1位)しなければ、敗北」
「支配に使った以外の得点マーカーが得点となる」
これまたじつにジレンマ。
4人でプレイした場合、なにしろ得点マーカーは3種しかない。多くても3人しか生き残れない。しかし、あまり生き残りに固執すると、肝心の得点が伸びない。
世間には「クニツィアジレンマ」という言葉があるらしいのだけど。
予想以上に抽象的な内容だが、よくツボをおさえた、さすがの好ゲーム。
要は「材料カード」で役を作って、得点を稼ぐ。というゲームなのだけど。もちろん、それだけではない。いろいろな一工夫が施されている。それが見事にはまっていて、おもしろい。傑作だと思う。
材料カードには、色と数字が描かれている。色は5色。数字は3~7。この材料カードで、役を作る。
役は3枚一組で作る。わかりやすくポーカー風にいえば「ストレート」「ストレートフラッシュ」「スリーカード」「スリーカードフラッシュ(?)」の4種。だけ。ストレートの場合、使ったカードのうち一番小さい数字が得点になる。ストレートフラッシュでは、一番大きい数字。スリーカードは使ったカードのうち1枚が得点、スリーカードフラッシュは特別で、使ったカード2枚を得点にできる。
場にカードが並んでいて。プレイヤーは、手札から1枚カードを場に出し、場のカード2枚を手に入れる。そうやってカードを集め、役を作る。
簡単だ。ここまでのルールにもけっこういろんな工夫が施されていることが見てとれるけど、しかし不自然なところはなく理解しやすい。
で、それに加えて、各プレイヤーの前に「ヘルパーカード」というものが置かれている。このゲームの華。もっとも大きな特徴はこれだろう。
ヘルパーカードには名前がついている。「ハムスター」とか「ゴキブリ」とか。
それぞれなにか、特殊能力を持っているんである。役を作るときに1枚の色を変えられるだとか、4枚で役を作れるだとか、そういう効果だ。通常のルールとは違う組みあわせで、役を作れるようになる。
ヘルパーカードは、ラウンドが終わったら左隣のプレイヤーに渡す。そうして毎ラウンド、いろんな能力が回ってくる。
ヘルパーカードの順番はわかっている。だから、次にくるヘルパーを考えて手札を整えるとか、そういうことを考える。
これがじつにおもしろい。
役をそろえるだけのアブストラクトカードゲームでもよかったのだろうけど、その分野はもうとっくに開拓され尽くしている。新しいゲームを考えるのは難しい。
またそれ以上に、いくら斬新で洗練されたゲームを考えても、抽象的すぎると評価されづらい、という気がする。
抽象的すぎるアイコンに意味を見いだすことは、万人にできることではない。ゲームルールがわかったとしても、どこを楽しめばいいのかわからない、という現象が起こったりする。
しかし名前がついていて、それぞれ別の効果がある、そういうカードがあると、そこを足がかりにしてゲームに入っていくことができる。
抽象化し、洗練したほうがエレガントになるだろうけど。そのかわり、入りこみづらい。どこを楽しめばいいのか、慣れないとわからないゲームになる。わかりやすい「楽しさ」を演出するためには、あえて抽象化しない、煩雑な部分があったほうがいい。
たとえばドミニオンには、王国カードが必要なかった。
財宝カードと勝利点カードだけで、小箱のアブストラクトカードゲームとして成立しただろう。それでも、適度に乱数と戦略がある、良質のゲームとして成立しているんである。
しかしそれでは、あれほどの流行になれなかっただろう。
それぞれ違う効果が書かれた王国カードがあり、どれを選ぶかをプレイヤーが考える、その過程が楽しいのだ。
ゲームの一部分だけ、あえて洗練を排除する。それが、アグリコラやドミニオン、スモールワールドなど最近の傑作ゲームが解き明かした「楽しさ」の解答のひとつ、という気がする(※)。
「キャラクター性」という言葉を使いたい。名前があって効果が書かれている、つまりキャラクター性のあるカードが、あると楽しいのだ。
キャラクターについては、世界でもっとも極まっちゃった文化を持っているだろう国に、我々は住んでいるわけだけど。内容がなくてもキャラクターで商売することができると、そんなことを一番目の当たりにしているのが日本人だ。その視点でいえば、ボードゲームもついにその領域に到達しつつある、といういいかたができるかもしれない。
ネズミのパティシエは「いまモグラだけど、次のラウンドはハチがくるから……」とか、そういうことを考えるゲームだ。キャラクターの力をうまく活かしたゲームと思う。
アブストラクトな手役作りだけでは、こんなにおもしろくなれなかった。
シンプルな基本ルールにキャラクター(カード)をつけ足す、というこの方式には、まだまだいくらでも可能性がある。意識するしないに関わらずドミニオンの流行を受けて、今後もさまざまなゲームが登場するんじゃないだろうか。
カルカソンヌとの違いは「(d)」だけっ、というわけだけど。ところがこれが、ゲーム内容はまるっきり違う。それがなんでカルカソンヌの名を冠しているのかって、そりゃあまあ、マーケティング的ななにかがあるんだろうけど。
ゲーム内容はむしろ、コロレットに近い。というかわりとそのもの。
カードを列に並べていく。カードを出す代わりに、一列すべてのカードをとることもできる。カードをとったら、そのラウンドはもうなにもできない。
コロレットだ。もちろんコロレットは大傑作だし、同じシステムのゲームがつまらないわけがない。
もちろん違いはある。
ラウンド開始時に配られる手札があり、出すカードを選べる代わりに、カードの置きかたが自由でない。カードに色があって、基本的に色で対応する列にしか置けないのである。
選択肢が増えているようだが、じつはこれ、あまり変わっていないと思う。むしろ自由度は減っているくらいだろう。しかしまあ、手札があるほうがシンプルに楽しいという面もある。
得点方法もだいぶ違う。コロレットのような「3色を超えたらマイナス」といった要素はなく、基本的に加点のみ。即時得点、ゲーム終了時得点と、はっきり意図して分けられた複数の得点ロジックを組み合わせていく感じになる。
考えてみればそのあたりは、カルカソンヌに通じるモノがあるといえばある。
本当にまるっきり、カルカソンヌと違う。
のだけど、デザインの意図はカルカソンヌ流を踏襲しているという気がする。そういう意味で考えれば、いい仕事をしているとも思う。
カルカソンヌ流というのは、運を重視すること。ゲーム中にはいろいろ考えるところが多いのだが、最終的に勝負を決めるのは運、というバランスをあえて徹底することなんじゃないかという気がする。
そうすることで、いわゆる初心者でもゲームに参加できる。経験はゲームを有利にするかもしれないが、初心者でも運がよければ勝てるからだ。
めくったタイルの善し悪しに一喜一憂するのは、楽しい。そこでゲームに慣れている人は「運ゲー」という評価をするのだが、じつは、ゲームにあまり慣れていない人にとっては、運ゲーのほうが楽しい場合が多い。
宝くじを買うのは、お金のためとしたら愚かな行為としかいいようがない。でも買う人は多いのだ。損するのは明らかだが、しかし、効果がないとわかっていてもくじを神棚に置いたり、新聞の当選欄をチェックしたり。そういう行為は、楽しいんである。
カルカソンヌは、そういう運の楽しさをとても効果的に活かしたゲームなんじゃないかと思う。戦略を考えるところがちゃんとあり、いわゆるゲームバランスもきっちり調整されており、またインタラクションもしっかりある。だからゲームとして成立しているのだけど。その上で運があるから、口うるさいコアなゲーマー以外にも売ることができている。
カードカソンヌも、いろいろ考えるところはあるがどうしようもないときはほんとうにどうしようもない。手札に配られたカード次第なのだ。でもそれでいい。少なくとも、デザインされてそうなっているという気がする。
戦略とインタラクションと運の配分が、なんともいかにもカルカソンヌっぽいという感じが、ちゃんとあるように思う。
さすがのカルカソンヌ。この安定感だ。
個人的な現段階での印象では、カルカソンヌより好きだったりもする(笑)。まあコロレットが好きなんだけど。
おもしろいですよ。
ただ、たとえばジャンルを一言でいいあらわせない。「ワーカープレイスメント」とか「オークション」とか、いろいろ言葉があるじゃん。しかし、アルビオンを表現する言葉は難しい。なんかないのかなあ。
ボードにはイングランドの地図。南からローマ軍が攻めてきた。
そういうお話。プレイヤーたちはローマ軍となって、イングランドに開拓地を作る。
イングランドには、蛮族であるピクト人が住んでいて。ローマの支配に抵抗している。それを制圧しつつ、魚や石の生産地を確保したり、砦を作ったり。
目的は、開拓地を建てることだ。
とりあえず初期状態では、開拓者が1部隊いる。これを動かして、新たな開拓地や生産拠点を作ることができる。
開拓地を増やすと、開拓者が増える。砦を作ると、1ターンに使える移動力が増える。バリケードを作ると、ピクト人に対する戦闘力が上がる。
石切場や金鉱で開拓者を働かせれば、その資源の生産力が上がる。
すごくわかりやすい。ボード上にいろいろな建物を建てるわけだけど、その建てた建物によって、いろんな効果がある。
チットはなにやらたくさん入っているが、臆することはないんである。ルール自体は非常にきれいに整理されている。わかってしまえばぜんぜん簡単だ。
ピクト人コマははじめ、裏向きに置かれている。新しい建物を建てたとき、こいつを表がえす。そこで、戦闘力を比べる。負けていたら、建物が壊される。
開拓者コマの他に、軍隊コマというのもあって、こいつがいると、戦闘力が増えたりもする。また、軍隊はピクト人を脅してとなりに移動させることができる。これを使って、他のプレイヤーの開拓地にピクト人を送りこんだりもできる。
原住民の反乱を制圧しつつ、生産力を確保して開拓地を作る。
表現している内容からすると、すごく重いゲームでもおかしくなかった。しかしそれらを、かなりシンプルに凝縮してしまった。
ゲームの選択肢は要するに、どの建物をどの順序で建てるのか。
軍隊を強化して反乱に負けるリスクを抑えるか。移動力を増やしてより奥地を目指すか。
あるいは、開拓者を増やして人海戦術なのか。それともまずは資源生産力を重視するのか。
ルールはシンプルなのに、いろいろなことが考えられる。
またはトップのプレイヤーを少し妨害してみるのか、他人がまだ到達していない未開の土地を目指してみるのか。そういったインタラクションも、ほどよくある。
ゲームデザインとして、かなり深く考慮されている感じがある。じつはまだ1回しかやっていないのだけど。個人的にはかなり好きだ。
しかしまあ、地味っちゃ地味かも。
このゲームがすごい話題になるとか、そういうことはまずないだろう。また、日本人プレイヤーたちが最重要視する、いわゆる「モリアガル」要素はない。「ワー!」と騒げるものではない。
すごく整理されていてすごいと思うけど、なにか目新しいところがあるかというとそうでもないし。
たとえばサイコロを振る楽しさとか、カードをめくる楽しさとかも、あまりない。強いていえば、ピクト人タイルをめくるときくらいだろうか(これも、ゼロか1かという単純な乱数だ)。
淡々と、粛々とやるゲームだ。しかし、それが楽しい。
なんというか。
よくいう「ゲームバランス」という言葉がなにをさしているのか、考えてみるとよくわからないわけではあるけど、でもこういうゲームをさして「バランスがいい」というのじゃないかという気がする。
たとえば他の傑作ゲームと比べたら、セールスポイントが足りない。やる機会が少ないかもしれない。でも、たとえば欠点を捜せといわれたら挙げられない。そういう完成度のあるゲーム。地味に、しかし高水準のいいゲームだ。
だれかが「もっと評価されるべき」とつぶやく種類のゲームかもしれない。
ワーカープレイスメントついてはいろいろなゲームが出てるけど、じつのところ、それほどバリエーションがあるわけではない。ひとつの完成型というべきものがすでに登場していて、それを超えることができないからだ。
もちろん、ストーンエイジのことである。
いや、ストーンエイジがパイオニアではないし、唯一でもないだろう。ストーンエイジが気に入らなければ、アグリコラでもなんでもいい。
ああしたゲームを構成する要素を整理すると、どれも大差ないものになる。ストーンエイジが一番シンプルに、わかりやすくまとめられているから、ひきあいに出しやすいゲームだということだ。
デザイナーたちの苦悩が伝わってくるようだ。と思う。
ワーカープレイスメントに必要な要素を切り詰めていき、最低限どの要素を残せばゲームとして成立するか、そこにどれだけの要素を足せば「おもしろい」ゲームになるか、そうしたことを、考えれば考えるほどストーンエイジに近づいてしまう。のではないかと思う。
わたし自身もゲーム作ってみようかなとか、少し考えたり考えなかったりしていて。だから感じることなんだけど。まあわたしのような素人とプロは全然違うだろうとはいえ。
しかし、なにしろワーカープレスメントはおもしろい。そりゃあ作りたいだろう。
流行はまだ去っておらず、今年のエッセンでもいくつも登場したみたいだ。
エジツィアもそのひとつ。
エジツィアというのは、エジプトのことらしい。ナイル川の上流から船で、人足や資源を運び、畑を作ったりピラミッドを建造したりする。
最初に書いたとおり、ワーカープレイスメントだ。しかし、ふつうのワーカープレイスメントではない。
この「ナイル川の上流から」というのがポイントだ。上流から流れてくる船でワーカーを配置するから、つまり、ワーカーを配置する順番が決まっているんである。
ワーカープレイスメントがストーンエイジから脱却するために、とれる手段がもうこれしかない、という深読みをしている。
要素の種類を変えても、けっきょく既存のゲームと違うゲームにはならない。ワーカープレイスメントはそういう意味で、非常に「強い」システムだ。
差別化がはかれない。だからもう、ワーカーの配置方法自体に特徴を持たせるしかなかった。のではないかという気がする。
エジツィアのワーカープレイスメントは、上流から順に配置しなければならない。最後に置いたマスより下流にはどこにでも置けるけど、上流には配置できない。
これがとてもよくできている。おもしろい。
ワーカーは各プレイヤーに8個ずつ。これは増えも減りもしない。ストーンエイジやアグリコラのように「ワーカーを増やす」手段がないんである。
その代わり、はじめから持っている8個のワーカーはまず使いきれない。つねに一番近いマスを使っていれば使いきれるだろうが、それでは勝てないわけで。たいていは、何マスか飛ばして、欲しいマスを選んでいくことになる。そうすると、使いきる前に河口に到達してしまう。
ワーカーを使いきらないワーカープレイスメント。あるいは「配置する数を減らす代わりに自由度を得る」ことができるシステムということになるだろう。
このシステム、ほんとにすばらしいと思う。
これ、やっていることをよく分析すると、「アクションポイント制」に近いものととることもできる。
上流から河口までのマスの数が、1ラウンドに使えるアクションポイントだと思えばいい。
すぐ下のマスに配置することは、アクションポイントを1消費したと考えることができる。1マス飛ばして配置するなら、アクションポイント消費は2だ。
アクションポイントを多く消費するほど選択の自由度が上がるが、その代わり、実行できるアクションの回数は減る。というわけだ。
アクションポイント制ももちろん、おもしろいシステムなのだ。
あるいは、「マルチ・ダッチ・オークション」(※→) 的な部分もある。
エジツィアのワーカープレイスメントは、ワーカープレイスメントにそういうシステムをシームレスに組み合わせた、ハイブリッドととることもできるわけで。
しかも、じつにムダのないエレガントな方法だ。
と、個人的にはすばらしいと思っているのだけど。
難点は、ルールが複雑なことと言語依存が強いこと。カードを多用するから、翻訳ルールと首ったけにならなければプレイできない。
また、ひとつひとつのマスについてけっこう細かいルールがあったりもする。わたしがやったときも、ルールの解釈上の問題が何点か挙がっていた。
そのあたりは若干めんどうかもしれない。日本人が初プレイするときは、3時間くらいは見ておいたほうがいいと思う。
しかし、重いからといって飽きてしまうことはない。よくできたワーカープレイスメントはいつもそうだ。本当におもしろいゲームは、重くたってもう一度やりたくなる。
タイトルどおりの時間テーマSF。横長のボードには、同じマップが3つ描かれている。ボードに描かれているのは3つの時代なんである。それぞれ「力の時代」、「宗教の時代」、「理性の時代」だ。
ルールブックに「タイムパラドックス」などという用語が登場したりして、なんとも楽しい気分になる。
つまり「過去の時代に建てた建物は未来にも登場する」んである。なんかすごくおもしろそうじゃないか。
3つの時代にはそれぞれ特有の得点方法が用意されている。プレイヤーは2個ずつのコマを持って、未来にいったり過去にいったりしながら、各時代に建物を建てたり、入植したりする。
得点はゲーム中2回。そのとき、コマを置いている時代から得点をえられるというわけだ。
SFファンとして、すごくおもしろそうなテーマではあるわけだけど。不安もある。「次の時代への波及」という要素が、処理として複雑すぎるのではないかという点だ。
この不安は、残念ながらわりと的中で。ただ波及するだけならば思ったほどではないものの、タイムパラドックスに関する処理はけっこうめんどくさい。
さらに、チグリス・ユーフラテスに似た王国の合併や分裂といった要素もある。じつはベースの部分はシンプルなゲームなのだけど、いろいろなルールがからんだときの例外処理がひどく多い。
しかし、まだぎりぎり、処理できない量ではないと思う。少し慣れれば大丈夫だろう。
各プレイヤーに配れるかたちの、わかりやすいリファレンスが欲しかったところだ。作ろうかな。そうしたものがあれば、だいぶ変わると思う。
ゲームは意外とシンプルで、けっこう楽しい。「タイムパラドックスで建物が壊れた!」などは強烈すぎるインタラクションだし、おそらくは1番手プレイヤーが有利だろうなどの欠点はすでに見えているけど。
そのあたり、もう少し練ることはできたと思うけど。
でもテーマは魅力的だし、ダイナミックに局面が動く感じもやってて楽しい。
とにかくコンポーネントがいい。入っているコマがいちいち凝ってる。
よくある木製の金太郎飴コマだけではなく、手で削ったであろうかたちだったり、素材が石(!?)だったり。「オフロード車」コマは1色で塗りつぶすだけではなく、窓を水色に塗ってあったりする。
ボードのかたちもおもしろい。じつのところ、それほど複雑なことをするゲームでもないのだけど、コンポーネントにはムダに凝ってる。
ボードを広げた雰囲気もいい。たいへん写真に映える。
宝の島トバゴにやってきた探検家たち。地図の情報をもとに宝を見つけるというゲーム。
プレイヤーの手札には、宝の手がかりとなるカードが渡されている。これを場に出すと、宝の位置が絞りこまれる。
たとえば「ヤシの木のとなり」とか。「海岸線から2マス以内」とか。「森の中」とか。
そういう、じつは謎解き系のゲームだ。
宝のありかの、候補地にはキューブが置かれている。手がかりカードを出して候補地が絞りこまれるたびに、キューブをとりのぞいていく。
キューブが残り1個になったら、その場所に自分のオフロードカーを移動させれば宝発見。
設定的にはたぶん、みんなで協力して財宝を捜しているんである。みんなで自分の持つ情報を出しあい、宝のありかを特定したら誰かが掘りにいく。そういう設定なんだろう。だから、宝を発見したら、情報を出したプレイヤーでそれを分配する。情報を多く提供したプレイヤーほど分け前が多いし、決定的な情報を提供するほど(後に出したほど)高価な宝をもらえる。
他に、さまざまな特殊能力を使える「アミュレット」という魔法のアーティファクトが、島に落ちていたりもする。
ホームズの犯人捜しゲームとか、クルーとか、スルースとか、そういう謎解き系ゲームに近いもの、と思ったほうがイメージが近いと思う。
手がかりカードをいくつも集めることで真相が判明する、というか決定するというのは、謎解きゲームのひとつのパターンだ。すべての手がかりと矛盾しないものが真相ということになるんである。なにシステムというか知らないけど、これけっこう、個人的には好きだ。
候補地をキューブで示す、というのはすごくわかりやすいし、それがだんだん絞りこまれていく様も、見ていて楽しい。
なによりこのコンポーネント。いくつか要素があるもののゲームはシンプル、なので、もっと簡単なコンポーネントでも充分だっただろうという気はするわけだけど。
しかしやっぱり、手の込んだコマがあれば楽しい。ゲームがおもしろいからいえることだけど、こういうムダはムダではない。
ボードにマス目があって。マス目とマス目の間に国境線を置いていく。陣取りゲーム。
オリジナルが1996年で、その後2003年に新版が出た。らしい。ただの再販ではなく、ルール面もだいぶ手を入れられているらしい。
昔の版はやったことないけど、オークションがあったとか? この新版にはオークションはない。たしかに、だいぶ変わっているようだ。
初期配置で、城を配置する。4人プレイなら、3個ずつ。
あとは、カードをプレイしながら国境線を置いていく。地形によって得点が違ったりはするけど、もちろん、できるだけ広い陣地をとったほうがいい。
ボードの端には国境線が必要ない。だから、最初は四隅の近くからはじめたほうがいい。そのあたりは囲碁と同じ。
ボードに星描いといてくれたらよかったと思う。
なにしろ、まったく国境線がない状態でゲームがはじまってしまう。選択肢はひどくたくさんある。
自分の城は3個あるんである。盤面のいろいろな場所で同時に、たくさんある他の城と国境争いをしているわけで。一箇所に注力すれば、他のどこかで遅れをとることになる。そういう「ここで手を抜いて他の場所に打つ」という判断が必要だったり、そのあたりも、いろいろと囲碁っぽい。
国境線が確定したあともゲームは続く。騎士を相手よりも多く持っている国なら「領土拡張」をできる。武力をつかって、国境線の押し合いをするわけだ。
「陣取りといえばこんな感じ」だ。なんとも直感的で、見事なゲームと思う。
囲碁と違うのはもちろん、プレイヤーが3人以上いるマルチゲームであること。
囲碁は1対1だから、相手を攻撃することはそのまま自分の得になる。だがマルチゲームでは、攻撃をすれば、たぶん自分よりも攻撃されなかった第3者プレイヤーが得をする。
といっても、戦うことなくすませることができるようなゲームではない。基本的にガンガン戦う、インタラクションが非常に強いゲームだ。
誰が誰を攻撃するのか、いわゆる「お仕事」を求められたりする種類のゲームである。おそらく、理屈でいえば、攻撃されなかったプレイヤーが勝つだろうというゲームだ。
こういうゲームは、たぶん4人以上でプレイするのがいい。
3人だと、2人がもう一人を攻撃するとその一人が脱落する。これはまあ、そりゃそうだろう。
インタラクションが強いゲームでは、誰と誰が戦うのかというところで陣営が分割されるわけなのだけど、その組みあわせが、3人の場合は2パターンしかない。1対1対1か、2対1か、だ。
そして、このことがゲームの結果に及ぼす影響は強い。というより、インタラクションの度合いがある一定水準を超えると、ほとんどこの影響だけでゲームが決まってしまう。
こうなればもう、ゲームシステムはなんだろうと関係ない。ゲームシステムにかかわらず、誰と誰が戦うのかという陣営分けだけで結果が決まってしまうのである。
これが4人なら、2対2とか、2対1対1とか、いろいろなパターンがありうる。ゲームの展開が、4人のほうがずっと多彩だ。
どんなゲームでも、インタラクションがないわけではない。そういう意味では、じつは 「3人が最適」 なゲームというのはほとんどないような気がしている。
少なくとも、インタラクションが強ければ強いほどそうした傾向が強い。レーベンヘルツは、インタラクションが非常に強いゲームだ。だから、2人でなければ4人、と思う。
インタラクションの影響は強い。たぶんこのゲームも、最終的には「一番攻撃されなかったプレイヤーが勝つ」種類のゲームだろう。
逆にいえば、攻撃されないように振る舞うことが重要かもしれない。いきなり巨大な領地を目指してしまうと邪魔をされやすいかもしれないから、大きくはないけど堅実な領土を作ろうとか、そういうことを考える。
よくいう「お仕事」をする場面も出てくるだろう。しかし「お仕事」のために致命的なコストを支払ってしまうと、自分が勝てなくなるという本末転倒な事態になったり。
インタラクションが強いゲームでは必ずある、そういう要素を持ったゲームだ。21世紀のトレンドからすると、かなり強すぎるインタラクションを持ったゲームといえる。
もっとも、なにしろテーマは陣取りなのだ。陣取りのインタラクションは強くてあたりまえとも思う。
マス目とマス目の間に国境線を置き、領土を争う、このテーマがとても直感的に表現されていて、楽しい。「陣取りといえば」といいたくなる傑作だ。